『疾走』三

 リュリュさん、ポロロッカさんの二人を洞窟に置いて、出発してからしばらく。


「…………」


 周囲を見渡しても、風景は変わらずの雪景色。

 そんな変わらない雪景色も、二人になってしまったせいなのか、何か違って見えました。

 耳に入る物音は、僅かに体を撫でる風の音と、自身の呼吸音。

 あとはザクザクという、二人分の雪を踏みしめる足音。

 シューコ、シューコ。

 そして――酸素の魔道具の音。


「そろそろ魔石の切り替え時じゃねェか?」

「もうですか……思っていたよりも燃費が悪いですね」

「使われると想定されてなかったんだろうな。酸素の魔道具に使える魔石は、残り三個だ」


 そう言いながら、酸素の魔道具に使用する魔石を渡してくれたジッグさん。


「下山にも最低一つは取っておかねぇとな」

「最悪、リュリュさんとポロロッカさんから頂くしかないですね」

「ああ、帰り道に寄る洞窟に、二人がちゃんと居ればだが」

「……?」

「……いや、今から心配してもしゃあねぇな。忘れてくれ」


 その言葉を最後に、口を噤んだまま歩き続けるジッグさん。

 やはり洞窟に残して来たリュリュさんとポロロッカさんが心配なのでしょう。

 見た目こそ人一倍は厳ついジッグさん。

 ですがジッグさんはその実、人一倍仲間想いなのかもしれません。

 シューコ、シューコ……。

 酸素の魔道具を使い過ぎないよう、移動速度を調整しながら歩くことしばらく。

 唐突に口を開いたジッグさん。


「……オッサン。あんたはどうして、こんな山に登る羽目になったんだ?」


 唐突に口を開いたジッグさんに一瞬固まってしまい、即座に返答ができませんでした。

 なので、ゆっくりと思い出すように、ぽつりぽつりと事情を話します。


「私はですね……スラムの廃教会でシスターをしている女性に救われました」

「廃教会?」

「はい。その恩返し、ではないのですが、色々としていたらお金が尽きてしまいまして」

「盗みか? しょっぺぇ理由で死の山に来たもんだ。下手に戦闘能力があると苦労すんなァ」


 ため息交じりに肩を竦めたジッグさん。

 何とか弁明をしなくては、ジッグさんにあらぬ誤解を与えてしまいそうです。


「結論から言えば冤罪です。襲われている少女を助けたのですが、牢屋に入っているうちに罪をでっち上げられましてね。今の罪は……領主夫人に対する不敬罪、というところでしょうか?」


 領主夫人という言葉を聞くなり真顔になり、黙り込んでしまったジッグさん。


「酷い話ですよね?」

「…………」


 黙ってしまったジッグさん。あまりの理不尽さに言葉も無いのでしょう。

 数分程黙って歩いていると……。

 頭をポリポリと掻きながら、ジッグさんが再び口を開きました。


「何か、都合の悪い場面でも見ちまったんだろうな」

「……そうなのかもしれません」 

「しかし領主夫人たァ、運がねェと言うかなんと言うか」

「まだ確定というワケではないですけどね」

「――まっ奴らからしてみれば、ここに送るのには十分な理由だってェこたァ確かだ」


 そう言って大きく溜息を吐いたジッグさん。

 一度辺りを見渡し警戒する素振りを見せ、再び前へと向き直りました。


「それにしても何故、あんな場所に領主夫人? が居たのでしょうか」

「知らねェよ。貴族連中には頭のイカレた奴が多いからな」


 力強くこちらを見たジッグさん。

 この世界の事を何も知らない私には、何がなんだかわかりません。


「……?」

「いいか? 貴族といやァ関わらない方が利口な奴等ばかりで……いや、もう良いか……」


 どこか疲れた様子で肩を落としたジッグさん。

 もしかして――。


「酸欠ですか?」

「オィィ、なんでその疑問が出てきた?」

「交代で吸います?」

「要らんわッ!!」


 声を荒げながら突っ込みを入れてきたジッグさん。

 どうやら酸欠ではなかったようです。


「まぁ何にしても、次からは冒険者ギルドで無難な依頼を受けて稼げ」

「おぉ、そんな場所が!?」


 こちらの反応に、信じられないものを見るような目を向けてきたジッグさん。


「オイオイ、冒険者証のドックタグは持ってたよな? お前それ、何処で貰った?」

「詰め所で衛兵さんから渡されました」

「ヤークトホルンが初依頼なのか?」

「いえ、野盗関係の依頼に……オーク集団の調査、討伐の依頼は達成していますね」

「ほぅ……で、その依頼は何処で受けたよ?」

「詰め所です」

「常習犯かぁ……何にせよ、金が無ければ冒険者ギルドの下請酒場。これだけは覚えとけ」


 深く溜息を吐き出したジッグさん。

 それでも周囲の警戒を怠らない辺りに、冒険のベテランという感じが出ています。


「まぁ無事にこの依頼を完遂した暁にャ、オレがお前を手伝ってやってもいいぜ」

「――!? お願いします!」

「はんっ、まぁ前衛は任せてくれや」

「頼もしいですね」


 彼の実力はヤークトフォックスとの戦闘で実証済み。

 もし一緒に依頼を受けてくれるようになれば、頼もしいことこの上ありません。


「……ちなみに、ジッグさんが奴隷になった経緯は聞いても?」

「あぁ別に良いぜ。……そうだな、簡潔に言うと、復讐の結果ってェところか」

「復讐?」

「あぁ。これでもオレぁ、ベテラン揃いの冒険者パーティーでリーダーをしてたんだ」

「おお!」

「だがまぁ、あの時は……判断を誤まっちまったがな」


 ……ポツリ、ポツリと語りだすジッグさん。

 その表情は、何処か遠い過去を見るようなもの。

 今この時ばかりは、ジッグさんも周りが見えていないように思えました。


「オレ達ァ、とある依頼を受けた。……そしてこれが、間違いの始まりだった」


 暗い顔をして俯いてしまったジッグさん。


「依頼の報酬は高額で、内容はよくある護衛依頼。……この時点で少しくせぇよな?」

「そう、ですね……」

「だが丁度金欠気味だったオレ達ァ、その依頼に猿みてェに飛びついた」


 本当に悔しそうに語る、ジッグさん。

 その強く握られた手は、誰に向かっての憤りを握りしめているのでしょうか。


「道中で何度かの襲撃も受けたが、オレ達ァは目的地までの護衛に成功した」

「流石ですね」


 そのように相槌を入れると、少しだけ考えるように間を空けたジッグさん。

 そして再び、語り出しました。


「あぁそうだな、護衛対象の貴族、がとんでもねぇキチガイ野郎でさェなければな」

「貴族……?」

「その貴族はな、襲撃のせいで遅れた行程を理由に、報酬を踏み倒そうとしやがった」


 ――酷い話です。

 ですがまだ続きがあると察した為、黙って話を聞いている事にしました。


「きっちりと仕事をしたオレ達ァ当然抗議したし、ギルドの力もあって報酬は支払われた。……が、その次。その次に指名依頼としてやってきた依頼。それが最悪だった」


 その時の事を思い出しながら話しているのでしょう。

 ジッグさんの声は、僅かに震えています。


「謝罪も兼ねた帰路の護衛依頼。……オレァ馬鹿だった、当然のように罠だったぜ」


 不思議と風は止んでいて、耳に届く物音は、ジッグさんの声だけ。

 妖精さんも興味深そうに防寒具の隙間から頭を出し、話に聞き入っています。

 ジッグさんの話のどこかに、共感する部分でもあるのでしょうか。


「行程の半分程度の場所でな、すげェ数の野盗が襲ってきやがった。……そいつらはゴロツキと比べれば一回り腕が利く奴等で、オレ達は数で追い込まれていった」


 圧倒的な数の暴力。

 きっと個の実力では、ジッグさん達のパーティーが大きく上回っていたのでしょう。

 ですがそれは、数で埋められるくらいの差でもあったのかもしれません。

 頭数はどんな場面でだって、多い方が強い立場を勝ち取るものです。


「仲間が一人殺されたところで気づいたが、遅過ぎたぜ。……仲間が殺されたその時、護衛対象の貴族は嗤いながら、コッチを見ていやがった。そこで更に気付いたぜ。……野盗の連中が、オレらしか見てなかったって事にもよォ……!!」


 ――逆恨み。

 声の震え具合からして、ジックさんは泣いているのでしょうか。


「オレァ咄嗟に『罠だッ! 全員逃げろ!』ってェ叫んだが、結局逃げ延びる事に成功したのは……オレだけ。他はみんな殺されちまった……」


 ジッグさんはこちらに顔を向けていない為、真実は判りません。

 でもきっとそれは、知らない方が良い事なのでしょう。

 気が付けば、空からは粉雪が降り始めていました。


「一度逃げ切ったオレァ、復讐の炎に取り憑かれちまってな。野盗共が金を受け取って散ったあと、護衛が居なくなった貴族の馬車を町近くで襲って――貴族を殺した」


 ある意味それは――当然の権利。

 復讐は何も生まない、のではなく、復讐しなければ自我を保てなくなるのです。

 そして復讐を成し遂げた者は、多かれ少なかれ満足感を得るでしょう。

 だから戦争は無くならない。何時だって真実は、史実が物語っています。


「町側の衛兵にそれが見つかった。これが俺の奴隷落ちした原因だ。……つまらねぇだろ?」

「酷いですね……」

「ああ、最悪だ」

「その事をギルドには訴えなかったのですか?」

「そん時にゃ、そんな気力は無かったよ……」


 話はここまでだ、と言わんばかりに口を閉じたジックさん。

 気を紛らわすかのように、周囲の警戒に熱心になっています。


「ジッグさん……」


 依頼を達成したのに報酬を渋られ、挙句の果てに仲間を殺された。

 それに対して仕返しをしたら、ジッグさんは奴隷に落ちてしまった、と。

 理不尽極まりない話ですが……。

 これがこの世界のルールで、一般人にはどうしようもできない事なのでしょう。

 似たような話は物語でよく聞きますが――これは現実。


「ジッグさん」

「……なんだよ」

「この依頼を完遂できたら……いえ、できなくとも……! 必ず自由にしてみせます」

「……ハッ! 期待してるぜ!」

「はい!」


 この依頼を無事に終了した暁には、皆さんを絶対に解放しようと硬く決意を改め。

 おっさんは、力強く足を踏み出しました。

 妖精さんが何かを察したのか、クスクスと笑っています。


「……おい?」


 ……ジッグさん、睨まないでください。

 妖精さんはジッグさんの話を笑ったのでは無く、私を笑ったのです。

 それでも私は、つい目を逸らしてしまいました。

 雪山に響く――妖精さんの笑い声。


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