『氷の柱』一

 時刻は日が沈み始めた夕暮れ時。

 山頂まであと僅かというところにまでやってきました。

 がしかし、前方には不自然な雪柱が無数に立っている場所が見えています。


「ジッグさん、あれは一体……?」

「わからねぇ、だが気ぃつけろ」


 そう声を掛けてきながら慎重に進んでいくジッグさん。

 進んでいくジッグさんから離れぬよう、後ろをピッタリと付いて歩きました。

 妖精さんが何も反応を示さない事から、ヤークトハンターの罠ではないのでしょう。

 ですが万が一不意の襲撃を受けた際は、ジッグさんの盾になるべく飛び出すつもりです。


「……雪柱の森、ってか?」


 雪柱の森。

 ジッグさんの言うようにこの場所には、似た様な高さの雪柱が無数に乱立しています。

 私は立ち止まっているジッグさんを追い越し、前に出ました。


「ッ! おいッ!」

「私なら大丈夫です。そこで少し待っていてください」

「……考えがあるんだな?」

「はい」

「分かったよ……」


 真面目なトーンで言葉を発したら、一瞬驚いたような反応を見せたジックさん。

 真剣さが伝わったのでしょう。

 ジッグさんは不承不承という感じでしたが、頷いてくれました。

 私であれば不測の事態が起こったとしても、結果的には助かるかもしれません。

 ですがジックさんに何かあれば……。

 それこそ初日の男性奴隷のように、簡単に死んでしまったら――。

 そう思うと、つい言葉も固くなってしまいます。


「ふぅ……」


 可能な限り慎重に足を進め、無事に雪柱の直ぐ傍にまでやってくることに成功。

 氷柱を近くで見た感想は、ただの雪の塊。

 ですが雪柱の表面を軽く撫でてみると、雪がごっそりと落ちました。

 ぶ厚い雪の下から出てきたのは――クリスタルのような謎の塊。

 顔を近付け、それが何であるのかを調べようとした瞬間――何かと目が合います。


「――ッ!?」


 クリスタルの中の何かと目が合ったような気がして、尻餅をついてしまいました。


「どうした!!」


 咄嗟に前に出てきて、剣を構えてクリスタルの方を見たジッグさん。

 しかし何も起こらず、ジッグさんの体からも力が抜けました。


「何があった……?」

「……すみません。クリスタルの中の何かと、目が合ったような気がしまして……」

「クリスタル……雪柱じゃねェのか」


 そう言って表面の雪を剣で落としていくジッグさん。

 次第にその全容が明らかとなり、私とジックさんは息を呑みました。


「これは……!」

「あぁ、こいつァやべェ」


 目が合ったものの正体。

 それは――。


「氷付けの……人間? いったい何時から……」

「防寒装備から判断するに、十年から二十年前ってとこか」

「詳しいですね」

「まぁな。だが、殆ど負傷してねェってのが、逆に不気味だ」


 ジッグさんがクリスタルの表面を剣で軽く掻いてみると、ほんの僅かに削れました。

 この雪柱全ての中に人が入っているとしたら。

 ここだけで、一体どれだけの人が亡くなっているのでしょうか。

 どれだけの人が〝メビウスの新芽〟を求めて、この地へとやって来たのでしょうか。

 クリスタルの表面を剣で掻いたジッグさんが、顔を思い切り顰めさせています。


「かってぇな。だがこいつぁクリスタルじゃねぇ、氷だ」

「氷……?」

「ああ、ただし普通の氷じゃあねぇぞ」

「自然ではあり得ない、氷柱?」

「それだけじゃねぇ。この硬度と透明度、魔法で作られたモノに見えるんだが……」


 そう言いながら、剣先でコツコツと氷柱をつついたジッグさん。


「純度がたけェ。オレが知ってる魔物にゃ、使ってくる奴はいねぇな」


 慎重にもう何体かの雪を取り除いてみると、案の定その中にも人の遺体。

 氷柱になっている殆どの遺体が無傷であり、あっても僅かな負傷があるばかり。


「この先に何が居るのかはわからねえが、慎重に……極力息を殺して行こうぜ」

「はい、分かりました」


 ジッグさんと共に、慎重に氷柱の間を縫って進みます。

 慎重過ぎる程に足音を殺しながら歩いていると――。


「ギャアァアァァアアアアアアアアア――ッッ!!」


 山頂の方から聞こえてきた悲鳴。

 ジッグさんと目が合います。


「助けに――」

「駄目だ! いまの悲鳴、恐らく声の主はもう死んでる」

「ですが……!」

「オレ達の他に登ってる奴が居たとはな。何にしても運が良い、悲鳴で位置は掴んだぞ」

「流石ジッグさん!」


 苦笑いを浮かべながら、こちらに向かって口を開いたジッグさん。


「長年培った経験が言ってやがる。こいつぁ依頼達成の為に、避けては通れねぇ戦闘だってな。……避けられねぇならせめて、慎重に近づいて不意打ちがしてェ」


 不意打ち。

 その言葉を聞いた瞬間、思わず顔を顰めてしまいました。


「不意打ちですか……成功しますかね?」


 不意打ちをする為には気づかれてはいけない訳で……。

 気配を殺しての移動など不可能な私では、先行することはできません。

 ジッグさんは指を一つ立て、小声でありながらも力強い口調で言いました。


「オッサン。アンタさっきからオレを庇おうとしてるみてェだが、そいつァオレに対する侮辱だぜ?」


 それは正に、言い聞かせるような口調。

 決して怒っている声音ではないですが、かなり強めの圧迫感を感じました。


「ちったぁ信用してくれねぇか? ……仲間としてよ」

「――ッ。……死なないでくださいね」

「ハッ、年上のアンタよりも先におっ死ぬ予定はねェぜ」


 一瞬、ジッグさんの視線が私の頭頂部に向かったような気がしました。

 ――いえ、きっと気のせいです。

 こんなシリアスな状況下でジッグさんがハゲを気にするわけがありません。

 ……だというのに何故か、妖精さんがクスクスと笑っています。

 こちらから見ればジッグさんの方が年上に見えるのですが、一体何歳なのでしょうか。

 ――依頼を達成したら聞いてみましょう。

 そんな事を考えていると、ジッグさんは人差し指を口の前へと持って行き――。

 静かにするように、というジェスチャーを送ってきました。

 ジッグさんに合わせて慎重に移動を開始します。

 足場は平らな場所もあるのですが、殆どが不自然に歩きにくくなっている場所ばかり。

 転ばないよう、足元に注意して歩かねばなりません。

 ジッグさんの足取りはゆっくりなのですが、目を離せば見失ってしまいそうです。

 氷柱の間を縫うように進んで行く、気配が薄くなっているジッグさん。

 そうして進むこと五分。

 ジッグさんが立ち止まりました。

 停止したジッグさんに合わせ、互いが見える位置で停止します。


「…………」


 しばらく周囲の様子を窺っていたジッグさんでしたが――。

 来てもいいと手招きをしてきたので、その距離を詰めました。


「……どうですか?」

「オレの見た限りだと居ねェ。……ちなみに、悲鳴の正体は多分アレだ」


 ジッグさんが指差した先には、雪に覆われていない氷柱が二つと――。

 地面に倒れている人影が一つ。

 氷柱には見てきた全ての氷柱と同じく、中に人が入っています。


「妖精さんレーダーには何も引っかからねェか?」

「はい、多分いないと思います。様子を見てくるので何かあれば援護を……」

「ああ、頼りにしてるぜ」

「私もです」


 慎重に、倒れている人影の元へと歩み寄った瞬間――足首を掴まれました。

 倒れている男性の腹部には、大きな穴が開いています。

 更には白い雪を赤く染め上げる程に流れ出ている血液。

 一目見た限りでは死んでいるとばかり思っていたのですが、まだ生きていました。


「気を、つけろ……アレは、無理だ……逃、げ……――」


 足が掴まれた時点で罠だと思ったのか、剣を構えて飛び出してきたジッグさん。

 背負っていた荷物は置いてきたのでしょう。

 ジッグさんの格好は身軽で、剣だけを持っている状態です。


「大丈夫か!?」

「ええ」

 

 倒れていた男性の手から力が抜け、そのまま地面に落ちたのを見たジッグさん。

 自然とジッグさんの体からも力が抜けました。

 咄嗟に治癒のポーションを取り出そうとするも、ジッグさんの手に止められて失敗。


「無駄だ、こいつァもう死んでやがる。C級のポーションで治せる傷でもねェしな」

「…………」


 黙っているとジッグさんは男性の荷物を調べ始め、何かを取り出しました。


「メビウスの新芽を回収する為のケースが入ってやがる」

「ここまで来られたという事は、腕のある方だったのでしょうね……」

「さぁな。だが一つ確かなのは、氷柱になった奴は死んで、こいつも死んだってェ事だ」


 ――不自然に歩き難い地面。

 その原因となっていた、そして、これからそうなってしまう一人が目の前に。

 荷物を回収しゆっくりと歩き出したジッグさんは、僅かに震える口で言葉を発しました。


「嫌な予感がしやがる。この先に行けば必ず居るだろう存在が、どうも自分より強大な上位者? 上位種? そんな、確信に似た強い予感がしやがるんだ……」


 右手を顔の前まで持っていったジッグさん。

 ジッグさんは震えるその手を、反対の手で力強く掴みました。

 そして再び寒さとは違う、恐怖によって震える口で言葉を続けるジッグさん。


「オレが死んじまったとしてもよ……オッサン。あんたはオレの死を気にせず、冷静で居てくれよな。オレの死で取り乱したお前が死ぬのが、一番の最悪だぜ」


 その言葉はまるで――遺言。

 死を覚悟した男の、考えうる限りで最も弱気な言葉。


「確約はできませんね。死ぬつもりなのでしたら、ココからは私一人で行かせて下さい」

「……ハッ! 緊張を紛らわせてやる為の冗談だ。オレ様ほど頼りになる前衛はそう居ねェ!」


 ……冗談……? 違う。

 最初に口からこぼれ出たジッグさんの弱音は、紛れも無い本心。

 むしろ後から出てきた強がりの方が、私には余程冗談に聞こえました。

 精一杯音を殺した二人分の足音が、妙に大きく聞こえるようになった頃――。

 ジッグさんが、ポツリと呟きました。


「山頂は目の前だ」



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