『底の見えない穴』三

 次の日の早朝、空は青く、雪は真っ白。

 本日は絶好の登山日和だと言ってもいいでしょう。


「天候が悪化しなくて良かったですね」

「ほんとうにその通りだわぁ~」


 テントの片付け終えた登山隊一行は、足早にその場を出発。

 天気にも恵まれたため、今日も平和な山道を進むことができていました。

 妖精さんの警告にさえ従っていれば、道中もかなり安全なものになってきています。

 ……とはいえ、誰一人として気を緩めている者はいません。

 皆が周囲を警戒しながら歩いていて、その表情は真剣そのもの。

 ここでは一つの油断が死に直結するという事を、嫌という程思い知らされました。

 先頭を歩くポロロッカさんはクレバスに落ちた経験が相当印象に残っているのか。

 警戒の度合いは足元八、周囲二、といったご様子。

 少し後ろを見てみれば、リュリュさんは左右を中心に警戒しています。

 更にその後ろでは、時々後方を見て警戒しているジッグさん。

 そんな中、私のお仕事は簡単なものが一つ。

 それは、妖精さんに伝えられた危険信号を皆に伝えるというもの。

 頭の良いサルでも可能なお仕事だと言ってもいいでしょう。

 決してサボっているワケではないのですが、他には何も出来ません。

 目が特別良いというワケでもなければ、敵の気配も全く感じ取れない。

 そもそも元の世界に居た時ですら、何も居ない場所に気配を感じてしまう始末。

 誤報をしないよう目で見える範囲を見て、警戒するのが精一杯です。


「……裂け目だ、迂回してみるか?」

「いや、念には念を入れて梯子を掛けようぜ」

「そうですね。見えない場所が雪の落とし穴になっている場所もあるはずです」

「……了解だ」


 クレバス一つを超えるのに十五分程度の時間掛け、安全に渡りました。

 組み立て式の梯子は持ち運びを考慮されていたこともあり、横幅は三センチ程度。

 バランスを崩して倒れてしまえば、クレバスに真っ逆さまです。

 まぁ現在は全員がロープで繋がっている為、ある程度なら助け合う事も出来るでしょう。


「雪道を歩くのにも慣れたもんだな」

「油断してると死ぬわよぉ~」

「わぁってる!」


 とは言え、登山の素人がクレバスに落ちて助かる確率はそう高くはありません。

 それでもこの場所においては、コレが最も安全な策になっているのもまた事実。

 小さく迂回して進めばクレバスに落ちる危険が。

 大きく迂回してヤークトハンターの縄張り外を歩けば、対応困難な魔物の生息域が。

 後者を選択して他の魔物が居る生息域に出てしまったパターンの場合。

 雪山用装備のせいで動きが阻害され、十全な力を発揮する事ができません。

 ポロロッカさんに至ってはワーウルフ――名前からして人ベースの狼。

 人狼という明らかな強化要素を、極寒の地という環境に封じられているのです。

 つまり、交戦は可能な限り避けなくてはなりません。

 多少のリスクは承知でも、組み立て梯子を渡るのは最善の選択でした。

 そうしてクレバスを越えて歩くことしばらく。

 ……これまで何度もあった、妖精さんからの危険信号です。

 警告の度に髪を引っ張るのだけは、是非とも止めて頂きたいところ。


「危険警告です、迂回しましょう」

「……分かった」


 妖精さんに引っ張られている髪の方向を指して、進路を指示。

 おっさん、妖精さんに操縦されてしまっています。

 進む方向の足元へと注意を向けながら、慎重に歩を進めるポロロッカさん。

 が突然、そのポロロッカさんが足を止めました。

 先頭が立ち止まった事により全員の距離が近くなり、小声でも話せる距離に。


「ちぃッ、もしかして外れるのか?」

「……あぁ。恐らくここまでがヤークトハンターの縄張りだ」

「そりャアまずいな」

「……ここから少しが中立地帯。そこから更に行けば、他の魔物の支配領域になる」

「かなり正確ですね。縄張りがわかるのですか?」

「……ワーウルフの血だが、ほとんど勘のようなものだ」


 勘だと言ったポロロッカさん。

 ですが確かな確信を持って、魔物の縄張りを理解しているように思えました。


「オレ達ァまだ運が良いぜ、縄張りを正確に理解できる魔族が居ンだからよ」

「獣人の人たちは?」

「獣人じゃあここまで正確な縄張りを把握できる奴ァ居ねェな」

「つまり縄張りがわかる技能は、友好的な他種族の中では貴重だと?」

「ああ、その認識で間違っちゃいねェな」

「ほるほど。ではポロロッカさんが居なければ、今頃どうなっていたかわかりませんね」


 同意する様にその言葉に頷いたジッグさん。

 がしかし、そこにポロロッカさんが否定の声が上がりました。


「……いや、今回に限っては俺よりもオッサンだ。謙遜ではなく、な」

「え、私ですか?」

「……そうだ。罠ギリギリをなぞって進むのなら、縄張りを読み取る力は必要無いだろ」


 ポロロッカさんに言われて考えてみれば、確かにその通り。

 妖精さんの警告さえあれば、ある程度は安全に進めるかもしれません。


「……オッサンが居なければ今日までずっと、何が居てもおかしくない中立地帯を進み続ける事になっていただろう。それに気が付くことが出来なければ全滅。恐らくはここの基本攻略が、ソレだ」


 真剣な表情でそのように述べたポロロッカさん。

 ポロロッカさんの言葉通りだとすれば。

 この霊峰の挑戦者はその〝気付き〟で仕分けされていた可能性が出てきます。

 真っ当な手段でこの死の山を踏破した人物が、過去に一体何人いたのでしょうか。


「まぁ死んだ奴らにゃわりィが、二人が居て俺らは運が良かった」

「取り敢えず進みましょぉ? 立ち止まっていても仕方が無いわぁ~」


 リュリュさんの言葉に同意し、中立地帯ギリギリを歩いて進むことしばらく。

 道は険しさを増し続けていますが、装備の御かげでなんとか進めています。

 その後はアクシデントに見舞われる事も無く、この日も歩き切ることに成功しました。

 ――今夜も運よく野営場所を見つけることができ、そのテントの中。


「……メインの食事は不味いが、紅茶だけは美味くて助かる」

「ポロロッカは贅沢ねぇ。珈琲も市販品のと比べたら、かなりの高品質よぉ~」

「ハッ、オレにャ違いなんてわかンねぇな」

「残念ながら私もジッグさん側ですね」

「おいィ? 残念ってどういう事だよ?」


 そんなやり取りをしながら、自身の手にしているコップに目を落としました。

 コップの中に入っているのは半分以下にまで減った黒い液体……珈琲。

 恐らく、元の世界でのインスタント珈琲の方が美味しいでしょう。

 ほぉー……と一息吐いたあと、明日の予定を確認するべく口を開きます。


「とうとう明日ですね、山頂」

「……ああ。迂回とアクシデントで四泊目だが、明日には目的地に到着する」

「アクシデントさえ起きなけりャあなぁ」

「一週間はここに居た気がするわぁ~」

「違いないですね」


 リュリュさんの言葉に返事を返す際、自然と笑みがこぼれ出てきました。

 これが苦楽を共にした〝仲間〟。

 この三人とずっと一緒に冒険ができるのなら、これからもずっと――。

 ……何にしても、明日も安全第一で進まなくてはならないのは確実です。


「ねぇ、この山頂には本当にあるのかしらぁ」

「……依頼品の話か?」

「そっ。どんな病でも治す〝メビウスの新芽〟なんて、眉唾だわぁ~」

「まぁ、存在していることを祈ろうぜ」


 収集目標物である〝メビウスの新芽〟。

 それは、ありとあらゆる病を治療する薬の材料とされるもの。

 その薬は、天寿による死すらも若返りという方法で治療してしまうという――。

 御伽噺上に記載されているだけの、伝説の薬草。

 確証の無い幻想である可能性も、そう低くはありません。


「……無かったとしても山頂までの調査が完了したら、解放される許可くらいでないか?」


 疑問と期待の入り混じった表情でそう呟いたポロロッカさん。

 が、それをジッグさんがばっさりと切り捨てます。


「確信を持って言えるぜ、それはねェ。奴らはそんなに優しい連中じゃあねぇからな」

「…………」

「俺らを処分する為に合法的に送り込んだまである。見つけられなきゃそれまでだ」

「……チッ、それじゃあこの山にある適当な雑草を……って、無理か」

「ああ。ここまで道中、雑草の一つも生えてやしなかっただろ」


 そんなやり取りをしているお二人。

 思い出してみれば確かにそうでした。

 この雪山に入ってからというもの、目にしてきたのは雪と岩。

 あとは……濃厚な死。


「まぁ希望があるとすりゃあ、この困難な道のりだ」

「……そうか。存在さえしていれば、回収されていない可能性も高いのか」

「その通り」


 僅かな希望を取り戻した一行。

 更に元気を出してもらうべく、それに続いて口を開きます。 


「可能性は低いですが、満開の薬草畑という可能性もありますしね!」


 それはきっと、限りなく低い確率なのでしょう。

 ですがそれでも、その可能性だってゼロではありません。

 私は「万が一、依頼に失敗しても――」と前置きをしてから、言葉を続けます。


「私が皆さんを解放してもらえるよう、色々と……えっと……全力で交渉します!!」

「ハッ! そいつぁ心づェえなっ!」

「……有り難い」


 そんな話をしていると、考え込むような仕草をしていたリュリュさんが口を開きました。


「理解できない力を使う出所のわからない意味不明なオッサンがぁ、奴隷解放の交渉をしてきて受け入れなければ何かするぞ! ……って仄めかしてくるのってぇ、相当な恐怖よねぇ~」


 おどけた様子で言ったリュリュさんに、思い切り渋い顔になった他のお二人。


「おぉゥ……そいつァこえェな……寒気が止まらねェ」

「……なんだ? いつの間にか怪談話が始まっていたのか? するのなら最初に言ってくれ」


 今晩もそんな会話を楽しみながら、夜を乗り越えることに成功しました。


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