『底の見えない穴』二
梯子を回収してから三十分ほど歩き、休むのに丁度良い岩の影に辿り着きました。
「……ここはどうだ?」
「悪くねぇんじゃないか?」
「そうですね、多少の風なら岩の壁が防いでくれそうですし」
「それじゃあさっさと設置するわよぉ~」
テントの設営は難なく完了。
何度か繰り返した処理をテント内で行い、その室内温度を高めます。
「……オッサン、上を脱げ」
「こう見えてきちんとした羞恥心は持ち合わせているのですが?」
「腕折れてんのに余裕そうだな、オイ」
そんなやり取りをしながら防寒着を脱ぎ、半裸になってみると……予想通り。
真っ青に変色していた右肘付近のすべて。
左腕も確認してみますが、左側はそんなに酷くないように思えました。
無理をすれば辛うじて動かせそうな気はします。
「……右は完全に逝ってるな。左は……ちょっと手を貸せ」
「はい」
左腕を差し出すと、ポロロッカさんはその腕を強く掴み――コキュッ。
「……動くか?」
左腕をグッ、パー、グッ、パー……きちんと動きます。
骨を無理やり元の位置に戻したようなのですが、痛みはありません。
とはいえ骨が元の位置に戻る感触は表現が難しいもので、かなり気持ち悪い体験でした。
妖精さんと出会う前にはあった、確かな痛み。
しかし妖精さんと行動を共にするようになってから、痛覚がなくなりました。
「これはもしかして……愛の力?」
「オイ、大丈夫かコイツ」
「完全に手遅れねぇ~」
そんな結論が出たところで、ポロロッカさんが再び口を開きます。
「……しばらくは痛みが残ると思うが、無理をしなければ一週間で良くなるはずだ」
「ポロロッカさん、ありがとうございました」
「……元々俺のせいだ。……それよりも右腕も出せ、ポーションを使ってやる」
「はい」
言われるがまま右腕を差し出します。
腕の状態を確認しながら、ポロロッカさんがC級ポーションの蓋を開けました。
変色している部分に半分ほど垂らし、それから左腕にも少し。
残ったのは「……飲め」と言って差し出してきたので、それは飲み干しました。
ポーションを飲み干した直後から感じられる、体が再生していく感覚。
「なんというか、変な感じがしますね」
効果は劇的で、ものの数秒で変色していた腕がすっかり元通り。
左腕に残っていた僅かな違和感も綺麗さっぱりと消えていました。
「……大丈夫か?」
「ええ、腕の違和感が消えたら今度は寒さが押し寄せてきましたよ」
「オッサンってば痛みに強いのねぇ~」
「だな、腕が折れてたってのに顔色の一つも変わらねェ」
テントの中はまだ温かいのですが、上に登ってきたせいか強くなっている肌寒さ。
治療の為に脱いでいた防寒具を着込みます。
「……まだ痛むか?」
「いえ、大丈夫です」
「……それは良かった」
「…………」
「…………」
「……あの、ポロロッカさん」
「……なんだ?」
「もう大丈夫ですよ?」
「……そうか」
そう答えたポロロッカさんですが、一向に離れてくれる気配がありません。
少し距離を空けると、少しだけ近寄ってくるポロロッカさん。
更には私を見る目が、ほんの少しだけ輝いているようにも見えました。
――これが女性なら嬉しいのですが。
と思いながらも、仕方が無いので放置する事に。
それを見て難しい顔になったリュリュさんとジッグさん。
妖精さんもこの光景を見て、クスクスと笑い声を響かせました。
「まさかポロロッカ、あなたぁ……ワーウルフ?」
「……何故分かった」
「そりゃ貴方、ワーウルフの習性そのままじゃない。命を救われて認めちゃったのねぇ」
「……オッサンは命の恩人だ。この救われた命、いざとなればオッサンに捧げよう」
「あらぁ~……とりあえず落ち着くまでは、好きにさせとくのが吉ねぇ」
見た目は完全に人間なポロロッカさんですが、その種族は実の所ワーウルフ。
全く気が付きませんでした。
ワーウルフも物語によって、姿形や生態が大きく異なる存在。
この世界のワーウルフの場合、少なくとも人間形体では獣耳がないようです。
廃教会の子供達には獣耳と尻尾があったので、子供達は別の種族なのでしょうか。
獣人、という言葉は偶に耳にしていたので、そちらに分類されるのかもしれません。
そんな会話をしている中……。
ジッグさんは一人、不満そうな顔をして干し肉を齧っています。
自然と晩御飯の流れになったテント内。
干し肉の次に携帯食を齧ったジッグさんが、珈琲を一口飲んで口を開きました。
「ワーウルフってぇ事ァ、かなり戦えんだろ?」
「……まぁそこそこな」
「昔農村を襲ったワーウルフを殺した事があったが、五人で取り囲んでやっとだったぜ」
「……平時ならば兎も角、ヤークトマウンテンでは無理だ。防寒具を破ってしまう」
「ってぇと、ここじゃ人間と変わらねぇって事か?」
「……ああ」
「なーんだ、手を抜いてやがったのかと思ったぜ」
ジッグさん笑みを浮かべながら溜息をすると、残っていた珈琲を飲み干しました。
「今さらっと流されていましたが、ポロロッカさんの同族を殺したのですか?」
「んァ? 人間だって人間を殺すんだ、相手が殺す対象なら種族なんてのは関係ねぇだろ」
あっさりとそう言ってのけたジッグさん。
目を細め、何処の世間知らずだ? というような視線を向けてきています。
「……その通り。俺も数え切れない程の人間を殺してきたからな」
「ほー、てめェが殺したのはどんなヤツだ?」
「殆どは野盗だったが、奴隷商人と孤児院の管理者をしている人間、教会の者も殺したな」
「そりゃァ捕まるわ。奴隷商と孤児院、教会はアウトだぜ、アウト」
「……理解はしている」
「ワーウルフは魔族だったか? その場で魔族として殺されてねェだけ、運が良いぜ」
「……フン。人間は何時から、同種の子供を食い物にするようになったんだ?」
ポロロッカさんの射殺すような視線に、頭を掻きながら答えるジッグさん。
「最近の孤児院と教会が胸糞わりィのは知ってる。こうなったのは……三年前か? その頃からアークレリックの領主が、教会と孤児院に対しての支援を打ち切ったんだ」
始めて知る町の事情。
孤児院と教会が腐ってしまったのには、そういった経緯があったのかもしれません。
「それが原因で両方とも資金難。その結果、孤児院は子供に体で稼がせるってェ金策に出たンだろうよ。……まぁ、一部がそれを嬉々としてやってるってぇのは否定しねぇが」
ジッグさんはそこまで言い切ると、珈琲を一口、口に含みました。
「しかしわかりませんね」
「なにが?」
「なぜアークレリックの領主は、教会と孤児院へと支援を打ち切ったのでしょうか」
「さぁな。一説によると獣人の浮浪児を増やす目的があるってぇ話だが、真相はどうだか」
「……クズ領主が……」
「はんっ! そのクズ領主の依頼でココに来てるんだぜ?」
「……クソッ」
「更に言えば、奴隷からの解放もクズ領主の権限だ」
「……最悪だ」
話す事は話した、と言わんばかりに寝袋の中へと潜り込んだジッグさん。
寝息を立て始めるのに、そう時間は掛かりませんでした。
テント内に流れる重苦しい空気。
そんな中でこっそり近づいてきたリュリュさん。
隣にまでやってきたリュリュさんは耳元に口を近付け、小声で話し始めました。
「対話できずに襲い掛かってくのが魔物で、対話できたり意思の疎通が可能な生物が魔族って呼ばれてるのよぉ。獣人は個の権利を確立して別の分類になったわぁ~」
こしょこしょと耳元で囁かれる感覚がとても扇情的で……気持ちがいい!!
「例えばコボルトと獣人族は違うしぃ、ハーピーと有翼人も違うのよぉ。勉強になったぁ?」
「は……はい、ですが何故?」
「貴方、異世界人でしょぉ?」
――ッ。
私がこの世界の者でないという事に気付いているご様子のリュリュさん。
つい驚いてしまい、咄嗟な言い訳が出てきませんでした。
これはもう、開き直って素直に教えを乞うようにしたほうがいいかもしれません。
「た、助かりました」
「いいのよぉ、異世界からの旅人さん」
「……なるほどな」
小声で話していたのですが、ポロロッカさんにはハッキリと聞こえていたのでしょう。
何かを納得したような様子で小さく頷いたポロロッカさん。
別に隠しているというワケではなかったのですが、異世界人だとバレてしまいました。
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