『底の見えない穴』一

 深い雪道を進むことしばらく。

 壁近くにテントを設置し、その日も無事に夜を乗り切った登山隊一行。


「も、もう一日くらい、休んだ方が良かったのでは?」

「……駄目だ。この雪がどうなるのかも判らないんだぞ? 進める時は進むべきだ」


 現在は雪の降る山道の移動中。

 降っている雪はかなりの大粒で、後ろに続く足跡は、すぐに消えてしまうでしょう。

 まぁ風はあまり吹いていないので、視界が利かないという程ではないのが救いです。

 とは言えそれも、いつまでこのまま進めるのか……。

 風が強くなり、雪がもっと激しくなれば、テントを張るのも容易では無くなるはず。

 それこそ本当に都合良く、安全な洞窟でも見つからない限り。


「そうですか。ではせめて、全員をロープで繋ぎましょう」

「……正気か? 突然の戦闘に対応できなくなるぞ」

「雪が酷くなれば、前の人とほんの少し離れているだけで遭難してしまいます」


 小さな問題が即座に遭難へと繋がる、足跡が長く残らない現在の環境下。

 孤立の危険だけは可能な限り避けたいところ。


「……経験か」

「はい。ですがロープで全員を繋いでおけば、その心配もありません」

「……わかった、全員をロープで繋ごう。ただ、いざという時は自分で切り落とすぞ」

「勿論」


 ポロロッカさんを戦闘に、隊全員の体をロープで結び、縦一列で進む雪道。

 先頭はポロロッカさん、その次におっさん、リュリュさん、最後尾をジッグさん。

 人数が多くてロープが伸びきっていれば、最後尾から先頭までの声は届きません。

 ――が、現在は既に三人を失い、頭数は四人。

 ほんの少し声のボリュームを上げれば全体に聞こえます。

 魔物の現れない雪山での登山なら基本となるロープ。

 しかし魔物が出るこの世界では話は別、ということなのでしょう。



 ◆



 慎重に進む事しばらく。

 何かが起きるという事もなく、時刻は夕暮れ時でしょうか。

 雪が強くなってきた為、正確な時間を知る方法がありません。

 そもそも登山というものは何も起きなくとも大変なワケで、足は既にガクガクです。

 痺れるようで蒸れるような……それでいて熱いようで、痛いような……。

 それら全てをごちゃ混ぜにしたような、不思議な感覚に陥っています。


「ふぅ……」


 そろそろ限界だ、というところでF級治癒のポーション一瓶を飲み干しました。


「おお、本当に楽になりました」


 治癒のポーションを飲んで少しすると、全身の疲れが取れてなくなりました。

 疲労からくる痛みや足の痺れも消えてなくなっています。

 これさえあれば、三十連勤だって可能となることでしょう。

 地面を強めに踏みしめてみたところ、感覚的には一日目の登り始め程度の感触。


「かなり我慢して歩いてたわねぇ~。もしかして、信じてなかったのかしらぁ?」

「いえ、そういうワケではなかったのですが……ポーションを飲むのが初めてでして」

「限界まで我慢してると、いざという時に動けなくなるわよぉ~」

「すみません、分かりました」


 そんなやり取りをしていると、前を見たままのポロロッカさんが声を掛けてきました。


「……無理をして歩いていたのか。気づかなかったな」

「ポロロッカだっけぇ? 筋肉の塊みたいな貴方達と、普通の人を一緒にしないでくれるぅ?」

「……そうか。オッサンは色々な意味で命綱だ。オッサンの体調管理は任せたぞ」

「ふぅん。まっ……可能な範囲で見ておくわぁ」


 リュリュさんから注がれる確かな視線。

 美女に見られていると意識してしまうと興奮しますが、そこはカモフラージュ。

 落ち着いてお礼を言っておきましょう。


「リュリュさんの気持ちいい視線をありがとうございます」

「…………オッサンの体調を見るのぉ……止めても良いかしらぁ?」

「……我慢しろ」

「さてはオメェ変態だな?」


 ――間違えてつい本音が出てしまいました。

 響く、妖精さんの笑い声。

 耳元で笑っているため、少しくすぐったいのですが……嬉しいみ。

 しかし妖精さんが笑う度に、何故か隊全体の移動速度が僅かに落ちている気がします。

 みんな足を止めて、妖精さんのお声を耳に入れたいのでしょうか。


「……全員気をつけろ、亀裂があるぞ」


 そう言いながら小さく飛んで、亀裂を跨ごうとするポロロッカさん。


「まずい!」


 ポロロッカさんが跳ねたのを見た瞬間に、地面にダイブします。

 足をめり込ませ……可能な限り手を雪の中へと突っ込み、杭の代わりに。

 次の瞬間――。


「――なっ!?」


 着地した地面が大きく崩れ、クレバスに落ちていくポロロッカさん。


「全員ッ、踏ん張ってくださいッッ!!」

「うっ――ッ!」

「グウッ!!」


 足を踏み外して落ちる成人男性を支える。

 しかもそれは筋肉の塊のような方で、百キロ以上はありそうな完成された肉体。

 まともにやってコレを支えきれるものではありません。

 流石と言うべきか、瞬時に状況を理解し行動を起こした、リュリュさんとジッグさん。

 お二人はロープを引いて踏ん張っています。

 それに合わせて全身に力を入れてみるも、衝撃で全身が軋み、動かせません。

 ポロロッカさんが落下する際の音に紛れて、ボキリ、という音が聞こえました。

 しかし何の因果か、今のこの体は痛みを感じません。

 ……痛みが無いせいでよくわかりませんが、腕の骨くらいは折れているはず。

 この状況、痛みがあれば瞬時に諦めてしまっていたかもしれません。

 今この時は、痛みを感じなくなった体に感謝しておきましょう。

 

「ここで支えているので……ジッグさん! 足元に注意しながら引き上げてください!!」

「あぁ!」


 慎重に穴へと近づいていくジッグさん。

 穴の手前にまでやって来たジッグさんはロープを引っ張り、徐々に下がっていきます。


「私も……ん?」


 立ち上がって加勢を……と思いましたが、気が付いてしまいました。

 雪に突っ込んでいた両腕の肘から先が、動かなくなっているという事に。

 服がぶ厚いので確認はできませんが、これは間違いなく折れています。

 見ればきっと、青黒く変色しているかもしれません。

 今回は邪魔にならないよう、できる範囲で可能なことしましょう。

 とりあえずジッグさんの隣で応援しているリュリュさんに合わせて下がります。


「【筋肉ダルマがんばぁー】」

「応援ですか……」

「そっ、オッサンも応援するぅ?」

「えっと……」


 リュリュさんとばっちり目が合ってしまいました。

 あざと過ぎる応援ですが……リュリュさんの応援は、何故か不自然な力が湧いてきます。

 なんにせよ、リュリュさんの問いに一つ頷いて――。


「【筋肉ダルマがんばぁー】」

「頑張ってください、ジッグさぁーん!」

「てめぇらァ! 変な力は沸くが、きめェんだよッ!」 


 肘から先は動かないので、体だけを動かしてジッグさんの応援をしました。

 ぷらんぷらん。

 ……。

 …………。

 ………………。

 時間は掛かりましたが、何とかポロロッカさんを引き上げる事に成功。

 クレバスの幅が思っていたよりも広くなかったらしく、命拾いしました。


「……すまない、本当に助かった。……まさか崩れるとは……」

「雪山には表面が雪で覆われている落とし穴が無数に存在します。慎重にいきましょう」

「……あ、ああ」


 ポロロッカさんの顔色は青白くなっていて、生気がありません。

 落ちた瞬間に死を覚悟してしまったのでしょう。


「ったく。いくら力がねぇからってオレ一人に任せやがって……って、おいオッサン!」

「な、なんですか?」

「腕ぇ上げてみろや。さっきの応援の時も動いてなかったろ」

「えっと……折れましたー!」

「かッりィな、おいッ!!」

「……すまない、死んで詫びよう」

「テメェはおッめェンだよなァ! おいッ!!」


 ジッグさんの見事な突っ込みが入る中、リュリュさんが冷静に口を開きました。


「コントやってないでぇ、テントを張れる場所を見つけて休みましょぉ~」

「……確かC級治癒ポーションでなら、骨折は治せたよな?」

「余裕よ、よゆぅ~」

「ってぇと……治療する場所を探すためにも、この亀裂は渡らねェといけねぇのか」


 登山隊の全員が、難しい顔をしています。


「……回り道をするには、ヤークトハンターの縄張り外を歩く事になる。戻るか?」

「駄目ねぇ、一時間以上は戻らないと休めるポイントは無いわぁ~」

「そういやぁ組み立て型の梯子が入ってたよな? あれを使うってェのはどうだよ」

「……確かにあったな。今までの道中に使う場面は無かったが、この為の梯子だったのか」

「ほんじゃあオッサン、もうしばらく我慢してもらうぜェ」


 そうして三人がかりで手早く組み立てられた梯子。


「……よし」

「掛けるぞ」

「わたしは下がってるわねぇ~」


 丈夫そうな梯子が、クレバスに架けられました。

 長めに作られた組み立て型の梯子は頑丈で、四人同時に渡っても問題は無いでしょう。


「強度的な問題は無いかもしれませんが、念のため、一人ずつ渡りましょう」

「……だな」

「従うぜ、隊長さんよ」

「隊長は止めてください、本気で」

「なら副隊長かしらぁ?」

「この雪山でハイレグセクシービキニは死にますね、社会的にではなく、普通に」

「「「はぁ?」」」


 念の為に安全重視で、一人ずつ慎重に梯子を渡りました。



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