『油断』一
次の日の早朝。
現在は雲ひとつ無い晴天の下を走っている馬車にて移動中。
野盗を撃退して以降、何故か同乗者の目に浮かんで見える、恐怖の色。
確かにおっさん花のやった事は虐殺ですが、それは野盗が襲い掛かってきたから。
野盗の殲滅は、皆も同じことをしようとしていたはず。
だというのに何故、こんなにも露骨に恐れられているのでしょうか。
おっさん花だって花弁の中央から人が生えているという点を除けば、ただの巨大な花。
……と辛うじて言える見た目をしていると思います。
咲いているおっさん部分がいけなかったのでしょうか?
恐る恐る横を伺ってみると……視線は見事に、女性奴隷の谷間にシュー。
女性奴隷の谷間に視線がゴールインした所で、そのまま考え込んでしまいます。
――人間。その殆どは自分が持っていない力を羨み、恐れるもの。
それが理解の範疇を超えて居るモノであれば尚のこと。
その点も一応、理解はしているつもりです。
機能のあの場において、おっさん花は力を振るい過ぎたのかもしれません。
オークとの戦闘では簡単に負けたので、討伐隊の面々は恐れていませんでした。
隊長と副隊長に至ってはおっさん花を軽々と屠る程の実力者。
――物語の主人公はあれだけの無双をして、どうして恐れられないのでしょうか。
周りの人々はその力が自分に降りかかることを、想像してしまわないのでしょうか。
「――ねぇ、少し見すぎよぉ。オッサンさぁん」
「っと、失礼しました。少々考え事を……あと、呼び捨てで構いませんよ」
深い思考の海に沈んでいたのを引き上げたのは、女性奴隷の声。
どうせ言われるのなら、余計な事を考えずにきちんと見ておけばよかったです。
「うぅん、いいのよぉ。わたしの名前はリュリュ、【仲良くして〈ねぇ?〉】」
「え、ええ、勿論です」
とろけるような甘い声に、思考はもうフラフラです。
今にも考える事を放棄してしまいそうな……そんな気持ちに――。
ガタリッ、と大きく揺れた馬車。
ハッとなって見てみると、剣を突き付けられているリュリュさん、
御者席さんは片手で馬車を操りながら、リュリュさんの首筋に剣を突き付けています。
夢見心地になっていましたが、瞬時に現実へと引き戻されました。
男性奴隷たちもリュリュさんに剣を突き付けていて、表情は真剣そのもの。
「声に魅了の力を乗せたな? 今は御者だが、貴様を殺す程度の権限は持たされている」
「……この女は危険だ。今すぐ、ここで殺しておくべきだ」
「次は殺すぜ」
「魅了は奴隷の首輪で防げない。が、魅了される前に、俺の剣はお前を貫く」
「馬鹿な女だ。あれ程の力を持つ男に魅了が効くワケが無いだろう」
殺伐とした雰囲気。とはいえ御者さんには前を見て運転して欲しいところ。
「私は大丈夫です。皆さん、剣を収めてください」
「……まぁ、あんたがそう言うなら」
言葉に従い、男性奴隷達はみな剣を収めました。
「最後の筋肉ダルマが言ったみたいにぃ、効果が無いのは知ってるわよぉ~。女の子なんだから、少し自分に化粧をしたっていいでしょぉ? それにぃ、わたしは半分の力も乗せてないわぁ~」
――今の魅了効果で半分以下の力。
もし全力を出されていたらと思うと……生きた心地がしません。
間違いなく即落ちおっさんが出来上がっていたことでしょう。
「フン。何にせよ次は無いぞ」
「はぁ~い」
そう言って馬車の操舵に戻った御者さん。
次があれば本当に切り殺すぞ、という雰囲気を纏っています。
「魅了の声ですか。この女性を連れて来る場所、本当に間違えていませんか?」
「何故そうお思いに?」
「それは当然、場面によっては幾らでも活躍の機会があるのではと思いまして」
「いえ逆です。今回の場所だからこそ、その女は選ばれたのですよ」
「……というと?」
「別の場所では、ヤツにチャンスを与えすぎてしまう」
「チャンス……」
「はい。本来なら今頃は首だけになっていた女です。本当に使い捨て感覚で構いません」
「……厳しい世の中ですね……」
御者さんは心の底からリュリュさんを嫌っているのでしょう。
――身内か知り合いの誰かが、被害に遭ったのでしょうか。
何にせよ、油断だけはしないようにしましょう。
馬車に揺られること数十分。
「……オッサン。この依頼を完遂したら、俺達を自由にしてはくれないだろうか」
唐突に屈強な男性奴隷の一人が口を開きました。
これは開放の交渉でしょうか。
本来であれば良しとしてもいいところなのですが……。
「それは出発時にダイアナさんが駄目だと言っていたので――」
「いや、あれは依頼を達成するまでの話だ」
断りの言葉を遮るように別の男性奴隷が口を挟みました。
「……というと?」
「依頼を完遂した時点で、俺達はオッサンの判断で開放される事が許されている」
「なるほど、一応は自由のチャンスがあるというワケですか」
「ああ。……まぁ、それだけこの依頼の難易度が高いという事なんだが……」
二人の男性奴隷の言葉を後押しするかのように、皆が近づいてくる三人の男性。
「今までは無謀だと思って諦めてたが、アンタが居れば生き残れる可能性もゼロじゃねぇ!!」
「すげぇ召喚だったな! 経験を積んだオークでもアレはどうしようもできないぜ!」
「頼むよ……精一杯守るからさぁ……」
おっさん、屈強な男性奴隷五人に囲まれて拝まれてしまっています。
暑苦しさからなのか、露骨に距離を取っているリュリュさんと妖精さん。
可能であれば男性奴隷では無く、リュリュさんか妖精さんに傍に居て欲しかったところ。
「うーん……」
チラリと御者席を伺ってみるも、御者さんは一切の反応を見せていません。
男性奴隷の言っている事が全て事実だという証でしょう。
「そうですね。私が皆さんを恨んでいるという訳では無いですし、構いませんよ」
「……助かる」
「おおおおお!!」
「流石だぜオッサン!」
「ありがてぇ」
馬車の中で満面の笑みを浮かべて喜んでいる屈強な男性奴隷の方々。
手を取って握手をしてくるのはともかく、抱きついてくるのは心底止めて頂きたい。
「気にしないでください。誰にでも再起の機会は与えられるべきですからね」
「あんた、あんなモノを召喚する癖に、神官みてぇなことを言うんだな」
「そうですか?」
チラリと視線を向けてみると、隅の方ではリュリュさんも笑みを浮かべていました。
抱き付いて来る役はリュリュさんにお願いしたかったと言わざるを得ません。
◆
馬車順調に進み、外の風景は次第に田舎道へと変化してきました。
馬車の中では体力温存の為に、御者さん以外の全員が眠っています。
まぁ正確に言えば、私と妖精さんも眠ってはいません。
「貴方は寝ないのですか? ……と言っても、あと一時間ほどで到着なのですが」
「ええ。夜以外は疲れていても眠れないもので……冒険者としては落第点でしょうか」
「……どうですかね、私は冒険者では無いのでわかりかねます」
前を向いたままそう言った御者さん。
馬車の性能が良いのか、それとも御者さんの腕がいいからなのか。
移動中の馬車にしては、あまり揺れていません。
「ただ……私の飲み仲間だった冒険者は、そこの女に惚れていました」
「リュリュさんは美人ですからね。大半の人間は嫌いにならないでしょう」
「ええ。おまけに他人の内側に入り込む技術が高い」
――話術……というよりは詐術に近いものなのでしょうか。
何にせよ、御者さんの口調にはどこか影があるように思えました。
「私の飲み仲間は強い冒険者でした。……しかしそんな男が、その女には傷の一つも付ける事ができずに、殺されたのです」
強い冒険者〝でした〟という事はつまり――。
何も言葉を返せずにいると、御者さんは振り向くことなく言葉を続けました。
「アイツはある日の酒の席で、女の家に招待されたと大喜びで話してくれたのです」
それはある日の日常の風景だったのでしょう。
冒険者だった友人と、この御者さんの。
「私の友人はそいつに毒を盛られたのですよ。致死毒ではなく、体を動かせなくなる程度の神経毒を。……その時のあいつは、既に魅了を受けていたのだと思います」
衛兵さんは今、一体どんな顔をしているのでしょうか。
一体どんな気持ちで、友を奪った相手を乗せた馬車を、操舵しているのでしょうか。
しかしそれは間違いなく、御者さん本人にしか分からない事でしょう。
理解した気になって口を挟むだなんて決してできません。
「私が見つけた時、あいつは……くっ! 魚の干物みたいに開きにされていました!」
魚の干物みたいな開き。
この世界の事情に疎くとも、それが残虐な行いであることは理解できます。
「恐怖、苦痛、絶望の入り混じった表情は今でも脳裏に焼き付いて離れません。ああ、顔は涙や鼻水、涎でグチャグチャでしたよ……今でも鮮明に思い出せてしまう」
……っ。
前を向いたまま話を続けている御者さん。
通常であれば向かい合って話すのが普通であり、それが話しやすい形でしょう。
しかし今回に限っては、向かい合って話していないこの形が正解なのかもしれません。
「生きたまま解剖されたのでしょうが、顔はそのままでした。……何故だと思います?」
――想像したく、ありません。
「顔に手を入れなかったのは苦痛に歪む顔が見たかった、という最悪の趣味からだと私は想像しています」
…………。
相槌すら打てません。
御者さんも相槌を求めているのではないのだと思います。
今回は黙って聞くに徹するとしましょう。
「その女には苦しんで死んで欲しいですね。可能であれば、山に捨ててきてください」
平坦な口調で言う言葉にしては、あまりにも冷酷な言葉の数々。
もしかして……それだけの憎しみが募っている、という事なのでしょうか。
「裸にした上で縛り上げ、雪の上に転がしておいてもらえればそれがベストですね」
「いえ、それは流石に……」
「このお願いを聞いて頂けるのなら、領主護衛の任で貯めた金銭を全てお譲りします」
――〝領主護衛〟?
現在持っている情報から考えるに、誘拐犯の正体は少なくとも貴族。
そして最も誘拐犯の犯人として怪しいのは、領主夫人。
となればこの方も……否、この方からはそのような雰囲気が感じられません。
つまり領主護衛と私兵は、別の役職?
……わかりません。一体だれが悪で、誰が悪の敵なのか。
御者さんもそれ以上の言葉を綴るつもりが無いのか、黙って馬車の操舵を続けています。
馬車の車輪が回る音と馬が地面を踏みしめる音だけか、不思議と耳に入ってきました。
「……御者さん。申し訳ないのですが、私には無理です」
「…………」
「親しい者が被害を受けていたら、その依頼を受けていたかもしれません」
誰が悪者なのか判断できない時は、自分自身の心に従うだけ。
他の誰かに動かされるのではなく、自分の判断で全責任を取る。
だから――。
「ですが今のところは、誰も被害を受けていません」
「……知らないのか? その時がやってきてからでは遅いんだぞ?」
「私にはですね、今の御者さんの気持ちが殆ど理解できないのです」
御者さんが善人なのか、それとも誘拐に関与している悪人なのかも……。
「そうか……」
「被害に遭ったのが他人だからなのか、死地へと向かう仲間だからなのかは判りません」
それでも今は――。
「そういった気持ちが湧きませでした」
「奴は……極悪人だ」
「彼女が極悪人なのは間違いないのでしょう。ですが、客観的に見たら私も悪人です」
「……変な事を言ってすまなかった。到着したら最低でも三週間は待っていよう」
「了解しました」
「貴方が〝メビウスの新芽〟を持ち帰ってくる事を期待している」
「御者さんは〝いつも〟そうやって、期待をしながら待っているのですか?」
「そうだ。まぁ帰ってくるのが女以外である事を祈りながら、ゆっくりと暇を潰すさ」
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