『油断』二
会話も無く進むこと一時間。
霊峰ヤークトホルンと呼ばれる山の麓に、到着しました。
霊峰は完全な雪山で、形は富士山のように美しい山の理想形。
しかしながらその高さは富士山の一.五倍はあるでしょう。
麓に到着してみるとその異様さがいっそう際立ちます。
道中は雪一つ無い平地だったというのに、目の前にあるのは雪に閉ざされている雪山。
雪こそ降ってはいませんが、これが途轍もなく異様な光景であるのは間違いありません。
現在は御者さんを除くおっさん一行で、登山前最後の食事を摂っている最中。
御者さんは馬車の中で寝ています。
道中食事の時間こそありましたが、夜も止まらず馬車を進めていたので当然でしょう。
「はい、これ飲んでぇ」
そう言ってコップを手渡してきたリュリュさん。
渡されたコップの中に入っていたのは、赤いドロリとした液体。
匂いは――無臭。
「これは?」
「保温のポーション。高価な薬だからぁ、残さずに飲んだ方がいいわよぉ~」
「……流石は異世界ですね」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません」
そんなやり取りをしながら、赤い液体を一息に飲み干しました。
味は無味でしたが、舌触りは水に溶かした泥を飲んでいるようなもの。
可能であればそう飲みたくはない代物です。
「依頼が成功してわたしが自由になっても、貴方に近しい人は狙わないであげるわぁ~」
「心を入れ替える、という選択肢は無いのですか?」
「無理ねぇ。これは一種の病気? 中毒? そんな感じのものだから、止められないのよねぇ」
「……理解しかねますが、薬物を愛や意思で止められないのと似た感じなのでしょうか」
「上手い例えねぇ。まっ、それに近いものだと思ってくれていいわよぉ~」
「リュリュさん。ここで生き残ったとしても、次は死にますよ?」
「まぁ、そうなったら仕方がないわねぇ」
諦めたように肩を竦め、苦笑いを浮かべたリュリュさん。
「ですが何故、私に近しい人は狙わないと?」
「馬車の中で御者としてた話で、わたしに危害を加えないって言ってたでしょぉ?」
「ええ」
「報酬だってかなりの金額だったのに……ねぇ?」
「金額ではありません。それは貴方と同じ、生き方の問題です」
「ふーん」
「それより、起きていたのですね」
「当然よぉ。そ・れ・に、わたし以外の筋肉ダルマ達も、起きていたと思うわよぉ~」
――なんと。
つまりは全員が狸寝入りをしていたわけですか。
下手な事を言わなくて良かったと思わざるを得ません。
「あんな話をされて起きないのは、冒険者以前に旅人も失格だわぁ」
『『『…………』』』
黙って話しを聞いていた屈強な男性奴隷の方々全員が、無言で顔を逸らしました。
果たして、どういった意味で顔を逸らしたのでしょうか。
「……ですがエッチなお願いを聞いてくれるのなら、私を狙っても構いませんよ」
「んー、顔が好みじゃないから嫌よぉ」
――悲しみ。
イケメンでなければ殺人鬼にも愛されないということなのでしょうか。
――悲 し い み。
「まずはカツラか何かでその頭を隠してぇ、死んで生き返ったら考えてあげるわぁ」
「……言いましたね?」
「ぇ~、嫌な予感がするからやっぱ無しにしてもいいかしらぁ……?」
「貴方は殺人欲求を満たせ、私は性欲を満たせる。ウィンウィンの関係じゃないですか」
ひょいひょいと指を振る動作をしたら、僅かに顔を顰めさせたリュリュさん。
「わたしが見たいのは負の感情で歪む顔で、笑顔で解剖されそうな貴方じゃないわぁ~」
「頑張って顔を歪ませますよ?」
すずいっ、とリュリュさんに迫ります。
響く、妖精さんの笑い声。
「ぃゃぁ……不気味な笑い声が聞こえるぅ。やっぱ、心入れ替えて生きようかしらぁ……」
話しを聞いていた屈強な男性奴隷の方々が、無言で頷いています。
認めたら妖精さんにお願いして鬘を出してもらおうと考えていたのですが、残念。
食事を終えた登山隊一行は、装備の確認をすると厚い毛皮のコートを着込みました。
ゴム布のようなマスクをしてスティックを持てば、登山準備は万端。
馬車の中とは逆に、何故かこちらとの距離を取ろうとしているリュリュさん。
――いえ、きっと気のせいでしょう。
「ふぅ、これで出発の準備は完了だな」
そう言ったのは、巨大なバックパックを軽々と背負っている屈強な男性奴隷。
登山に挑む顔付きは真剣そのものです。
「全員地図は持ったな? 極力この地図に記された道を通って登るつもりだ。異論は?」
一人の男性奴隷がそう言いながら、地図を広げました。
地図には危険なポイントがかなり印されていますが、それも麓のものばかり。
上に行けば上に行くほど、何も書かれていないまっさらなものになっています。
しかしこれは恐らく、上が安全だという訳では無く、情報が持ち帰れなかっただけ。
「あと先頭だが、一番索敵能力の高い俺が行こうと思っている」
これには反射的に手を上げてしまいました。
作戦を話していた男性奴隷はそれを見て顔を顰めさせています。
「……なんだ?」
「先頭は死亡率が一番高いのでは? なんなら私が先頭を歩きますよ」
「――いいや駄目だ。他の誰が先頭に立つとしても、アンタだけは駄目だぜ」
「……そうだ、アンタが死ねば俺達は全員処刑される」
「万が一逃げたとしても、コレがオレ達を殺すしな」
そう言って首に嵌められている奴隷の首輪をコンコン、と指で叩いた男性奴隷の一人。
提示した先頭を歩くという案は、全員に反対されてしまいました。
「他の連中が言う通り。それに正面戦闘になった場合でも、オッサンが居なければ困る」
「貴方はわたし達の為にもぉ、もう少し自分を大切にして欲しいわぁ~」
「……そうですか。いえ、分かりました」
渋々とですが、前に出てはいけない理由に納得はしました。
しかしこの中で一番の役立たずが、私であるのは間違いないでしょう。
なんせ地図も読めなければ索敵も出来ません。
それが可能な方こそ安全な場所で最後まで生き残ってほしかったのですが……。
しかし今回は、仲間である皆さん信じることにしました。
……だと言うのに、嫌な予感が止まりません。
「よし、出発しよう」
先頭を歩きだした男性奴隷に続く登山隊一行。
霊峰に足踏み入れてみると新雪だというのに、何故か足は殆ど沈みません。
恐らくは靴に魔術的な処理が施されているのでしょう。
僅かな肌寒さを感じるものの、それは涼しい程度のものであった事に安心しました。
隊列は男性奴隷二人を先頭に、おっさん、男性奴隷、リュリュさん、男性奴隷二人。
ほぼ縦一列になるのは、ある意味登山隊の基本形だと言えるでしょう。
間隔は遠すぎず近すぎないという、前後二人までの声ならば普通に届く程度の距離。
しかしそれ以上になると、少し声を張り上げないと聞こえないかもしれません。
……そうして一時間ほど静かに歩き続けた道中。
自然とリュリュさんが口を開きました。
「流石は高い薬よねぇ。一度だけ入った事があったけどぉ、寒さで死ぬかと思ったわぁ」
「……あぁ、俺もだ」
「ひゅう、流石は領主様!! 金持ちすぎて殺したくなるなァ!」
「言いたい事は分かるが、全員黙れ。この霊峰に踏み入れてから悪寒が止まらん」
先頭を歩いていた男性奴隷の一人が、全員の雑談を遮りました。
その顔には冷や汗が浮かんでおり、しきりに周囲を警戒しています。
「クソッ、冒険者時代に頼りにしてた危機感知能力が、馬鹿になりそうだ……」
先頭を歩いていた男性奴隷の言葉に、全員が口を閉ざしました。
進めば進む程に悪くなっていく足場。
下は明らかな深雪。……ですが、靴の効果であまり深くは沈みません。
スティックも同様の処理が施されているのでしょう。
きちんと体の支えとして機能しています。
「頭が痛くなったやつはすぐに空気の魔道具で空気を取り入れろ」
「……確認はしたが水中用だったぞ。効果はあるのか?」
「ああ、本来は水中呼吸用の魔道具だが、効果はある筈だ。我慢はするなよ? 死ぬぞ」
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