第二章 『絶対零度の少女』

『石の部屋』一

 免罪の依頼を終えてから数日が経過。

 今は何不自由の無い、平和な日常を送る事ができています。

 そんなある日の朝――。

 元気いっぱいに教会の庭を走って遊ぶ子供達を見て、悟りました。

 今の子供達の亜ヒ素日では、体力の無い私では混ざって遊ぶことができない、と。

 しかしそういう事であれば、一緒に遊べる遊び道具を作るまで。


「おじさーん、なにしてるのー?」

「っと、チルちゃんでしたか。今は竹トンボという遊び道具を作っています」

「ふーん。えっとね、この前は助けてくれたのに、止められなくてごめんなさい」


 愛らしい口調で話しかけてくるチルちゃん。

 免罪の依頼に繋がった件の事でしょう。

 あの状況は、この子らが何を言っても避けられなかったのは間違いありません。

 人攫いを裏で指揮しているのは貴族。

 これ以上、目の届く範囲でそれが起きない事を願いましょう。

 しかしまた、その何かが起きた時は……。


「大丈夫、何一つ問題はありませんでした。気にしていませんよ」

「ちゃんとせつめーしたんだけどっ、えいへーさん、おはなしを聞いてくれなかったの」

「あぁ……彼は話を聞かなそうですからね……」

「うん! えっとね、えっとね。それって、どうやってあそぶんですか?」

「ええっと、この羽部分と棒を組み合わせて――回すっ!」


 棒部分を擦って回転させると、竹とんぼモドキの羽は空高くへと飛んでいきました。

 材料を手近な木で作ったにしては、よく飛んでいる方でしょう。


「わー! わー! すごいっ!」


 落ちていく竹とんぼモドキを空中でお口キャッチしたのは、他で遊んでいたトゥルー君。

 犬っぽい尻尾と犬っぽい耳をお持ちのトゥルー君は犬科の獣人なのでしょうか?

 トゥルーくんが竹とんぼモドキを咥えたまま駆け寄ってきました。

 尻尾が千切れんばかりに揺れています。


「オッサン、何これ! もう一回飛ばして!」

「わたしもやりたい、なー?」

「勿論良いですよ」

「やった! ……えいっ!」


 竹トンボモドキを渡してあげると、器用それを飛ばしたチルちゃん。

 そして飛んでいく竹とんぼモドキの羽を見て、それを追いかけるトゥルー君。

 それを見ていた子供達が続々と集まってきました。


「ぼくもやってみたいです!」

「わたしもやりたいです!」


 教育の賜物なのか、きちんとした敬語を使ってお願いをしてくる子供達。

 それが愛らしさを倍増させ……つい何でも言うことを聞いちゃいます。


「はい、たくさん作りますので順番に」

『『『わーい!』』』


 微笑ましいものを見るような視線で、遠くからそれを見守っているエルティーナさん。

 なんだかんだその日だけで、十本近い竹トンボモドキが完成。

 走り回ったりはしませんでしたが、意外に疲れました。

 それからも遊び道具を作ってあげたりで、約一週間。

 この廃教会に来てから毎日が充実しています。

 竹馬や木の実を使った空気鉄砲なんかも作ってあげていました。

 そうして――更に数日後の朝。


「……そろそろ金策をしないといけませんね」


 庭で遊ぶ子供達を眺めながら財布の中身を確認してみると、その中身はほぼ空っぽ。

 大量のドロワーズを始めとした、生活必需品の購入。

 そこから更に服と食材を買い足していたら、早くもお金が尽きかけてきています。

 お金使いが荒い自覚は無かったのですが、現実は非常。

 多く見積もっても、あと三日で所持金が底を尽きてしまうでしょう。

 資金の七割を高品質ドロワーズに使ったのは、流石にやり過ぎだったかもしれません。


「今日を生きる糧を与えて下さる御方よ、何かお困りですか?」


 声を掛けて来たのは明らかに見た目に合っていない言葉を使うフォス君。

 子供達の間ではお世話係に回っている子なので、名前はすぐに覚えました。

 私が困っているように見えて声を掛けてくれたのかもしれません。


「そろそろ……いえ」


 ――そろそろお金が尽きそうなので……と言い掛けましたが、踏みとどまりました。

 大人びているとはいえ、お金の話を子供にするべきではありません。

 言うにしても、エルティーナさんに一言入れておくくらいに収めておくべきです。


「また数日は食事を作れないかもしれません。……エルティーナさんは何処に?」

「シスターエルティーナであれば礼拝堂にいるかと」

「ありがとうございます」

「いえ、【神の僕たるフォスが請う。冒険者オッサンに神のご加護があらん事を】」


 フォス君がそんな事を言うなり、唐突にやってきたのは体が軽くなったような感覚。

 不思議な幸福感と、僅かな身体能力の向上も感じられます。

 例えるならば不意に、今日はいい日だな、と思ったのが続いている状態でしょうか。

 ……これも魔法?

 一礼をして去っていくフォス君を見送りながら、改めて魔法の力を体感しました。

 信心深そうな子なので、あの子の前では言動に気を付けねばなりません。

 何故か嫌そうな顔をしておっさんとの距離を空けた妖精さん。


「なぜ?」



 ◆



 教会内は広く、礼拝堂にもそれなりの広さがありました。

 礼拝堂の広さは四×八メートル程度の長方形くらいの空間。

 ステンドグラスは無く、小窓から一筋の光が入り込んでいるだけの礼拝堂。

 その中で女神様だと思われる像に祈りを捧げていたのは、エルティーナさん。

 ――待ちますか。

 礼拝を邪魔してはいけないので、壁際でお祈りが終わるのを待ちます。

 そうして待つこと……十五分。

 エルティーナさんがようやく立ち上がりました。


「おやオッサン、どうかされましたか?」

「そろそろ金策に出ようかと思いまして、その報告です」

「……そうですか……」


 一瞬だけ表情を曇らせたエルティーナさん。

 が、すぐにいつもの微笑みを取り戻しました。


「危なくなったら、すぐに逃げてくださいね……」


 冒険者になった子供を失っているエルティーナさん。

 そんなエルティーナさんにしてみれば、冒険の報告は不安の種でしょう。

 しかし多少の寄付はしていても、私は最近やってきただけの居候の身。

 掛けている心配もそう多くは無いはず。

 エルティーナさんは優しいので、真相がどうなのかは判りませんが……。


「ええ、私は臆病者ですからね。ちゃんと逃げます」

「……逃げてくれそうな顔をしていませんが……約束ですよ」

「ええ」


 逃げると言ったのに対して、本気で心配そうな目を向けてきたエルティーナさん


「――やっぱり、エルティーナさんは優しいですね」

「いえ、そんなことは……」


 根本的には他人である者の事を本気で心配するだなんて、そうできる事ではありません。

 まぁそんなエルティーナさんの教会だからこそ、色々としてあげたくなるのです。

 ――私も、子供達も。


「……最近はずっと余裕がなくて、あまり礼拝の時間を取れていませんでした」

「そうなのですか?」


 エルティーナさんの背後を見てみると、石床の一部がかなりすり減っていました。

 あの跡は信心深い者が祈りを捧げ続けた証。

 この教会が正規の教会だった頃の名残なのでしょうか?

 もしあの跡がエルティーナさん一人のものであるのだとすれば……。


「ですがここ最近はオッサンの御かげで、ようやく祈りを捧げる余裕が生まれました」

「エルティーナさんは……神様を信じているのですね」

「はい。時と場合にもよりますが、信じています」


 そんな事を言いながら柔らかい笑みを浮かべたエルティーナさん。

 ――意外です。

 強い信仰心を持っているのかと思っていましたが、どうやらそれは違うご様子。

 エルティーナさんの信仰は絶対的のものではないのかもしれません。


「意外そうな顔をしていますね?」

「い、いえ」

「昔は本当に信心深かったのですが、色々あって今は変わってしまいました」

「……なるほど」


 思えばこの場所は廃教会。

 子供達が大勢居るというのもあって、生活はかなり苦しいはず。

 現実を見ていなければ、今頃は餓死していたでしょう。

 まぁ、無理矢理にでも現実を見ざるを得なかったという事でしょうか。


「例えばですが――神は神官と、その彼が囲っている愛人。一体どちらを救うのですか?」


 憂いを帯びた表情で、そのように語り出したエルティーナさん。


「自らに仕えている神官? 娼婦に身をやつした愛人? それとも、そのどちらも救わない?」


 何かを説くように語るエルティーナさんは、本当の聖女であるよう思えます。

 しかし、そんな彼女がこんな場所にいる。

 今の教会の内部は……本当にどうなっているのでしょうか。


「私には……その内のどれが選ばれたとしても、不公平に思えてしまったのです」


 ……確かにその通り。

 今の選択肢ではどちらか一人が救われたとしても、一方で誰かは救われていない。

 そして、どちらも誰も救われなければ、誰も救われません。


「――オッサン。世界にはどうして、不均衡が生まれているのですか?」


 とどのつまり、不幸な人間は居なくならない。

 神を疑うような事ばかりを口にしているエルティーナさん。

 彼女はいったい、この世界でどんな真実を見てきたのでしょうか。

 彼女ほどの説法ができる人材が、何故こんな場所にいなくてはならないのでしょうか。


「最も疑っている時は、最も信じたい時でもある。そうですね?」

「――っ!」


 説法に対して言葉を返すと、エルティーナさんは驚いたように目を見開きました。

 信じていないものを疑うだなんて、あり得ない。

 エルティーナさんの御話しに近い経験をしたことがあります。

 だからそれで、彼女の言っていることが、ほんの少し理解できるだけ。


「エルティーナさん」

「……はい」

「貴方は神を疑っているのではなく、自分自身を疑っているのではないですか?」

「――っ」


 前の世界での生活を通して、大人になる前くらいから感じていた疑問。

 しかしその疑いは――他の何かをする事によって、辛うじて抑え込むことが可能なこと。


「……お金が無くては子供達を養えず、祈りではお腹は満たされません」

「そうですね」

「この町の教会は、ある日を境に腐りきってしまいました」

「っ! まさかエルティーナさんは……!」

「はい。子供達を食い物にする教会に嫌気がさして逃げ出した、臆病者です」

「臆病者だなんてそんな!! 貴方は間違いなく、勇気ある行動をした女性です!!」


 徐々に曇っていくエルティーナさんの笑顔。

 それでも完全に表情を崩さない辺り、やはり苦労していたのでしょう。


「祈りは……そして神は……一度も助けてはくれませんでした」

「では何故、今も祈りを捧げているのですか?」

「私がシスターだから、という理由ではダメでしょうか」

「……深いですね。好きですよ、そういう答え」

「ありがとうございます」


 そのように答えながら、女神像の近くにまで移動したエルティーナさん。


「ここに祭られている女神像ですが、大通りのものとは大きく違っていますよね?」

「そうですね。私はこちらの方が、可愛げがあって好きですが」


 木の枝のような羽が生えている、廃教会の女神像。

 その女神像の右腕は――欠けています。

 もしかしたら何か持っていたのかもしれませんし、そうでなかったかもしれない。

 謎の多い女神像です。


「この国の主信仰は創造神ブルエッグですが、ここは精霊神アルファの聖堂」

「……なるほど。廃教会になっている理由が読めてきましたね」

「ええ。きっと昔に何かがあって、ここは廃教会になってしまったのでしょう」

「その時に像の右腕が?」

「恐らく」


 こちらへと振り返り、言葉を続けるエルティーナさん。


「私は身勝手なシスターです。ある時から創造神ブルエッグを信じられなくなったくせに、今は精霊神アルファという別の神を信仰しているのですから」


 この調子では、正規の教会にはまともな人物が残っていないかもしれません。

 正しい心を持っている者が出て行く教会。

 ではその結果、正規の教会に残っている者達は?


「悩み、彷徨い、そうして歩いている時に見つけたのが――この教会」

「……そして孤児院を開いた、と?」

「はい。偶然だったのかもしれませんが、その時は天啓であるように思えました」

「まぁ確かに、何もしてくれない神様と比べたらその通りですね」

「あんなに偉そうに説法をしておいて、この通りの駄目シスターです。幻滅しました?」

「いえ、エルティーナさんの説法は他人を思いやるもので、すごく尊敬できます」


 ――「それに」――。


「私はこの女神像のほうが、見た目が好きですから」

「うふふふっ。すごく俗っぽい理由です」

「ええ、私は俗物です。だから私は――この場所のためにお金を稼いできます」

「いってらっしゃい、心優しいオッサン」

「では!」


 エルティーナさんの笑顔を背に、礼拝堂を出て行きます。

 これ以上に気持ちのいい見送りはないでしょう。


「オッサン……私は貴方の無事を、心の底から祈って待っています」



 ◆



 場所は町の大通り。

 妖精さんは何故か二メートル以内に入ってきません。

 指で見えない壁を突いては軽く弾かれ、嫌そうな顔する……という動作の繰り返し。

 嫌そうな顔をしている妖精さんも可愛らしいです。


「さて、と」


 今回は前回の失敗を生かし、スラムの深い場所にまで足を運びました。

 ここならば誰に何を言われる事無く――愛でお金が稼げるでしょう!


「イヤァァァァァァァァァ――――ッッ」


 遠くから、デジャブを感じるような悲鳴が聞こえてきました。

 見過ごす事など……できるわけがありません。

 駆け足で悲鳴の聞こえた方へと向かいます。


「……見つけた」


 そこに居たのは馬に乗った貴婦人然とした女性と、黒の全身鎧を装備した三人。


「そこに居るのは誰だ!!」


 慎重に接近していたというのに、一瞬で見つかってしまいました。

 まさか、今の呟き声程度の声量で気付かれた?

 仕方が無いので大人しく姿を見せ、悲鳴を上げていた人物も確認します。


「た……たすけてください……」

「黙ってろ!」


 地面に横たわっている少女を殴り付けた、全身鎧の一人。

 ……ッ!!

 頭の中に沸き上がるドス黒い感情を抑え、少女の姿を見てみると――。

 見覚えのある女の子。

 赤毛の女の子は顔を何度も殴られたのか……頬や額には大きな青アザ。

 ですがそんな負傷をしていたとしても、見間違えようがありません。

 彼女は廃教会の子。

 作ってあげた竹馬で遊んでいた女の子の一人――ペッコちゃん。

 何故こんな、スラムの深い場所にまで来ているのでしょうか。


「チッ、ようやく追い詰めたと思ったらこれか」

「おい、これをやるから回れ右をしろ」


 足元に転がってきたのは三枚の金貨。

 喉から手が出るほど欲しかったお金だというのに、拾おうという気が全く起きません。

 ペッコちゃんは自分の意思でここに来たのではないでしょう。

 全身鎧から逃げた結果、ココに辿り着いたというだけ。

 そしてここまで捕まらなかったのは、地の利があったから。

 つまり彼らは――敵。

 私の――敵。


「あ? なんだ貴様は……?」

「チッ、面倒な事になりそうだ」

「おい貴様、こんな肥溜めで無駄な正義感など、出さないほうが身のためだぞ」


 この全身鎧がどこの誰なのかは知りません。

 後ろの貴婦人然とした女性を見るに、結構な高階級である事が窺い知れます。

 それでも――剣を構えるのが間違っているとは思えません。


「やる気か」


 こちらと同時に剣を構えた全身鎧達。


「今助けますよ、ペッコちゃん」

「ぁ……おじさん……」


 そう言葉を残し、パタリと倒れたペッコちゃん。

 それは何かをされた結果なのか、知り合いを見て緊張の糸が切れたのか……。

 どちらにせよ、何がなんでも助けてみせましょう。

 例え――どんな汚い手を使ったとしても!


「コイツ! このお方を誰だと思って――ッッ!」

「お前も黙れ! 俺達はコイツを切り捨てる。そうすれば全て解決、オールグリーンだ」

「うっぷ……」

「あ、子供は連れて帰りますんで、先に帰っていてください」


 貴婦人らしき女性は口元をハンカチで押さえ、気分が悪そうに馬を走らせました。

 どこかに去って行く馬に乗った貴婦人。

 それを見送り、剣の矛先をこちらに向けてにじり寄ってくる護衛と思わしき三人。

 こちらの殺意に反応するかのように、妖精さんがクスクスと笑いました。


「くっ、何だこの不気味な笑い声はッ! 声の出所は何処だ!!?」

「待て、こいつまさか……ゴロツキの話しにあった男か……?」

「何でもいいが目の前のこの男を切り捨てよう。話はそれからでも遅くない」


 本格的におっさんを切り捨てる事が決定したご様子。

 こちらも覚悟を決めます。


「――!!」


 姿勢を低くして黙って突進をし――蹴り飛ばされました。


「ガッ――!!」


 地面の上を二回ほどバウンドしましたが、なんとか起き上がることに成功。

 今この時ほど、痛みを感じなくて良かったと思う事はありません。

 ……いえ、痛みがあったとしても私は必ず立ち上がっていました。

 目の前に、まだ守るべき者があるのですら――!!

 ……。

 …………。

 ………………。

 突進する度に蹴り飛ばされ、起き上がりまた突進する。

それを何度も繰り返しました。


「チイッ、弱いがしつこいな」


 諦める理由がありません。

 なんせ私は――勇者になりたいのだから――。


「ハァアアアアアアアア――――!!!」

「まだ来るぞ!」


 再度突進を開始して――接近前に、倒れてしまいました。

 痛みはないのに、体が動きません。


「どうする? 殺すか?」

「ああ、また邪魔をされると面倒だからな」

「ハァ……あまりやりたくはないが、トドメを刺しておくか」


 うつ伏せで倒れていたおっさんの背中に、何かが突き立てられました。

 ……暗転。


『死にましたー』


 暗闇が晴れて最初に目にした光景は、ペッコちゃんが裸に剥かれているところ。


「――ッ!!?」


 条件反射的で地面に落ちていた剣だけを拾い、全裸のまま駆けだしました。

 そして――。


「グアッ……!?」


 全身鎧の首の隙間を狙った突き攻撃が、完全に通りました。

 全身鎧がペッコちゃんに覆い被さらないよう、剣を横に振ります。


「まずは……一人目!!」


 剣は抜けませんでしたが、全身鎧はガシャリ、と音を立てて倒れました。


「馬鹿な!?」

「チイッ! これ以上この場所で争えば奴が来る! コイツを殺して撤退だ!!」


 残った二人が勢いよく剣を振りかぶり――体が滅多切りにされました。

 暗転。


『死にましたー』


 暗闇が晴れ景色が戻ると、そこには鉄と肉の汚い塊が。

 全身鎧の三人が、一つの汚い鉄の塊になっていたのです。

 ――ッッ!?!?

 きちんと形が残っているのは、横たわっているペッコちゃんと――謎の衛兵さん。

 かなりの返り血を浴び、危険な雰囲気を纏っている衛兵さん。

 そんな衛兵さんを尻目に、荷物から服を一枚取り出して、ペッコちゃんに着せます。

 ペッコちゃんの頭を撫でてあげると……猫耳が隠れていました。

 天然パーマで隠れていたようですが、ペッコちゃんはまさかの猫獣人。

 体は普通の女の子で尻尾が無かったので、気が付く事が出来ませんでした。

 ゆっくりとペッコちゃんを動かし、壁にもたれ掛けさせます。


「三度目だな、ニンゲン」


 衛兵さん。

 三度目だな、という事は、同じ衛兵さんなのでしょう。

 剣は既に構えていないのですが、警戒の色が強く出ています。


「私は……彼女を誘拐犯から守ろうと……」

「そうだな。状況を見ればその通りなのだが、全裸であるせいで説得力が薄い」

「……そうですか」

「一応確認しておくが、こいつらの仲間じゃあないんだな?」


 フルフェイスで顔は見えていませんが、声音から伝わってくる怒りの感情。

 この状況にかなりキレているのかもしれません。

 この流れは……危険です。


「……お願いがあります」

「言ってみろ」

「彼女を、スラムにある廃協会まで届けてあげてください。そこから……拐ってきました」


 この場に気絶しているペッコちゃんを残してはいけません。

 これが彼女の安全を保障する上ために今可能な、最善手。

 不思議とこの衛兵さんは信用できます。

 少しズレているにせよ、衛兵さんから感じられる正義の意志は本物でしょう。


「ふむ、いいだろう。ドラゴンが出たとしても確実に送り届けると約束する」

「はい」

「まぁ詳しくは詰め所で話せばいい。俺の仕事は、私有地外の平和を守る事だ」

「……わかりました」


 そうしてペッコちゃんを軽々と持ち上げた衛兵さん。


「お前を連行する手が空いていない。だからついてこい」


 衛兵さんについて歩くことしばらく。


「コイツか」

「間違いない」

「油断するな」


 三人の黒ずくめが現れ、衛兵さんに襲いかかってきました。

 その手には光るは、銀色に輝く短剣。

 対する衛兵さんはペッコちゃんをお姫様抱っこしている為、両手が塞がっています。

 咄嗟に割り込もうとするも――瞬きの間に壁でミンチになった黒ずくめ三人。


「えっ……?」


 一体何が?

 衛兵さんの腕の中には、変わらずペッコちゃんが抱かれています。

 おっさんには、衛兵さんの動きが一切見えませんでした。

 この世界に来てから見た中で一番強いのは、間違いなくこの衛兵さん。


「さて、お前は最初に見つけた衛兵に預けるが、逃げ出したりはするなよ?」

「……はい」


 この世界の衛兵さんは皆、こんなにも強くなければ務まらないのでしょうか。

 逃げ出そうだなんて思いようがありません。

 おっさん、黙ってドナドナされてゆきます。



 ◆



 ……ここは見覚えのある薄暗い部屋。


「私は何時もの奴隷のような服を着て、下は確かな肌覚えのある床、ですか」


 昨夜も牢で一晩を過ごしました。

 そう……ここは実家のような安心感がある、牢屋の中。

 体を起こすと同時に牢屋の外から聞こえてきた、聞き覚えのある女性の声。


「おい、また金が尽きたのか?」

「……お金は何時だって足りない物です」


 声を掛けて来たのはダイアナさん。

 きっちりと衛兵の服を着てのご登場です。


「おまえ、冒険者ギルドの下請け酒場から依頼が受けられる事を知らないのか?」

「初耳です」

「……はぁ、まぁいい。とにかく、今回は相手が悪かった」

「――相手が悪かった?」

「ああ、この町を治めている領主様のご夫人様だ。ただで済むと思わない方がいい」

「領主夫人? 襲撃者の正体は領主夫人だったのですか?」

「バカ言え、領主夫人に襲い掛かったのはおまえだと聞いたぞ」


 ……? 話の内容に感じられる、大きな違和感。


「ちにみに今回は、決死依頼の強制受注が決定されている」


 おっさんの罪は誘拐未遂ではないのでしょうか。

 もしやあの衛兵さんが嘘の報告を?

 ……否。直感的にですが、それは違うような気がします。

 となれば――権力者の介入。

 あの人攫いの主犯格は、やはり貴族だったのでしょう。


「……最悪ですね」

「……? まぁその通りだが、お前が言うのか」

「いえ、こちらの話しです。……フム、決死依頼ですか」


 この状況は正しく、最悪の一歩手前。

 満員電車で『この人痴漢です!!』とJKに叫ばれて腕を掴まれている状態。

 今の私は痴漢の冤罪を被せられているサラリーマンのようなものでしょう。

 最早何を言っても無駄なのは間違いありません。

 ならばやってやりましょう、決死の依頼。

 大金を手に入れ、シャバへと戻るのです。 


「オッサンは〝メビウスの新芽〟という、伝説の薬草を知っているか?」

「なんですかそれ」

「簡単に言うと、霊峰の頂にあると言われている植物だ」

「……初耳です」


 とにかくこの場は話しを合わせ、情報収集に徹するとしましょう。


「なんでも御伽噺の中の、そのまた中の物語に出てくるものらしい」

「眉唾じゃないですか」

「薬効はどんな病でも治し、天寿による死すらも完治して肉体年齢を十三まで若返らせる」


 得意っぽく語っているダイアナさん。

 ですがその顔は、メビウスの新芽の存在を欠片も信じていない、というご様子。


「夢がある話じゃないですか」

「フン。夢は所詮ただの夢。本当にあったとしても、とうに他の権力者が回収している」


 言われてみればその通り。

 権力者というものは何時だって生にしがみ付き、永遠の命を求めるもの。


「オッサン。お前にはもうしばらくの間、高難易度の依頼を色々と達成させかった」

「何故……?」

「そうやって町に貢献させるつもりだった。今回の事件は……私としても残念でならん」

「私を諦めているのは存在しないものを探せ、という依頼だからですか?」

「それもある。だが問題なのは……〝霊峰ヤークトホルン〟という山自体だ」


 ダイアナさんはその山についての事を教えてくれました。

 曰く、その山はこの町から西に、馬車で一日半の場所にあるもの。

 曰く、そこは汗さえ干からびる真夏の太陽の下でも常に雪に閉ざされている、死の雪山。


「一歩でも山に足を踏み入れたのなら、たちまち体温が下がって凍死してしまうだろうな」


 ダイアナさんはこの場で依頼の全て話すつもりなのかもしれません。

 石畳の上にむっちりと腰を下ろしました。

 むっちりダイアナさんが、続けて話を聞かせてくれました。


「霊峰ヤークトホルン。死んだ魂すらも凍て付かせると言われている、厳しい山だ」


 死んだ魂すらも凍て付く霊峰。

 軽く話を聞いただけでも、環境の厳しさが伝わってくるようです。


「完全装備でも生きて登り切る事は適わないのに、相応の魔物も出る。自殺もいいとこだ」

「その山の頂にあるのですか? 依頼の品が」

「ああ。現在、領主様の娘が高熱を出して倒れている」

「領主……様の娘が?」

「どんな治療方法でも改善の兆しが見えてこない、治療方法が皆無の病だそうだ」

「……なるほど」

「領主夫人は既に多く奴隷を送り出しているが……まぁ、誰も帰ってきてはいないな」


 ――領主。超ド級の大物です。

 あの貴婦人は領主夫人であり、誘拐犯の黒幕もまた……なのでしょうか。


「帰ってきていれば、お前と夫人が奴隷館の前で出会う事も無かっただろう」


 やはり罪の内容が捻じ曲げられています。

 大方の罪は、奴隷館の前で領主夫人に襲い掛かった、とかでしょうか。

 とはいえ、やはりここで話しても信じてもらえないのは間違いないでしょう。

 やるしかありません、この決死の依頼を。


「今回の依頼はその霊峰の頂にあると言われている〝メビウスの新芽〟の収集ですか」

「ああ。領主夫人はお前に、随分と期待をしているらしいぞ」

「……?」

「登山の装備にかなりの金を掛けているそうだ」


 ……?

 罪を被せて殺したい相手の装備を、大金を掛けて用意している?

 もしかしたら世間体を気にして……という可能性もありますが、違うでしょう。

 なにか裏があるとしか思えません。

 登山中か、登山後か……。


「まぁ相応の時間も掛かる。お前には二、三日、ここで過ごして貰うことになる」

「…………」

「恐らくそれが、おまえの寿命だ」


 ダイアナさんのこちら見るその目は、既に死人を見るものになっていました。

 ですが同時に、惜しい人材を失った……という目もしています。

 今回の事件に救いがあるとすれば、ダイアナさんが敵ではないという事でしょう。


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