『牙のあるおっさんと、無いおっさん』二

 廃教会に到着したのは、太陽が完全に沈みきってしまった月明かりの綺麗な時間帯。

 廃教会に帰って来ると、いつもの談話室に子供達が集まっていました。


「あっ、おじさんお帰りなさいっ!」

「ただいま……でいいのしょうか、居候の身なのですが……」


 快く出迎えてくれたのはコレットちゃん。

 コレットちゃんは目が合うなり、宝石のような紅い瞳を輝かせながら近寄ってきました。


「えへへ」


 はにかみながら、手をソフトな感じで握ってくれたコレットちゃん。

 ぷにっ、とした柔らかい御手が嬉しいみ。


「いいのいいのっ! おじさんが居ないと他の子達も寂しがってたし!」

「そうでしたか。明日は腕によりをかけてシチューを作らせて頂きましょう」

「やった!」


 そうこうしていると……扉が開いて誰かが入ってきました。

 見れば、しっとりと濡れた金髪を適当な布で拭いているエルティーナさん。


「コレット、あまり苦労を掛けてはダメですよ」

「むぅー!」

「……オッサン、無事でなによりです。おかえりなさい」

「はい、ただいま帰りました」


 不思議と若干照れてしまい、上手にただいまと言えませんでした。


「オッサンは冒険者なので仕方が無いとはいえ、数日も町に帰っていないとなると、心配になってしまいます」


 ――何度か死んでいます、などとは口が裂けても言えません。

 その代わりと言ってはなんですが、安心させられるような言葉を口にしましょう。


「――大丈夫ですよ。こう見えて、生きて帰るのは得意ですから」

「ふふっ。今を生きてる冒険者はみな、同じことを言うと思います」


 明るい調子で言った言葉に、和やかな笑みで応えたエルティーナさん。

 ふつくしい……。


「あ、あぁそれと、一万三千通りのシチューレシピを披露しきれていませんからね」 

「まぁ! それは楽しみです」

「楽しみー!」


 おっさん、ばっちり決めました。

 エルティーナさんとコレットちゃんの笑顔が眩しいです。

 ――と、背負っていた風呂敷の中から……パサリ、と何かが地面に落ちました。


「んー? 何か落ちたよ?」

「――っ」


 拾い上げたのはコレットちゃん。拾われたのはドロワーズ。

 コレットちゃんは拾い上げたドロワーズを、その場で広げてしまいました……ッ。


「わ、ぱんつ?」


 ロリータ様の口から出た『ぱんつ?』いただいてしまいました。興奮します。

 ですがここで言葉を間違えてしまえば、あらぬ誤解を受けてしまうかもしれません。

 誤った汚名である、〝紳士へんたい〟を欲しいがままにしてしまうのは必至。

 ここは言葉を間違えられません。


「よ、夜は冷え込むかと思いまして……ええ、少しでもマシになればと」

「ふふっ、有難うございます。今日はもう遅いので明日から使わせて頂きますね」


 ニッコリと笑いかけて下さったエルティーナさん。

 他の子供達も集まってきて、皆がドロワーズを手に取って笑っています。


「……ぁ、お風呂には入られますか?」

「そうですね、汚れくらいは落としたいところです」

「――分かりました。子供達全員と私が入ってしまったので、今から沸かし直しましょう」

「い、いえいえ! 私は全く気にしないのでそのままで大丈夫です!」

「ですが……」

「それに、私一人の為にそんな手間は掛けさせられません!!」

「えっと……すこしだけ、汚れているかもしれませんよ?」

「まったく気にしません! では、軽く洗い流してきます!」


 子供たちとシスターさんの残り湯。

 普段は頑なに一番風呂を譲られていたので、これは滅多に無いゴールデンチャンス。

 残り湯? それを捨てるだなんてとんでもない。


 ◆


 そんなこんなでお風呂場に到着。

 湯船の中を見て見るも……あまり汚れてはいませんでした。

 みんな湯船の中に入る前に、しっかりと体を洗っているのでしょう。

 この廃教会の子供達は、本当の良い子に育ちそうです。


「よし」


 私はできうる限り自身の体を清めてから、ゆっくり湯へと浸かりました。

 多少の時間を掛けてお風呂場周りは見たので、周囲に誰も居ないのは確認済み。

 響く、妖精さんの笑い声。


「……そうでした、妖精さんが居ましたね。……妖精さん、私の心とか読んでないですよね?」


 そんなやり取りをしながら鼻下まで湯に浸かり――ぺろり! これは……お水の味!!

 不思議なミルクっぽい風味がしたような気がしましたが、まぁ気のせいでしょう。


「だ、大丈夫ですよね……私は普通です」


 普通なので、少しくらいならゴクゴクしても――。


「オッサン、お背中をお流ししましょうか?」


 ビクゥ。

 声の方に視線をやってみると、そこに立っていたのはエルティーナさん。

 初日以降は一人風呂を堪能できていたので、完全に油断していました。


「今日は……なんでまた?」

「久しぶりですので、隅々まで綺麗にしたいかと思いまして」

「えっと……」

「――大丈夫です、笑いませんから」


 ニコッと微笑んだエルティーナさん。

 マイサンという名の笑われ棒が、イキリ立ってまいりました。


「エルティーナさんは時々、変な冗談を言いますよね」

「うふふふ」


 茶目っ気たっぷりのエルティーナさんもお美しい。

 とはいえ、今はイキリ立つマイサンを静めるべく必死になっています。

 このまま背中を流してもらうにしても、今のままでは湯船の外に出られません。

 イキリ立ちマイサンを晒してしまう事だけは絶対に避けなくてならない案件。

 なんせ今は、腰巻きタオルのようなものは持ち込めていないのです。

 つまり湯船から出てマイサンを見られたら、誤魔化しは利かないということ。


「……きょ、今日は月が綺麗ですね」

「はい、明かりが無くとも山道を歩けそうなくらいに明るくて……綺麗な月です」


 露骨な話題ずらしにも嫌な顔一つせず、微笑みながら答えてくれたエルティーナさん。

 今こんな状況でなければ純粋に会話を楽しむところなのですが、今はいけません。

 焦れば焦るほどイキリ立つマイサンが……!!


「ですが、月は魔の者の力が強めるのですよね? つまり冒険者であるオッサンにとっては、凶月になってしまうのでしょうか」


 月が魔の者の力を強める?

 そんなことは初耳です。

 確かに月で狼男が狼になったりする物語は知っていますが……。


「この世界ではそうなのですか? 私はてっきり……」

「まぁそう言われているだけで確証はありません。なので逆である可能性もあります」

「魔族の住民は何と?」

「近くに住んでいるハーピーの方は、興奮はするけど判らない、と言っていました」

「なるほど。……ですが私としましては、月は人の味方であって欲しいですね」

「それは何故?」

「……こんなにも綺麗で、エルティーナさんのように優しい光を放っているのですよ?」

「まぁ!」

「だからそんな月が敵だなんて、そんなのは悲しいじゃないですか」


 完璧に決まりました。おっさん、ばっちりと決めてしまいました。

 エルティーナさんの方を見てみるも、相変わらずな優しげな微笑みを浮かべています。

 残念ながら、その顔から動揺を見て取る事は出来ません。


「……そうですね。月と同じで何時の間にか現れて、暗く閉ざされた道を照らしてくれる」


 これは、まさか――。


「オッサン、私からしてみれば、貴方もそんな存在ですよ。……ふふっ、お返しです」


 人差し指を立てて冗談っぽく言ったエルティーナさん。

 ――ズッキューン。おっさん、射抜かれてしまいました。

 今この瞬間に、心という名のピュアハートを打ち抜かれてしまったのです。

 シスター様信仰に目覚めてしまっても、良いのでしょうか……?


「月も、悪いものではないのかもしれませんね……」


 ポツリ、と呟くようにそう言ったエルティーナさん。


「…………」

「…………」

「…………ところで」

「はい」

「エルティーナさんは、何時までそこに立っているおつもりなのでしょうか?」

「オッサンのお背中をお流しするまで、ですが?」

「…………」

「…………」


 ――おかしい。

 ここはそのまま立ち去り、私をムラムラさせる場面ではないのでしょうか?

 そんなにも、おっさんのイキリ立ちマイサンを見たいという事なのでしょうか。

「あの――」

「もしかして、余計なお世話でしたでしょうか? 子供達は喜んでくれるのですが……」


 そこに立っていられると出られないのですが……。

 と口に出そうとしたところで、先に口を開かれてしまいます。

 気落ちした風になっているエルティーナさん。

 まさか、純粋過ぎて色々と知らないのでしょうか?

 ……しかしそれにしても、やられました。

 どうやら先回りをされてしまったようです。

 私にはもう、エルティーナさんを否定するような言葉なんて言えません。

 これはとうとう、覚悟を決める時が来てしまったということなのでしょうか。

 静まりかけていたイキリ立ちマイサン、再びイキリ立ちます。


「分かりました、それではお願――」

「あーっ! 二人でいい雰囲気出しててずるいっ! もしかしてと思ってたけど、やっぱりっ!」


 ようやく覚悟を決め、湯船から出ようとしたところで現れたのは、コレットちゃん。

 ボロ服の上着の下には、市場探索で買ってきたドロワーズ。

 スカートやズボンもが無くドロワーズが大きいという事もあり、大部分が見えています。

 ドロワーズは見た目がカボチャパンツに似ているのですが……その実、全くの別物。

 今コレットちゃんが穿いているのは紛れもなく下着であり、ズボンではありません。

 ……今更なのですが、今まではボロ布の下に何を穿いていたのでしょうか。

 普通に穿いていたのか、それとも――。


「ふふっ。コレット、入ってくるタイミングを見計らっていたのは知っていましたよ?」


 ――なんと。


「視線と気配がありましたからね。オッサンも気づいているようでしたが」

「うっ……上手く隠れられてたと思ったのにぃ」


 ――えっ? 一体何時から、私は気が付いていたのでしょうか。

 しかしここは、さも気づいていましたよ、という顔を作ってみるとしましょう。

 ……ぐにゃあ。


「コレット。あなた、私がここから立ち去ったら突撃してくるつもりだったでしょう」

「うっ……」

「あまり迷惑を掛けては駄目ですよ。オッサンは仕事で疲れているのですから」

「ぶー」


 そうしてようやく、コレットちゃんの手を引いて去っていったエルティーナさん。

 おっさんの覚悟は、こうして無駄になってしまったのです。

 月明かりの下、妖精さんがクスクスと笑う声だけが耳に入ってくるのでした。

 ……悲しいみ。


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