『おっさん花』一

 薄暗く暗く、入り口からの光が届かない範囲にまで続いている洞窟の中。

 足を踏み入れてすぐ、この洞窟がかなり深い洞窟であるという事を理解しました。

 そうしい慎重に歩を進めながら、生臭い匂いをさせたオークを何体もやり過ごす道中。

 人の匂いに足を止めるオークもいましたが、「気のせいか」と言って立ち去ります。

 人間と体を重ねてきたせいで、細かな匂いの判断が出来ないのかもしれません。


「……危なかったですね」


 オーク達は片手にランタン、魔石灯、魔力灯、そのどれかを持っています。

 その御かげでおっさんでも、オークの接近に気付けないという事はありません。

 今現在の私が頼れるものは……私自身と、妖精さんだけ。

 廃教会のエルティーナさんや子供たちの為にも、なんとか依頼を達成しましょう。

 ……分かれ道では慎重に、オークが通るのを待ってからその方向へと向かいました。

 息を殺して隠れ、足音を立てないよう油断なく洞窟の中を探索していきます。

 帰りに分かれ道となる場所には迷わぬよう、服裾を千切って壁際に設置。

 ――こんな技能が役に立つ日がくるとは。

 これはかつて、私がTRPGのマッパーとして活躍していた頃の、ロールプレイ経験。

 しかしそれが現在生かされているだから、人生とは何が起こるのか分からないものです。

 相手に見られても問題の無い状況であれば壁に印を付けるのですが、今回は駄目。

 今は潜入をしている身です。警戒されるような目印は避けなくてはなりません。

 目印に布切れを選んだ理由は単純。

 発見されても不自然に思われないだろうという点と、数が作れるという点。

 そうして進むことしばらく……。

 ――居ました。

 と心の中で呟きながら息を殺します。

 体感で一時間ほど進んだ場所にて囚われの人々を発見。

 オークの動向を探りながらだったので、行きにはかなりの時間を必要としました。

 迷わず歩くことができれば帰り道は十五分くらいでしょう。

 女性達の囚われている場所は……丈夫そうな木で格子が作られた洞窟の牢屋。

 中の様子を遠目で見てみたところ、女性の数は十五。……妊婦は三。

 入り口には錠前。

 しかしその直ぐ横のテーブルには、牢の鍵が無造作に置かれていました。

 見張り自体は立っていません。不用心ですが、理由は想像できます。

 オークは基本的に三大欲求に忠実な種族。

 必要になれば哨戒もするようですが、基本的に仕事は嫌いなのでしょう。

 ここが討伐隊に見つかっていないというのもあってか、内部の警備はかなり手薄でした。

 当然オークは入れ替わりでやってくる為、現在は動く事ができません。

 ――っと、あまり見ない方がいいですね。

 オークらの行為を見ていてもマイサンが反応してしまう可能性があります。

 そうなってはいざと言う時、行動に支障をきたす可能性だってあるでしょう。


「…………」


 可能な限り隅の方にある岩影で耳を塞ぎ、丸くなってじっとしている事にしました。

 オーク達が寝静まるのを待ってから行動を起こすのです。

 ……耳を塞いでいてなお聞こえてくる、集団行為の音。


「…………」


 どのくらいの時間が経ったのでしょうか。

 ……まだまだ行為の音は鳴りやみません。

 それなりの時間は経ったのですが、まだオーク達は眠っていないご様子。


「…………」


 ……少数からなる行為の音。

 聞こえてくる物音から、オークの数が減ってきているのは間違いないでしょう。

 ……。

 …………。

 ………………。

 一切の気配が無くなった頃、周囲を警戒しながら慎重に体を起こします。

 立ち上がったことにより生臭い臭気は強くなり、僅かに顔を顰めてしまいました。

 辺りを見渡してみると……光源は出口のテーブル上に魔石灯が置かれているのみ。

 そっと視線を向けてみるも、牢の中は暗くて見えません。

 がしかし、女性達がどうなっているのかは理解できます。

 ……まぁ何にせよ、オークの姿は見当たりません。


「……妊婦の方は……置いていくしか無いですかね……」


 小声で呟いてしまった言葉に反応し、妖精さんが目の前で空中旋回を始めました。

 妖精さんはやや前のめり気味で、任せて! というジェスチャーをしています。

 無い胸を逸らしてドンッとする妖精さん、愛おしい。


「では、捕まっている方々を動けるようにしてください」


 その御願に、これまでに見たこと無いような満面の笑みを浮かべた妖精さん。

 それこそ見る者によっては、不気味さと恐怖心を掻き立てられるような……そんな笑み。

 本当に嬉しそうな笑みを浮かべて、妖精さんはクスクスと笑い始めました。

 ――暗転。


『死にましたー』


 暗闇が晴れると、私は透明人間では無くなっていました。

 落ちていた荷物を回収し、服を着用。

 唯一の光源である魔石灯は、ネコババするつもりで回収。

 牢の外にはボロ布と化した服が散乱しており、それを持てる限り持って牢に近づきます。


「……助けに来ました。これを着てください」


 牢の鍵を外して扉を開け、牢の出口に布を置いて数歩下がります。

 少しすると、布が擦れるような音が耳に入ってきました。

 ……念の為、オークたちが来ないかを警戒しておきましょう。

 そのまましばらく待機していると、誰かに軽く肩を叩かれました。


「ありがとう。本当に助かりました、この礼は必ず」


 振り返ってみると、そこには十五人の女性達。

 一応、大事なところを隠すのには成功しています。

 声を掛けてきたのは、かなり引き締まった体つきをした金髪の女性。

 その佇まいからは衛兵のダイアナさんに近いものを感じられました。

 ……そして何故かお腹の引っ込んでいる、妊婦になっていた女性三人。

 散々な目に遭っていたはずの女性達はドロドロとしておらず、異臭も放っていません。

 それどころか目の前の女性達からは何故か……花の香りがしています。

 それは懐かしいような、不思議なアジサイの香り。

 ――完全に身奇麗になっているのは、妖精さんの力なのでしょうか?

 それとも女性らの誰かが魔法で……?

 何にせよ有り難い限りです。


「いえ、私も依頼で来ているだけなので気にしないでください。……動けない人は?」


 そう問いかけると、全員が首を小さく横に振りました。


「獣道には巡回しているオークが居ました。森の中を歩くので、足に布を巻いてください」


 言われた通り、足に靴代わりの布を巻きつけた十五人の女性。


「わ、わたし、さっきまでは自力で立つことも出来ませんでした! それなのに突然体が動くようになって……体の汚れも……お、お腹もです。一体、何をして下さったのですか?」


 妊婦になっていたと思われる小柄な女性がそう言いました。

 不思議と存在感の希薄なその女性。

 それに同意する声で僅かに騒がしくなる女性たち。


「静かにしてください、まだオークが来ないとは限りません」

「す、すいません……」

「それをやったのは私ではなく、妖精さんです。……どうぞ」


 雰囲気がダイアナさん似の女性が手を上げたので、発言を促しました。

 女性は声を潜めながら、小声で言葉を発します。


「妖精など何処にも見当たらないのですが……?」

「此処にいます。ただし、普通の人にはあまり見えないかもしれません」


 私は頭の上に座っている妖精さんを指では無く、手の平で差します。

 何故か頭皮に視線が集まっているような気がしましたが、きっと気のせいでしょう。

 ……そう、きっと気のせいでしょう!!


「……ふむ……いえ、これ程に強力な回復の行使、さぞ高位の妖精様なのでしょう」


 口では納得していても、どこか疑っているような雰囲気の女性。

 もしかしたら、どこかで役職を持っている戦士なのかもしれません。

 ダイアナさん似の女性は、言葉を続けます。


「お礼がしたいので、そのお姿を拝見させて頂いても?」


 目の前の女性の言葉に対し……目の前にまで降りて来た妖精さん。

 妖精さんは嫌そうに首を横に振りました。


「……嫌だそうです」

「それは……仕方がないですね」

「何にせよ今は逃げましょう。森の中に討伐隊の拠点があるので、目標はそこです」


 とはいえ、一番大きな問題になるのは脱出時。

 この大人数で脱出をして、気付かれずに討伐体の拠点にまで辿り着けるのでしょうか。

 最低でも一人か二人は協力者がほしいところ。


「……解体用ナイフですが、どなたか扱えます?」


 その問いにスッと手を上げた二人の女性。


「は、はい」

「長剣の方が得意だが、それなりには」


 手を上げたのは存在感が希薄で小柄な女性と、ダイアナさん似の体格をした女性。

 小柄な女性に解体用ナイフを、もう一人には私の持っていた長剣を手渡します。


「私は武器の扱い自体が得意では無いので、お願いしても良いですか?」

「了解した」

「……ところで貴方は衛兵さん、もしくは兵士の方ですよね?」

「…………騎士だ……です…………」


 クッころさんでしたか。それはオークに捕まっても仕方がありません。

 聞いた話では、町の中を初めとした門や城壁周り市内を守っているのが市内衛兵。

 外での問題を解決する人が野外警備兵。一般の人はそう呼んでいると聞きました。

 そして平民であっても半貴族の扱いを受ける事の出来る者を、〝騎士〟と呼ぶとのこと。

 まぁ元から貴族である者が大半ではあるようなのですが……。

 クッころさんはどちらなのでしょうか?


「ちなみにこの中で、歓楽街のオーク先生を思い浮かべて自分から来た者は……?」


 ナイフを持つ小柄な女性を除いた、全員が手を上げました。

 オーク先生の業は随分と深いようです。

 しかしそれで良いのですか、女騎士さん……。


「わ、わたしは、オークたちが何かお宝を溜め込んでないかなと……」


 小柄な女性はほぼ間違いなく、盗賊職の冒険者の方でしょう。


「……では、慎重にいきましょう」


 残した目印を頼りに洞窟の中を進む道中。

 そうして洞窟を出口を目指して歩くことしばらく。

 幸いにもオークに出くわす事も無く、洞窟を脱出することに成功しました。

 外の様子を伺ってみると、そこらかしこで眠っているかなりの数のオーク達。

 女盗賊さんに見てもらった結果、唯一起きているのは門番のみ。

 オークは三大欲求に忠実な種族らしく、必要が無ければ夜は寝静まっているとのこと。

 それをドヤ顔で教えてくれたのは、ドヤ顔女盗賊さん。

 女盗賊さんはそれを知っていたのに、何故捕まっているのでしょうか……?

 そう突っ込みを入れたくなりましたが、なんとか言葉を飲み込む事に成功しました。

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