『スーパーなおっさん』三、
妖精さんの口元に付着した赤い汁は袖で拭って綺麗にしました。
軽く拭っただけで美しくも淡いピンク色を取り戻した妖精さんの唇。
こんなに簡単に落ちたという事は、赤い汁の正体は血ではないのかもしれません。
「……ありがと」
無表情な顔でそう言った褐色幼女形態の妖精さん。
いえ、僅かに……ほんの数ミリ単位で口角が上がっています。
じっとそれを見ていると、一瞬だけ黒い光に包まれた妖精さん。
再び姿が見えた時には、小さな妖精さん形態に戻っていました。
「どちらの形態も可愛いですよ」
クスクスと笑い声を響かせながら、道の先を差して飛んでいく妖精さん。
「……案内してくださるのでしたね、忘れてました」
宙に浮いて移動する妖精さんの服の裾からは、チラチラと下着が見えています。
白のレオタードのような下着に導かれるかのように勝手に動く体。
離れすぎず、近すぎず、下着が最もハッキリ見える距離を保っての大作戦。
そうやって、薄暗いスラムの道を進むこと暫く。
太陽が殆ど沈んでしまった頃、ようやく目的地らしきものが見えてきました。
妖精さんの先導に従って歩いた末に辿り着いた場所。
それは……ボロボロの廃教会。
ボロボロとはいえ、ある程度の手入れはされているのでしょう。
壁や窓に蔦が這っているという事はありません。
庭になっている場所にも手入れがされている形跡がありました。
無駄な雑草は生い茂っておらず、手入れが行き届いているようにも見える廃教会の庭。
「妖精さん……?」
移動に疲れたのか、私の頭部にうつ伏せでペタンと乗った妖精さん。
――嬉しいみ。
とはいえ、教会は良くないかもしれません。
恐らく条件には合っているのでしょうが、悪い評判しか聞けていないのです。
今持っている情報から判断するに、孤児院と同様に腐っている可能性が高いでしょう。
「まぁ、そろそろお腹が空きましたね」
市場で購入した携帯型魔石コンロをバックパックから取り出し、設置。
それに燃料である魔石をセットし、点火。
今夜は野宿決定です。
流石に暗くなってからのスラム街を歩き回りたくはありません。
ローブの御かげでそう寒くはないのですが、寒空の下で見る火は見ていて温かいです。
「っと……」
ドッと疲れが押し寄せてきたのか、強い倦怠感と霞む視界。
ぐにゃりと歪んでいく世界。
普段ならこの程度の疲労感、どうってことはなかったのでしょう。
ですが今は……お願いをした影響なのか、体が重くてたまりません。
「っ……」
いけません。
このまま完全に意識を失ってしまえば、寝ている間に何をされるか。
私は、何とか正気を保とうとしましたが……暗転。
◆
「……っ……」
「もし、大丈夫ですか?」
目を覚ましてみるとそこは……談話室?
かなり広めの空間で、床材は恐らく木製。
それなりの数の毛布が敷かれています。
私は、その内の一つの上で目を覚ましました。
大きな暖炉には薪がくべられていて、かなり温かい熱を放っています。
「……ここは?」
「私個人の教会です」
「――ッ!?」
教会という言葉に反射的に体が飛び起き、声の主から距離を取りました。
覚醒した頭で声の主の姿を見てみると、そこに居たのはシスター服を着た若い女性。
薄くて柔らかげな金髪に炎の明かりが反射し、淡い印象を抱かせられました。
警戒心を丸出しにしている私に対し、柔らかげな笑みを浮かべたシスターさん。
シスターさんの緑がかった青色の碧眼は美しく、胸の膨らみもかなり大きなもの。
全体的にスタイルが良く、かなり男好きのする体付きをしているシスターさん。
腐っていると聞いていた教会に、男好きのする体のシスター。
怪しい。怪しすぎます。
……ゆっくりと腰に手を伸ばしてみるも、ロングソードはありません。
「安心してください。教会と言っても、正式ではない廃教会です」
「……廃教会?」
次にどう行動するべきかと考えていると、入り口の扉がゆっくりと開きました。
両開きタイプの大きな内開き扉です。
「エルティーナー、もう入ってもいーい? みんな寒いって言ってるよぉー」
「はいコレット、たぶんこの人は大丈夫ですよ」
扉から雪崩のように入ってきたのは子供達。
尻尾や獣耳の生えている子達は獣人でしょうか。
人種問わずみんな痩せていて、ボロボロの服を着ています。
少なくとも今日見てきた孤児院の子供達と比べれば、その貧しさは一目瞭然。
これは少し、警戒を緩めても大丈夫かもしれません。
「ええっと……」
「表で倒れていたので、私がここで介抱していました」
「うんそう。わたしは不用心だって言ったんだけどねー」
「この方の傍には精霊様がみえました。きっと悪い人ではありません」
「ふーん」
シスターさんと女の子とのそんな会話。
シスターさんの名前がエルティーナさんで、女の子の名前はコレットちゃん。
ふわふわとしている夜色の髪と、爛々と輝く紅い瞳がよく目立つ特徴的な女の子。
この世界には容姿の整った方しか居ないのでしょうか。
「っと、助けて頂き有難うございました」
「いえ、真なる全知全能の神は、あらゆる善行を肯定します。相手が善人であれば尚の事」
シスターさんらしいお言葉。
おっとりとした印象の女性ですが、信仰心はかなり高いのかもしれません。
「そう、神のお告げは何時だって、あらゆる肯定的な述語を内包しているといえます」
「……え、は、はい」
これは、長いお話が始まる予感がします。
とは言えこちらは助けて頂いた身。これを中断する事などできません。
シスター服であるというのに、かなりの自己主張をしているシスターさんの胸。
一度で良いので、私のマイサンにも説法を説いて頂きたいところ。
「神は強い。神は賢い。神は慈悲深い。神は偉大である……というように――」
「エルティーナー! そろそろ夜ご飯にしようよー!」
「コレット、もう少し説法の時間を……」
「明日でいいじゃん!」
「……わかりました」
渋々といった様子で立ち上がったエルティーナさん。
きちんと起きていられる自信が無かったので助かりました。
「あっ、夕飯は私が作りましょうか?」
「えぇ? ……えっと……」
「オッサンと呼んでください。敬称は無くてもいいです」
「そうですか、ではオッサン。その申し出はありがたいのですが、本当にいいのですか?」
「はい、材料はかなり買い込んでいるので問題ありません」
「ですが……」
行き倒れていたせいで懐事情を心配してくれているのでしょうか。
このように優しくされると、逆に色々としてあげたくなるのが男の性。
「大丈夫です。今は丁度、金銭的にも苦しくないので」
「どうしましょう……」
困り顔の上目遣いでこちらを見てきたエルティーナさん。
美しき信者の女性。
信仰の対象とされている者は、それだけでさぞや幸せなことでしょう。
信仰されている神様が羨ましくてたまりません。
「それに……善行は報われるべきだ、と私は思っていますからね」
宗教的な言い回し。信仰者であればこれは断れないでしょう。
「……では、そうですね。お願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですとも」
私の言葉に微笑みを浮かべ、壁の近くにまで移動したエルティーナさん。
そこに置かれていたのは、私の荷物の全て。
私はバックパックだけを持って、エルティーナさんに続いて部屋を出ました。
案内された台所はアナログ式のもので、薪を使って炊事をするもの。
携帯型魔石コンロなどという現代的なものがあるのに、江戸時代的なこの環境。
子供達やあの部屋の状態。
それからこの台所を見れば、今の教会の形態が推察できるというものでしょう。
この教会では、かなり貧しい生活がおくられているのかもしれません。
……それにしても、暗い台所です。
こんな環境で、きちんとした料理を作る事が出来るのでしょうか?
「【ライト】」
首に下げているロザリオを握り、そのように呟いたエルティーナさん。
エルティーナさんの言葉の直後、部屋全体が明るくなりました。
見れば空中には、小さな光の玉が浮かんでいます。
この世界に来て始めて見る魔術。
衛兵さんたちが魔術がとうだとか言っていたので、存在しているのは知っていました。
が、こうして生で見られると感動もひとしきり。
冒険とはまた違った良い感情が沸き上がってきます。
「料理、私もお手伝いしますね」
「っと、そうでした。今回は魔石コンロを使いましょう」
台所の薪をくべる部分にコンロを設置し、着火。
火力を上げたので普通の調理も大丈夫だと思いますが、燃費は悪いかもしれません。
傍に置いてあった大き目の鉄鍋火の上に置いて、調理開始。
鉄鍋にシチューに必要な手順を踏んで材料を入れ、作るのは白シチュー。
外にも井戸があるそうなのですが、今回はエルティーナさんが魔術で出した水を利用。
練習すれば私も魔術師おっさんになる事が可能なのでしょうか。
……魔石コンロの火力が弱まってきた頃、なんとか白シチューが完成しました。
頭の上の妖精さんも、私の便座カバーヘッドに涎を垂らしています。
「……ゴクリ。ものすごく美味しそうですね」
「ええ、私の得意料理ですから」
食卓は暖炉のあった隣の部屋。
妖精さんの為に買った小皿に、こぼさないよう白シチューをよそいました。
その小皿に香辛料を掬うのに使う小さなスプーンを添え、妖精さんのご飯も完成。
すぐに食べず静止している妖精さんを見て空気を読み、私も待機。
二人の男の子がこの部屋に居る全員にパンを配ってくれています。
全員の前に木皿とパンが行きわたり、静まり返った食卓。
全員が手を合わせ、祈りの姿勢。
「今日の食卓を彩る糧を与えて下さったオッサンに、感謝を込めて……」
『『『今日の食卓を彩る糧を与えて下さったオッサンに、感謝を込めて……』』』
音頭を取ったエルティーナさんに続けて言葉を紡ぎ出した子供達全員。
私も慌てて祈りの姿勢を作りました。
この祈りの対象が神になっていない辺り、個人的にはかなり好感が持てます。
……祈りの姿勢で少し待っていると、全員が勢いよくシチューを食べ始めました。
もう食べてもいいのでしょうか。
「おいしい!」
「なにこれ!」
「すごいすごい!!」
テーブルの上では妖精さんもシチューを美味しそうに食べています。
「こうやって食べるのも美味しいですよ」
パンを手に取り、ナイフで丁度良い大きさに切り出します。
完成したスライス固パンを白シチューに浸し……試食。
パンの固さとゴワゴワ感がいくらか和らぎました。
それを見ていた子供達が私を真似し、シチューにパンを浸して食べだした子供達。
賑やかになる食卓を笑顔で見ているエルティーナさん。
妖精さんはもう食べ終えたのか、クスクスと笑いながら宙に浮いています。
「……あの、少々よろしいでしょうか」
「ええ、何でしょう」
食事がある程度進み、早食いの子供達が食卓から去った頃。
耳元でボソボソと声を掛けてきたエルティーナさん。
是非とも私の汚い部分も叱咤し、浄化いただきたいところ。
そう思える程に清浄さが感じられるシスターさん。
エルティーナさんは宙に浮いている妖精さんを目を細めて見て、口を開きました。
「私には薄っすらとしか見えていないのですが、オッサンは精霊師の方ですよね?」
「…………」
薄っすらとしか見えていない?
精霊師?
「姿を隠している精霊様は一般の者には見えないと言われていますが、私は一応聖職者なので少し見えているのかもしれません」
何故、妖精さんを見て精霊の話をするのでしょうか。
まさか。まさか妖精さんは、妖精ではなく……精霊さん?
「……な、なるほど」
「噂程度ですが、一部の高位精霊様はそのような事が出来ると聞きました」
――な る ほ ど。
一ミクロン程も理解できていませんが、唯一つ間違えようもない事実があります。
それは、ニコッと微笑むエルティーナさんがお美しいという事実。
「私はてっきり、彼女は妖精なのかと思っていました」
「…………えっ? っ……失礼しました」
一瞬だけ――何を言っているのだろうか、というような顔をされたエルティーナさん。
がしかし、瞬時に顔を取り繕いました。
そんなに変な事を言ったでしょうか?
「妖精は姿を隠すのは得意ですが、常日頃から透明になっていられる程の魔力は……」
「……なるほど。妖精さ……いえ、これからは精霊さんと呼んだ方が?」
「…………」
私の言葉に対し、首を横に振った妖精さん。
「では妖精さんで良いと?」
その問いに小さく縦に頷いた妖精さん。
妖精さんはゆっくりと宙へと浮き上がり、便座カバーヘッドの上へと舞い降りました。
「申し訳ありませんエルティーナさん。妖精さんが妖精さんで良いと」
「いえ、此方こそ出過ぎた発言でした。申し訳ありません」
そう言って小さく頭を下げたエルティーナさん。
所作の優雅さに見とれてしまいそうです。
「余程精れ……妖精様に好かれているのですね」
「そうなのでしょうか?」
「はい、心が綺麗な者の証です」
ニコッと笑いかけてくださるエルティーナさん。
エルティーナさんの笑顔はとても輝いているように見え、その美しさは神々しい程。
と、何とか笑みを返しながら言葉を考えていると。
「もし泊まる場所が無いのでしたら、しばらくここに留まってはいかがですか?」
「……いいのですか? もし私が危険な悪人だったら……」
「いえ、妖精様に好かれている貴方が悪人であるハズありません。それに――」
シスターさんの視線を追って部屋を見回してみると、子供達の力強い視線。
その瞳は期待で輝いていて、真っ直ぐにこちらを見ています。
「時々でいいので、料理も作って頂けると嬉しいです」
「ええ、も――」
「勿論、タダでとは言いません。その分の対価はきちんとお支払いさせて頂きます」
貧乏教会のシスターさんからの、対価はきちんと支払うというお言葉。
――――呼んだ?
下腹部から、イキリ立ちマイサンが声を掛けて来たような気がしました。
――お、おちおち、おちん――ッ!
今はお呼びで無いのでおちんちん突いて下さい!
……ではなく、落ち着いてください!!
胸の内で激しい葛藤に見舞われました。
「困った時はお互い様、という言葉があります。支払いはいりませんよ」
が何とか聖人君子のような笑みを浮かべ、言葉を返すことに成功。
誰か私の理性くんを褒めて下さい。
「ですが……」
困ったように眉を寄せたエルティーナさん。お美しい。
思えば、エルティーナさんは私の事を心の綺麗な人間だと思っているのです。
対価を支払うという言葉だって、何かを手伝うという意味で発されたのでしょう。
それにしても、何故かエルティーナさんの前だと妖精さんが大人しいような……。
いえ、今はきっとお腹が一杯なだけでしょう。
「エルティーナさん。寝食する場所と孤独を癒す環境を頂いているのですよ? これ以上貰えません」
その言葉を聞いてパァっと明るい顔になったエルティーナさん。
本心をほんの少し大げさに言っただけなのですが、正解だったようでなりよりです。
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