『髪の少ないおっさん』三


 アジトのある場所へ向かっての移動中。

 クスクスと笑い声を響かせながら、頭の上へと腰を下ろした妖精さん。

 瞬間的に頭頂部に広がった幸せな感触。

 この時初めて、頭部が便座カバーヘッドで良かったと思えました。

 太腿を直に堪能する事を可能とする毛根が死滅してしまった頭皮部分。

 これは悲しみの中に差す一筋の光明であると言ってもいいでしょう。

 今だけはとても幸せな気持ちになることができています。


「……!」


 一体何があったというのでしょうか。

 野盗のアジトの前に居たはずの見張りはおらず、その代わりに豚が二頭。

 プギープッギー、と鳴き声を上げています。

 あっ……支給品の衣服に糞を垂らしました。


「なんて酷い事を……」


 絶望的な状況に晒されている一張羅、今すぐにでも救い出さねばなりません。

 手に持っている剣で豚達を追い払い、衣服の状態を確認。


「く、臭い」


 普段は何を食べていたのか、とにかく酷い臭いの糞。

 バックパックと冒険者証のみを回収しました。

 全裸バックパックという、新しいファッションリーダーの爆誕です。


「似合いますか?」


 その問いにクスクスと笑い声を響かせた妖精さん。

 きっと似合っているということでしょう。

 仕方がないので、全裸のままアジトの中へと突入します。


「ここにも豚が……」


 ……アジトの中には豚、豚、豚。

 ここは畜産農家の豚舎なのではないか、と言わんばかりに豚しかいません。


「賊達は、一体どこに……?」


 豚を掻き分け、壁に掛かっている松明を片手に取りって洞窟の奥へと進みます。

 襲い掛かってくる豚は切り捨て、慎重にアジトを進むことしばらく。

 最奥らしき広い空間に辿り着きました。

 テーブルにベッド、それから簡素な棚のようなもの。

 そして何の用途なのか、壁際に高く積まれている藁の山。

 ここが賊たちのアジト最奥なのでしょう。

 テーブルの上には食器と少しの硬貨が散らばっています。


「この硬貨は……この世界のお金?」


 念の為にそれら硬貨類はバックパックの中へと適当に突っ込み、回収。

 見れば、棚には何着かの服が置かれています。

 こちらも臭いがマシなものを三着ほど回収し、着用します。


「ひっ……」

「!?」


 適当な一着を着終えたその時、背後から小さな悲鳴が上がりました。

 鋼の発生源は、積み重なった藁の山。

 注意深く観察してみると、小さく震えているのを確認できました。

 ゆっくりと武器を構えながら、藁山にむかって声を掛けます。


「……誰ですか?」

「ひっ!」

「こ、殺さないでください!」

「も、もうやだぁ……」


 女性の声。

 賊にしては妙な反応です。

 ということは……。


「捕まっていた人ですか? 安心してください、私は冒険者です」

「……助け?」

「冒険者……なのですか?」

「変質者じゃなかったんだ……」


 冒険者のドックタグをバックパックから取り出し、藁山の方に掲げて見せます。

 恐怖の表情で震えながら、周囲を窺う様に藁山から出てきた三人の女性。

 女性たちは何とも言い難い、なおかつ嗅ぎなれた異臭を放っています。


「ええ、きちんと依頼を受けてやってきた者です」


 取り敢えず、笑顔で安心させる作戦を実行しましょう。

 ……にちゃぁ。

 笑顔を見た女性の方々は、何故か若干引きつった笑みを浮かべました。

 とはいえ、なんとか震えは治まったご様子。

 作戦は成功だと言ってもいいでしょう。


「流石にそのままで町に行くのは嫌ですよね」


 棚にあったボロ布をテーブル上の水差しで濡らし、女性らに手渡します。


「え……あ、はい。有難うございます」

「くさい、ですか……?」

「女性に対して臭いは失礼ですよ!」


 どれだけ此処にいたのかは判りませんが、三人の鼻は慣れてしまったのでしょう。

 今自分たちが発している臭いに気が付いていないのかもしれません。


「すみません」

「まぁいいです」


 目の前に私が居るにも拘わらず、体のそこかしこ拭き始めた女性たち。

 とても眼福です。

 その様子に小さくクスクスと笑い声を響かせ、頭の上に座っている妖精さん。

 小声で「失礼ですよ」と言ってやると、笑い声が止みました。

 やはり頭の良い、善良な妖精さんなのでしょう。


「では帰りましょうか」

「「「はい」」」


 ◆


 見目の整った女性三人を引き連れての町への帰路。

 この、悪党から女性らを救い出した勇者になれたようなシチュエーション。

 思っていた以上に気分が高揚します。

 頭の上には御足をぷにぷにと揺らしている妖精さん。

 ……なんだかとても、幸せな環境が整いつつあります。

 何事もない、帰り道の平和な道中。

 話のネタは思い浮かびませんでしたが、美女らと少しでもお話をしたいところ。

 今の所自己紹介以外の会話ができていません。

 ……いえ、たった今、一つだけ話題になりそうなネタを思い浮かびました。


「ところで……賊達は豚を残し、何処に行ったのですか?」

「え、オッサンさんが魔術で豚にしたのでは?」

「…………?」


 疑問顔となってしまったのが悪かったのでしょう。

 こちら顔を見て、青い顔になってしまったお三方。

 三人の女性は不安に震える自身の体を抱えながら、口を開きました。


「い、いきなり地面から、黒い触手が生えてきたんです!」

「そう、それが賊達を拘束したかと思えば、全身を包み込んで……!」

「それで触手が消えたあと、賊達が全員地面に倒れて、突然……!!」

「お、落ち着いて話してください」


 あまり要領を得ない内容ですが、通りすがりの魔術師が何かしたのでしょうか。


「そうです! ある者はぶくぶくと膨らみだし、ある者は縮んで……!」

「えっと、えっと、最終的に、全員が同サイズの豚に!」

「私達、次は私達なんじゃないかと、怖くて怖くて……!!」


 ……意味がわかりません。

 きちんと話しを聞いたというのに、全く理解出来ません。

 私の去ったあと、本当に何があったのでしょうか。

 とはいえ結論は出ずとも女性達は心身共に疲弊しているはず。

 この場はとにかく安心させてあげねばなりません。


「やったのは私です。ただ、あの魔術を皆さんがご存知なかったのに驚きまして」

「……そ、そうでしたか。魔術を詳しく知らないもので、申し訳ありません」

「てっきり悪魔か何かの仕業かと……そんなワケ無いですよね!」

「安心したらお腹が空いてきました。町に戻ったら何か食べたいですね、豚肉以外でっ!」


 なんとか誤魔化す事に成功しました。

 本当は通りすがりの魔術師の仕業なのかもしれませんが、今はこれでいいでしょう。


「ところで皆さん、帰る場所は?」

「あ、はい。私たちが攫われたのは最近なので、自分の家があります」

「それは良かった」


 そんな話をしながら歩くことしばらく、町に到着しました。

 人頭税として硬化を少し持っていかれましたが、難なく門を通過することに成功。

 冒険者証を持っていたのとは別に、依頼の道すがら助けた者は格安との事。

 合計で銅貨数枚のお支払い。

 事情を聞いた衛兵さんは三人の女性を連れ、何処かへと去っていきました。

 私は依頼が終わったら戻って来い、と言われていたので、城門横にある詰め所の中へ。


「こ、こちらへ」


 若干声の震えている衛兵さんに案内され、辿り着いたのは詰所二階の扉前。

 扉を開けて中へと入ってみると、そこにいたのはダイアナさん。

 内装は執務室のようになっており、執務机の椅子にはダイアナさんが座っています。

 青い顔をしてガタガタと震えているダイア○ル――もとい、アナル弱そうダイアナさん。


「どうかしましたか?」

「お、おっ、お前の実力は、大体解った」


 その一言で、大体の事情を察してしまいました。

 恐らくは行動を監視されていたのでしょう。

 私は無謀に突っ込んでしまい、死んでいただけ。

 そして最後には……他人の手柄を横取りしました。

 震えるほどに怒って当然――。


「……?」


 よくよく見てみると、怒っているのとは様子が違います。

 どちらかと言えばこの震えは、恐怖による震え。

 そしてその恐怖の対象は――私?


「ダイアナさん、何故そんなに怯えて……?」

「ひいっ!」


 一歩近づくとダイアナさんは椅子を思い切り下げ、距離を取ろうとしてきました。

 ――悲しいみ。


「ダイアナ様を守れ!!」


 直後、大きな音と共に扉が蹴破られ、部屋の中へとなだれ込んできた衛兵さん達。

 顔は恐怖に歪んでいますが、涙を流しているダイアナさんを見るなり全員が抜剣。

 その勢いのままこちらへと切り掛かって来きます。


『『『うぉおおおおおッ!!』』』


 気合の入った掛け声と共に突進してくる衛兵さんたち。

 私の体の中へと突き入れられたのは、銀色に輝く無数の刃。

 うぉおおおおおッ!! ではありません。


「……?」


 ――痛みが、無い?

 そっと体を見下ろしてみると、確かに体を刺し貫いている無数の刃。

 血液だって……ほらこんなにッ!

 とはいえ刃が体を貫通している感触と剣の冷たさは本物。

 だと言うのに、何故か痛みだけがありません。

 初めて死んだ時にはしっかりと痛みがあったのですが、それが無くなっています。

 ――何故?


「な、なんじゃこりゃぁ……」


 死に際に言ってみたいセリフのナンバーワン。

 きちんと言えました。


『死にましたー』


 様々な事を考えている間に、世界は暗転。

 衛兵さん達はどうしたら切り掛かって来ないで、話を聞いてくれるのでしょうか。

 死んでも生き返るとはいえ、痛みが無いせいで不快な感触が残るのです。

 剣が体を刺し貫く感触。

 これは当然、そう何度も味わいたくはありません。

 ……徐々に暗闇が晴れ、景色が戻ってきました。

 場所は詰め所で、刺し殺された部屋の前にある廊下。

 格好は当然の――全裸。


「……寒いですね」


 ――響く、妖精さんの笑い声。

 何が面白かったのか、クスクスと笑っている妖精さん。

 ……いえ、何故か殺されたおっさんが面白かった、という可能性も捨てきれません。

 妖精さんは現在、宙に浮かんでいます。

 特に意味はありませんが、腰を屈ませながら上を見上げ、対策を考えるとしましょう。


「うーん、もう少し……もう少し……!!」


 視界に飛び込んできたのは、白のレオタードのような、妖精さんの綺麗な下着。

 見下ろすように口元を押さえながらクスクスと笑っている妖精さん。

 相変わらず妖精さんは下を隠そうとしてきません。

 ――嬉しいみ。

 眼福以外の何ものでもない妖精さんのレオタードのような下着。

 やはり妖精さんは、心優しき天使のような妖精さんです。

 せっかくなのでお願い事も言ってみましょう。

 エンジェルな妖精さんに願えば、多少の事なら叶うかもしれません。


「衛兵さん達に切り掛かられなくなりますよーにっ」


 両手を合わせて、パンパン。

 口元を押さえながら笑い声を響かせる妖精さん。

 パンツ丸見えのまま、小さく頷いてくださいました。

 笑い声に馴れてきたのか、不気味さはかなり薄れてきています。

 ――暗転。


『死にましたー』


 暗闇が晴れると、先程生き返ったのと同じ場所に。

 このタイミングでの突然の謎死。


「妖精さん……?」


 いえ、そんなまさか……。

 突然の謎死を無視して廊下を進んでいると、聞こえてきたのは豚の声。

 ダイアナさんの居た部屋からは「プギー、プギー」と豚の鳴き声が聞こえてきています。

 これは豚をきっ掛けに上手いこと仲間に入れ、という事なのでしょうか?

 何にせよ、このチャンスを逃す手はありません。

 部屋の中を覗いてみると――豚、豚、豚、豚。

 何処を見ても、豚。部屋の中に衛兵さんは一人もおらず、豚しか居ません。


「いったい何処に……?」


 なんにせよ、豚しか居ないこの部屋に用はありません。

 部屋を後にしようとすると、プギプギと涙を流しながら足に縋り付いてきた豚達。

 流石に豚の言葉は理解できません。

 軽く押しのけ、部屋を出て……ッ!

 この瞬間、気が付いてしまいました。

 そう。この部屋には何故か、衛兵さんの装備や服が残されていたのです。

 ダイアナさんが座っていた椅子を覗き込んでみると、当然のようにありました。

 椅子の上や周辺に落ちている、ダイアナさんの装備や衣類の類。

 触ってみるとまだかなりの温もりが残っており、脱ぎたてほかほかといった状態。

 それを見てクスクスと笑う妖精さん。

 しかし落ちていた下着の第一発見者ともなれば下着泥棒だと疑われかねません。

 こんなところを誰かに見られて危険です。

 なので……――力強くパンツを握り締めました。


「プギィイィィィ!! プギィイイイイイッッ!!」

「ちょっ!」


 一匹の豚が突進してきたので、剣を構えて迎撃態勢。

 剣の矛先が自分の方へと向いていると理解したのか、豚は急停止しました。

 この豚、剣を恐れています。

 ……相当頭が良い豚なのかもしれません。


「頭の良い豚は嫌いじゃありませんよ」

「プッブギィィィ、プギッ、プギッ!!」


 豚が何かを伝えようとしてきています。

 心なしか謝罪しているようにも見えますが……。


「せめて人語を話してください」

「プゥー……」


 地面には突き刺された際に血塗れになった、少し前まで着ていたボロ服。

 流石にこれはもう着られません。

 落ちていたバックパックから替えを取り出し、着替えます。


「……おや?」


 着替え終えたタイミングで気が付いてしまいました。

 今までずっと、パンツを穿いていなかったという事実に。

 こちらを見ている人がいないのを確認し、手に持っている下着を……着用!!

 ダイアナさんの下着は動きを阻害しない簡素な作りをしています。

 男の身である私が穿いても違和感はありません。

 ――温かいみ。

 荷物はすべて回収したので、もうこの部屋に居る意味はありません。

 今は一刻も早くこの部屋から離れるべきでしょう。

 ……下着は関係ありません。決して、本当に、もしかしたらッ。


「プギーッ!!」


 扉に近づくと、紙とペンを持った豚が扉の前に立ち塞がりました

 豚、全力の通せんぼをしてきています。


「プッ、プギッ! プギプギプギー!」


 この豚、器用にも紙に文字を書き始めました。

 紙に書かれているのは、この世界の文字?

 ……ええ、もちろん読めませんとも。


「申し訳ないのですが、この世界の文字は読めません。そこをどいて下さい」

「プギッ!? プップップギップギッ!!」


 部屋を出て行こうとすると、扉に張り付いて行く手を塞いできた豚。

 その様はまるで、「人語を話せと言ったではないか」と言いたげな形相。


「私の世界の文字でお願いします」

「プゥー!!?」


 他の豚もその豚を援護するように出口へと固まりました。

 再び剣を構えるも、今度は一歩も引いてくれない豚達。

 知性のある豚をこんなにも同時に相手にすれば、殺される危険性があります。

 仕方が無いのでここは剣を納め、妖精さんにお願いしてみるとしましょう。


「妖精さん。この豚達の言葉を、私にも理解できるようにしてください」


 一度頷き、クスクスと笑いだした妖精さん。

 こっちの笑い声にも慣れて来たので、その美しいお声を堪能します。

 目を閉じて耳を澄ませている――不意に消えた、世界の音と光。

 そして……。


『死にましたー』


 目を開けてみると、そこは暗闇の中。

 またもや、お願いをしたタイミングでの謎死。

 ――やはり妖精さんにお願いをすると……?

 そんなことを考えていると暗闇は薄れ、場所は再び部屋の前の廊下。

 先程まで居た部屋からは、ダイアナさんや衛兵さん達の歓声が聞こえてきます。

 死んでいる間にまたもや何かが起こったご様子。

 妖精さんは宙に浮いたままクスクスと笑っています。

 私は軽い足取りで、豚の居た部屋へと向かって歩きだしました。





 当然――全裸で。


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