3-16去りし動乱の痛み分け
そんなこんなで3人は屋根を降り、マルガは応急処置を受けに、エーリカは副分隊とともにシャルロッテを警護しに、そしてヴィルヘルミナは汚れた軍服を脱いでユリアと話しこんでいた。
「あらぁ、それじゃヴィルヘルミナちゃんたち、ほんとに大変だったのね〜。お疲れ様」
経緯を伝えると、やや西に傾いてきた陽射しのもと、ユリアはおっとりと微笑んだ。
相変わらず事態を理解しているのか怪しいほどのマイペースぶりだが、今更ヴィルヘルミナもそこに疑いを挟もうとは思わなかった。続く言葉にも淀みはない。人差し指で唇を叩きながら、ヴィルヘルミナを記念館脇の遊歩道へと導く。
「じゃあやっぱり、ワタシたちで相手した人たちはおとりだったのね。本人たちは知らないみたいだけど」
「知らない?」
「ええ。ちょっとお話聞いてきたんだけどね、ここで暴れたらケストナー大佐に怪我させられるって聞いたんですって。
拳銃も結局一丁しか持ってなかったし、誰かに焚きつけられたんでしょうね〜。誰にかは教えてくれなかったけど」
襲撃者はほとんど拘束し、現在は警察の到着を待っていた。
衛兵隊や特別措置小隊に逮捕権はない。許されているのはあくまで拘束のみで、逮捕も取調べも警察――今回は間違いなく憲兵警察――の領分だ。
それを思えばユリアの行為はやや越権気味なのだが、秘密主義の憲兵警察に丸投げしていては何も分からない。自ら情報収集に動くのも当然といえた。記念館と英霊墓地の間に敷かれた遊歩道、そこに空いた丸い穴を指し示す。
「経路はほら、ここのマンホールね〜。下水道を通ってここまで来たらしいわ」
「地下からか……なら検問に掛からないのも納得だな」
前回ケストナー邸を取り囲んだ移民たちも巡回に見つからなかったと聞く。衛兵隊が怠けていたというより、見つからないよう彼らへルートを提供していたのだろう。
誰が? 決まっている。一連の裏にいる黒幕だ。
「今後はマンホールに注意しないとな。本当なら下水道にも探りを入れたいが……」
「難しいわよね〜。迷路みたいなんだもの。多分ワタシたちじゃ許してもらえないし」
ふう、とユリアと同時に嘆息。女の部隊である特別措置小隊を軽視しているのはなにも衛兵隊だけではない。
下水道を調べるとなると様々な手続きが必要になるだろうし、そもそも管轄の外だ。別の部署に任せた方がいいかもしれない。
なのに拘泥してしまいそうになるのは単純に悔しいからだった。屋根の上で打ちのめされた記憶がともすれば脳裏をよぎる。やりきれない思いを殺しきれず、苦々しく口からこぼれてしまう。
「それにしても、あんな化物がいると分かっていたら分隊全員連れて……いや、それでも勝てたか怪しいな。結局私も逃げられてこのザマだ。情けない」
「まあまあ。ヴィルヘルミナちゃん頑張ったもの〜。ちゃんと盗品も取り返してくれたし」
軽く言ってのけてユリアが胸まで持ち上げるのはブリーフケースだ。ガスマスクの女の置き土産。
各地の部隊に協力してもらい川の下流を中心に捜索しているが、今のところ彼女は見つからないという。ならば今回のヴィルヘルミナたちの戦果といえばこれくらいで、口惜しいのが半分と安堵するのが半分だ。
シャルロッテは無事、逃亡されたものの敵の目的も阻止できた。ひとまず痛み分けには持ちこめたわけである。
長身のユリアが抱えると、ブリーフケースも一回り小さく見えた。長い指先でカバンの金具をいじりだす。
「そういえばこれなんなのかしら〜。軽いし、なにかの書類とか?」
「さあな……いや待てお前、なにを開けようとしているんだ」
「あら、だって気になるでしょう? 中身に破損がないか確認しないとだし、ね〜?」
「グルーべ閣下の許可もないのにそんな……お前が見たいだけだろう絶対」
「うふふ、ひみつ〜……あらぁ?」
ヴィルヘルミナの制止も聞かず、ユリアがブリーフケースを開いて中をのぞく。そしてそのまま首を傾げた。
諫めたヴィルヘルミナも思わず続く。なんの変哲もないカバンの内部だ。そう、なにもない。
「あらまあ、空っぽ」
そうユリアの呑気な声が聞こえたところで、全身の産毛がぞわりと逆立った。
「――っ! ナターリエ、アネット! こっちに来てくれ!」
教会の方へ叫ぶ。狙撃班の二人は救助され、ささやかな休息を与えられているところだった。
アネットは子供のような外見に反して平然としているが、ナターリエは遠目から見ても分かるほど悄然としている。呼びかけに応じてやってくる時もナターリエがアネットへくっついて離れない。
ヴィルヘルミナの前までやってくると、アネットはあっけらかんと敬礼し、ナターリエは申し訳なさそうに身を縮めた。
「分隊長、お疲れ様です。大変でしたね」
「お疲れ様です……あの、お身体は大丈夫ですか? すみません、私、狙撃で負けるなんて……」
「気にするな、お前たちがいなければもっと大変だったよ。
ともかく聞きたい。あの女が屋根に上がってきたとき、このファイルを落としていったと思うが。その中にファイル以外のものが紛れこんではいなかったか?」
言ってファイルがいくつか落ちている場所――ガスマスクの女が逃げ出した窓の真下まで近づいていく。それに付き従いつつ、頷いて応じたのはアネットだった。
「あまり気にしてはいませんでしたが。そういえば、黒いケースか何かが混じってたかと思いますね」
「それは今ここに?」
「…………いえ。確かにこのあたりに落ちたかと思いますけど、見当たらないです」
ファイルの山やその周辺を軽くあさり、小さな背が首を振る。否応なく高まっていく胸騒ぎ。頷くのもそこそこに、さらなる質問を繰りだす。
「もうひとつ聞きたい。そこに居合わせた中年の女性がいたと思うが、彼女がどこに行ったか分かるか?」
「それどころじゃなかったですね。ナターリエの命綱撃たれたので。そこから周囲警戒は片手落ちです」
アネットの隣でナターリエがますます眉を下げる。健闘した部下が落ち込んでいるのだから、上官である自分は励ましてやるべきなのだ。
だがヴィルヘルミナもそれどころではない。数十分前に起きた出来事がピースとなって頭の中を飛びかっていく。
記念館から奪われた何か。
空のブリーフケース。
着地音を偽装するためだと思っていたファイルたち。
わざわざ逃げにくい屋根へと登っていったガスマスクの女。
部屋の真下で怯えていた、アルバートの演説をよそに閉館している記念館のそばにいた女性。
すべてがあるべき場所に嵌る。そしてひとつの絵図へと組みあがったとき、ヴィルヘルミナが覚えたのは噛みしめた唇の血の味だった。
「――やられた」
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