3-7ひよっこ伍長の戦史学習

 あれは一週間とすこし前、ヴィルヘルミナから大戦記念館での共同任務の話を聞かされた日のことだ。


「そーいえば、この国ってなんでせんそーしてたんですかー?」


 なにひとつ考えていなさそうな声が談話室に響きわたった瞬間、昼前の爽やかな空気が凍った。


 苦虫を噛み潰したような顔をしているのはグレーテルで、エーリカ自身も相当眉を顰めている自覚がある。一方、当の発言者――イルムガルトはソファに座って足をぱたぱた揺らしたりしていた。上官ふたりに別の生き物を見るような目をされているというのに呑気なものだ。

 要はそれだけありえない質問なのだ。この国で、いやこの大陸で教育を受けて、大陸大戦の話を学ばないはずがない。


「……イルムガルトあんた正気で言ってんの? 冗談にしてもやめなさいよ、普通に引くから」

「えー、べつに冗談じゃないですけどー」

「嘘をつくものではないぞ。おまえ、座学の成績もトップだったであろうが。それで大戦のことを知らないなどありえないであろう」


 エーリカも今回ばかりはグレーテルの援護に回る。イルムガルトとは一応同期だ。彼女の頭が沸騰しきっているのは知っていたが、同時にその実力も目の当たりにしていた。

 だからさすがにとぼけているだけなのだろうと、そう思ったのだが。


「うーん。覚えてろーっていわれたら全然できるんですけど、どうでもいいことって頭に残んないじゃないですかー。忘れちゃうんですよねー」

「どうでもいいってあんたね……」


 仮にも軍人の台詞ではない。だがあの気負いない口調からしておそらく真実なのだ。グレーテルも同様の結論に至ったらしく、額に手を当てて嘆息する。

 そしてじとりとした目でソファの方を一瞥、不機嫌と諦めが相半ばの声を投げかけた。


「一応聞いとくけどあんたらは? こんな体たらくの部下ばっかなら叩き直すけど」


 そう問いを向けるのは副分隊のほか2名だ。臆病者のタマラは上官の苛立ちを感じとったのか、ソファの後ろで居心地悪そうに息を潜めている。放蕩者のベアテは隣のイルムガルトを撫でながら、ゆるゆるとした唇の笑みを開いていた。


「あらあら心外ですよおグレーテル伍長。聖書はいちばんの歴史書ですしぃ、天地創造からだって暗唱できますよお」

「え、あ、その……きょ、教科書に書いてあることくらい、しか……ご、ごめんなさい、すみません……!」


 片や真面目に言っているとは思えないゆるい答え、片やつっかえつっかえで聞き取りづらい怯え混じりの謝罪。だが双方とも肯定ではあった。「副分隊長って呼べ」と半ば反射のように返しながらも、グレーテルの肩は素直に安堵を表している。

 どうやら割と本気で心配だったらしい。気を取り直すように高慢なため息をつき、エーリカに挑発の視線を向ける。


「まあ、イルムガルトのバカよりはマシかしら。一応信じてやることにするわ。んでエーリカ、あんたはどうなのよ。教科書読めたの?」

「おまえ、エーリカをバカにしているのか」

「バカにしてんのよ当然でしょ。同期のトップ様があのザマなのよ? 要はあんたあれ以下ってことじゃない、バカっていうかバカ未満だわバーカ」


 減らず口は流れるような鮮やかさだ。ヴィルヘルミナへの媚びといい、なぜこういう時ばかり弁舌優れているのか。エーリカもとっさには返す言葉を思いつかず「おまえな……」と歯噛みするしかない。


 グレーテルは手近な椅子を引き寄せてどかりと腰を落ち着ける。ここに居座ることにしたらしい。タバコに火をつけると、やや埃っぽい空気がさらに淀む。

 それだけなら好きにしろという感じだが、紫煙とともに吐いた言葉はエーリカも道連れに引きこんだ。


「悔しかったら軍国教育の成果みせてみなさいよ。大陸大戦の原因および推移。準備時間は1分で」

「はあ? おま、何をいきなり」

「あ、いまので五秒使いましたよおエーリカ伍長」

「ろーく、しーち、はーち、がんばれがんばれエーリカ伍長ー! なんならイルちゃんお手伝いしますよー!」

「ああもう、なんなのだおまえらは!!」


 というかそもそもの発端はイルムガルトおまえだろうがと返しかけるのだが、まったく悪くないはずのタマラがごめんなさいごめんなさいと謝りはじめる。囃し立てるふたりは絶えず手拍子を寄越してくるし、グレーテルは素知らぬ顔でボブカットに指を絡めるだけで止めもしない。動物園かここは。


 タバコの臭いが鼻腔をいぶし、耳にはうるさい雑音ばかり。そんな中で思考がまとまるはずもない。思いのほか早く1分が経過し、苦々しくも口を開く。


「あー……大陸大戦の原因はポモルスカで起こった内戦である。そこに連邦が軍事介入したことに対して軍国が人道的支援に出て、ポモルスカを戦場とした国家間戦争に発展したのだ。連邦の脅威に対抗すべく軍国と同盟を組んでいた諸国も参戦し、大戦は長期総力戦となった」


 初年の訓練期間中、座学で習った内容をぼんやり思い返す。

 いや訓練中だけではない。女学校でも歴史といえばこの単元からだったし、なんなら義務教育でもかなり重点を置かれていたはずだ。口を酸っぱくして言い聞かされてきた「歴史」は、ほとんど頭に染みついている。


 要はこれもエーリカが考えた結果というより、これまでの学習内容を要約したようなものだった。


「最終的には疲弊した同盟諸国が軍国を生け贄とし、連邦と休戦講話条約を結んだ……ざっと言えばこんなものであろう」

「減点方式なら75点、加点方式なら50点ってとこかしら。可もなく不可もなく、無難につまんないわね。ひよっこ伍長様様だわ」


 間髪いれずに一蹴される。灰皿に燃え滓を落とす片手間の、しかし明らかな冷笑は、エーリカの対抗心にたちまち火をつけた。


 椅子へ詰め寄り、グレーテルに半ば覆いかぶさるようにして身を乗り出す。タバコの臭いでむせそうになるが我慢だ我慢。その高々とした鼻っ柱へ、ずびしと人差し指をつきつける。


「人に一方的な問題を出しておいてよくもそこまで高慢ちきになれるものであるな。エーリカの回答がつまらないというのなら、おまえが加点でも減点でも100点満点の答えを見せてみればよかろう!」


 これが本日の宣戦布告。子どもの癇癪を見るようなグレーテルの目がなおのこと気に入らず、向っ腹がより刺激された。

 頭突きせんばかりに額を寄せて圧をかける。馬鹿馬鹿しいだとかそれらしい理由で煙に巻かれるつもりもない。横目で壁掛け時計を見やり、秒針の位置を確認。強行突破で勝負にもちこむ。


「ほら1分だぞゆくぞ、せえの、」

「大陸大戦の直接的な原因はポモルスカの内戦。でも、火種なんて前世紀からいくらでも存在したわ」


 告げるが早いか、グレーテルはふー、と紫煙を吐き出す。エーリカの顔面に向かって。


 たまらず「うわっ」と身を引く。煙が目に染みて若干痛い。イガイガする喉でけほけほ咳こんでいると、涙目の視界のなか、グレーテルが嫌らしい笑みを浮かべて脚を組んでいた。満足げに頬杖までついてみせ女王の風格まで気取る。

 どこまで性格の悪い女なのだこいつは。そう睨みつけるエーリカを黙殺し、グレーテルはぺらぺらご自慢の舌を回す。


「全部挙げるとキリがないけど、代表的なのは安全保障のエスカレーションかしら。前世紀後半が軍拡競争の時代だったのは知ってるわよね。他国に負けないために軍備増強して、それが他国の軍拡を招くっていうループ。同時に同盟を結ぶなり勢力を広げるなりして、自国の安全保障をはかるわけ」


 言うとタバコを灰皿で潰す。そして席から立ち上がり、壁際に据え付けてある本棚へと向かった。


 冊数こそさほど多くないが、駐屯地内の小図書館にはない娯楽小説等が並んでいる。特別措置小隊の淑女たちの小さなオアシスだ。しかしそんな諸々を無視してグレーテルはひときわ薄い本――いや、本ですらない。四つ折りにされた紙のように見える。

 ともかくそんなものを取り出すと、椅子に腰を戻して気怠げに紙を広げた。グレーテルの両腕ほどの幅がありなかなか立派な大きさだ。その紙面いっぱいには、大陸の大まかな地図が描かれていた。


「結果として、大陸は大きく二分されたわ。国家間で四方八方に同盟結んで下手な身動きできなくなった西と、周囲の小国を併合して巨大な連邦国家になった東ね」


 まだ火のつけられていない、真新しいタバコが地図の左右を交互に叩く。教鞭をとる教師の口ぶりでグレーテルが続ける。


「そこでお互い仮想敵にして安定したことには安定したけど、実のところは膠着状態ってやつ。火種は不完全燃焼のまま10年くらい燻り続けたわ」


 それからタバコの先でいくつかの国を指す。なにか規則性でもあるのか、大陸の中央近辺に位置する国を選ぶ割合が高かった。

 最後には軍国と連邦の間に横たわる一国をつつく。その名など、エーリカたちも嫌というほど知っていた。


「まあ、大陸にも中立国やいくつかの緩衝国家はあったわけだけど、ポモルスカはそのひとつ。それで今から22年前、ポモルスカで火種が一気に弾けたの」


 ばあん、と花火のように握りこぶしを開かせる。そして大陸地図を畳むとさっそくタバコに火をつけ、2本目を深く吸いこんだ。


「きっかけは些細よ。ポモルスカ政府が連邦から圧力を受けた結果、以前から帰属で揉めてた一部領土を共同統治領とすることに応じかけた。それに反発した軍の一部が軍部統治と西側同盟への帰属を求めてクーデターを起こしたのよ。いわゆるポモルスカ内戦ね。


 まあ、連邦にしてみればポモルスカ政府に協力して一気に連邦に引きずり込むチャンスだし、軍国にしても軍部統治の先輩としてそれを支援するって口実もあるし。なにより敵より出遅れるわけにはいかないのはお互い様。

 同盟国家群と連邦のあいだにある緩衝国、それも資源輸出国のポモルスカが敵方に傾いたら、自分たちへの橋頭堡にされる。西側同盟にしろ連邦にしろその恐怖からは逃れられなかったのよ」


 それ以上はグレーテルも言わない。彼女はここでの振る舞い方を心得ている。だが彼女が言わんとしていることはエーリカにも分かった。


 軍国がポモルスカの人道支援に出たなどというのはただのプロパガンダ。大義名分であって、実質は連邦と変わりない――憲兵警察に密告されれば危ういそんなことを、用心深いグレーテルが明言するはずもないのだ。


 視線が合う。どうやら彼女もエーリカが理解できたと悟ったらしい。次いでソファの方にいる部下たちに目を移すが、すぐにうんざりした顔で紫煙を吐いていた。揃いも揃って何を考えているか分からない連中だから仕方ないといえばそうなのだが。

 早々に諦めたのか、グレーテルはまた真正面に首を戻す。続く言葉は総括に移っていた。


軍事力均衡パワーバランスが破られるなら、自分たちがポモルスカを取り込むしかない。その考えがいち内戦に大規模な軍事介入を呼んで、軍国の行動に西側同盟も乗って、結果的に大陸の主要国家がほぼ参戦するような大戦になったの」


 皮肉よね、と煙に紛れこませるようにつぶやく。脅威を防ぐための予防戦争がいつのまにか恐れていた大戦争そのものになっていった。確かに皮肉な帰結だろう。

 そしてここまで聞けば、エーリカも自身の回答がどういうものであったのかを客観視できていた。


「……要はエーリカの回答はおおむね間違ってないが、足りないということか。火薬は既に詰まりきっていた。ポモルスカ内戦はそこに火花を飛ばしただけであると」

「そゆことよ。だから減点としては10点だけど、加点するならせいぜい30点分くらいにしかならないわ」


 そう話がひと段落したところで、ベアテがゆるい足取りで部屋を抜け出していくのが見えた。

 飽きたのだろうか。イルムガルトも溌剌と続こうとするのだが、全ての元凶に許される真似ではない。「おらあんたは逃げるな! 話を聞く!!」とすぐさまグレーテルに首根っこをつかまれ、ソファまで引きずり戻されていた。その後ろで立ったままのタマラは相変わらずびくびく怯えている。


 たった3人、されど3人。まとまりがなければまともでもない女たちを率いるグレーテルは、業腹ではあるが素直に頼もしい。そんな気持ちを誤魔化すよう、ソファに腰を降ろしてグレーテルを見上げた。まだ話は半分しか終わっていない。


「では推移のほうはどうなのだ? 今の配分を聞くに推移の方の回答は減点15点、加点がたったの20点になるが」

「そりゃそうよ。だってあんた結末しか言ってないじゃない」


 じとりとイルムガルトを見張っていた目が、一瞬にして傲岸不遜なものへと切り替わった。


「別に全戦線に言及しろとまでは言わないけど、なんで長期総力戦になったかは説明しないと話にならないわ。塹壕戦が主流になって戦線の停滞が起きやすかったのがひとつ、あとはそう――タマラ、分かるわよね?」


 言って、新しく取り出したタバコをソファの後ろに佇む部下、タマラに向ける。

 突然話を振られて驚いたのか、彼女はびくりと肩を跳ねあげていた。挙動不審気味の瞬きをしながら視線を逸らしていたが、ソファの背に隠れたりしないだけでも上等だろう。反射のごとくいつもの言葉を紡ぐ。


「え……あ、ごごごごめんなさい、ごめんなさい!」

「それは「分かりません」のごめんなさい? それともただの相槌かしら」

「い、いえ、ごめんなさい。あの、わたしお返事、おくれて……それに、えと、違ってたらごめんなさい、って……」

「じゃあとりあえず答えられるんじゃない。言ってみなさいよ」


 たどたどしく応じるタマラに対し、一方のグレーテルは少々面倒そうにするだけだ。実際、彼女相手だとタマラの受け答えも一応は会話の体をなしていた。エーリカなど話しかけただけで逃げられたことすらある。

 だからこうして俯きがちに立ち尽くす様でもそれなりに貴重といえるだろう。消え入りそうな声が答える。


「じゅ、十月会戦のこと、かなって……たぶん……」

「正解。教科書の内容ならっていうのは嘘じゃなさそうね」


 勇気を振り絞ったであろう回答にも、グレーテルはいつも通りの上から目線で頷く。褒めるくらいすればいいのにとは思うが、タマラの肩は安堵したようにすこし強張りを解いていた。

 それを知っているのかいないのか、グレーテルはまた椅子に戻ってタバコに火をつける。


「『十月会戦』以降の報復世論と新兵器投入の応酬。これが長期総力戦の第二の原因ね。で、長期総力戦に疲弊した同盟国と連邦が勝手に休戦講話して、軍国は後ろ盾のない状況でえげつない条件飲んで休戦するしかなくなったと」


 官給タバコの臭いは何度嗅いでも慣れない。それを心地好さそうに吸いこむ様子などほとんど理解不能だった。

 だがこちらを向いてにやにや笑う嫌味ったらしさときたらそれ以上だろう。何回見ても気に食わない。とはいえグレーテルといえばこの表情なのも確かで、あえて言うなら馴染んでいた。くゆる煙の向こうで唇がさらに吊りあがる。


「以上、私が過不足なく掻い摘んだ大陸大戦の概要。どうエーリカ、何点かしらね?」

「……まあ、特に減点する要素はないと思うぞ」


 エーリカにもプライドがある。つい迂遠な言い回しをしてしまったが、事実上の敗北宣言だった。


 開戦に至る過程も含めた当時の政情、なぜ長期総力戦という泥沼が顕現したかという理由。教育課程で学ぶ基本はもちろん、グレーテル自身の仕入れた知識が肉付けされている。ただ学んだことをまとめただけのエーリカとは明らかに違っていた。


 そこに素直な悔しさも、賞賛の思いもある。しかし一番大きいのは自身に対する忸怩たる気持ちだ。やはりエーリカは未熟なのだ、もっと精進しなければ――そう決意を固めているのをよそに、グレーテルは元凶に話を向けていた。


「で、イルムガルトあんた分かったの? 一応あんたのためにやってたのよ今の話」

「なんとなーく!」

「なんとなくじゃ困るのよ、一般教養なんだから。今のあんた軍人としてマズいの自覚してるの?」

「あっ! でもでも、グレーテル伍長は簡単そーな話を難しー感じにするのが好きなのはわかりましたー!」

「喧嘩売ってんのね!? 上等よ表出ろ!」


 タバコを押し潰して立ち上がり、親指で点呼広場の方を差すグレーテル。見習うべきところがあるのは確かかもしれないが、こういう短気なところはほとほと呆れる。気持ちは分からないでもないが。


 ぎゃんぎゃん喚くグレーテルと、きゃらきゃらはしゃぐイルムガルトと、ひいひい怯えるタマラ。騒がしい三重奏にゆるゆるとした笑みが戻ってきたのは突然だった。


「まあまあイルちゃん、グレーテル伍長だって頑張ってるんですからあ。こんなの読んだりとかあ」


 間延びした口調で後ろからグレーテルにのしかかってきたのはベアテだ。手には分厚い本が何冊かある。逃げ出したものと思っていたが、それを取りに行っていただけらしい。

 そしてその表紙を見たとたん、グレーテルの表情が驚愕と焦りに染められた。


「ちょ、返せバカ! ていうかそれロッカーに入れてたわよね!?」

「そうですねえ。なので鍵破りましたあ」

「どこまで手癖が悪いのよあんたはふざっけんな!!」


 本を取り返そうとするグレーテルと、その手が届く前にこちらへ本を投げ出すベアテ。ばらばらと降ってきた本は三冊あった。床に落ちる前に慌ててキャッチし、イルムガルトが拾った分も合わせてソファに並べる。


「ちょ、待っ、見るなあー!!」


 そんなグレーテルの叫びが聞こえたときには、エーリカも三冊の表題を認識していた。


『大陸大戦前史』

『大陸大戦とはなんだったのか』

『これ一冊で出世街道! 部隊で頼られる軍人の知識②大陸大戦』


「……」


 思考が急速に冷えていくのを感じる。裏表紙をめくると、駐屯地小図書館の検印があった。グレーテルの貸出日付は約1週間前。ちょうど大戦記念館での警護の可能性があるとヴィルヘルミナから知らされた時期だ。


 感情が再沸騰する。むくむくと湧き上がるのは怒りか軽蔑かそれとも安堵か。そこに結論を見つける前に、エーリカはグレーテルを睨みつけていた。


「おまえ……これは反則であろうが!」

「は、はあー!? 準備量の差じゃない!」

「仮にそうであろうが、最初から知っていたと言わんばかりの顔で上から目線なのは腹が立つのだ! おまえもエーリカといい勝負ではないかなーにが『これ一冊で出世街道』だ!」

「わざわざ口に出すんじゃないわよ!」


 いつもの展開。いつもの応酬。対等のように触れ合える、同じ階級の嫌味な女とのやり取り。

 この日もやはりグレーテルは気に食わないし、エーリカは未熟なのだった。

 


*****



 そしてなぜこんなことを思い返したのかといえば、例の大戦記念館で今まさに任務を遂行しているところだからだ。


(……まあ、あれもムダではなかったのだな)


 内心で息をつく。グレーテルに感謝するのは癪だが、大戦について新たな知見を得られたのは確かだ。彼女に負けまいとエーリカも本を読んだのもある。おかげでケストナー夫妻に説明する館長の解説もおおよそ理解できたし、余計な疑問で気が散ることもない。


 しかし、別のところに注意が向くのはどうしようもなかった。


(グルーべ卿の態度が、妙に固いような……あの御仁はもっと鷹揚な方だったように思うのであるが)


 館長……グルーべ元中将とは家のつながりで何度か会ったことがある。その時の印象ではのんびりとした切れ者といった感じだったし、和やかな振る舞いを崩したところなど見たことがない。

 だが館内の解説をし、アルバートから質疑を受ける彼は、穏やかさを保ちながらも絶えず隙を見せないよう用心しているように見えた。


 ケストナー夫妻を狙う不届き者を警戒しているのだろうか。参謀とはいえ元軍人という経歴もあるし、そこは堂々と構えているかと思ったのだが――そう自問自答しつつも役割は怠らない。ヴィルヘルミナたちとともにケストナー夫妻の傍らで注意を張り巡らせる。


 そして真っ白な展示室をいくつか通り、次の部屋に入るほんの数歩手前。グルーべは足を止め、ゆったりと夫妻のほうを振り向いた。


「さて、お次は大戦における最大の悲劇――『十月会戦』についての展示となりますな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る