3-3朽ちぬ熱情の小隊長
小隊長室に立ち寄るという行為は、ここしばらくのヴィルヘルミナにとって日常の一部と化していた。
当の小隊長があの気性だから、もとより敷居の高い場所でもない。そもそも警備開始前と終了後には必ず訪れることになっている。しかしここまで長期間、ほとんど毎日のように通いつめることなど初めてに近かった。それだけでも今回の任務がかつてない大ごとと実感するには十分だ。
そのうえ朝一番にこんな告知をされれば、さすがに慣れは吹き飛んだ。
「まず結論から言うぞ。来週の木曜、貴様たちの分隊には合同で警護にあたってもらう」
小隊長――ツェツィーリアが肩をすくめて告げた。隻眼は参ったとでもいうように苦笑しており、彼女としても意外な事態らしい。ヴィルヘルミナの隣、同じく呼び出されたユリアがのほほんと問う。
「ええっと……つまり、特別な警戒が必要なわけですね〜?」
「その通り。来週木曜の予定、シュテルンブルク覚えてるか?」
「大戦記念館の視察ですね。夫人が出席するかどうかは怪しいというお話でしたが」
そして、この場合の「怪しい」は十中八九出ないだろうという意味だ。近ごろは騒動らしい騒動もなかったが、未だ予断を許さない状況であることに変わりはない。
にもかかわらず、なぜ。それを考えると、ヴィルヘルミナにはひとつしか思い浮かばなかった。
「まあ、結局出ることになったんだと。夫人ご自身の強い希望とのことだ。有名人は大変だな、こんな事態になっても引きこもってはいられないらしい」
そんな言葉で片付けて、ツェツィーリアは机に頬杖をつく。近ごろは日も長くなりつつある。ずいぶん早くなった朝焼けの窓を背にした姿は、どこか気怠げだった。
警備を担う側としては頭が痛い話だろう。保護対象の不要不急の外出は控えてもらうのが警備時の鉄則だ。とはいえツェツィーリアの言う通り、四六時中屋敷に閉じこもってもらうわけにもいくまい。ただの高官夫人やその子女ならともかく、シャルロッテ自身の影響力も小さくないのだから。
「我々にとっては実に苦労のかかる話だ――と、言えれば簡単なんだがな。我らしがない弱小小隊、命令には従うさ。何より益がないでもないからな。ご夫妻の希望に乗らせていただこう」
また苦笑いを深めるものの、彼女が「乗り気」であることは明らかだった。本当に止めるべきだと判断したなら彼女はなんとしてでも止めている。
しかしあえて危険を許すことと、職務を全うすることは必ずしも反しない。だからこの異例の措置となったのだ。
「だが場所が場所だから、警戒は十重二十重に必要だ。よって貴様たちに合同で警備してもらう。第四分隊には貴重な休養日を潰してもらう形になるが、調整してその次は二連休にするから許せ。以上、質問は?」
「よろしいでしょうか」
「許す。貴様のとこは特に負担が強い。聞けることは聞いておけ」
鷹揚に促されたが特に物申したいわけではない。むしろシャルロッテがそんな場に出るのなら、警護に第四分隊が指名されたことは幸運といえた。待機を命じられても休める気がしない。
だからこれはただの疑問だ。隣の長身をちらりと見上げて問う。
「なぜ私とユリアの隊なのでしょう」
「あらあヴィルヘルミナちゃん、いや?」
「いやまあ、嫌ではないんだが……単に不思議なだけだ」
実際、ユリアや彼女の隊の実力に疑いはない。ユリアはこれでも――あるいはこれだからか――第三分隊をうまくまとめている。同じ軍曹として見習う点も多かった。
とはいえまだ20代、未熟なところがないわけもない。そしてそれはヴィルヘルミナとて同様なのだ。
「小隊長も仰ったとおり、場が場です。いくら分隊長とはいえ我々のような若造に任せていただいてもよろしいのですか? 第一分隊や第二分隊の方が」
「まずひとつ。第三分隊はああいう場に強い」
つ、と人差し指がヴィルヘルミナの言葉を遮る。間をおかず中指が伸ばされ、ふたつの指先がこちらを射抜いた。
「次に貴様たちの相性がいい。分隊長間の仲についてもそうだが、スタイルがな。守りの第三分隊に突貫型の第四分隊。相乗効果を見積もると、第一第二分隊を出すのとそう変わらんだろう。そして最後、みっつめの理由だが」
薬指がこちらを向く。だがそれより意識を奪われたのは、指の向こうから届くツェツィーリアの眼差しだった。
有無を言わせぬ静かな圧、寂寥にも似たわずかな懇願――それ以上は分からない。見慣れたはずの隻眼に、ただ底なしの情念の影がある。
一方で表情は笑みのかたちをしただけの空白だ。瞳だけが光に濡れ、ほのかに赤い生気をたたえている。目眩がするほど鮮烈な対比。彼女のこうした「ずれ」が意味するものを、ヴィルヘルミナは知っていた。
(小隊長は、本気だ)
なにひとつ譲る気はない。どうあってもこの二人で行かせる、それが彼女の決定事項だ。
乖離のすべては問答無用で胸を蝕みざわつかせる。衝動のにじむ視線、つくりものの顔つき。そしてそのふたつから続く言葉はといえば、あまりに常通りの調子だった。
「その場で有事が起きた場合、貴様たちの方が冷静にやれそうだからな。これが決め手だ」
無限に近い心地も、時に従えば一瞬だ。瞬きをひとつ挟んだ後にはいつもの気安い上官に戻って、ツェツィーリアは今度こそ本物の笑みを浮かべる。そのまま手を引き机をトントンと叩いた。
「異議がないならこれで決定とする。第四分隊は最低でも六連勤になるから、体調管理はしっかりさせておけ。以上、
『栄光は闘争にあり!』
敬礼を返すとツェツィーリアは「よし」と大らかに頷く。その姿はやはり常通り、豪放磊落かつ捉えどころのない小隊長のものだ。片方だけの瞳も余裕のある表情も親しみのある言葉も、一糸乱れず一致して。
先ほどのぞいた隔たりは、名残も見出すことはできなかった。
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