3-4囁くふたりの反逆計画

 その夜の警備はヴィルヘルミナの第四分隊だった。


 ベッドサイドのランプだけを残して明かりの落ちたこの部屋には、ヴィルヘルミナと数人の部下しかいない。衛兵隊の妨害もなくなりシャルロッテの警備に専念できるようになったとはいえ、さすがに分隊全員が彼女のそばに控えるわけではなかった。扉の前の門番役もいるし、今も数人が廊下の見回りに出ている。屋根には狙撃班が待機していた。そのためか警護される側の印象としては最初とあまり変わりないようにも思える。


 それよりむしろ、今夜のヴィルヘルミナの様子の方が気になった。


 よそよそしいというか、いつもよりどこか一歩引いているというか。気がつけば問うような眼差しでこちらを見ているのに、シャルロッテが視線を返せば途端に逸らしてしまうのだ。

 さすがに気になる。ベッドに潜りこんだ今でも悶々としてしまうくらいには。

 そして一人で悩んでも仕方のない疑問で心を持て余すのは、シャルロッテの性に合わない。窓のそばで待機するポニーテールの女に声をかける。


「あなた……マルガさんだったかしら。ひとつお願いを聞いてもらってもいい?」

「は? はあ。なんでしょーか夫人」


 マルガは虚をつかれたのか、胡乱な反応でこちらを振り向く。

 ランプから離れた位置にいるせいでその表情はよく見えない。彼女と目を合わせるため、シャルロッテも上体を起こす。


「10分……いいえ、5分でいいの。ミーナと二人で話をさせて。隣の部屋にいてくれるだけでいいから」


 言って扉のない戸口を指す。あからさますぎる人払いだったが、話をするならアルバートがいない今しかない。ここは夫婦の寝室だ。いくら帰りが遅いとはいえ、深夜ともなればいつ戻るか分からない。

 マルガは答えに窮したように、あるいは煩わしげに苦笑して頬を掻く。救いを求める視線はヴィルヘルミナの方を向いていた。


「えーっと。あたしはよくても、ぶんたいちょがですねー」

「5分程度なら構わないだろう。隣にいるなら、万一の時にも異変に気付ける」


 ヴィルヘルミナはこちらに同意した。普段の彼女を思えば意外な判断だったが、それだけにやはり何かあるのだろうという確信が増していく。


「何ならエーリカと少し話してきてくれ。特に報告もなかったが、なにか気づいたことがあるかもしれないしな」

「ああ、はあ。ぶんたいちょがそう言うなら。それじゃ休憩ついでに失礼しますねっと」


 マルガはいまいち釈然としないようだったが、背伸びをしながら素直に隣室へ消えていく。「やっほーエーリカ伍長遊びにきましたよー、シリウスも元気かー」「はあ? 何をしているのだおまえは」と、そんなやり取りが少し遠くに聞こえた。

 さて、これで舞台は整った。ヴィルヘルミナも何の話かは分かっているはずだ、単刀直入に問う。


「ねえミーナ、怒ってるの?」

「怒ってはいないさ」

「嘘、怒ってるでしょう」

「怒ってない」


 断言しつつも顔を合わせないあたり正直だ。短い茶髪や真っ黒い軍帽はぬくい色の光を受け、顔側の影が色濃く見える。ランプが沈黙を焦がしてしばし、ため息をついたのはヴィルヘルミナだった。


「……怒っているというより、懸念している。ロッテ。視察を希望したのは君だと聞いた」

「あら、そんなことまで伝わったのね。それがどうしたの?」

「とぼけないでくれ」


 そこでやっと瞳がこちらを向く。想像以上に険がきつく、鳶色の眼差しは詰問するようにシャルロッテを突き刺している。これまでで一番厳しい態度だった。

 さすがに居心地が悪くなって、布団をかぶってベッドに寝転がる。ほとんど無意識にふて腐れた声が出た。子供みたいだ。


「……困らせても許してくれるって言ったくせに」

「それが君自身の信念によるものなら、いくらだって頷くさ。だがこれは違うだろう」


 布団越しに届いた声はやはり硬く、しかし真摯だ。

 顔を半分出してみると、ヴィルヘルミナは思いのほか近くからこちらを見咎めていた。わざわざ膝をついたらしい。それに気づくと妙にばつが悪くなる。


(……勝手、しすぎたかしら)


 視線が痛い。昼にヴィルヘルミナを見つめていたとき、彼女もこんな気持ちだったのだろうか。そう思うとなおさらだ。


 さすがに軍人らしく、ヴィルヘルミナはこの機を逃さない。ほとんど確信した調子で言い切った。


「大戦記念館の視察に、我々特別措置小隊を連れていく。そして報道陣の前で小隊の存在を印象づける。わざわざ無茶をするのはそのためのはずだ」


 言い当てられた。観念して布団から頭を出す。


 気づかないとは思っていなかったが、ここまで怒るとも思わなかった。となれば開き直るしかない。

 実際、恥じることなど何もないのだ。精悍な瞳を真っ直ぐ見つめ、真っ向から言い返す。


「違わないわよ。貴女たちの現状は私にとっても不満だもの。それを変える手助けができたらって思わないわけないでしょう」

「君の気持ちは嬉しいよ。だができれば気持ちだけ受け取っておきたい。私たちのために君がリスクを負う必要はないのだから」


 シャルロッテの言い分を予期していたのか、理路整然と反論された。こういうところは彼女らしいが少々面白くない。

 戦友ならリスクも分け合うものだって言ってくれたくせに――と頬を膨らませかけて、苦笑する。そのリスクを引き出している側が言っていい理屈でもない。説得するなら別の方向からだ。


「ミーナのためだけじゃないわ。これは私のためでもあるの」


 耳元に口を寄せる。囁きかけたのは、今回のシャルロッテの「計画」だった。


 隠していたわけではない。むしろヴィルヘルミナの意見も聞きたかったから、この機会はちょうどよかった。

 一通り話し終えるとヴィルヘルミナが小さく身を引く。その表情は、予想していた通りの渋面だった。


「――正直に言って、博打だな。考えて直してほしいのが本音だ」

「そうね、分かってる。でもこのままじゃズルズル長引くだけでしょう。またあの子……フリッツのようなポモルスカ人をけしかけてくるかもしれないし」


 示し合わせたわけでもないのに小声になって、互いにひそひそ言葉を交わす。これでは内緒話だ。ランプが灯す範囲にしか届かない、二人きりの反逆計画。


 フリッツたちの暴動未遂が何者かに仕組まれていたらしいことは、シャルロッテも一応聞き知っていた。ならば黒幕の意図もある程度は知れる。

 彼らを牽制するのにもってこいの舞台が、あそこにはある。シャルロッテなら、それができる。


「ああいう事態が増える前にできるだけ多くの手を打って、できるだけ早く幕を引いておきたいの。許してくれる?」

「許すも、何も」


 吐息のようにつぶやいて、シャルロッテの頭に手を伸ばす。触れるか触れないかの微妙な距離がくすぐったい。羽か綿毛でも相手にしたような手つきだった。しかし続く言葉は凛と力強く、彼女の意思を語る。


「それが君の正しさならば。私はその勇気のために全力で手を貸すだけだよ、ロッテ」


 手を貸すまでもないかもしれないが、などと冗談のようなことまで言う。それについ笑みがこぼれてしまった。

 彼女の手を引き寄せて頬に寄せる。逞しく骨ばった指の、手袋越しの体温が心地よく、ゆっくりと微睡まどろみへ誘いこまれてゆく。

 このまま眠れたらさぞ幸せだろう。だが、その前に伝えることがある。


「わがままを言ってごめんなさい……なんて、今更ね。ありがとう、ミーナ」

「どういたしまして。おやすみロッテ、いい夢を」


 優しさの滲む、すこし掠れた少年っぽい声。それを聞き届けてシャルロッテは目を閉じた。


 脈動を感じる。自身のものかヴィルヘルミナのものか、溶けていく意識には分からない。でも構わないのだ。ふたつのそれはよく似ていて、きっと区別などつけられないから。シーツと彼女のあたたかさに抱かれ、シャルロッテは安らぎへと落ちていく。


 今夜は、よく眠れるだろう。


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