2-18一等兵マルガの大立ち回り②

「ここは包囲したわ。指先一本でも動かしてみなさい、最大火力で制圧する!」


 銃口は四つ――グレーテルと、彼女の率いる部下たちのもの。どうやら無事合流できたらしい。

 マルガの役目はあくまで陽動だ。連中を一ヶ所に引きつけ、グレーテルたちに意識を向ける余裕を削りきるだけ。それさえ達成すれば、発煙手榴弾で視界を無力化したグレーテルたちが暴徒を包囲してくれる。


 胸のすく逆転劇だった。これだから大暴れはやめられない。


「今更そんな脅しが――!」


 火炎瓶置き場の近くにいた男が喚く。火をつけた一本を高く振り上げ、しかしその注ぎ口は、ゆっくり燃えはじめた布ごと弾け飛んだ。


 鳴り響いた銃声は屋敷の方からだ。屋根の上に待機していた二人組。ナターリエがいつもの大人しさからは想像もつかない狩人の眼をして、スコープ越しに彼らを射抜く。


「動かないでください、本当に。次はちゃんと瓶に当てられるか分かりません」

「気をつけなさい、私の腕はこの子ほど達者じゃないわ。先に言うけど、下手なとこ撃って死んでも恨みっこなしでよろしくね」


 子どものような体躯をしたアネットも続く。彼女のことだからおそらく本気で言っているのだろう。

 そう、これは包囲なのだ。前面だけを囲うなどという片手落ち、ヴィルヘルミナがするはずもない。


「調子に乗りやすい人種はこれだから嫌いなの。私たちが撃たなかったのは、撃っても解決する状況じゃなかったからよ。やっと制圧できるとこまで持っていけたんだから、撃たない理由は私たちの情けでしかないわ」


 呆れの息をついたグレーテルが見下しの視線で告げる。勝ち誇ったような優越感は隠せていないが、ここまで粘ったことを思えばこれくらいは許されるだろう。


「もう一回だけ言ってやるわね、動くな。三度目はなしよ」


 その最後通牒を下した直後、ずっと息を潜めていた屋敷からの気配がにわかに露わになる。次々と窓が開かれ、小銃の銃口が塀の向こうの暴徒らへまっすぐ突きつけられた。


 衛兵隊の面々がようやく重い腰を上げたらしい。まるで最初からこういう手筈になっていた、と言わんばかりのふてぶてしさには、さすがにマルガも舌を巻いた。


(なーるほど、よしんばこっちが成功しても便乗しちまえばいいと。抜け目ねえの)


 グレーテルも彼らの面の皮の厚さにはむっと眉を歪めていたが、この際割り切るしかない。大きく息を吸うと声高らかに宣言した。


「大人しく投降しなさい。保護対象に危害を及ぼしそうとした廉で、あんたらを拘束するわ」


 ほら手は頭の後ろ! と片端から呼びかけて、手を上げた状態で地面に座らせるグレーテル。ベアテもそれに続き、ゆるい笑みを浮かべながらも有無を言わせず投降させる。

 完璧な勝利宣告だ。衛兵隊も相乗りしてきた今、この群衆たちに勝ちの目などひとつもない。それは誰よりも彼ら自身が理解しているだろう。


 だが、この段階に至って――いや、きっと初めからそうだったのだろうが――自棄になった人間にとっては、負けなど激情を燃えあがらせる油にすぎない。


「ふ……っざけるな! 誰が大人しく捕まってなんかやるか!」


 グレーテルの手を振りほどいてがなりたてたのは大柄な男だ。暴徒の中でもひときわ威勢が良く、仲間を鼓舞する側に回っていた人間。グレーテルから離れるどころか間近まで詰め寄り、まるで彼女が軍国そのものだとでもいうかのような気迫で喚きたてる。


「お前ら軍国の人間はどいつもこいつも、そうやって自分が正義だって顔をする! 俺たちポモルスカ人が社会の寄生虫だ? 昔は軍国の財産を食いつくすよそ者で、今は貧困と犯罪の温床だと! ポモルスカを荒らしたままのうのうと暮らしてる連中が、何を偉そうなことを言ってやがる!」


 それは軍国のポモルスカ難民に多かれ少なかれ存在する本心だ。祖国を焼き滅ぼした戦争は、もとはといえばこの軍国と敵国の連邦が介入したことで悪化した――その事実は、休戦から20年近く経った今でも彼らの心に刻まれている。


 あまりの勢いに気圧されたのか、グレーテルも半歩下がって銃口を突きつける。軍人としては正解の理性的な立ち回りだが、これでは足りない。


「あんた、話聞いてなかったの? 黙って座ってないと……」

Zamknij się黙れ!」


 鋭く叩きつけられたのはポモルスカ語だ。普段は発することすら禁じられた母国の言葉を口にして、男の声には破れかぶれの清々しささえ浮かんでいた。


「撃ちたいなら撃てばいいさ。もうこんな世の中に思い残すことなんかひとつもないんだよ。

 親父は大戦に巻き込まれて死んだ。お袋は軍国おまえらの労働奉仕に回されて、戦争が終わる頃には体を壊してた。俺と妹はこっちで必死に働いて、やっとまともに暮らしていけるかと思えば『雇用革命』で突き落とされて、お先真っ暗になった妹は首を括った。

 こんな国で生きても働いてもろくなことなんてない。ここにいる連中全員、そう違わない人生送ってるんだよ!!」


 周囲で座らされている仲間を見回して言う。お手本のような報われなさだし、これがポモルスカ人の一般的な境遇だというのなら結構な悲惨さだ。マルガには関係のないことだが。

 男の背が両腕を広げる。空の青を仰ぎ、朗々と謳うように告げる。


「クズみたいな人生だ。どうせなら仲間のため、お前ら軍国へ楯ついてから散ってやる。

 さあ、撃てよ正義ヅラした軍人野郎! 殺されようが何だろうが、絶対にお前らには屈しない!」


 そこまで宣言して沈黙する。じっとそのままの姿勢を維持しているあたり、どうあっても受け入れる覚悟ではいるようだった。


 一方のグレーテルは完全に計算外だったのだろう。「いい度胸じゃない」などと言いながらも、戸惑いの色がもれている。彼女はこうした局面にはめっぽう弱い。撃つか撃つまいか、その選択肢の間で追い込まれているはずだ。


(うーん。これ、結構まずいやつじゃん)


 男が分かってやっているのかただの自暴自棄なのかは分からないが、こちら側にとっては望ましくない状況だ。こうした「英雄的行為」は無視できない。


 言われるがままに撃ち殺せば仲間は彼の死を名誉のそれとみなし、暴動が息を吹きかえす可能性が高い。そうなれば確実に死傷者が多数出る。そしてそこまでことが大きくなってしまえば、この件を象徴イコンとして次なる仇討集団が現れないとも限らないのだ。

 しかし撃たずにいれば「積極的に発砲する気はない」と見抜かれる。そうなるとやはり導き出されるのは暴動の再開――つまりは、どっちを選んだところでロクなことにはならない。


(となると、活路になるのはこの手だけ、と)


 締め上げていた男を放り投げ、燃料で濡れた上着も脱ぎ捨てる。そしてマルガはまた懐の拳銃に触れた。全員が男とグレーテルに注目している今、誰も彼女の挙動を気に留めることはなかった。


 撃つしかない。ただし死なない程度、手心を加えた部位に。


 彼が「英雄」になるから問題なのだ。その勇気を無視し、ただ行動不能にするだけにとどめ、徹底的にその尊厳を蹂躙する。圧倒的優位を見せつければ、もはや誰しも抵抗は無駄だと悟るだろう。

 狙いは手足。動脈に当たってしまえば命にかかわるだろうが、止血してひとまず鎮圧完了まで死なないでいてくれればいい。とりあえずこの場を収めることが先決だ。放っておけばパニック状態のグレーテルや他人事の衛兵隊が手を出しかねなかった。


 門はさっき踏み台に使った衛兵隊たちに任せ、男のほうへ歩を進める。投降したポモルスカ人たちの間をすりぬけて、地面に生えたかのように仁王立ちする男の下肢が目に映り、そして懐から銃を抜き出そうとして――


「みんなー! 聞いてくれー!!」


 その場にいる全員の耳朶を叩いたのは、心の底から祈るように呼びかける、幼い少年の声だった。

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