2-3伍長グレーテルの苛立ち①

 第四分隊副分隊長たるグレーテル・アードラーの持ち場は、ケストナー邸の外周だった。


 首都中心部にもほど近い高級住宅街の一角、ケストナー邸は穏やかに佇んでいる。白い外壁に煉瓦色の屋根と伝統的なつくりをしているが、3階建てに屋根裏を加えた一軒家は夫婦が住まうにしては少々大きい。

 おそらく帝国時代の貴族の家を改装して使っているのだろう。いかにも品良く金がかけられていた。


 そんな出自なものだから、当然庭もあれば垣根もあって、高い高い柵もある。そしてグレーテルは敷地を囲む柵の角にて、ことごとく良い身なりをした通行人を眺めながら息をついた。


「たっくもう、いい気なものよね」


 そんな吐き捨てに、同じ角でグレーテルと垂直方向に立っている一等兵――臆病者のタマラが、びくりと気配を強張らせたのを感じた。


「あ、ご、ごめんなさい……副分隊長、わた、わたしまたなにか、すみません怒らないでください……!」

「あーもう違うわよ。いちいち被害妄想すんじゃないわよ面倒くさいわね」


 再びのため息。先のものよりもっと長い。


 こうした愚痴に向いている人種ではないと分かっているが、今は相手がこれしかいない。そのまま言いたいことをぶちまける。


「衛兵隊の奴らよ。結局昨日だってケストナー夫人見つけてきたのは特別措置小隊うちなのに、ここ取り仕切るのは当然って顔してるのよ? 恥ってもんを知らないんでしょうね」


 衛兵隊――普段は兵士としての訓練を積んでいる自分たちとは違い、建物や要人の警護そのものを中心としている部隊――は専門職としての自負があるのかなんなのか、往々にしてグレーテルたち特別措置小隊を軽視する向きがあった。


 今回も脅迫を受けたケストナー夫人の警護を任命されたのは小隊で、衛兵隊は屋敷とケストナー大佐の護衛を頼まれているにすぎない。

 だというのに当然のように指揮権を振るい、小隊の配置にまで口を出す。本来は夫人の近辺で任務に就いているはずの小隊員が、分隊長を中心とした数人を除いて外に追いやられているのも、つまりはそういうことだった。


「まあ、理解はできるのよ。著名人に危害が及ぶかもしれない任務を、10年も歴史のない女の部隊に一任できるかって考えは。

 でも、だからって現場判断で蔑ろにされていいわけないじゃない。こういう扱いは慣れてきたつもりだけど、ここまで露骨だとね」


 いつか思い知らせてやる――カフェに入ってきた野良犬に対する目で自分たちを見る衛兵隊の面々を、またいくつかブラックリストに入れる。

 通りへの監視は怠らずに怨念を溜めていると、タマラが慌てたように小さな声をあげた。


「あ、えと、副分隊長、その……」

「ああ、別に無理に話合わせなくていいわよ。あんたと会話したいわけじゃないし。黙って聞いてりゃいいのよ聞いてりゃ」

「す、すみません、ごめんなさい。でもその、そうじゃ、なくて」


 あれ……とおどおど肩を叩かれる。グレーテルは南の大通りを、タマラは西の路地を、同じ角からそれぞれ見張っている。

 どうやら路地の方になにか異変があったらしい。「どいて」とタマラと立ち位置を入れ替えて西側を覗く。


 住宅街にしては広い路地の真ん中、少年がじいっとケストナー邸を見上げて立っていた。


「あの男の子ね? 10歳ちょっとくらいの」

「は、はい」


 タマラが声で頷く。

 住宅街だ、子供がいてもおかしくないのだが、やけに心に引っかかった。


「行ってくる。あんたなら二方向くらいひとりで見張れるでしょ。集中切らすんじゃないわよ」

「りょ、了解です。お気をつけて……」


 囁くような言葉を背に、グレーテルは少年らしき人影へと近づいていく。言いようのない違和感の正体は、数メートル進んだだけで分かった。


 身なりが違う。大通りを見張っていた時に見かけた子供らはみな仕立てのいい服装をしていたが、彼は何年も着古したような型の崩れた衣服をまとっていた。

 キャスケットを斜めに被るのは労働者の若者の間での流行だ。どこから見てもこの高級住宅街にはそぐわない。


 それに、あのくらいの子供なら今は学校にいるはず――警戒心を強めて足早になるグレーテルと、それに気づかず柵越しのケストナー邸を見上げたままの少年。

 肩にかけた袋から重たげになにか取り出し、ゆっくりと振りかぶって……


「はいストップ」


 グレーテルがその手首を掴んだのは、少年がケストナー邸の敷地に酒瓶を投げこもうとする一瞬前だった。


「な……ッ!? なんだよてめえ!」

「こっちのセリフ。あんたいったい何しようとしてたのよ」


 ちょっとそれ見せてみなさい、と言うと必死に隠そうとするのだが、グレーテルが許すはずもない。あっさり酒瓶を取りあげる。


 口に詰めてある布を見るまでもなかった。漏れてくる異臭は可燃物のそれだ。


「こんなガキンチョが火炎瓶なんて、世も末よねー……」

「うるせえ返せよ!!」


 返さない。そのまま石畳に叩きつける。

 砕けた瓶からは濃い酒か燃料らしきものが漏れ出て、ちょっとした水たまりが生まれた。少年が息を呑む。


「なにすんだよバカ!!」

「はいはい、ところで知ってる? 火炎瓶って火つけなきゃ意味ないのよ」

「知ってらあ! でも火つけてから投げるのは危ないから後でって……」


 そこまで言ってはっと言葉が止まる。

 つまり、悪ふざけでもなんでもなく実際にケストナー邸へ火を放とうとしていたわけだ。


「はい、じゃあ名前と住所教えなさい。言っとくけど私が顔見てるんだから嘘言ってもバレるわよ。あ、こわ〜い憲兵警察じゃなくて優しい普通警察が相手してくれるだろうから、そこは安心しなさい」


 多分ね、と胸のうちでつけ加える。憲兵警察は本来政治犯や重犯罪者のみを扱うとされているものの、最近の権力拡大は目に余った。

 こんな子供相手に罪状をふっかけるとも思えないが、この件が利用されることくらいは考えられる。


 少年はぷいと視線を逸らしたまま答えない。グレーテルは深く息をついて中腰になり、少年と目の高さを合わせた。


「あのね。こんなことしてたら親御さん心配するわよ。ま、こってり叱られるだろうけど、これに懲りたら大人しく……」


 そこまで言って、ようやく少年がこちらを見る。

 やっと観念したか。そう溜飲を下げて、肩に手を置こうと腕を伸ばす。


「ふ、副分隊長、あぶな」


 そして。


「……いっ?」


 噛みつかれた。

 揃えた指を数本まとめて、思いっきり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る