1-11第四分隊長 ヴィルヘルミナ・シュテルンブルク軍曹①
保護対象へ危害を及ぼした
その言葉を発することで、ヴィルヘルミナはほぼ切れかけた平静をかろうじて繋ぎとめていた。
(落ち着かなくては……どれだけ奴らが憎かろうと、穏便に済ませるに越したことはない)
なにせ後続がしばらく期待できない。エーリカともうひとり、それからシリウス号を連れてきたはいいが、焦るあまり部下二名をかなり引き離してしまった。
まずいと合流しようとしたものの、なにやら不審な物音と話し声が聞こえてきたから塀の向こうをのぞいてみれば、木箱に金髪の女性が詰められている有様だ。冷静になれ、などと言い聞かせる間もなく、塀を乗り越え突っこんでいた。
(シリウス号は塀の向こうに待たせてきたし、ふたりもそれを目印にすればこちらの状況を把握できるはずだが……)
問題はそれまでの話だ。
増援が来るまで、この容疑者たちを逃がさず抵抗させずここに留める必要がある。
「逃走にしろ抵抗にしろ、下手なことは考えるな。身のためにならないぞ」
容疑者2名を睨めつけ鋭く言いすてる。今ここにヴィルヘルミナしかいないことを考えれば、シャルロッテの保護に徹し、彼らは捨て置くのが妥当なのだがそうもいかない。
なにせ相手は軍高官に脅迫状を送りつけた輩、国家反逆罪の大罪人である。背景を探るためにも以後の被害を防ぐためにも、ここで捕らえておかなければならなかった。
「言っておくがこの周囲は私の仲間が押さえている。今のうちなら投降も聞き入れよう。だが、投降しないようなら容赦は約束できない」
いかにもそれらしいハッタリがすらすら出てくる。厳めしい戦闘服への畏怖もあるのか、男たちがじりじりと気圧されているのが分かった。
しかし逃げ出す素振りに走らないのは、先のハッタリが利いているのと、ヴィルヘルミナが女であるためだろう。相手は軍人とはいえ女ひとり、一方こちらは男がふたり。いざとなれば殴り倒してシャルロッテを奪還できるかもしれないという油断が、彼らをここに留め置いていた。
以上の諸々から成り立っているのがこの膠着状態で、それをなるべく引き延ばすのが当面のヴィルヘルミナの役目だ。
(すまないロッテ、もうすこしだけ待っていてくれ……)
拘束されたまま放置されているシャルロッテにしてみればたまったものではないだろう。苦い味が舌に走るが、それすらも今は男たちへの怒りにくべることができた。
ひとりはがりがりの長身で、ひとりはそれなりにガタイがいい。一見したところでは素人のようだ。労働者らしく見えるが変装の可能性もあり、素性は杳として知れなかった。
「貴様ら、なぜ彼女を狙った。まさか商売女と間違えたわけでもないだろう」
口を開く。時間稼ぎ半分と気を引くのが半分、わずかでも情報を得ておきたいのが少々だ。
こうしたときは意地でも口をつぐむか徹底的にシラを切るのがこの手の反逆者のお定まりなのだが、怯えと当惑もあらわな言葉がゆるゆる出てくるあたり、やはり経験の浅さが目についた。
「いや……その、俺の金を借りたまま逃げた女に似てたから……まさか軍に守られるような相手だなんて思わなかったんだよ!」
「そ、そうだ! そんなお偉いさんだって知ってたら指一本だって触れなかったさ、信じてくれよ!」
「なるほど?」
言い訳としては苦しすぎるな。ヴィルヘルミナは内心ひとりごちる。
シャルロッテ・ケストナーは夫のアルバートと並んで国民的な有名人だ。一種の
それよりヴィルヘルミナの気にかかったのは、乱れた声から浮きでる独特の発音たちだった。
滑らかすぎる舌の回りと軟らかな拗音。軍国の訛りではない。そしてこのアクセントは……
「貴様ら……ポモルスカの人間か?」
びくりと跳ね上がった肩に推測が正しかったことを知る。ヴィルヘルミナはそれに嘆息で返すしかなかった。
同情はしよう。しかし情状酌量の余地など端からない。にわかに緊迫の色が濃くなった呼吸のなか、ヴィルヘルミナは会話を続かせようと口を開き、だが言葉が発せられることはなかった。
「おい、いつまでかかってるんだ。軍人がこっち来てるぞ。やり過ごしたらすぐ……」
二人の男の背後から、またひとりオーバーオールを着込んだ男が顔を出した。
トラックの運転席にいたのだろう。こちらの事態を把握していなかったらしく、ヴィルヘルミナの姿を認めると目玉を転げ落としそうになるほど見開いた。それは仲間の知らせを聞いた二人も同じだ。
空気が凍る。
ぴんと張られた緊張の糸は引き絞られ、臨界に達し、そして千切れた。
「……っ!!」
膠着状態が瓦解する。無言のうちに恐慌が炸裂し、容疑者3人がそろって踵を返した。
阻止しようと駆けだすが、シャルロッテを置いていけない使命感が迷いを生む。手が届く寸前のところで運転手がトラックに、残り二名が開け放しのコンテナの奥に逃げこんだ。
「っ、待て!!」
トラックの喘鳴が強くなる。タイヤが道路と摩擦し前進しはじめる。
銃を取り出してタイヤを撃つにも間に合わない。しかしこのままコンテナに乗りこんでいればシャルロッテの元を離れてしまう。ぐ、と悔しさを噛み砕きながら、荷台の入口にかけた膝を降ろそうとして……
「ほらほらエーリカ伍長遅っそいすよー! あの焦りよう、うかうかしてっとあたしらの分まで取っちゃいかねなかったぞ、ぶんたいちょのヤツ」
「ま、待てマルガ、シリウスも、早すぎ……」
そんな声が聞こえた瞬間、荷台に足をかけその淵すれすれに立ち上がっていた。
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