2 黒蝶真珠と砂の王国[ファカーラ]の砂
女は真直ぐにそれの前に立った。日除けのベールをつけてはいるが、奥から
女は云った。
「面白いものがいるな、ムダル」
名を呼ばれた奴隷商は慌てて女に近づき、
「海岸に倒れておりました。遠くに向かう船が難破したのではないかと」
「これほどの黒い肌は初めて見た」女は興味深そうに眺めた。「他には?」
「もう一人男が流れ着いていましたが、既に事切れておりました」
「そうか。……これは、何だ?」
女はその
「触るな」
奴隷は鎖を鳴らして威嚇した。「これは友との誓いの証だ。価値は俺の心臓と同じ。誰にも奪わせはせぬ」
「姫さま。
目を
「お前は戦士か。その
彼は女を睨みつけた。
「槍さえくれれば
ふん、と女は笑う。
「この国に獅子はおらぬ。あの飛ぶ
女は天を指した。ムダルは驚いて、
「そんな無茶な。槍で鳥を射落とせるはずがない」
「ムダル、これは私が買った。鎖を外して槍を持たせてやれ」
「姫さま。そんなことをしたら逃亡してしまうでしょう」
「この男はそんな真似はしない。確かな誇りがあるし、それを守り通すだけの力を持っている。外してやれ。もしも逃げたなら私が損をするだけだ。話の種として事あるごとに
黒肌の奴隷は槍を何回か持ち直して重心を確かめた。立ち上がると上背の高さが際立つ。ぐっと腕に力を込めると、くるりと向きを変えて建物の陰に向けて
悲鳴を上げて弓を構えた男が倒れる。
「敵が多いようだな、姫さまとやら」
「隼を落とせと云うたのに。
「アラカ・アラク」
「うん? その名は伏せ、アンタルと名乗れ。我らが神と響きが似すぎていて都合が悪い」
「アンタル? どんな意味だ?」
女はすらりと剣を抜いた。
「古代の、槍の使い手として知られた英雄の名だ。私はファカーラ国第二王女、シファーァ・バッドゥール。アンタルに問う、私に仕えるか」
「お前は俺を買ったのだろう」
「それは支度金と思え。重要なのはお前の意思だ。もう少し落ち着いたら、その黒い真珠のように見たことも聞いたこともないものを見に行く。ついて来い。お前は海のさらに向こうから来たのだろう? 私はこの地に生まれた
一拍考えたアンタルは、片膝をついて
「我が血の最後の一滴が大地に消えるまで、死力を尽くして姫を守ろう」
「よし」
「ただの砂とて、うまく風に乗れば海をも超えるというぞ」
アンタルは、笑った。自分を買ったこの女が熱っぽく語ったことは、妙に子供じみて聞えた。だがその熱さこそが己の魂に再び火をつけたのだ、と感じた。
暗殺者が数人、物陰から現れた。シファーァが云う。
「まずは生き残ることだ。ムダル、商品としてであっても彼をまともに扱ったおかげで助かったな。こんな鎖で猛獣を
「そうなのか? わしはお前が話せる事すら知らなんだ」
アンタルは黙したまま新しい槍を受け取った。シファーァは剣を軽く振る。ムダルは輪に連なった大量の鍵を取り出した。三人はそれぞれに、違う方向に駆け出す。
数年の後。
「行くぞ。待たせたな」
シファーァはアンタルを呼んだ。漆黒の髪が風になびく。金の髪飾りが日に反射して輝いている。
アンタルはさらに体積が増したように見えた。背は変わらぬにしても筋肉が増え、立派な革鎧から
「視察に行くのか? 今のところ大きな脅威はないようだが」
王位は兄のナーイフが継承した。差し当たって中も外も混乱は少ない状況だ。
「決まっている。お前は
シファーァは指をすっと指し示す。アンタルの首にかかる黒蝶真珠を。
「──海の、その先へ」
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