スリー・ストーンズ

1 エメラルドと心霊スーツ

 灯り一つない山奥の、廃ホテルの前で立ちつくしていた。急に風が出てきたようで、枝を揺らす音がざざざ、と闇の中を飛び交っている。

 あたしこと葛城侑里かつらぎ ゆりが入ってしまった大学のサークル、心霊部。その顛末てんまつを語るとやたら長くなるので今は無理だけれど、ほんとになぜ自分が了承したのか、さっぱりわからないのだ。


「あー、侑里ちゃん怖い?」

 声をかけてくれたのは五人いる心霊部の、あたし以外唯一の女性であり自称える人、の睦美むつみさんだ。いつも低いテンションでぐったりしている印象。色白の美人さんで髪を伸ばしているので、うっかりするとに見えてしまうところがあれなんだけども。

「ここまで暗いと……さすがに怖いです」

「これを貸してあげる」

 睦美さんは装飾品を取り出した。八角形のフチに大きな緑色の石がはめ込まれ、飾りひもにふさが付いている。

「その石はエメラルド。エジプトでは『繁殖と生命のシンボル』といわれているわ。霊とは真逆でしょう? これで変なのは寄ってこない。たぶん」

「たぶんですかぁ! ……でも、ありがとうございます。これエジプトっていうより東洋風ですけど」

 この際ワラでも納豆でもつかみたい。

「お守りなんてものはただの気休めだ。人が勝手に決めただよ」

 ふん、と鼻を鳴らしたのは心霊アンチの神茂田かもださんだ。なぜ心霊部こんなとこにいるんだと思うが、好きがこじれて毒を吐く面倒くさい人らしい。その向こうにいた長谷部はせべ部長が喋った。なぜかぴっちりとしたスーツ姿で。

「葛城くんの歓迎会としてこの心霊スポットツアーを企画したわけだが、撮影係の多々良くんが熱を出してな。欠席を詫びていたぞ」

「いやふつう歓迎会といえば居酒屋でしょう。それに、どうしてこの山奥にスーツなんです? 就活の帰りですか?」

 部長のアホな言動にいちいちツッコんでいたら疲れるだけだ。でもそうかといってスルーしていたら永遠に謎である。

「ふははは、これは沖縄の伝統あるユタの髪の毛を編み込んだ素晴らしい『心霊スーツ』だ。これを着ていれば誰でも霊が見えるらしい。特級呪物だぞ」

「そんなのマンガの中でしか知りません。結局それが着たかっただけなんじゃ?」

 うんうんと部長を除くみんながうなずいた。やっぱりそうか、ちくしょうめ。


 せっかく来たのだから、とあたしたち四人は中に入ることになった。別に入りたくはなかったが、この暗闇に一人取り残されるのも嫌じゃないか!!

 鉄筋建てだからハコはちゃんと残っているのだが、中の装具は酷いことになっていた。壁は落書きだらけだし、赤いスプレーで塗りつぶされた場所もあった。

「ここは県内でも有名な心霊スポットでな。僕の知り合いのMが入ったあとに体調不良を起こしたんだ。それでお祓いに行ったら十人以上いてるって言われたそうだよ」

「今その情報いります?」

「気のせいだ」と神茂田さんが言った。「精神から身体に影響をもたらす病気は多くある。その一つだろう」

「あ、いる」

 睦美さんがぼそっと呟いた。あたしはびくっとしてつんのめり、部長の背中に当たった。

 視界が突然クリアになる。闇の中なのに、人影がいる。そいつは粘土の人形を潰したように、顔の半分が醜く潰れ、崩れかけていた。あたしは恐怖で部長のスーツの袖を握りしめる。

「おお、見えるぞ! 葛城さん、君もか! どうやらこのスーツに触れていれば見えるようになるようだな! 睦美さん、あいつは無害かな?」

「あれはヤバいね……たたるヤツだ」

 あたしたちは顔を見合わせ、逃げ出した。

「映画だと一番どんくさい奴が追い付かれてやられる場面だな!!」

「いいから喋ってないで、外に──」

 言いかけて見事にあたしはコケた。廃墟の床はいらんゴミばかりが散らばってるし、そんな中を深夜に走るなんて経験もないのだ。

 黒い影があたしの顔の直前まで迫ってきて、気を失いかけた。

 しかし別の異変をも、あたしは感じ取っていた。


 どこからか霧のような──霧?

 あたしが握りしめていたあのお守りから、何か巨大なものが飛び出した。

 あちこちの動物から寄せ集めたような、妙にちぐはぐな体をした獣だ。目を引くのは象のように伸びた鼻。

 

「あれはばくね」

 と睦美さんが教えてくれた。あんなのが入ってたのか、エメラルドの中に。

「えっと……夢を食べるという、あの?」

「もともと獏は中国の神獣。悪霊をはらう力があるとされているわ。悪霊を追っ払ってたと思ってたけど、食べちゃうのかあ」

「食べられた霊はどうなるんでしょう?」

「さあ? 知らない」

 睦美さんは笑った。うん、この人、けっこう怖い。

「葛城さん、そろそろそでを放してくれないかな」


「ははは。全員無事、世はすべてこともなし、だ。今度は東北へ座敷童ざしきわらしを見に行くか!」

「部長、殴っていいですか」

 いいかげんにしてくれ。憧れのキャンパスライフも前途多難。睦美さんと相談してちゃんとしたお守りを買おう。

 と、あたしはこの時、決心したのだった。


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