メロンパン

 昨晩テレビのバラエティ番組で紹介されたとかで今日はメロンパンの売れ行きがいつもより良かった。

 今日の凪沙は焼き立てのメロンパンをパートさんと協力しながらひたすら焼いては店に出した記憶しかない。

 事故から一週間。

  手首は痛み止めとテーピングのおかげで痛みはほぼ感じず、ベテランのアルバイトさんや近隣の他の店からの臨時ヘルプのおかげでなんとか仕事は回す事が出来た。肩の負傷でしばらく腕を高く上げられない店長は、申し訳ないと言いながらバックヤードで溜まったデスクワークを片付けていた。時にはレジに立つ事もあった。

 途中短い休憩を取るためバックヤードに入ると、逆に休憩を終えたばかりのカジさんと入れ違いになる。カジさんも「今日はメロンパンに殺されそうね…あれ、息子の好物なんだけどもう見飽きちゃったわ…」とぼやきながらレジに戻って行く。


 事故の後、店長は「突然子供が飛び出して来たように見えたので、それを避けようとして転倒してしまった」と言った。警察にも、保険屋にも、凪沙にも。

 しかし夜十時過ぎである。むしろ十一時近かった。そんな時間に子供がひとりでうろついている事はそうそうないだろう。

 警察は子供を発見出来なかったし、通報者のコンビニの店員も小さな子供は見ていないと答えた。防犯カメラにも突然スリップするバイクが映っていただけだ。


 店を閉め、帰宅する時。店長が僅かに売れ残ったメロンパンをひとつ渡してくれた。


 その時、不意に気が付いた事がある。


 凪沙が小学生の頃、父の友人からウサギの子供を譲り受けた。

 白い毛並みで尻尾の辺りだけ茶色い、ふてぶてしいオスのウサギだった。

 名前をつけ、とても可愛がっていたが凪沙が高三の時にあっさり病気で死んでしまった。享年十才。ウサギにしては大分長生きだ、と獣医さんに驚かれた。猫なら尻尾が分かれてもおかしくない、とさえ言われた。


 最近そのウサギが頻繁に夢に出て来ていたのだ。


 夢の中でウサギは大体凪沙の体にピッタリくっついて寝ている。

 膝に乗っていたり、抱っこしていたり、布団の中に潜り込んで来ていたり。

 そして夢の中でどんなに風が吹こうと雨が降ろうと槍が降ろうと、更に言えば地震や火事に見舞われても絶対に凪沙から離れないのであった。

 そして夢の中での凪沙こそ大変な災害に直面しているにも関わらず「ウサギがいるから大丈夫」と落ち着いているのだ。

 そう、夏にタクシーの中で見た夢もウサギの夢だった。


 ウサギは母が買ってきたメロンパンの形のクッションをやたら気に入っていた。

 名前はメロンだった。

 クッションの件を抜きにしても、お尻がまんまるだったから子供だった凪沙がそう名付けたのだ。


「最近メロンがよく夢に出て来るんだよね」

 居間の出窓に、昔家族とメロンで撮った写真を飾っている。

 表面についた埃をティッシュでなんとなく拭きながら凪沙は母にぼやいた。

「あなた本当にメロンのこと可愛がってたものねえ」

 母はにこやかにテーブルを拭いている。


 そう、可愛がってた。まるで自分の子供のように。

 弟のように、ではない。

 何故か自分に将来子供が出来るなら、こんな風に丸くてのんびりした子になるだろうとおかしなことを考えていたのだ。


「お母さん、白い神様ってもしかしてメロンの事なんじゃないかって思ったんだけど違うかな」

 凪沙がそう何気なく言うと、母さんは手を止めた。

 そして唐突に「あー、あー、もしかして」と言ってテーブルを拭いていた布巾を投げ出して部屋を出て行く。

「ちょっと、お母さんどうしたの」

 後を追って居間を出ようとすると、すぐに母は戻って来た。手に小さなピルケースのような物を持って。

「これ」

 母はそのピルケースを凪沙に差し出して来る。それは母が独身時代、海外旅行で買ったという小さな小さなシルバー製の物で、子供の頃に何度か見せて貰った記憶がある。

「何それ」

 受け取りながらそう問い掛けると母はさらっと答えた。


「メロンの遺骨」


 余りにも突拍子もない答えに、凪沙は思わず目を見開いて母の顔を凝視してしまう。こんな時にどうでもいい事だが、母の顔は改めて姉と全く同じ顔でよく似ているなあと思った。


「はあ?なんで?保健所で焼いて貰った後、ペット霊園に持って行ったじゃん。なんであるの?」

 想定外過ぎる答えに対し、凪沙はつい声を荒げてしまう。でもそっとそのケースをテーブルの上に置く事は忘れなかった。

「うん、でも分骨しようかって…お庭に新しい木でも植える時に一緒に撒こうかってお父さんと話してて、少しだけ、耳かき二杯分くらいだけ別にしてこれに仕舞っておいたの。でもあれからなかなか庭の植え替えする機会が無くて………忘れてた、ごめん」

「これ、ちゃんと改めてペット霊園に相談するかちゃんと庭に埋めるかした方が良いんじゃないの?」

 まさか忘れられたお骨がずっとそばにあったなんて。想定外の事に凪沙は困り果ててテーブルの上のピルケースと母の顔を何度も交互に見てしまう。


 思えばおかしな力に目覚めてからずっと、ウサギは何度も夢に出て来ていたのだ。


 多分和枝さんが言っていた「白い神様を大事にしろ」というのはこのウサギの事だ。

 それ以外、思い当たる節がない。

 実際、母の実家の神社に相談しに行っても「なんだろう………凪沙ちゃんはふんわりした何かに守られてる………でもそれ以上の事はよくわからないな、あはは」としか言われなかったのだ。

 母の実家は良い神社だが余りにものんびり過ぎて、心霊現象には対応しきれない。それもあって、凪沙の力が目覚めてもお祓いのような事にはなかなか踏み切れなかったのだ。

 もっと早く気が付けば良かった。就職して忙しくなり、余裕が無くなっていたという自覚は確かにあるのだけれども。


 母と共に困り果てていたところにタイミング良く父親が帰宅してきたので、意を決して小さなスコップを借りて凪沙は夜の庭に出た。

 狭い庭だが小さい頃はよく家族で花火をしたものだ。あの頃はメロンも元気だった。

 流石に夜は肌寒い。

 父が後ろから懐中電灯で照らしてくれた。

 庭の端の方に小さな穴を掘り、ピルケースからそっと遺骨を移す。母も庭に出て来て「これ、少し前に買った奴だけど」と言って名も知らぬ花の種を渡してきた。


 これで少しは落ち着くだろうか。

 流石に命に関わる事故はもう起きないで欲しい。

 そして多分事故で命を守ってくれたのも、待合室で足に触れたのも、多分このウサギなのだろう。

 そんな事を考えながら夜風に吹かれて少しだけ泣いた。


 和枝さんは「美味しい物を作ってあげて」と言っていた。

 しかしメロンはウサギだ。なんでも食べるわけではない。

 少し考えて、凪沙は残り物で野菜スープを作った。小さなお皿に少しだけよそって、写真立ての前に置いた。折角なので父親が出して来てくれたおちょこに水も入れてメロンの写真にそっと捧げた。


 病院で凪沙に囁いてきた子供の声。それももしかしたら。


 翌朝、出勤する前に見てみるとスープをよそったお皿もおちょこも中身が無くなっていた。そして手首の痛みも大分引いていた。

 これで一歩前進。そう思いたい。

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