マカロン

「まあ、そういうわけなんだよ」

 お盆である。

 祖父の三回忌法要の後の食事の席であった。

 仕出しの味の薄い煮物をつつきながら凪沙は疲れた顔で「仕事中に熱中症で倒れてから幽霊を見る体質になってしまった話」を隆之お兄ちゃんに報告した。


職場と霊園が然程遠く無かったのもあり、凪沙は早朝六時から三時間半だけ仕事をしてから法事に来た。

眠い。

お盆期間はお客も少ないそうだが、主婦パートの出勤率も下がってしまう。それでも駅ビルのテナントのチェーン店である以上そうそう簡単に店を閉めるわけにはいかない。凪沙は新入りでまだ有給の取れる身ではないが、先月から何度も何度も店長に頭を下げてシフトを調整して貰い早朝の短時間出勤からの早退という形でなんとか譲歩してもらった。

明日からはしばらくフル出勤である。

自腹でタクシーに乗ったのなんて生まれて初めてだし、やっと審査が通ったばかりのクレジットカードを切ったのも生まれて初めてだった。普段は電車通勤なので全く意識していなかったが、職場の目の前にタクシー乗り場がある事に初めて感謝した。流石駅ビルだ。なんと利便性の高い職場なのだろう。そう感謝しながら大急ぎで職場から霊園まで移動したのである。

高校を卒業する時に両親に言われて作った黒い地味なスーツを着るのも今日が初めてだった。

流石にタクシーの中で一瞬ではあるが眠ってしまった。

そしてその短い間でさえ夢を見た。昔飼っていたペットの夢。最近よく見る夢だ。


「そうかあ、ある意味一番正統派の『不思議な力』だねえ幽霊が見えるって」

三歳になる自分の子供を膝に乗せながら隆之お兄ちゃんは笑った。

「で、今それで困ってる事はある?」

 優しい。なんて優しいんだ。実の兄などこの話をした時電話越しに割れる位に大爆笑していたというのに。

「家にまで着いてくるとかはないし、あからさまに不幸な事は今のところない。だけど、いきなり足を掴んで来たり接触してきたりするから物凄く心臓に悪い。仕事もめちゃめちゃ忙しいし疲れてるのにさ。成人式もまだなのに心臓発作で死ぬとか嫌だよ」

つい不機嫌な口調になってしまう。

姉の振り袖を凪沙も着る予定なのだ。

とても可愛い着物で今から楽しみにしている。姉が成人する時に祖父が奮発して買ってくれた物だ。ヘアメイクは美容師になった中学の同級生に頼むと今から決めている。

「慣れる以外に良い方法はないのかねえ、お祓いも簡単じゃないだろうし」

お互い困った顔を見合わせる事しか出来ない。

その時隆之お兄ちゃんが親戚の人に呼ばれた。長男の長男は大変だ。

なので凪沙は隆之お兄ちゃんの子供、祐希君の面倒を見ることになった。三歳にしては大分しっかり者だ。隆之お兄ちゃんの奥さんは二人目の妊娠が発覚したばかりでつわりが酷いらしく、今日は欠席している。

食事もある程度一段落つきかけていたので、ずっとミニカー遊びに付き合っていた。

 最初は凪沙のカバンについていたウサギのぬいぐるみキーホルダーに興味を示していたが、すぐに飽きてしまってミニカーを出してきたのだ。

じゃあそろそろお開きで、となった時に祐希君が不意に凪沙の顔をじっと見上げて来た。

「どうした?私の顔になんかついてる?」

そう首を傾げながら聞くと、祐希君はよろよろと立ち上がると凪沙の右耳に手を伸ばして来た。そして「えいっ」と言いながら耳を軽く引っ張って、そのままバランスを崩して座り込んでしまった。


「おねえちゃん、おみみにはねがついてた」


純粋な目で真っ直ぐ見つめられて、凪沙は驚いた。

自分で咄嗟に右耳に触れてみるが、何もない。

「でも、ぼくがさわるまえになくなっちゃった」

祐希君はしょんぼりした顔を見せる。凪沙はどうしていいかわからず「そうか、ありがとう。ゆーきくんは優しいね」と目の前の小さくて丸い頭を撫でた。


帰宅してから隆之お兄ちゃんに貰った引き出物のマカロンを食べる。食べながら祐希君の不審な行動を思い返す。あれは一体なんだったのだろう。

今日は実家に泊まっていくという姉が珍しくお茶をいれてくれた。

「そうか、凪沙もついに不思議ちゃんデビューしたのか」

「いや、好きでデビューしたわけじゃないし」

 姉のニヤニヤ笑いは地味に腹が立つ。

「でもあんた、覚えてないの?子供の頃時々予知夢とか見てたの」

「………何それ覚えてない」

凪沙が驚いてつい声を上げると姉はキョトンとした顔を見せる。

「あんたが幼稚園から小学校低学年位までだったかな、時々あったんだよ。お姉ちゃんあたし変な夢見たの、って。猫が迷子になってる夢の話の翌日、本当にうちの庭で瀕死の野良猫が倒れてたりとかさ。無くした物を見つける夢とか。些細な事も多かったから全部は覚えてないけど」

野良猫が庭に迷いこんで来たのは朧気に覚えているが、予知夢の事は記憶にない。

「でも気付いたらそういう話はしなくなってたね」

姉がそう呟いてお茶を飲み干したタイミングで母が居間に入ってきた。

「お風呂沸かしたけど入る?」

明日は朝四時半時起きだ。

そう、パン屋の朝は早くて忙しい。早くお風呂に入って寝てしまおう。今から風呂に入って早く寝る準備をすれば余裕で七時間位は眠れるはずだ。疲れているのが何よりも良くない。


洗面所で久しぶりに自分の顔をじっくり見た。レジに入る事はほとんどなく基本的に厨房勤務なのもあり、化粧はほとんどしない。ふと右耳に触れてみる。ピアス穴すら開けていない耳たぶに特に異常はない。聞こえづらいということもない。

一体なんだったのだろう。

子供の言うこととは言え、最近おかしなことが多いのだ。ついナーバスになってしまう。

「………ま、いっか」

 気にしない。気にしない。そう自分に言い聞かせて寝室に向かった。


 数日後。母親のパソコンに隆之お兄ちゃんからメールが来た。法事の日に撮った写真データを送ると言う。

ほとんどが食事の時に撮って貰った写真だ。

凪沙と祐希君がミニカーで遊んでいるところを伯父さんに撮られていたようだ。


その写真では、確かに私の耳の辺りに羽根、というかひと房の白髪のようにも見える白い光が写りこんでいた。  


 むしろ白い鳥のような何かが激しく動いた残像のような。いや、何か不思議な生き物の耳のようにも見える。

 まさかこれが耳鳴りと幽霊に関係があるのだろうか。

 よくわからない。


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