アップルパイ

凪沙の店で売れ筋のパンは幾つかあるが、そのひとつがアップルパイである。


高校の時の親友、智恵が「凪沙の誕生日祝いをしたい」と連絡してきた。

智恵はお店をやっているお父さんと同じ調理師になるつもりで調理科に通っていたのだが、高校で調理を勉強している内に「将来のことを考えると家庭科教師の資格も取っておいて損は無さそうだ」と思うようになり猛勉強の末にとある大学の家政科に進学した。知恵の性格からすると、十年後には管理栄養士の資格なんかもあっさりと取っていても驚かない。彼女はクラスでも特に頭が良かったから。

 更に言えばクラスでも一番指先が器用で細かい作業が得意で、担任にはパティシエコースを勧められていたのを覚えている。

「夏休みの課題は沢山あるし店の手伝いもあるけど、多分凪沙よりは暇だから凪沙の休みに合わせるよ」

そのメッセージを受けてシフトのスケジュールを確認する。

「八月最初の月曜は駅ビルの一斉休業で店が休みだから大丈夫」

その日に店内レイアウトの変更の話もあったしビルの点検や仕込みの関係もあるので社員の凪沙は顔を出すようと店長に言われた記憶がある。でも確かそれも午前中だけのはずだ。そう返信する。

「じゃあうちの店おいでよ、親父も母さんも久しぶりに凪沙の顔見たいって言うし簡単なディナーで良ければご馳走するよ」

ありがたい。智恵の家はちょっと良い洋食屋を営んでいて、高校の友人達との誕生日パーティーやら卒業パーティーやらで何度か利用させてもらった事がある。

「それで私がケーキ焼こうと思うんだけどなんかリクエストある?アレルギーは無いよね?」

 少し考える。ケーキならなんでも好きだ。智恵は恐らく面倒なリクエストをしても美しくデコレーションしてくれるだろう。でも。

「リンゴが旬じゃないのはわかっているけどアップルパイ食べたい。うちのパン屋のじゃないアップルパイを久しぶりに食べたい」

 そうメッセージを送ると「了解、努力してみる」と頼もしい返事が来た。


智恵の店は凪沙の家から電車で一時間弱掛かる。とある下町にあり、客層は地元の人と観光客で半々といった所だろうか。

時間があったので最寄り駅の一駅前で降りる。ここには有名な神社があるのだが、実は一度も行ったことがない。


先月、店で手だけの幽霊を見てから母の実家の神社で頒布しているお守りを持たされた。

「守ってくれる神様は大事にしなさい」

 母はそう言った。

 今日行くつもりの神社は、母の実家と祀られている神様が同じだということでなんとなく行っておいて損はないかと思ったのだ。

 母の実家が神社とは言え、今まで初詣以外で積極的に神社に行くことはほとんどなかった。しかし、嫌な体験とは人の意識を簡単にへし折るのだ。


そこはとても静かで気持ち良い神社だった。


参拝を終えると、ふと鳥居の下にうずくまっている子供が目に入る。片手で白い猫のような生き物を撫でているように見えた。

周りに友達や親がいる気配も無い。

遠目に見て、短パンをはいたその子の足に大きな痣があるように見えた。凪沙は目が良い方だ、間違いない。彼まで後数メートル、というところまで近づくと猫はぷいっと消えた。 

 お節介かもしれないと思いながらも凪沙が「僕、大丈夫?」と声を掛けると、少年は顔を上げた。

その瞬間になってようやく「ああ、これはまずいやつだ」と思った。

 何故ならまた耳鳴りがしたから。

そう、幽霊を見る時は大体耳鳴りがする。最近になって凪沙はその事に気付き始めていた。


顔を上げた少年は案の定、のっぺらぼうだった。


「ああ、あの神社の前って少し広い通りになってるじゃん。去年かな、あそこで交通事故あったんだよね」

智恵は凪沙の話を嫌がらずに聞いてくれた。

言われて見れば事故の目撃情報を募る立て看板が置いてあったような、気がする。


のっぺらぼうは立ち上がり、凪沙の頬にそっと触れると煙のように消えた。


目の前で知恵がアップルパイに生クリームをたっぷり乗せてくれる。

「今の時期のリンゴはあんまり良くないからねえ、でも生クリームで誤魔化せば美味しい」

 知恵は笑いながらお皿を差し出してきた。

それを見て、気持ちがやっと落ち着く。

一口食べる。美味しい。

やっぱり美味しい食べ物は世界を平和にする。

片付けをしながら智恵は突然思い出したように呟いた。


「でも、その事故で亡くなったの、小さい男の子じゃなくて仕事帰りのOLさんじゃなかったかな………」

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