とりあえず
──けたたましいアラーム音。次世代のスマートフォンと言うだけあるのか、その音量は耳に障る。そんな大きく音を鳴らす機能はあっても、それ以外の面で次世代の機能差を感じたことはない。
中学生のときに使っていた百円ショップで購入した目覚まし時計なら割と強めに叩きつけるのだが、それが日常的に使用するものというわけだからそういうわけにも行かない。ちゃんと画面を視認してアラームを解除した。
「……あれま」
時間に気づいて声が漏れる。
今止めたのはスヌーズだったらしい。
現在、予定の時間よりも十分は時間が立っている。いつもギリギリの時間で過ごしているから、十分でも時間が立ってしまえば大変なことになる。
全ての意味で悪夢に舌打ちして起き上がる。こんなことで遅れていたらあいつに何を言われるか理解できたものじゃない。
さっさと朝の支度をする。家を出る頃には、今日見ていた悪夢の内容なんて忘れていた。
「遅い」
当たり前のような開口一番。
いかにも嫌悪感をぶら下げた顔を晒して僕を待っていたのは、幼馴染のアオイである。あからさまなため息を吐いて、革靴であからさまに音を立てるように貧乏ゆすりをしている。
彼女は、いつもそんな感じだ。
「ごめん、アラームが鳴っ」
「あなたの部屋から大音量のアラームがきこえてきたわけだけど」
「…ても気づかなくてさ」
彼女はあからさまにまたため息を吐く。もう見慣れた顔である。失礼だけれど、もう僕は彼女の笑顔なんて、覚えていなかった。
実際、10分遅れで起きた訳だけれど、それでも今のように遅刻するほど余裕がなかったわけじゃない。なんなら朝ごはんは抜いてきたわけなのだが。
それよりも、洗面台にある鏡で、自分が自分であるか確認するために遅れていたなんて言えるはずがない。
ナルシストかよ、なんて自分でも思えてしまうから、尚更言えるわけがない。
「とりあえず、ごめん。何はともあれ遅れたことはまずかったね」
「とりあえずであなたは謝罪するのね」
嫌そうな顔で彼女は息を吐いた。もう描写する必要はないかもしれない。僕が何か行動を起こすたびに彼女はため息を吐く。
「はい、お弁当」
アオイはカバンの中に手を突っ込むと風呂敷で丁寧に包まれた、おそらく弁当箱なるものを僕の手に渡す。手に持った瞬間、割とずっしりとした重みを感じた。
「食べ盛りだろうからって」
「……いつもありがとう」
「お母さんにそう伝えとくわ」
彼女は淡々と答えた。
もとより僕が少食であることを知らないアオイのお母様は、いつも僕のお弁当を大盛りにする。
少食だからといって、それを残すというわけにも行かない。満腹に重ねるように詰め込んで食べているから、最近は割と胃袋の容量は広くなった気がする。
満腹という感覚は、そんなに気分がいいものではない。今にも破裂しそうな感じを覚えるのは、そんなに好きじゃない。
そうして彼女と僕は歩き出した。歩幅も揃えないまま、一緒に歩いているのかもわからないままに。
「あっ」
そういえば、とアオイはまたカバンに手を突っ込んで、ゴソゴソとなにか漁るようにする。
彼女の一言で僕は一瞬立ち止まったけど、彼女は歩くままにものを漁っていたから、少し彼女の歩幅に合わせながら歩いた。
ながら歩きはあまり好まれるものじゃない。
彼女のカバンから何が出るのかと、気になり"ながら"歩いていく。僕もなんだかんだ言いながら、ながら歩きを行っていた。
彼女のカバンから出てきたのは、──花柄の折り畳み傘。紫色を基調とした紫陽花に飾られた花がらの折り畳み傘を、僕に突きつけるように渡してくる。どうせ天気予報なんて見ていないでしょう、というように。
まあ、まさしくそのとおりだから反論もしないし、ありがたく受け取る。一言ありがとうと声をかけたけど、彼女は声の聞きざまにフンっと顔を背けてしまった。
ひどく、気まずかった。気まずさは身体に非常に悪いものだと言うものを、最近になってひどく感じるようになる。
持論としてストレスのない人生こそが幸福な人生だ、と考えているふしがあるものの、今のこの状況はストレスそのものでしかない。
僕にとっての気まずさは彼女のストレス。
彼女が不幸せなことも不仕合せだということは僕も知っている。
その状況をひどく辛く思う自分の存在はなんなんだろうと、唐突に考えてしまう。
ため息を吐いた。今度は僕が、あからさまに。
一瞬彼女が僕をちらりと一瞥したけれど、それ以降、徒歩以外の進展はない。今日は憂鬱がよく蔓延る日だと、そう思った。
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