Episode:01-33 変わらない世界

◇Rufeir

 ケンディクの埠頭の先で、あたしはぼんやりと座りこんでいた。太陽が水面に反射して、まぶしく照り返している。

 あの激戦から半月ほどが過ぎた。

 でもまだ、あたしの相部屋のベッドは空っぽのままだ。

 それどころか最初の葬送の後も、重傷者の死亡が相次いで、訃報の消える日がなかった。

 惨状を知ったケンディクの町が、あの翌日には原則を破って負傷者の受け入れを決めてくれたのだけど、焼け石に水に近かった。船着場が使えなくて、重傷者の搬送がすぐに出来なかったからだ。

 これではダメだとあちこちでみんなが掛け合ってくれて、上陸艇を持つ海軍の派遣が決まったのが、激戦の翌々日。やっと来たのは三日目、合同葬儀のあとだった。

 けどそれまでに、重態だった人はみんな死んでしまって……もう少しマシだった生徒も、かなりの数が悪化した。

 上陸した軍の人たちも声を失うほどで、それこそ限界以上に働いて搬送や治療に当たってくれたけど、やっぱり三日のブランクは大きかった。あのとき危ないって言われてた人は、けっきょくほとんどが亡くなっている。

 けどようやくここへ来て、それが落ちつき始めていた。

 どうにか生命の危機を乗り越えた人は、次々快方に向かい始めて、これ以上の死者は出ずにすみそうだ。

 なんとか無事だった生徒たちも、しばらくぶりに町へ出させてもらって、みんな羽を伸ばしている。

 そして……あたしも。

 じつを言うと、ここへ来るまでは不安だった。

 あんなことがあったあとで町へ行っても、前と同じように見えるか、自信がなかったからだ。本当は町並みも海も何も変わってないはずなのに、違って見えそうで怖かった。

 けど今、こうしてここへ来てみて、やっとほっとした。

 あたしの瞳と同じ碧の、透き通った海。

 水平線を渡る、銀色に輝く雲。

 埠頭から坂へと、駆け上がる風。

 何もかも、前と同じ……。

 毎日ナティエスの部屋を見るたびに泣いているけど、ここにいると少しだけ、元気になれる気がする。

「――よ」

「イマド」

 どこからともなくイマドが現れた。

「ここは……変わんねぇな」

 あたしの隣へ腰掛けながら、彼が言う。

「うん」

 そのまましばらく、二人でただ海をながめた。

「にしてもあの戦い、なんだったんだろな」

 ぽつりとイマドが言う。

「なんだったんだろうね……」

 あたしもそうとしか答えようがなかった。

 ――けっきょく、誰が悪いんだろう?

 良くも悪くも優秀な卒業生を出している学院は、よその国や軍からジャマに思われることはあるって言う。

 けどそんなこと言われたって、みんな困るだけだ。誰も引き取ってくれないからここへ来たのだし、だいいち親を亡くした子の大半は、ずっと続く戦乱の被災者だ。

 でもロデスティオの傭兵隊が、悪いわけじゃない。彼らは命令に従っただけだ。

 考えても考えても、誰が悪いのか分からなかった。

 たしかなのは、もうナティエスたちが戻らないってことだけだ。

「やりなおせたら、いいのに」

「そうだな……」

 もし願いが叶うなら、そうしてほしかった。

 けどそれはない。

 すべては一度きりだ。

 ありとあらゆる瞬間に、ただ一度の時間があって、ただ一度の選択のチャンスがある。

 それが重なって……時は流れていくのだろう。

 ――でもその別れ道が、こんなことになるなんて。

 どうしようもないのは分かっている。

 分かっているから、涙がこぼれた。

「ごめん、イマド。あたし、最近ダメで……」

「しょうがねぇって。あんなことがあったんだからよ」

 好きなだけ泣いてろと、イマドが言ってくれる。

 あの日と変わらない空。

 あの日と変わらない風。

 なのにたくさんの命が、あまりにも簡単に消えてしまって……。

 泣いても泣いても泣き足りなかった。

 誰も望んでなんかいなかったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?

 敵だったロデスティオの傭兵だって、きっと死にたくなんてなかったはずなのに。

 それなのにどうして……。

「――あ、ありゃシーモアか? お前探しにきたみてぇだな」

「え?」

 イマドの言葉に、びっくりして顔を上げる。

 涙をふいた拍子に胸のペンダントが揺れた。タシュア先輩から渡された、ナティエスの形見だ。

 このペンダント、シーモアに渡そうとしたのだけれど、彼女は受け取らなかった。

 ただその代わりにシーモアは、ナティエスのピアスを着けている。

「こうしてる間にもナティエスみたいな孤児、できてるんだろうな……」

 ふっと思った言葉が口をついた。

「たぶんな」

 この空だけ見てたら、戦争なんてどこかの作り話にしか思えない。

 でも間違いなく、今もどこかで続いている。

「だったらあたし、やめるわけにいかない……」

「戦うのをか?」

 そう尋ねたイマドに、あたしは答えた。

「……あたしの家って、親戚とか兄弟どうしで……戦うこと、あるの」

「らしいな」

 普通じゃ信じられないだろうけど、代々傭兵を続けているあたしの家じゃ、この手の話はけっこう多い。

「そういうの、すごく嫌。それになにより、戦うのも嫌い。でも……」

 また涙が、ぽつりと膝におちる。

「望んでないのに戦いを……仕掛けられること、あるんだね。そしてあたしには、それを退ける力がある……」

 自分のいちばん嫌な部分。

 なによりも忌まわしい部分。

 けど皮肉にもそれは、学院を守る力になった。

「誰もが戦いを嫌ってるなら、戦争なんておこらない。でも、そうじゃないから……」

 本当は、止める術があるのかもしれない。

 ただそれはいつも難しくて、その時には気付かないことのほうが多いんだろう。

「だからあたし、この手で、この力で、命を守っていきたい」

 大切な人たちが、いつ命を危険に晒されるか分からない。

 それなら誰も戦おうとしなくなるまで、あたしは戦おうと思う。

 ひとりでも犠牲が少なくなるように、嵐に立ち向かおうと思う。

「それが……いちばんいいとは、思えないけど。でもあたし、たしかに守れた。だから……」

 今までのあたしは、意味もなく戦っていただけだった。

 それのどれほど苦しかったことか。

 もちろん大義名分が出来たからといって、人殺しが許されるわけじゃないだろう。ただそれでも、無意味に刃を振るうようりはマシな気がする。

「お前、強いな」

「ううん。弱いから――理由を欲しがるだけ」

 そう言うとイマドが笑った。

 今まで見たことのない、不思議な笑顔。

「それを知ってるやつが、強いって言うんじゃねぇのか? まぁいいや。シーモアとミルが、手ぇ振ってるぜ」

「あ、ほんとだ……」

 こっちへおいでというように、二人が手を振っている。

「行くか?」

「うん」

 歩き出すと、また胸のペンダントが揺れた。

 ――孤児だったナティエスの形見。

 いまごろ彼女、両親といっしょにいるんだろうか?

 わからないけどそう思った。

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