Episode:01-32 悲劇の向こう
◇Tasha Side
目の前に、はるかに広がる海があった。
あの激戦から半月がすぎ、学院生はようやく、ケンディクの町へ出ることを許されている。
町はにぎわっていた。
この国第二の都市ケンディクは、同時に観光都市でもある。春を過ぎて初夏に近くなるこの季節は、町中が花に彩られることもあって、観光客が多いシーズンのひとつだ。
学院生も相当な数がここへ来ているはずだが、町を行きかう人々にまぎれてしまい、姿は見かけなかった。あの惨劇で傷つききった生徒が多いが、今日はきっとどこかの喧騒の中で、少しは笑顔でいるのだろう。
ただ……町外れのここだけは、ひどく静かだ。
もう二十年近くも前、この大陸と西の大陸とを超大型船で結ぼうと始まった、大計画。
だがその夢はうたかたと消えた。工事に着手して間もなく大戦が始まり、僅か数ヶ月で新しい港の造成は中止されたのだ。
まるでその悲しみを留めたかのように、ここの残骸だけは錆びついたまま、今もひっそりとしていた。手狭になった今の港の代わりにここを再開発する話もあるらしいが、工事が進む気配はない。
大戦は、タシュアにも大きく影響を与えている。それ以外にもこの学院では、あの戦争で孤児となった者も多かった。
視線をめぐらし、反対の遥か先に視線を移す。
海の向こうは――ヴァサーナ。
タシュアにとっては生まれ故郷だ。
もっとも楽しい思い出はほとんどない。無機質と激戦と喪失が彩る記憶ばかりだ。むしろヴァサーナを出てこの学院に保護されてからの方が、よほど人らしい生活だったと言えるだろう。
かつて七人いた弟と妹も、すべて死んだ。残ったのは自分ひとりだ。
――あの日々はなんだったのだろうか?
答えは掴めなかった。たしかに胸のうちにあるのだが、上手く形にならない。
だが……それがあったからこそ、今の自分がいるのもたしかだ。
(結局は自分次第なのでしょうが……)
たとえ恵まれた環境で育ったからといって、その当人にとって満足のいく人生になるとは限らないだろう。
逆に自分は、嘆く気はない。
そういうものなのだ。
と、後ろに気配を感じた。
「――シルファ、何か用ですか?」
声をかけようかと迷っているパートナーに、こちらから話しかける。
シルファがほっとした表情になった。
「その、買い出しに行こうと……」
遠慮しながらそう言ってくる。
優しいシルファのことだ。考え事の邪魔をしたくないと、ためらっていたのだろう。
その彼女に、タシュアは微笑を向けた。
「かまいませんよ。別になにかしていたわけでもありませんしね。何を買うのですか?」
シルファの表情が明るくなる。
「せっかくだから……ケーキの材料を……」
「では、今日はおいしいおやつが食べられますね。たくさん買うのでしょう? 荷物を持ちますよ」
「すまない」
そう言いながらも嬉しそうに、パートナーが歩き出す。
連れ立って夢の残骸をあとにし、店めぐりになった。
シルファは本当に嬉しそうだった。あれもこれもと手に取り、次々と荷物が増えていく。
「まだ買うのですか?」
ついそう言うほど、シルファは買いこんでいた。
「あ、すまない。もうこれで終わりにするから」
「いいですよ、慌てなくて。久しぶりですからね、いろいろ切らしているのでしょう?」
「よく……分かるな」
彼女は驚いたが、買っているものを見れば一目瞭然だ。小麦粉のような材料もさることながら、お菓子作りに使う調味料(?)の数が、かなり多いのだから。
それからもう少し買って、やっとシルファは学院へ戻ると言い出した。気の済むまで買い物をして、満足げな表情をしている。
それを見るタシュアも満ち足りていた。
故郷を出て手にしたもの……それがここにある。
そしてこれがあればこそ、自分はここまで強くなれたのだ。
「タシュア……そんなにおなかが、空いていたのか?」
シルファが唐突なことを言い出す。
「なんですか、急に」
「いや、なんだか嬉しそうだから……だから、その……」
必死に言い繕うパートナーの姿が、可笑しかった。
「そういうわけではありませんが……そうですね、そういうことにしておきましょうか」
「――?」
シルファが怪訝そうな顔になったが、それ以上タシュアは言わなかった。
「早く戻りましょう。これだけ作るとなったら、けっこう時間がかかるのでしょう?」
「そうだな」
シルファもそれ以上は追求しない。訊いてもタシュアが答えないことを、彼女はよく分かっている。
学院までの船に乗ろうと、波止場へ向かった。
その途中で、シーモアとミルの姿を認める。
「タシュア先輩!」
意外にも二人が駆け寄ってきた。ルーフェイアがいない時に、この二人がわざわざタシュアの元へ来るのは、珍しい話だ。
「何か用ですか」
シルファの時とは一転、表情を感じさせない声。シーモアが言葉に詰まる。
もっともミルは、平気だったようだ。
「えっとですねぇ、ナティエスのことなんです」
シルファがはっとして何か言いかけたが、タシュアはそれを止める。
「彼女のことで、何かあったのですか」
シーモアとミルが顔を見合わせた。
そして。
「ありがとうございました」
二人が頭を下げる。
「お礼を言われるようなことを、した覚えはありませんが」
「けど……ナティエスが死ぬ時に、そばにいてくれたんですよね?」
タシュアの言葉に、シーモアが確認するような調子で尋ねた。
「たしかにその時傍にいましたが、何か?」
「その……だから、ありがとうございました。死ぬ間際にあの子がひとりじゃなかったって聞いて、あたしすごくほっとしたんです」
たぶん、本心だろう。この後輩たちは友達の死を嘆きながらも、救いを見つけようとしている。
彼女たちなりの、何とかして前を向こうという気持ちを、タシュアも否定する気はなかった。
むしろ頭を下げるべきは、自分のほうだろう。
「お礼を言われる資格など、私にはありませんよ。あのような苦しみを、彼女に与えてしまいましたから」
「それは……戦争だから……」
そのまま全員が沈黙する。
シーモアの言葉が、すべてを言い表しているのかもしれなかった。
とつぜん学院を襲った狂気。
それに、どれほどのものが奪われただろう?
戦場で育ったタシュアは、その狂気を肌で知っている。だが知っていたからと言って、納得できるわけではない。
「――すみません、ヘンなこと言って。じゃぁ失礼しますね」
シーモアが踵を返す。
その後輩に、シルファが声をかけた。
「シーモア、その荷物は?」
「え? あ、やっぱ先輩分かりましたか。町へ出れたから、ナティエスにケーキ作ってやろうと思って。先輩に教えてもらって、あたしもどうにか覚えましたし」
苦笑しながら、彼女が荷物をちょっと持ち上げてみせる。
「上手く行くかどうか、てんで自信はないんですけど」
「それなら……また一緒に、作らないか?」
静かな声でシルファが言った。
「いいんですか?」
「ああ。私も作ろうと思って、買い出しに出たところだ。タシュア、かまわないだろう?」
「ええ」
断る理由など、あるわけもない。
「そしたらさ、ルーフェイアも呼んでこようよ~。仲間はずれ、可哀想だもん!」
珍しくミルがまともなことを言った。
「また泣いちまいそうだけど、そうだね、呼んでこようか。さっきたしかあの子、埠頭のあたりにいたっけか?」
「うん」
すぐ戻りますと言い残して、後輩たちが駆け出して行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます