Episode:01-29 壊れた夢

◇Rufeir

 シルファ先輩にうながされて、あたしは寮へと戻った。

 途中で食堂へ寄って、のどだけ潤す。

 差しこむ陽の光。

 優しく抜ける風。

 昨日の朝と、どこが違うんだろう?

 でも……ナティエスはいない。あっという間に、あたしたちの前からいなくなってしまった。

 ――あたしのせいだ。

 あたしが、精霊を渡さなかったから……。

 歩いているうち、寮の入り口が目に入ってくる。ここだけはなんの跡も残していなくて、それがひどく奇妙に思えた。

 人影がある。

「――イマド?」

「なんだ、お前か」

 思いつめた表情だった。

「どうしたの?」

「いや、なんかさ……」

 イマドがため息をつく。

「俺、学院やめようかと思って」

「……そう」

 とつぜんの言葉に、どう答えていいかわからなかった。

 でもその方が、いいのかもしれない。ここは……平和とは程遠いのだから。

「それだけなのか?」

「え?」

 思ってもみなかったことをイマドに返されて、戸惑った。

「お前、平気なんだな」

「――なんの、こと?」

 イマドが、いつもと違う。

「さすが戦場育ちだよな。この程度じゃ平気ってわけか」

「そんなことないわ!」

 つい声が大きくなる。

「そう言いながら、そこら辺の血の跡だの遺体だの見て、お前平気な顔してるじゃねぇか!」

「それは……慣れてるから……」

 そうとしか答えようがなかった。

 なにしろ戦場にいた頃は、毎日こういうものを目にしていたのだ。

「よく、そんなこと言えるな」

「だって……」

 もうどうしていいか分からない。

 何より、イマドにこんなことを言われるのがショックだった。

「だって、前は毎日見てて……隣で食事とかもあったし……」

「お前にはその程度なのか?」

 イマドの声が厳しくなる。

「分かってんのかよ! こんだけ仲間が死んじまって、それで『慣れ』だと!! ふざけんなっ!!」

「ふざけてないわ!」

 思わずあたしも頭に血が上った。

 こんなに何人も友達が死んで、ふざけていられるほどあたしは強くない。

「分かってないの、イマドじゃない! それにこれでも、まだマシなんだから!」

 戦争なんて、なにかのドラマみたいにカッコよくなんかない。辛くて汚くて泣きたくなるようなことしか、そこにはない。

 だいいちあたしが見てきた地獄は、こんなものじゃなかった。それをあたしは、学院の最年少の子より小さい時から、この瞳で見てきた。

 だけど平気なんかじゃない。こんな辛い思い、できるなら二度とゴメンだ。

 ――だいいちあたしがそう思ってるの、イマドだって知ってるはずなのに。

 それなのに!

「やめればいいじゃない! この程度でネをあげるんじゃ、戦場じゃ生き残れないもの! さっさとアヴァンへ帰ったら?!」

「てめぇ……!」

 半分キレたイマドが、あたしの胸倉をつかむ。

 互いの瞳が合った。

 琥珀色の哀しい瞳。

 悔しさ、切なさ、やるせなさ、自責の思い……そういったものが混ざった瞳。

 ――あたしと同じだ。

 不意にそのことに気付く。

 理由は知らない。けどイマドもまた……傷ついてる。

 それもひどく。

「ねぇイマド、もうやめなよ。なにもわざわざ……こんな世界にいること、ないもの」

 イマドの瞳にあたしはつい、いつも思っていたことを口にした。

 この学院の生徒は半数以上が孤児で、みんな帰る場所を持たない。

 けど彼は違う。

 両親こそもういないものの、いつでも遊びに行ける親戚があって、前から引き取りたいと言われているのをあたしは知ってる。

 だったらこんな世界、早く去った方がいい。

「アヴァンへ帰って、普通に暮らした方が……絶対いい。あたしみたいに……決められてるわけじゃ、ないから……」

 イマドがはっとした表情を見せる。

「そう……だったな……」

 彼が手を離した。

「お前は、他にないんだよな……すまねぇ」

「ううん……」

 そのまま二人で、言葉を失う。

 あたしは辺りを見まわした。

 あの綺麗だった校舎は、見る影もなく荒れ果ててしまっている。

 大好きな学院。

 ――あたしの夢の場所。

 けど普通ならわざわざMeS、傭兵学校へ行こうとは思わないだろう。

「イマドは……アヴァンに伯父さん、いるんだもの。だからこんなとこ、やめた方がいい……」

 あたしのように傭兵学校が夢の場所なんて、いいわけがない。

「それに、あたしといっしょじゃ……きっとロクなことに、ならないから……」

 代々傭兵として生きてきた、シュマーという家。そういう家にあたしは産まれた。

 でもあたしはそれが嫌で嫌で――なのに実力だけは一人前で――イマドに偶然誘われた時、逃げるようにこの学院へ来たのだ。

 以来イマドは、ずっとあたしと一緒にいてくれている。

 ただ外の人間が、シュマーの総領家に関わるとロクなことにならないのは、内々じゃ知られた話だった。

「ごめんね、イマド、ほんとは関係ないのに。でもイマド、優しいから……」

 そう。イマドは関係ない。

 偶然あたしたちの時間が交差して、いっしょになっただけだ。

 けど今ならまだ間に合う。

「もう、あたしのことなんていいから」

 あたしは……帰らなければいけない。あの戦場へ。

 そしてまた褒めそやされるのだ。

 ――人殺しが上手いと。

「だから、イマドはイマドで……」

 なぜだろう、涙が出てくる。

 もうここにいられなくて、あたしはイマドに背中を向けた。

「ごめん、あたし……部屋に、帰るね……」

「待てよ!」

 イマドがあたしの手をつかむ。

「悪かった」

 真っ直ぐな瞳。

「俺……昨日からずっと死んだヤツらの念食らってて……。いや、それは関係ねぇな。――俺が悪かった」

 羨ましいぐらいに真っ直ぐな視線。

 あたしまた、泣き出しそうになる。

「――イマドのせいじゃ、ないでしょ」

 やっとそれだけ言った。

 と、急にイマドが笑い出す。

「なんか、普段と逆だな」

「え? あ、そうかも」

 言われてあたしも、ちょっと可笑しくなる。

 でもまたすぐ、二人で黙ってしまった。

「リティーナって俺のよく知ってる低学年の子、死んじまってさ……」

 ぽつりとイマドが言う。

「ナティエスも――死んだの」

「――そうだったのか」

 あたしも、イマドも、他のみんなも、誰かを亡くしたのだと気付く。

 友達、先輩、後輩、そして兄弟……。

「なんで、こんなことに……なっちゃったんだろう」

「さぁな……」

 答えはけして出ないだろう。

 ただ虚しい思いだけが、心にこだましていた。

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