Episode:01-28 狂気の残滓
◇Sylpha
心配した通り、ルーフェイアはそこへ座りこんで泣き始めてしまった。
私もタシュアもかける言葉がない。
「ごめんね、ごめんね……」
ただそれだけを言いながら、この子が泣き続ける。
タシュアが黙って、その頭をそっと撫でた。
ルーフェイアが泣きやむ気配はない。それほどにナティエスを大切に思っていたのだろう。
あまりにも可哀想で、隣にしゃがんでこの子を抱きしめる。
今日はたぶんあちこちで……同じような光景が繰り広げられているに違いなかった。
(――シルファ)
不意にささやき声でタシュアが話しかけてくる。
(遺体の身元確認に呼ばれました。ルーフェイアを頼みます)
(あ、わかった)
タシュアが教官の方へと歩いていく。全生徒の顔と名前を覚えている彼は、この役には適任ということなのだろう。
だが……辛い役目だ。
昨日ムアカ先生から聞いたのだが、生徒の死者は二割にものぼったという。そして最も被害が大きかったのが、ルーフェイアたち六年生から九年生(十一歳~十四歳)だった。
なにしろいちばん大きいルーフェイアたち、九年生のAクラスでさえ四人もの死者、なかには半数近くが死んだクラスまであったらしい。
当然重傷者も多く、無傷で済んだのはごく少数との話だった。
ただ幸いにも、低学年の方は被害が軽かった。
面倒を見ていた生徒たちが命懸けで守ったことと、タシュアの的確な判断とが子供たちを救ったのだ。
――それでも、ゼロというわけにはいかなかったのだが。
ルーフェイアはまだ泣いていた。このままでは一日中泣いていそうだ。
かといってこの冷えた地下――遺体の保存のため、冷気魔法で作った氷が置いてある――でずっと座りこんでいたら、今度はこの子が体調を崩すだろう。
「ルーフェイア、いったん部屋へ戻った方がいい。なにかあったら、すぐ呼びに行くから」
「あ、はい……」
泣きながらルーフェイアが立ち上がる。
「さぁ、行こう」
促すと、この子がゆっくりと歩き出した。
並ぶ遺体の間を歩いて、昇降台へと向かう。
その途中で教官に呼びとめられた。
「君たちは手が空いているのか? もしそうなら、いろいろやってもらいたいことがあるんだが……」
たしかに遺体の確認や搬送、重傷者の手当て、館内の掃除や修繕など、やるべきことは山積みになっている。動ける生徒は貴重な労働力だった。
だが今のルーフェイアになにかしろというのは、あまりにも酷だろう。
「その……この子はちょっと、参ってて……」
「ん? あ、ルーフェイアか。それは仕方ないな。そうしたらシルファ、君だけでも頼む。彼女を部屋へでも送って、ここへ戻ってほしい」
「わかりました」
ルーフェイアの繊細ぶりは、学院内に知れ渡っているらしい。
「……先輩、あたし……部屋へ、ひとりで帰れます」
意外にもちゃんと話を聞いていたらしく、涙を拭きながらこの子がそう言った。
「本当に大丈夫か?」
途中でまた泣き出してしまうのではないかと心配になる。
「だって……寮までですから……」
「それはそうだが」
だがたしかに寮までなら、帰れないこともないだろう。
「そうしたらルーフェイア、気をつけて戻るんだ。私もあとで行くから」
「――はい」
気落ちした後ろ姿でルーフェイアが歩き出す。
ただ昨日と違って足取りはしっかりしているから、寮までなら大丈夫そうだった。
「それで先生、私は何を……」
「これを頼む。嫌な仕事だとは思うが、まさか下級生に任せるわけはいかないんだ」
差し出されたのはリストだ。
「兄弟でここにいる者で、死亡したケースをまとめてくれないか。なにしろ生き残った方も重傷を負っていたりで、まだ完全に連絡できていないようでね」
「了解です」
渡されたリストを見る。
兄弟でこの学院へ保護されているケースはそう多くないが、それでも相当の人数だった。
ここから死亡者を洗い出すとなると、けっこう時間がかかるだろう。
急いで作業に入った。
クラスごとに安置されている遺体の名札を見ながら、チェックを入れて行く。
下は六歳から上は私と同じ十九歳まで……。
「シルファ、ルーフェイアはどうしたのですか?」
うろうろしていると、タシュアが戻ってきた。
「その、ルーフェイアは部屋へ戻ったんだ。それで私は、これを頼まれて……」
タシュアにリストを見せる。
「兄弟のリストですか……。ここは二人とも亡くなりましたね。こちらは姉が重傷ですが、弟は無事です」
次々とタシュアがチェックしていく。
昨日負傷者の手当てに当たっていた際に記憶したのだろう、名前を見ただけで即答だった。
そのタシュアの言葉が……途切れる。
「どうしたんだ?」
「いえ、なんでもありません」
「――?」
気になってタシュアの手元を覗きこんだ。
「あ……」
リティーナ=マルダー。あの子だ。
昨日の光景がよみがえる。
たった九歳で、未来を絶ち切られてしまった少女。
――助けてやれなかった。
深い悔恨が私を捕らえた。
こんな小さな子では自分を守れるわけがない。なのに私たち上級生は、なにをしていたのだろう。
わかり切ったことだというのに。
ほんの数メートル先の、この子のところへ行く。
おだやかな表情をしているのが救いだった。
「ナティエスの苦無が刺さっていましたから……あの子がみかねて死なせたのでしょうね」
「ああ……」
ナティエスはいつも、苦無にかなり強い毒を塗っていた。そのせいで苦しんだ様子がないのだろう。
「可哀想なことをしました」
私は何も言えなかった。
今回のことでは、タシュアもまた……。
「すまない、どいてもらえないだろうか?」
後ろから声をかけられて振り向くと、同じクラスのセヴェリーグがいた。
この子の兄だ。
その彼がそっと少女の隣にしゃがみこむ。
「リティーナ、これを……持っていくといい」
好きだったのだろう、可愛いぬいぐるみをその手に持たせていた。
当然かける言葉などない。
「セヴェリーグ……」
そう言うのがやっとだ。
だがセヴェリーグが返してきたのは、まったく違う言葉だった。
「タシュア、ひとつ訊きたいんだが」
「なんでしょう」
私ではなく、タシュアに問いかける。
「リティーナを殺したのが君の知り合いというのは……本当なのか?」
「――はい」
タシュアの静かな答えに、空気が険悪なものになった。
セヴェリーグが立ち上がる。
「この子のクラスメートの話じゃ、そいつは狂ってたそうじゃないか。なぜそんなものを、放っておいたんだ」
「………」
タシュアは何も答えなかった。
こういう時、彼は絶対に言い訳をしたりしない。
「答えろ、タシュア! この子が――リティーナが何をした? リティーナが悪かったとでも言うのか!」
セヴェリーグがタシュアの両肩をつかむ。
普段なら決してそんなことは許さない彼が、黙ってされるがままだ。
「なんでそいつを、さっさとどうにかしなかったんだっ!」
「――セヴェリーグ、やめてくれっ!」
思わず叫ぶ。
聞いていられなかった。
「頼む、言わないでくれ。タシュアをそれ以上、責めないでくれ……」
セヴェリーグが辛いのはよく分かる。
だがこのことではタシュアも……傷ついているのだ。
「頼むから、もう……」
セヴェリーグがそっとタシュアから手を放した。
彼もまた、悲しさを通り越したとしか言えない表情をしている。
「――すまない。後輩相手にみっともないところを見せたな」
「……いいえ」
どう表現していいのか分からないほど、重い雰囲気。
もう一度セヴェリーグが、少女の隣へしゃがみこんだ。
「すまないが、向こうへ行ってもらえないか?」
「あ、ああ……」
二人でその場を離れる。
――なぜこんなことになったのだろう?
ルーフェイアではないが、ふっとそんなことを思った。
やっとの思いで生き延びてようやく穏やかに暮らし始めたのに、なぜこんな殺されかたをしなくてはならないのだろうか?
私たち上級傭兵を狙うのなら分かる。
だがこんな小さな子の、どこが恐ろしいというのか……。
「シルファ、大丈夫ですか?」
「え?」
私が黙ってしまったからだろうか?
タシュアの心配そうな顔がそこにあった。
「まだ疲れているのでしょう。部屋へ戻って休んだらどうです?」
「いや……大丈夫だ」
それよりもタシュアの傍にいたかった。
なにもできないならせめて、隣にいたい。
「そうですか。そうしたら急いで、このリストを完成させましょうか」
「ああ」
もう一度、辛い仕事に手をつける。
戦いと言う名の狂気が残したものは、あまりにも無惨だった。
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