Episode:01-21 見えない想い
◇Sylpha
やりきれなかった。
たしかに命令を無視したのは事実だ。だがそうしなかったら、低学年の被害はこの程度では済まなかっただろう。
タシュアは……すべきことをしたのだ。
弟をその手にかけてまで子供たちを守った彼を、誰が非難できるというのか。
だが、タシュアは言わない。
いつもそうなのだ。
そうして周囲は勝手な憶測で誤解して……。
「もうこれでいいから。みんなご苦労さま」
ムアカ先生の言葉で、はっと現実に帰る。
「後はこっちで引き受けるから。あなたたちはもう、部屋へ帰って休みなさい」
それを聞いてほっとする。
――やっと休める。
身体がひどく重かった。
すぐ向こうでもルーフェイアが立ち上がったが、かなり辛そうだ。今にも倒れそうに見える。
「ルーフェイア、大丈夫か?」
「はい、大丈夫……です」
そういう声にも、まったく力がない。
無理もなかった。華奢な上にずっと最前線に身を置き、そのあとも休みなしで手当てに奔走していたのだ。
むしろよく頑張ったと言うべきだろう。
「あ……」
そのルーフェイアがよろけ、太刀が音を立てて落ちた。
とっさに手を伸ばす。
だがそれよりも早く、タシュアが少女を支えた。
「シルファ、私とルーフェイアの武器を持ってくれませんか? 私はこの子を連れて行きますから」
「わかった」
ルーフェイアの太刀を拾い、タシュアの大剣を受け取る。
少女をタシュアが抱き上げた。
「すみま……せ……」
それだけ言うと、ルーフェイアが目を閉じる。
「大丈夫なのか?」
「気を失っただけでしょう。休ませれば回復するはずです」
言いながらタシュアが歩き出す。私も慌てて後に続いた。
静まり返った館内。
――墓場のようだな。
不意にそんなことを思って頭を振る。
ここはそんな場所ではない。そう自分に言い聞かせるが、あまり効果はなかった。
焼け焦げ。遺体。血の跡。
時折すれ違う生徒も疲れ切って生気がなく、どこか亡霊を思わせる。
早く部屋へ戻りたかった。
平穏さを残してる場所へ。
血の臭いのしない場所へ。
だから惨劇の跡がない寮へ来たときは、心底ほっとした。ここは生徒がいなかったせいで、ほとんど被害を受けていない。
まず三階へ上がり、ルーフェイアの部屋へと向かう。
「いけない、鍵が……」
手が塞がっているタシュアの代わりにドアを開けようとして、気が付く。
「ルーフェイア、起きてもらえますか? 部屋を開けますから鍵を貸してください」
「……え? あ、はい……」
タシュアに起こされたルーフェイアが、鍵を差し出した。だがぼうっとしていて、またすぐに眠ってしまいそうだ。
受けとって急いでドアを開ける。
寝室まで入ったタシュアが、一旦少女を椅子にかけさせた。
「シルファ、クローゼットからこの子の着替えをなにか、出してやってもらえませんか? ルーフェイア、辛いでしょうが服だけは着替えなさい。返り血を浴びたままでは、ベッドに入れませんよ」
ぼんやりとルーフェイアが目を開ける。見ていても可哀想なくらいに疲れ切っていた。
「タシュア、私が着替えさせるから」
「では私は向こうにいます」
タシュアが隣の部屋――二人部屋の共用部分――へ出ていったのをたしかめて、ルーフェイアを清潔な服に着替えさせる。それからタオルを濡らし、顔や手足を拭いてやると、汚れと返り血とでタオルが赤黒く染まった。
きれいになったこの子をベッドへ移して毛布をかけたが、身動きひとつせず眠ったままだ。
きっと、辛かっただろう。
だがそれでも、ルーフェイアは一言も弱音を吐かなかった。繊細で泣き虫だが、こういうところは気丈だ。
頭をそっと撫でてから、私も共用スペースのほうへ移動した。
「――タシュアは大丈夫なのか?」
心配になって尋ねる。
私やルーフェイアほどではないにしろ、タシュアも疲れているはずだ。
「私も完全とは言い難いですね。普段の六~七割程度です。まぁ、二、三日もすれば回復しますが」
言いながらタシュアが、ルーフェイアの太刀を手に取って手入れを始めた。
「放っておいたら傷みますからね。かといって今のルーフェイアでは、やれと言っても無理でしょうし」
それは同感だった。
当人は必死なだけだったのだろうが、ルーフェイアの働きは間違いなく学年一だろう。全校生徒の中でも、上級生を差し置いて上位に入るはずだ。
だがそのせいで、限界以上に疲れ切ってしまっている。
「かなり疲れているみたいだ。今も……身動きさえしなかった」
「そうでしょうね」
それだけ言って手入れを続けるタシュアの隣に、腰を下ろす。
「タシュア……さっきは、その、すまない……」
「なんのことですか?」
「いや、つい兄弟のことを……」
タシュアは自分のことを知られるのが嫌いだ。なのにとっさとはいえ、思わず口を滑らせてしまった。
だが落ちこむ私に、タシュアが僅かに微笑む。
「かまいませんよ。私の方こそかばってもらって、ありがとうございます」
――他の誰もが見たことのない表情。
冷酷、毒舌で通っているタシュアがこんなことを言うなど、他の生徒には想像さえ出来ないだろう。
「今度から、もっと気をつけるから……」
「ですから、気にしないでください。――それにしても幸運でしたね」
とっさに意味が掴めない。
「その、何が幸運だったんだ?」
「向こうの戦力があれだけだったことと、脅しがよく効いたことですよ。もし私ならそんなものは無視して、今のこの時を狙って軍を再編し、急襲しますね」
さらりとタシュアが言う。
「慣れない戦闘が終わり、ほとんどの生徒が疲れ切って気が抜けています。余力のあった生徒も、怪我人の治療に奔走しているわけですし」
そこで一旦言葉を切って、タシュアが冷たい表情を見せた。
「――今なら、間違いなく殲滅できますよ」
「……たしかにそうだな」
言われて初めて、たしかに幸運だったことに気付く。
先ほどの猛攻はどうにか凌いだが、ルーフェイアはあの通り動く気力さえ残っていない。私もそうとう疲れているし、タシュアでさえ本調子ではないのだ。
当然だが、他の上級傭兵隊も似たり寄ったりだろう。
「タシュアが……向こうにいなくてよかった」
そう言うと当人が笑った。
「さて、これでいいですかね」
ざっと手入れした太刀を、タシュアが鞘に収める。
彼が倒れた後輩の武器まで面倒をみるなど、知らない人間には信じられないだろう。そう思うと可笑しくなる。
「なにが可笑しいのですか?」
「いや……なんでもないんだ」
だが、だからこそルーフェイアがまとわりつくのだろうな、と思った。
あの子は私と同じように、タシュアの本当の姿を知っている。人を寄せつけない外見の奥にあるものを。
そして思い出した。
「そうだ、タシュア、これを……」
預かっていた眼鏡を差し出す。
「ありがとうございます」
タシュアが静かに受け取って、いつもどおりに眼鏡をかけた。
「やっぱり……少し、違うな」
「何がですか」
「その、眼鏡をかけていた方が……少し柔らかい気がする」
本当はもう少し違う言葉のような気もするが、これ以外に思いつかなかった。
「そうですか? ――そうかもしれませんね」
言いながらタシュアが僅かに視線を落とした。なにかを思い出しているのかもしれない。
と、彼が立ち上がる。
「部屋へ戻りましょう。これ以上ここにいても、仕方ありませんからね」
「そうだな」
ルーフェイアを起こさないように、そっとドアを閉めて廊下へ出た。
そして歩き出す。
「タシュア……」
「なんですか?」
一瞬だけためらう。
「その、今夜は……一緒にいてくれないか?」
ひとりでいるのが心細かった。
たぶん私も参っていたのだろう。
「すみません。今夜はひとりにさせてもらえませんか」
だが意外にも、タシュアが断る。こんなことは初めてだった。
「タシュア……?」
言いながら彼の顔を見て、どきりとする。
そうか……。
今日何があったのかが思い出された。
「すまない、気が利かなくて……」
「いいえ、私こそ勝手なことを言ってすみません。また明日にでも」
消えてしまいそうな後ろ姿。
――そうやってまた、自分を責めるのだな。
なにも言えない自分が悔しかった。
タシュアはいつもそうなのだ。なにもかも自分ひとりで抱え込んで……。
虚しい思いを抱いたまま、私も自室へと戻った。
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