Episode:01-18 刃の向こう

◇Rufeir

 頬に鋭い痛みが走ってはっとした。

 急に目の前の光景が現実味を帯びる。

 自分のしたことを実感する。

 あたし、また……。

「ルーフェイア、しっかりしなさい。今まではともかく、今度は生半可なことでは勝てませんよ」

 先輩の言葉に思わず首を振った。

 ――殺したくない。

 他のみんなのように学院を守るためならともかく、あたしはただ単に、意味もなく殺しているだけだ。

 それがなにより嫌だった。

「あたし、あたし……殺すばかりで……」

 あたしは、殺戮機械でなんていたくない。

 人でありたい。

 それなのに、それなのに……。

「殺すだけ……壊すだけ……なんのために……」

 涙が止まらない。

 どうしていつも、こんなことになるんだろう……。

 そのあたしに、タシュア先輩が声をかけてくれた。

「ルーフェイア、いいのです。友人を守る――それだけの理由で」

「え……」

 驚いて顔を上げる。

「あなたには友人が大切にしているこの学院を、守るだけの力があります。ならば彼らのために、その力を使いなさい。そのために例え誰かを殺すことになろうとも、誰もあなたを責めはしません」

「あたし……」

 初めて言われた言葉に、思わず自分の手を見つめる。

 ――あたしに、力が?

 ただ殺すだけのあたしが、守る側になれる……?

 信じられなかった。

 これほど血に染まった手で人を守れるなんて。

 でも先輩は嘘は言わない。

 なら……そうかもしれない。

 ――どうする?

 自分に尋ねる。

 殺すのは嫌だった。

 けど友達が死ぬのはもっと嫌だ。

 なら、どちらを選ぶ……?

 答えは当然ひとつしかない。

 自分の意思で顔を上げて、この光景を見据える。

 目の前に広がる屍の群れ。

 唇を噛みしめる。

 もういちどこれを、今度はあたしの意思で……。

 タシュア先輩はもう、向こうへと歩き出していた。

「――ロア先輩」

 後ろまで来ていた先輩に声をかける。

「他の生徒を下げていただけませんか? ここはあたしとタシュア先輩とで食い止めます」

「えっ?」

 一見自殺行為ともいえる言葉に、ロア先輩が聞き返してきた。

 けどあたしは、玉砕する気はない。

「あたしとタシュア先輩が全力を出したら、間違いなく他の生徒は巻き込まれます。ですから別の場所へ、下げていただけませんか?」

「けど……」

「ロア、この子の言うとおりにしてやってくれないか?」

 予想外の声に驚いて振り向く。

「シルファ先輩?」

 今まで姿を見かけなかった――いつもタシュア先輩と一緒なのに――黒髪の先輩が、いつの間にか後ろにいた。

 目が合ったシルファ先輩が、あたしを見て微笑む。

「ロア、ここは私たちに任せて、船着場へ回ってくれ。それと地下に低学年が避難している。そっちの守りと誘導にも、人を割かないと」

 言われてロア先輩が考え込む。

「そうか、教室からちびちゃんたちは避難したのか。――わかりました、船着場と地下へ戦力を回しましょう。そのほうが被害も少なくなりそうですし」

 ここでは最高の決定権を持つ先輩が、そう決断する。

「ルーフェイア、任せたよ。容赦なんてしなくていいからね」

「――了解」

 他の生徒たちも動き出す。

『おいルーフェイア、だいじょぶか?』

「イマド?」

 通話石から突然聞こえた声に、驚く。直通設定だ。

「ダメよイマド、今非常時だから、私信は禁止でしょ」

『学院長に許可もらったっての。つかお前、まずそれ言うのかよ』

「あ、ゴメン……」

 思わず謝る。

『まぁいいや。んでさ、俺ちと門開けて、ケンディクまで行ってくっから』

「え……」

 なんでイマドに私信の許可が出たのか、これで理解できた。

 確かに彼は門を開けて通れるけど、それでもぜったい安全とは言い切れない。

 あって欲しくないけど、もしものことを考えて、学院長が許したんだろう。

『すぐ帰ってくっからさ、ケガとかすんなよ?』

「あたしは、だいじょうぶ。イマド……気をつけて」

『ああ』

 そこで会話は途切れた。

「さあ、覚悟はいいわね!」

 エレミア先輩の声だ。

「負けるもんかよ、来るなら来い!」

 そう。

 自分自身のために。

 友達のために。

 みんなのために。

 あたしたちの学院のために。

 それぞれの思いをそれぞれの胸に抱いて、最前線へと駆ける。

 「生」という名の未来を、手にするために……。

「行くぞ、ルーフェイア」

「はい」

 シルファ先輩といっしょに、先行していたタシュア先輩の後ろへつく。

 坂を下りて、海岸に出る。

 それからどのくらい待っただろう? 大きな音が遠くから聞こえ始めた。

「始まったな」

 船はどれも船着場へ回ったみたいだから、そっちでいち早く戦闘になったんだろう。

 こっちは静かだ。

 けどあたしも先輩たちも、このまま終わるとは思わなかった。

 そして……。

「やはりこちらへ、上陸部隊が来ましたか」

 大きく広がる入り江の影から、水面をすべるようにたくさんの小船が現れた。

 船着場に戦力を回したとみせかけて、こちらに上陸部隊を出す。常套手段だ。

「ゴミばかり集めても、粗大ゴミが増えるだけなのですがね」

 タシュア先輩が毒舌を放つ。

 シルファ先輩が静かに目を閉じた。

 その身体が、淡く輝きだす。

 手持ちの精霊を開放して、同化する荒業だ。普通はこれをやったら喰われてしまうけど、シルファ先輩はよほど相性がいいらしくて平気だった。

 揚陸艇が、遠浅の砂浜へ乗り上げる。

 その前に立つ、あたしたち。

「我は呼ぶ、黒き雷を纏いし空の飛礫よ、現世(うつしよ)にその姿を留め、全てを消滅せん――」

 先輩の詠唱が始まる。

「鳴り響く時の内に棲む者よ、その稲妻持ちて我が敵を打ち砕け――」

 あたしも召喚呪文を唱えた。

「――滅裂黒雷弾っ!!」

「――来いっ、アエグルンっ!!」

 同時に呪文が完成し、瞬時にあたしたちの周囲が帯電する。

 なにしろ小屋の一つ二つは軽く破壊する魔法が、同属性で二重にかけられたのだ。

 先輩の呪文が生み出したいくつもの雷球から、無数の雷撃が放たれてあたりを薙ぎ払う。

 あたしの呼び出した精霊からも、文字通りの「雷の嵐」が放たれた。

 天から地へ、地から天へ、数十条のいかずちが駆け上がり駆け降りる。

 空気がすさまじい放電を見せ、轟くほどにスパークした。

 あの独特の匂いがあたりに立ち込める。機械類が次々と煙を上げる。

 同時に人が焼け爛れ弾け散った。強い電磁波に晒された生体の末路だ。

 さらにシルファ先輩が、残像を描きながら切り込んで、生き残りに容赦なくとどめを刺す。

 ――殺戮兵器。

 その言葉が脳裏をよぎる。

 今のあたしと先輩たちは、まさに無差別殺戮のための兵器だ。

 やがて……いかづちが収まる。

 あたしたちを中心にした広範囲の円の中は、ひどく静かだった。

 時折機械の魔力が、ショートする音が聞こえるだけだ。

「タシュア、何をのんびりしているんだ!」

 向こうのほうから、シルファ先輩に怒られる。

「やれやれ、焦ったからといって、どうなるものでもないでしょうに。――行きますよ」

 歩き出しかけた先輩が、一瞬体勢を崩した。

「先輩、大丈夫ですか?!」

 慌てて回復魔法を唱えた。

 あたしの精霊召喚と違って、先輩の魔法はその生命力を削る特殊なものだ。当然その効果が大きいほど、削られる分も大きい。

「ルーフェイア、これには回復魔法は効果がありませんよ」

 言いながらタシュア先輩が、愛用の両手剣を抜く。

「あ、すみません……」

 あたしも愛用の太刀を抜き放った。

 向こうから、難を逃れた兵士たちが迫ってくる。

 先行しているシルファ先輩に続いて、タシュア先輩が出た。幸い心配したほど、体調が悪いわけじゃないみたいだ。

 その周囲へ、敵兵が殺到する。

 ――それなら。

 敵の陣形を見た瞬間、なにをすべきかが分かる。

 これがあたしの……力だ。

「空の彼方に揺らめく力、絶望の底に燃える焔、よみがえりて形を成せ――フラーブルイ・クワッサリーっ!」 

 先輩たちめがけて、炎系最上位を放つ。

 周囲に集まっていた兵士たちが、劫火に晒され灰になる。

「やれやれ、無茶をしてくれますね」

 タシュア先輩が苦笑する声を聞く。ただその声は、どこか面白がっているようだった。

 炎の中から光の尾を引いて、シルファ先輩が敵陣へ踊り込む。

 淡く光る髪と身体。紫水晶の双眸。

 大鎌が風を鳴らし、舞うように弧を描く。

 刃が閃くたび、敵が倒れていく。

 さらに猛火の中から漆黒の剣をたずさえて、タシュア先輩が歩み出る。

 焔に照り映える白銀の髪。白い肌。紅い瞳。

 そしてなにより、冷たい死神のまなざし。

「おや、他の方は見ているだけですか? それでよく、軍隊として成り立っていますね」

 揶揄するような口調。

「うわぁぁぁぁっ!!」

 耐え切れなくなったのか、兵士たちが闇雲に突っ込んできた。

 白と黒の刃が閃く。

 たちまち先輩たちの周囲に、骸の山が築かれていく。

 そしてあたしは。

「幾万の過去から連なる深遠より、嘆きの涙汲み上げて凍れる時となせ――フロスティ・エンブランスっ!」

 魔力全開の冷気魔法を、立て続けに後方へ放つ。厚い氷壁が出来て、ここから学院へ続く唯一の道がふさがれる。

 こうしておけばいくらプロの兵士でも、そう簡単には侵入できないはずだ。

 さらに足止めされた兵士たちに、呪文を叩きこむ。

「猛き龍の咆哮、風の悲しみは天(そら)へといのちを返す――ウラカーン・エッジっ!!」

 放たれた竜巻が辺りを薙ぎ払い、風の刃が兵士たちを切り刻んだ。

 恐らく初めて目にしたのだろう。常識を無視した魔法戦に敵がひるむ。

 瞬間、容赦なくシルファ先輩のサイズが振るわれた。

 一閃、二閃。

 たちまち骸が積み重なる。

「――ば、化け物っ!」

「言うことはそれだけですか? もう少し、独創性がほしいものですね」

 先輩の辛辣な言葉。

 そしてあたしも、その兵士の言葉に傷つくことはなかった。

 化け物でもいい。

 この学院を、あたしは――守る。

 さらに次の呪文を唱える。

「――アシッド・ディゾリューションっ!」

 魔法で生み出された水が、彼らの上に覆いかぶさる。

 怒り狂う敵の声が聞こえた。

「馬鹿にするなよ、この程度の呪文――」

 たしかにこの程度の呪文じゃ、ほとんどダメージは与えられない。

 ――けど。

「ケラウノス・レイジっ!」

 上級雷系呪文が水を伝って、本来よりも遥かに広い範囲を射程に納める。範囲のせいで威力こそおちたけど、いかづちが一瞬のうちに相当数の兵士を感電させ、身体の自由を奪う。

 魔法にはこういう使い方もあることを、彼らは知らない。

 そこへ先輩たちが突っ込み、鮮やかに切り込む。

 飛び散る紅い滴。

 上がる絶叫。

 ――一方的な、虐殺。

 戦いの狂気がここへ収束していく。

「やむをえん、あれを出せっ!」

 敵の将校が叫んだ。

「おや、この期におよんで、まだ何かおもちゃでも出すつもりですか?」

 当然だけど、将校の答えはない。

 代わりになにか隠者っぽい人が、呪文を唱えた。

 空気が揺らめいて、巨大な生き物の姿に変わっていく。

「まさか、魔竜……?」

「そのようですね」

 先輩が肯定する。

 その辺りをウロウロしている竜とは、まったく異なる生き物。

 精霊を喰らって力を得た、そう言い伝えられている、人間を嫌う無慈悲な存在。

『ひ弱な人間ふぜいが何をするつもりだ? 滅びる宿命の身で、我にかなうと思うか?』

 竜の口から、意外にも人の言葉が放たれる。

「そういう割には、その人間ふぜいとやらに、あなたは従っているようですがね」

 すかさずタシュア先輩が言い返した。

「自分の主を見下して、ようやく精神の均衡でも保っているのですか? だとすれば、ずいぶん情けない話ですこと」

 竜が低くうなる。あまりな言われように、さすがに気を悪くしたのかもしれない。

 ゆら、と竜が動く。

『愚かすぎて、己の立場も分からぬらしいな……』 

 その顎が大きく開く。

 シルファ先輩がわずかに動いた。紅いくちびるから、呪が紡ぎだされる。

 あたしも別の詠唱を始めた。

「根源の焔、時の風……」

 ごう、と音を立てて、炎が吐き出される。

 焔が周囲で踊った。

「それで、これがどうかしましたか?」

 平然とタシュア先輩が言う。

 シルファ先輩が張った結界と、それぞれが元から持っている精霊の力とが、炎を防ぎきっていた。

『きさまら、何者……』

 竜の言葉に驚愕が混ざる。

「いま光の波となり、世界の境界を越えてここに集え――」

 あたしの呪文が完成する。

「ルドラス・アグネアスっ!!」

 究極ともいえる魔法が炸裂した。

 太陽が落ちたかのような光が辺りを灼く。魔竜の苦しげな咆哮が響く。

 隙を逃さず、シルファ先輩が両足を切り飛ばした。

 地響きをたてて、竜の巨体が倒れる。

『その、呪文を……易々と使うなど、お前は……』

「人間を甘くみて、長々と能書きなどを言っているからですよ」

 タシュア先輩が答えて、漆黒の大剣を振り上げた。

「これに懲りて次からは気をつけるのですね。――もっとも次はなさそうですが」

 一瞬の残像。

 魔竜の首が落とされる。

「どれほどの力があろうとも、使い方を知らなければ無意味なのですよ」

 そう言う先輩の前で、音もなく竜の身体が崩れ始めた。

 巨体が徐々に輪郭を失い実体を失い、やがて砂の山に変わる。

「さて、あなたがたの切り札とやらはこの通りですが?」

 目の前で起きた予想外の事態に、兵士たちが硬直する。

「やる、というのでしたらかまいませんよ。本当の恐怖というものを教えて差し上げます」

 息詰まる沈黙。

 どちらも引き下がるわけにはいかない。

 空気が張り詰めていく。

 だが、それが破れる事はなかった。

 突然彼らのあいだに、ざわめきが広がる。

 慌しく人が行きかい始める。

 その間も先輩は、警戒を解こうとしなかった。むろんあたしもだ。

 ――今まででいちばん長い時間。

 通話石に報告が入る。

『停戦に成功しました。敵が攻撃をやめた場合は、あなたたちも応じてください』

 そして……彼らが武器を捨て始める。

「我々の部隊は停戦を申し込む。貴殿らの温情ある措置を願う」

「善処しましょう」

 タシュア先輩が将校たちとやりとりするのを、あたしはただ見ていた。

 これで本当に、終わったんだろうか……?

 あまりにもとつぜん過ぎて実感が湧かない。

 ――あんなにたくさんの人が死んだのに、こんな風に簡単に終わるなんて。

 どうしていいか分からずに、辺りを見まわした。

 累々と折り重なる屍の群れ。

 狂気の、結末。

 これを招いたのは、まちがいなくあたしだ。

「う……」

「えっ?」

 うめく声に驚いて声の主を探す。

 ――生きてる!

 敵のひとりが無惨な姿で、それでもまだ生きていた。

 慌てて駆け寄る。

「いますぐ、呪文を……」

「お嬢ちゃん……むだ、さ……」

「でも!」

 このまま放っておくことなどできるわけがない。

「いいんだ、もう……」

 その言葉に、どう答えていいか分からなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 涙がこの人の上に落ちる。

「優しい、な……。そんなに……優しくちゃ、さぞ……辛いだろうに……」

 この人の手が、そっとあたしの手を握った。

 ――温かい手。

 あたしたちと何も変わらない。

「ごめんなさい、あたし……なのに……」

「気に、するな。これが……戦……争……」

 ふっと、彼が目を閉じた。

「ごめんなさい……」

 その場からあたしは動けなかった。

 あたしたちが生き延びるために、どれだけの未来が絶ち切られたんだろう?

 どうしてみんなで、一緒に生きていけないんだろう?

 どうして……。

「やっと通れたー。この氷の壁って何?」

「うわ、こっちすごいね」

 他の場所も一段落したのだろうか? どこからか他の生徒たちが集まってきた。

「これ、たった三人で? 信じらんない」

「これじゃ軍隊いらないな~」

 みんなが口々に感想を言う。

「やっぱAクラスだな」

「AどころかSSじゃない?」

 あたしたちに贈られる、賞賛の言葉。

 ――聞きたくなかった。

「いったい何人殺したんだろうな?」

「数えてみれば?」

「――やめてっ!」

 思わず叫ぶ。

 周囲がしんと静まり返った。

「お願い、やめて……言わないで……」

 また涙がこぼれる。

 殺したくなんてなかった。

 ひとりだって傷つけたくなかった。

 それなのに……。

「学院の生徒にしては、ずいぶん安直な考えですね。『人を殺す』ということがどんな意味を持つのか、それさえ理解していないのですか?」

 泣いているあたしに代わってそう言ったのは、タシュア先輩だ。

 言葉は続く。

「仲間のため、学院を守るため、理由はいろいろ付けられますが、所詮人殺しには変わりないのですよ。もう少しよく考えなさい」

 さっきまで敵に向けられていた冷たい視線が、今度は集まってきた生徒たちに向けられる。

「言っておきますが、ルーフェイアはそれを承知で相手を殺しています。上級傭兵隊になろうなどと言うのなら、その程度のことはあなた方もわきまえるのですね」

 みんながばつが悪そうに下をむいた。

「――ルーフェイア、行きますよ」

「あ、はい……」

 先輩にうながされて立ち上がる。

 周囲のあたしを見る瞳が怖かった。

 みんなが責めているわけじゃないのは分かる。

 ただそれでも……見られるたびに自分のしたことを思い知るのだ。

 ――殺すだけの自分を。

 やっと戦いという狂気が去ろうとしている中、あたしは逃げるようにして館内まで戻った。

「ルーフェイア、だいじょぶか!」

 玄関のところでイマドと出会う。

「あたしは……大丈夫。でも……」

 泣かないように唇を噛みしめて……でもやっぱり涙がこぼれた。

「泣くなって」

「けど!」

「わかってる。んでルーフェイア、魔法使えるやつは別棟のホールまで来いってさ」

 彼が急に、ぜんぜん違うことを言い出した。

 なぜか少しほっとする。

「別棟のって……あのセレモニーとか、するところ?」

「ああ」

 訊けば負傷者が多すぎて診療所に収容しきれなくて、急遽そこが治療場所に選ばれたのだという。

「お前魔力強いからな。急いで来てくれってムアカ先生から伝言だぜ。それからタシュア先輩とシルファ先輩も、同じ理由で急いで来てほしいそうです」

「そうですか、わかりました」

 それだけ言うと先輩たちがホールへと向かう。

 あたしも続いた。

 近づくにつれ、血臭が漂う。

「ひどい……」

 中は、それ以外に言葉が出てこないほどの状態だった。野戦病院でもこれほどひどいのは、そう多くはないだろう。

 これでは簡単な裂傷や軽い火傷程度の生徒は、放って置かれているに違いなかった。

「良かった! あなたたちすまないけど、こっちへ来て手伝って!」

 大声でムアカ先生――この学校に併設の、診療所の先生――に呼ばれる。

 向こうに寝かされてるのは、よくこれで生きているというほどの重傷者ばかりだ。

「回復魔法は使えるでしょ? 胸の上に怪我の部位とどの魔法使うか書いたのが置いてあるから、かけてやって」

「はい、わかりました」

 あたしの答えを待たずに、医療器具を片手にムアカ先生が駆けて行った。

 他の教官や救護班の生徒、手の空いている先輩たちとまさに総出だ。

 その中へあたしも加わる。

 ――これでみんな、助けられるんだろうか?

 そんな疑問が浮かんだ。

 これだけの負傷者だ。例え大都市の病院でも対応しきれないだろう。

 ましてや学院にあるのは、薬も機材も限られた量だけだ。

 あれだけ失って、まだ失くさなければならないんだろうか?

 戦いという名の狂気は、どれだけ奪ったら気が済むのか……。

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