Episode:01-10 吹き荒れる破壊

◇Tasha Side

 ナティエスを抱いて、シルファが出て行く。

 子供たちの足音が遠ざかっていった。

 あちこちから聞こえる悲鳴。爆発音。

 だが……ここだけはまるで、時が止まったようだった。

 その中で、兄弟が対峙する。

「ずいぶんとよぉ、甘っちょろくなったもんじゃねぇか」

 タシュアをを見下すようにバスコが言った。

 すでに兄を超えたと思っているのだろう。

「神に抗う者だの大層な名前を喜んでた割にゃ、落ちたもんだなぁ!」

「たしかに……私は変わりました」

 その弟に、静かに兄が言葉を返す。

「ですがその変化を、私自身が気に入ってもいます。守るべきものもできました。それを守るためならば、かつて以上に冷酷にもなれます。――試してみますか?」

 タシュアが初めて表情を見せる。

 氷よりも冷たい微笑。

「な、なに笑ってやがる……」

 死神の微笑みにバスコの声が震えた。

「ですから、試してみなさいと言っているのです。私を超えたのでしょう?」

「だったら死ねっ!!」

 バスコが戦斧を振り上げ、タシュアへと挑みかかる。

 数え切れないほどの犠牲者の血を吸ってきた戦斧が、勢い良く振り下ろされた。

 だが刃は、虚しく床をえぐっただけだ。

「おやおや、ずいぶんのんびりとした攻撃ですね。そのうち蠅がとまりますよ」

 タシュアは軽々と後方へ跳び、簡単に避けてみせたのだ。

 その顔には、どこまでも冷たい嘲笑。

「このぉっ!」

 逆上したバスコが次々と斧を繰り出す。

 常人なら決して避け切れないような鋭い攻撃。

 が、どれも空を切るばかりだ。

「掛け声だけは勇ましいですねぇ。当たらない以上意味はありませんが。それと備品を壊さないでいただけますか。どうせ弁償する気などないのでしょう?」

 言いながらタシュアは教室内を移動し、一番前まで戦いの場が移っていく。

「なんだかんだ言って、逃げてるだけじゃねぇか!」

「そう言うのでしたら、逃げられないような攻撃をしてみなさい」

 教卓に寄りかかりながらのタシュアの言葉は、まさに嘲ってるとしか言いようがない。

「もっとも、力任せに斧を振るうことしかできない脳細胞では、連続技など考えもしないのでしょうが」

「――!」

 言葉にならない雄叫びをあげて、バスコが斧を大きく振り下ろした。鈍い音がして、刃が完全に教卓――端末も兼ねた、据え付けの大きなもの――にめり込む。

 が、やはりそこにタシュアの姿はなかった。

「さて、どこを切り落としてほしいですか?」

 バスコのすぐ隣で、死神が囁く。

「う……うおおおぉぉっ!!」

 抜けないほど深く食い込んだはずの戦斧が、引き抜かれ薙ぎ払われた。

 初めて二つの刃がぶつかり合う。

「なっ――!」

 バスコが驚愕の色を見せた。分厚い戦斧の刃が、真っ二つに折り飛ばされたのだ。

「武器はただ振り回せばいいというものではないのですよ。まぁあなたの単純な頭で、それが理解できるとは思えませんがね」

 タシュアの大剣が閃く。

 黒い残光としか言いようのないものが軌跡を描く。

 あっさりとバスコの左腕が切り落とされ、脇腹まで黒い刃が食い込んだ。

 激痛に弟が絶叫する。

「痛みだけは、人並みに感じるようですね」

 言いながらタシュアが、容赦なく両足をも切り落とした。

 ――ナティエスと同じように。

「いかがです? 少しはやられる側の痛みがわかりましたか?」

 冷酷なまなざしがバスコを射る。

「たっ……助けてくれ……アニキ……」

 弟の、兄への懇願。

 だがタシュアの答えは冷たかった。

「そう言った方々に、あなたは何をしてきました?」

 ナティエスをはじめこの教室で殺されていた子供たちは、明らかにバスコの敵ではない。

 それをこの弟は、己の快楽の慰み物とした。

 抵抗などしようのない子供たちを捕まえ、わざと苦しむような傷つけ方をし、そのさまを見て喜んでいたのだ。

「きょ、兄弟じゃねぇか……なぁ……」

「ずいぶんと都合のいい脳細胞のようですね。たった今その兄弟を殺そうとしていたのは、どこのどなたですか? それに私にとって兄弟といえるのは、あの二人だけです」

 必死の懇願に、タシュアはそう言い放った。

 漆黒の剣が、再び大きく振るわれる。

「兄弟を殺しても何とも思わねぇのかよぉっ!!」

「――死ね」

 バスコの首が飛んだ。

 吹き上がった血が辺りを紅く染める。

 その返り血を浴びるタシュアに、表情はなかった。ただ冷たい視線で、骸となった弟を一瞥しただけだ。

 そして振り返る。

 教室の奥にはまだ、倒れたままの子供たちの姿があった。

 その中でもいちばん小さい遺体にタシュアが歩み寄る。

「すみませんでした……」

 この子はまだ十年と生きていない。

 あと少し来るのが早ければ、全員を助けられただろう。その思いがタシュアの声を沈痛なものにしていた。

 上着を脱いで少女たちにそっとかける。

「あとで迎えに来ます。それまで寂しいでしょうが、我慢してください」

 小さなリティーナを真ん中に、両脇に上級生のクライブとアイミィとを並べて寝かせ、そう三人に言い聞かせた。

 そして精霊を取り出す。

「あまり使いたくはないのですがね……」

 タシュアは普段はこれを使わない。

 それは精霊に頼らない力をつけるためもあったが、なによりも更なる力を得た自分を制御しきれるかどうか、自信がないからだった。

 だがこの期に及んでは、なんとしても押さえ切るしかない。

 部屋を見回す。

 割れた窓ガラス。叩き壊された机。血にまみれた床。散乱するいろいろなもの。無残な姿をさらす子供たち……。

 狂気が走り去った跡は、あまりにも虚ろだ。

 そのなかで自分だけがひとり、異質のように思える。

(――いえ、私自身も狂っているのかもしれませんね)

 自分とて弟をこの手にかけているのだ。

 あるいは何もかもが――狂っているのかもしれない。

 ただここで立ち止まっているわけにはいかなかった。

 まだ惨劇は続いているのだ。

「今は……悪夢を見ることにしますか」

 タシュアとて人を殺すのが好きなわけではない。

 それでも……。

 もう一度、冷たくなった少女たちに視線を落とす。

 この子たちは間に合わなかったが、自分にこの惨劇を止めるだけの力があることを、タシュアは承知していた。

「我が内に宿れ、黄昏の狼と地獄の番犬」

 言葉に応えてあの独特の感覚が走る。

 同時に精霊の力を得て、自分が人の範疇を超えたことも知る。

 自分自身が殺戮のための道具と化すなど、まさに悪夢以外の何者でもない。

 だが、それで助かる命もあるはずだ。

 まだ吹き荒れる狂気から、一人でも多く救わなければならない。

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