Episode:01-08 立ちはだかる者
◇Sylpha
「始まりましたか」
校庭からの悲鳴を聞いて、タシュアがつぶやいた。
「シルファ、急ぎますよ」
「ああ」
二人で走り出す。
まだ船団が上陸しないうちから敵が攻めてきたのだから、急がないと低学年まで襲われかねなかった。
だがタシュアは昇降台――年季が入った昔風のものだ――へ向かおうとしない。
「タシュア、上へ行くんじゃなかったのか?」
教室はすべて、二階以上の配置だ。
「そうです」
「昇降台は向こうだが……?」
不思議に思ってそう言うと、タシュアが指摘した。
「昇降台は危険です。いつ館内まで攻め込まれるかわかりませんからね。それに万が一低学年を避難させるとすれば、階段の状況を確認しておかなければなりませんし」
そう言って、普段誰も通らないような場所へと向かう。
「こんなところに……」
人目につかない場所に非常階段があった。
「ここはまだ、大丈夫のようですね。――さて」
言いながらタシュアは、階段入り口の扉を閉めてしまった。
たしかにこうしておけば、ちょっと見た目には階段があるとはわからない。鍵こそかけてはいないが、そう簡単に侵入されずに済みそうだった。
「どうやら通れるようですね。退路も確保できたことですし、シルファ、行きますよ」
「あ、ああ……」
いつもながら彼の冷静さには舌を巻く。当然といえば当然なのだが、この状況でこれだけ効率よく動ける人間はあまりいないだろう。
二人で急いで階段を上がる。
――?
途中まで上がったところで、たしかに声を聞いた。
「タシュア、今のは……?」
「先に行きます」
一気にタシュアがスピードを上げる。こうなると私ではとても追いつかない。
ともかく急いで階段を昇り切ると、いくつかの教室から次々と、低学年の子たちが出てくるところだった。
「大丈夫か?」
「はい。タシュア先輩が来てくれましたから」
このクラスの担当らしい上級生が、はきはきと答える。
「この先に非常階段があります。それを使って地下まで移動しなさい。しばらくは安全なはずですから」
最後に出てきたタシュアが指示を出した。
「わかりました。――みんな、行くよ」
手際よく年長の子が低学年をまとめて、安全な場所へと避難が始まる。
その時、絶叫が聞こえた。
「隣か?!」
今のは明らかに断末魔の声だ。
低学年の誰かが、犠牲になってしまったのか……。
『手の空いてる隊、教室へ来てくれ! 低学年が襲われてる!!』
やっと、緊急事態を告げる報告が入る。だがどう見ても遅すぎるだろう。
襲われたとおぼしき隣の教室へ飛びこむ。
その私の目に、信じたくない光景が飛び込んできた。
――ナティエスが!
この子は私もよく知っている。ルーフェイアの親友で任務に同行してもらったこともあるし、なにより昨日一緒にケーキを作っていたのだ。
その後輩が無残な姿を晒していた。
それだけではない。
奥のほうにはまだ、切り刻まれたとしか思えない遺体がいくつもある。
――最初に聞いた声は、まさかこの子たち?
そしてその前に立ちはだかるこの男……。
鳥肌が立つのがわかった。
かなり……やばい相手だ。
タシュアを磨き抜かれた名剣に例えるなら、眼前の男はさながら連射銃のようだった。
大量虐殺を目的とした武器。
人を殺すことに悦を感じている。
苦しむナティエスを見て浸り切っている。
その彼がゆっくりと顔を上げた。
なぜだろう? タシュアとその男との視線が絡む。
にやり、と男が笑った。
「久しぶりだなぁ、タシュアのアニキよ。会いたかったぜぇ」
タシュアは答えず、倒れているナティエスを抱き上げた。
左腕と両足が切り落とされている。わき腹も大きくえぐられて、内臓が溢れていた。
「今、呪文を……」
「シルファ、もう無駄です」
そう言ってタシュアが即効性の鎮痛剤を取り出す。
まだわずかに息のあるこの子を、少しでも楽にしてあげようというのだろう。
「タシュ、ア……せん……ぱい?」
鎮痛剤が効いたのか、ナティエスが目を開けた。
「喋らないように。傷に障ります」
穏やかなタシュアの声。
それに安心したのか、この子が微笑みを浮かべた。
「せんぱ……あの子……た……おね……が……」
「心配ありません。あの子たちは必ず私が守ります」
そのタシュアの言葉は、果たして聞こえたのだろうか?
がくりとナティエスの身体が力を失った。
――微笑みを浮かべたまま。
私のうちに、怒りが湧き上がる。
だがそれ以上の怒りを見せたのがタシュアだった。
私にナティエスを預けると、音もなく立ち上がる。
「バスコ……」
この場にそぐわない、あまりにも静かな声だった。
背筋に冷たいものが走る。
タシュアは……怒りが激しいほどに、その声音が冷たくなる。
「なにを怒っているんだぁ? ガキどもを殺したことかぁ?」
対して愉しむような薄笑い。それがどうしたと言わんばかりの口調だ。
――狂っている。
その口調から、瞳から、表情から、狂気がにじみだしている。
いったい何が、ここまで彼を狂わせたのか。
それとも「戦い」という狂気そのものに、既に同化してしまったのか……。
「ヴァサーナにいた頃は、敵なら降伏しても皆殺し、さらに味方すら見殺しにしたキサマが――死神とまで恐れられたキサマが、この程度で怒るか。ずいぶんと変わったものだなぁ!!」
バスコと呼ばれた男が吼える。
一方で、対するタシュアはどこまでも静かだった。
大剣さえも構えず、ただそこに、在る。
その対峙するさまに、私は圧倒されて立ちすくむだけだ。
「――なんでぇ、だんまりかよ?」
バスコが見下したような笑いを浮かべる。
「まぁ、戦いの最中に女を連れ歩くほど落ちぶれたキサマじゃなぁ。ムリねぇか」
どこか勝ち誇ったような響き。
瞬間、思い出した。
タシュアには弟がいると、聞いたことがある。そしてどこかの傭兵隊にいることも。
この弟は、兄にあたるタシュアを超えたいのだ。
だが上手く言い表せないが……彼が知っているのは多分、タシュアになる前のタシュアだ。
そして今のタシュアは、誰も手が届かないような高みへと昇りつづけている。
――自分を責め続けることで。
それを、この弟は知らないだろう。
「ほら、なんとか言ってみろよ」
「――シルファ。ナティエスと低学年を、安全なところまでお願いします」
弟の挑発を、タシュアは完全に無視する。
「先ほど上がってきた階段を利用して地下へ降りれば、当分は安全なはずです」
「タシュア……」
彼が他人に頼み事をすることは、あまりない。だから断ることができなかった。
だいいち悔しいが、私がここにいてもタシュアの足手まといになるだけだろう。
「頼みましたよ」
「――わかった」
存分に戦えるようにと、急いで出口へ向かいかける。
「それからこれを」
「え?」
驚いて振りかえる私に、タシュアが眼鏡を外して差し出した。
血の色をした瞳が光にさらされる。
以前タシュアが言っていた。この眼鏡は見るために必要なのではなく……制限するためのものだと。
強すぎる力を制御するための、いわば手段だ。
それを私に預けると言うことは――。
「預かっておいてください。後から取りに行きますので」
その横顔には表情がない。
表情がないからこそ恐ろしかった。
――やはり、本気なのか?
私に怒りが向けられているわけでもないのに、身体が冷たくなる。
タシュアは本気で弟を……。
戦いが孕む狂気が、辺りを侵しつつあるようだった。
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