2章

1話 事件はある日突然に

 幼馴染でありお互いに視界にすら入れないようにしていたくらい犬猿の仲である千綾と、異常なくらいスキンシップが多くベタベタに懐いているブラコンな妹である美波が入れ替わって三日目の朝を迎えた。


 色白で丸っこい妹は訳あって俺のベッドで全裸のままスヤスヤと眠っている。


 白いモチモチとした柔らかそうな肌。タオルケット布団一枚しか掛かってないということは、これをめくってしまえば妹の全てを簡単に見ることができてしまう。


 保身の為に言うが、妹に手は一切出してない。あのまま妹は寝てしまったので、俺は昨夜は親の寝室を使った。


 んで、言わずもがな、今全裸で寝ている妹こと知名美波の中には遠藤千綾が入っている。


「無防備な奴」


 ため息混じりに出た言葉。


 ムクッと、美波が眠そうに目を擦りながら起き上がる。


「おはよう」


 美波がこちらを見ていたので、俺は挨拶をした。


「ふぁぁあ。……ん。おは……って、ち、知名君!? あ、そっか、私、美波ちゃんなんだっ……ってぇっ……!? 嘘っ……!? 服着てない私ッ……!? そっか昨日お風呂で…………ッ──」


 あくびをして眠さマックスだった美波が、段々と状況を理解していき、しまいには茹で上がったタコのように赤面する様が実に面白かった。


 俺はルンルンとスキップをしながら、美波を残して俺の部屋を出た。


 なんて楽しいんだろうか。

 いや、見た目が美波で、なおかつ全裸だからなんとも言い難いが、今赤面で消えてなくなりたいと今にも叫びそうな妹はあの千綾だ。

 これ以上、楽しいことはない。


 俺はスキップをしながら階段を降りる。途中で足を滑らせ……ズゴズゴドーンッ! 階段から転げ落ちた。


「でも!」


 気にしない。気にならない。


 頭から血が流れていても、


 気にならない。気にしない。


 だって、楽しいから! 最近距離が近くなったり、妹になったりして忘れてたけど、俺はアイツの悔しがる顔が死ぬほど大好きだっ──!


「あっはっはっはっ……はっ──」


 高笑いをしてリビングに戻ろうとした時、玄関先に顔面蒼白で立つ両親と目が合った。


「な、なに……? 何が起きてるの……?」


 母さんが目をギョロッと開けて、俺の笑顔と、頭から流れる血を交互に見て言う。


「あ……いや……今、階段から……落ちた……だけ」


「大丈夫なのっ!?」


「だ、大丈夫。それよりさ、早いね。てっきり、夕方くらいに帰ってくるんだと思ってた」


 すると、親父が答える。


「はぁ? それは昨日美波に電話で言ったじゃないか。まあ、美波の奴、妙にしどろもどろで、いまいち伝わってるか分かんなかったけど」


「…………んっ?」


 すると、母さんが俺の後方に目を向け、慌てて靴を脱いで家に上がる。


「アンタまさか、昨日お風呂上がる時ちゃんと足拭かなかったでしょ……!?」


「へっ?」


 俺は振り返って、お風呂から階段へと続く廊下がビショビショに濡れているのを発見した。どおりで俺は階段で足を滑らせたわけね。

 昨日、お風呂から美波を運んだ時のまま。なんで昨日に掃除しておかなかったって? だって、しょうがないだろ。俺だって疲れてたんだよ。


「……あの、えっと、ごめん」


「ごめんじゃないでしょ! ……あ、えっと、と、とりあえず頭の怪我、どうにかしましょう?」


 カンカンに怒りたかっただろうが、さすがの母さんも、息子の頭から流れ落ちる血を目の当たりにしては怒鳴ることもできない。


「はい」


 俺が返事をしてリビングに入るのと同時に階段から、グレーのスウェットに着替えた美波が降りてきた。


「知名君ちょっと今すごい音したけど、大丈夫!? あっ、おばさん、おはようございます」


「お、おば……、おばさんっ!?」


 愛娘におばさんと呼ばれたショックで、母さんの顔から血の気が引いていく。


「ちがっ……おか、お母さん!」


「い、いいのよ、美波ちゃん……。それが事実だもんね……グスっ」


「あっ、いやっ、えっと、お母さんがあまりにも綺麗でっ、し、知らない人かと思っちゃったっ!」


「……あ、あはは。そ、そうなんだ……」


 意味不明な美波の言い訳など通用するわけがなく、あからさまに肩を落とし、母さんはリビングに入った。そして、悲鳴を上げた。


「な、なにっ……!? すごい汚れてる!」


 リビングには、食べかけのオムライスと、床に散らばった黄色い液体。


 親父がその液体に駆け寄る。


「ん? 悠真お前、足拭かないでリビングにも入ったのか? ……あれ、でもなんか、これ、色が付いてるな……」


 親父はしゃがんでマジマジとそれを見る。


「ちょっ!」


 美波が慌てるようにリビングに入ってくる。

 そして、親父はその液体に指を触れ、躊躇うことなく──口に運んだ。


 俺は目を疑った。


「しょっぱっ……!」


 親父は顔を歪めて、味の感想を言った。


 美波はその場で、顔面蒼白で茫然と立ち尽くす。


「てかこれ、なんだろう……。なんか、味わったことのあるような……ないような……」


 親父よ。味わったことがあるなら、心の底から軽蔑するぞ!


 俺は恐る恐る美波の顔を見る。

 美波は顔を耳まで真っ赤にして、親父もとい隣の家のおじさんもとい幼馴染の父親を鬼の形相で睨んでいた。


「……あ、これ! ション……」


「ごめんそれ俺のおしっこです!」


 親父が言い切る前に、俺は手を挙げて宣言した。


「はっ……!?」


 親父は立ち上がって、その液体から距離を取る。


「なんか、分かんないけど、昨日漏らしちゃったんだよねぇ」


 ボリボリと頭を掻きながら、親父に説明をした。


「……う、嘘だろ……?」


「いやマジだ」


 半信半疑、いや、自らの息子のしょんべんを口に運んだことを信じたくない親父に対し、俺は真顔で答える。

 そんな俺に、親父はカクカクとグロッキー状態のボクサーのように膝を震わせながら、詰め寄ってきた。


「悠真、今俺は……お前のション……べンを、口に運んだんだぞ……?」


「ああ」


「ど、どうしてくれるんだ……!?」


「勝手に親父が舐めたんだろ!?」


「た、助けてくれ悠真っ……! お前のションベンだろ!?」


「知らねぇよ!」


 顔面蒼白で迫ってくる親父を押し退ける。


「おぇぇぇぇええええ!」


 親父は口を押さえて、洗面台へと駆けてった。


「ふぅ」


 一息つくと、背中から殺気が……。


「さて、お掃除でもするかな」


「そうね。傷の手当ての前に、掃除してもらわないとね」


 いつも笑顔な母さんの死んだような顔。

 俺はリビングから逃げ出すように、洗面台へと走って雑巾を取りに向かう。


「わ、私も手伝う……」


 美波が走り去る俺の背中に言ってきた。すると、美波の手を母さんが引いたので、俺は無視して洗面台に向かった、


「美波が手伝うことないわ」


「あっ、で、でも……」


「ホントに、どこで育て方間違えちゃったのかしら」


 洗面台で嗚咽する親父を無視して、俺は雑巾を持ってきた。


 リビングに入ると、黄色い液体の前にしゃがむ。


「子供の頃はヤンチャで、どんな不良になるのかとヒヤヒヤで心配してたのよ。でも、千綾ちゃんが色々お世話してくれたおかげで、なんとか不良にはならないで済んだけど……はぁ……でも、リビングでおしっこする子になるくらいなら、不良少年の方がまだマシよ。だってリビングでおしっこしないもの!」


「…………」


 母さん、美波が恥ずか死にしそうです。


 俺は美波の顔を見て、一応声を掛けておく。


「拭きますよ?」


「…………」


 美波は真っ赤な顔のまま、どうすることもできない。三秒くらい経ったのち、渋々頷いた。


 俺は雑巾でその液体を拭き取った。


 美波はマジマジと俺を見ながら、苦渋の表情。

 俺が拭き終わるまでしっかりと見届けるつもりだろう。


 黄色い液体に、雑巾を載せる。

 ドキドキした。

 白い雑巾が黄色に染まっていく。これは全て千綾の色だ。


 …………ん?


 これは千綾のおしっこなんだろうか。でもおしっこをしたのは美波の体だ。つまりおしっこをしたのは千綾でも、その体は美波のものだ。だったらこのおしっこは美波のものなんじゃないだろうか。……いや、高一の妹のおしっこを処理するのもメッチャ興奮するけど、さ。


「ふぅ」


 と、哲学的なことを考えているうちに、大方のおしっこは掃除できていた。

 俺は黄色く染まった雑巾を手に持って立ち上がる。


「あ、ありがと……」


 美波は拭き終わった俺に、恥ずかしさを我慢してお礼を言ってきた。


「別に」


 俺は何気なく答え、何気なく手の匂いを嗅いだ。

 おしっこ臭かった。


「嗅ぐな変態っ!」


 頭を叩かれる。


「痛っ……」


 クラっときた。慌てて美波が俺の体をガシッと捕まえる。


「あっ……」


 体が密着して、美波は慌てて離した。

 まだまだ、嫌われてますね、俺。


「ねぇ? このオムライス誰が作ったの?」


 騒がしいな。

 リビングの机に置かれた食べ残されたオムライスを見て、母さんが言ってきた。


「俺。…………と、美波!」


 なんか隣から視線を感じたので、慌てて補足した。


「このオムライス不味すぎでしょ! アンタはともかく美波は料理くらい作れるようになりなさいよ、女の子なんだから。チキンライスに大きな野菜を入れるっていうのがセンスゼロよ」


「入れたのはこの人です!」


 美波は俺を指差した。


「いやいや、美波が危なっかしく切ってたからじゃん。俺も作ってる時思ったからな? あれ、オムライスって野菜いったっけ? って」


「なら止めてよ!」


「お前の料理が食べたかったんだよ!」


「……はぁっ!? ば、バカじゃないの!?」


 もちろん。そりゃ、オカズにしていた女の子である千綾の手料理だ。食べてみたかったってのが本音。まあ、結局作ったのは俺だけど。


「アンタら、最近仲良いじゃない。夫婦漫才でも見てるようだわ。阿吽の呼吸ってやつかしらね」


 母さんは微笑んだ。


「いや、前より悪くなってる気がするんだけど」


「そうかしら? でも料理なんて一緒に作ったことなかったじゃない」


「いや、まあ、それは、そうだけど」


「それに、最近悠真楽しそう。良いことでもあったんでしょ?」


「えっ」


 俺は照れ臭くて、頭をポリポリと掻く。


「別に」


 まあ、──。


「まあいいわ。早く頭手当てしなさい」


「母さんが話長いからだろ!?」


 俺はリビングを出て、和室に向かった。和室の引き出しに、救急箱が収納されているからだ。


 和室に入ると、後ろから美波がついてきていた。


「ん? どうした?」


 俺がそう聞くと、美波は素っ気なく返事をする。


「別に」


「いや。別にって」


 言いながら俺は和室の低い位置にある襖を開けて、中から救急箱を取り出した。


、私とおばさんを二人っきりにする気?」


な?」


「なんでっ!?」


 美波は声を荒らげる。


「いやお前、美波になりきるって言ったじゃん」


「…………」


 腑に落ちない様子で、美波は俺から救急箱を取り上げる。


「なに?」


 俺はジト目を向ける。まさか、交換条件とか言わねえだろうな。いや、コイツ性格悪いからワンチャンあるぞ。


 俺が警戒していると、


「お、お兄ちゃん傷口見せて。私が手当てしてあげるから……」


 美波は救急箱を胸の前にグッと引き寄せて、顔を赤く染めなから言ってきた。


「…………お、おう」


 照れながら言われるとこっちも照れくさくなる。俺は照れながら髪を上げ、大人しく手当てしてもらうことにした。


 美波はタオルで、俺の顔に流れる血を拭いた。


「おじさんもおばさんも、よく子どもが血流してるのに平然としてるよね」


「まあな。ズレてるとは思うよ。まあ、それを言うならお前だってそうだろ」


「だって、当の本人がケロッとしてるんだもん」


 白かったタオルが真っ赤になった。改めて見るとゾッとする。


「やっぱり、戻らなきゃだよな」


 俺は言った。


「でも、アンタ、さっき言ってたじゃない?」


 美波は真顔で返す。


「なに?」


 俺の素っ頓狂な表情を見て、美波はため息を吐いた。


「マジでなに?」


「アンタ、最近良いことあったって聞かれて『うん』って言ってたじゃない?」


「言ってねーわ」


「えっ」


 美波が固まる。まあ、別に、良いことがなかったわけじゃない。

 でも、


「別にお前と美波がじゃねぇからな?」


「はっ?」


 てっきりそうなのかと思ってた、とか言いそうな、心外そうなツラだ。



「お前と仲良くなれた」



 俺の手当てをしていた美波の手が止まる。


「お前と美波が元に戻ったら、また昔みたいに仲悪いままなのかな?」


 美波は無表情のまま。


「戻り方分かんねーと、どうしようもねぇけどな」


「……そうね」


 美波は包帯を巻き終えると、テープで留めて立ち上がる。


「オッケーよ」


「ありがとな」


 俺も一緒に立ち、お礼を言った。


「うん。まあ、頭打ってるんだから、病院行った方がいいんだけど」


「いや、打ったっていうより、切ったって感じだから。病院はいいや」


「いやいや、病院は行くべきだって」


「お前はアニメに出てくるお節介幼馴染か!」


「いや幼馴染よ! 前半部分はちょっと意味不明だったけど」


「いや分かれよ!」


「絶対ムリ! 知名君こそ分かれっての! 病院行かないなら、知名君の部屋を掃除した時に見つけたもの全部、知名君のお父さんとお母さんにバラす!」


「やっぱテメェだったかこの野郎! ところで中央病院って何時からやってます?」


「ぷはっ、行くのね?」


「うん! 絶対行くぅー!」


「ギャルなの!?」


 本当に、俺と千綾の関係は、この入れ替わりによって劇的に変わった。

 全てが、良い方向へと動き出していた。




 ☆☆☆


 彼は、知名悠真は彼の母親に付き添ってもらい病院へ行った。

 散乱していたリビングは片付いた。あんまり見てると、昨日のことを思い出して死にたくなるので、私は即急にリビングを出る。


 知名君のお父さんが洗面台から出てきた。

 私が小さな頃から良くしてもらっていたが、正直引いた。いや、かなり引いた。


「美波? どうした?」


 じっと知名君のお父さんの顔を見つめてしまっていた。


「ううん。なんでもない」


「そうか」


「うん」


 私は二階へ上がり、美波ちゃんの部屋に入る。

 知名君とはまるで違う、綺麗に整頓された部屋。ジャ◯ーズのポスターが貼ってあると思えば、アニメのポスターも貼ってあり、本棚にはぎっしりと漫画本がある、多趣味な部屋だ。あいにく私はどれも興味がない。


 私はクローゼットを開け、制服を取り出して着替えた。


 制服のサイズ合ってないんじゃないだろうか。胸のあたりと、腰のあたりが窮屈すぎる。


「これはダイエット案件ね」


 ため息が出る。


 私は鞄を持ち、部屋を出て階段を降りる。リビングから知名君のお父さんが「いってらっしゃい」と声を掛けてくる。私は「いってきます」と返して、知名家を出た。


 家を出た風景は前とは違う。場所も、自分自身の姿も。でも、私は私だ。


 ──遠藤 千綾だ。




 隣の家から、扉が開く音がした。


 肩を落として、浮かない表情のかつての私。


「おはようっ!」


 私は声を掛けた。

 すると、ピクっと揺れる体。


 俯いたまま、遠藤千綾は頭を下げ、歩き出した。


「待ってちゃん」


 私は呼び止め、遠藤千綾は足を止め、振り返る。その顔は驚きの表情だった。それもそうだ。私は美波ちゃんにちゃんと千綾を演じるように強制した。家の外ではお互いがお互いのことを目の前にいる自分自身の名前で呼ぶように。でも、今、それを私自ら破った。


 正直、美波ちゃんがしたことは許せない。美波ちゃんを拒否しなかった知名君も悪いけど、元凶はこの子だ。


 だけど。なんでだろう。美波ちゃんが可哀想になってくる。

 昨日、知名君とキスしたからかな。決してそんなことはない、とは言い切れない。

 でも、美波ちゃんは放っておけない。


 今の私は前向きだ。


「美波ちゃん、一緒に学校行かない?」





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