3話 歯止めが利かない!?
放課後、家に帰ると、美波の姿はなかった。
この時間ならとっくに帰ってきている頃だろう。だってアイツ《千綾》が友達と寄り道して帰るとか想像できない。
俺の予想は大方当たっているようだ。
美波が今朝、登校時に履いていたローファーが玄関にあった。
このことから導き出される答えは、美波は一度家に帰ってきたが、再び出掛けた。
俺はふと、昨日美波が言っていたことを思い出す。
『私、ダイエットする!』
まさか、アイツ、本気でダイエットする気なのか?
俺は玄関の脇に設置された大きな下駄箱の中を開く。一年くらい前に美波がダイエットのために買ったまま下駄箱に眠っている可哀想なランニングシューズがなくなっていた。
「話したいことがあったのにな」
俺は仕方なく自分の部屋に向かい、俺の部屋の前に立ち、扉を開けた。が、俺は目の前に広がる絶望的な光景に、唖然とした。
──部屋は見違えるほどに綺麗になっていた。
てゆうか、間違えてるんじゃねぇの?
俺はそのまま扉を閉め、周りを見回す。部屋の位置からして……紛れもなく、俺の部屋だ。
俺は再び扉を開け、中に入る。
あの無造作に転がったゴミはもうない。
床に投げっぱなしになった漫画や雑誌は見たこともない本棚に整理されており、使い終わったティッシュも、食べ終わったお菓子のゴミも綺麗になくなって、埃一つ見当たらない。
「……これは……まずい……」
俺は顔面蒼白になりながらベッドの下を覗き込む。
……何もない。俺が中二の時から必死になって集めていた秘蔵のお宝コレクションの全てが……。
俺は勢いよく立ち上がり、勢いそのままに階段を飛び降りて、勢いを殺すことなくリビングに飛び込んだ。
「…………か、母さん……ひ、人の部屋勝手に掃除しないでよ!」
……………………………。
シーンと、静まり返っていた。俺の言葉に返事をする人はいない。
というか、誰もいないんだが……。
「……母さん?」
俺はリビング中見回す。
「……いねぇわ」
クソ、俺の部屋のことについて聞きたかったんだが……。
もしかして、自慢の息子がとんだド変態だと知ったショックで家から飛び出したんじゃ……。
なんか、……なんか……、なんか死にてぇぇぇえええッッッ!!
俺が頭を抱えながら奇声を発していると、トントン、と肩を叩かれる。
振り返ると、幼馴染の千綾が立っていた。
「うおっ、あっ、おう?」
突然すぎて身構えてしまったが、今の千綾は俺と仲が悪かった頃の千綾じゃない。
その女の子はかつて妹だった女の子だ。
「どうした? 美波」
すると、千綾はパッと目を見開いた。
普段はクールなイメージのある千綾のその新鮮な表情に、俺は思わず笑ってしまった。
「美波って呼んで千綾ちゃんに見つかったら怒られるよ」
「怒られるなら、この状況もそうだろ?」
「あ、う、ま、まあ……」
俺と妹の美波は、千綾に接触禁止令が発令されている。それは美波と千綾が入れ替わって早々に、俺と千綾の姿をした美波がキスをしてしまったからだ。
「二人きりの時は美波って呼ばせてくれ。じゃないと、兄妹じゃなくなるみたいで、嫌だ」
「私も……イヤ……かな……」
美波にも若干の後ろめたさはあるらしい。
後悔してればそれでいい。
でも、俺は────甘かった。
「お兄ちゃん、千綾ちゃんは?」
「どうして?」
「千綾ちゃんに用があって来たんだよ」
「ああ。今、本物の千綾の方はジョギングに行ってるっぽい」
「ジョギング?」
「あー」
どうしよう。何て伝えればいいんだ。
俺が頭の中の思考回路をグルグルと高速回転していると、美波は苦笑いで言う。
「そっか、まぁ、私、デブだもんね」
「千綾にも言ったけど、男子からしたら本当になんでもないくらいだろ」
「でも……」
美波は自分の細い体に目を向ける。
「いやいや。千綾基準にしたら世の中の女子の殆どがデブってことになるからな」
「あはは。確かに」
「それに、勝手にダイエットしてくれる最強のダイエットマシーンだと思えば、気が楽だろ」
「うん、そうだね」
美波は周囲を見回す。
「なんか、こうしてお兄ちゃんと自分の家でお兄ちゃんといるの、久々だなぁ」
自分の家を懐かしむよう。俺はその姿に胸が痛んだ。
「どうやったら元に戻れると思う?」
俺は聞いた。美波は首を傾げた。
「分からない」
「だよな」
俺はため息を吐く。
「でもさ……」
美波は呟くように言う。
「このまま元に戻るの、ちょっともったいないよね」
俺はドキッとした。次に美波が言うことが分かったから。
「お兄ちゃん、
真っ直ぐに俺を見る大きな目。その顔は、その体は、俺がオカズにしたものだ。そして、それを今所有しているのは俺に好意を寄せる妹。
俺は首を横に振れなかった。
「お兄ちゃんならいいよ……?」
恥じらいながらも、
「私は……お兄ちゃんがいい……」
ヨタヨタと、美波は近く。俺は動けなかった。
美波の白い小さく綺麗な手が俺の胸元をなぞるように触れる。
「……いいよね……?」
美波は俺の背中に手を回し、俺に抱きついた。
柔らかな体が俺を包む。
美波の髪からはシャンプーの良い香りがした。
──ダメだって……分かってる。
でも、千綾の姿で迫られると、ダメだ。自分でも歯止めが利かなくなる。
俺は自分の腕を、千綾の背中にそっと回す。
細く、柔らかく、俺の好きな、千綾の体。
「……チュー、しよ……?」
胸元で、美波は囁いた。
そして、目を瞑る。
俺は、目を閉じて待つだけの女の子に、優しく唇を重ねた。
「やった……お兄ちゃんからキスしてくれた……」
涙目で嬉しさを表す美波。その唇に俺は力強く唇を重ねる。
「んっちゅ……っ……ちゅぱっ、ちゅぱ……っん……ちゅぱっ……」
唇を離す。
千綾の虚ろな目。
乱れた息を整える暇さえなく、俺は再び美波に唇を重ねる。
美波は必死に俺のキスについていこうと、呼吸をすることすら忘れる。
美波を抱く腕に力がこもる。ギュッと、強く。
その強さは、唇にも伝染する。
「んちゅっ……っ……う……ちゅぱっ……はぁはぁ……んちゅっ……ちゅ……っぱっ……はぁ……ちゅ……っ…………ちゅっ……ちゅぱっ……」
美波は唇を離し、乱れた息を整えながら言う。
「はぁ、はぁっ、はぁ……お、お兄ちゃん……セックスって、……どうやって、するの?」
美波は顔を赤く染めながら言う。
「初めてか?」
「……ぅん」
小さく、美波は頷いた。
「美波は何も気にしなくていいよ」
「……ぅん」
俺は千綾をリビングのテーブルの上に押し倒す。
「……お、お兄ちゃん……」
美波の手に力が入る。
俺はそれを握り締め、再び唇を重ねる。
そして、千綾の胸に手を掛ける。
「あっ……」
美波の、声が漏れる。
小さく、それでも柔らかい、千綾の胸。
千綾の白く、細く、長い足を指でなぞる。
美波はくすぐったそうに、ムズムズと、体を俺に擦り付ける。
そして、俺の指は太ももを通過し、制服のスカートの下に手を入れた……その時だった。
玄関の扉が開く音がした。
「ただいま」
美波の声がした。
俺は美波からパッと離れた。
美波も、俺が起き上がると、すぐさま起き上がり、テーブルから降りた。
美波は急いで乱れた制服を正す。
そして、リビングの扉が開く。
ジャージ姿の美波が立っていた。俺と千綾の姿を確認すると、美波は不機嫌そうに眉をひそめる。
「何してんの?」
俺は美波の鋭い目に思わず目を逸らしてしまう。
「何って、千綾ちゃんが呼んだんじゃん。家に来たらリビングにお兄ちゃんがいただけ」
と、俺を庇うように千綾は言う。
すげぇ。修羅場っぽいのにこうも平静を装えるって、どんだけハート強いんだよ、俺の妹は。
「あっそ」
美波は素っ気ない返事をして、リビングを出ていく。
「どこ行くんだよ?」
美波は足を止め、答える。
「シャワー浴びるのよ」
「は?」
「汗が気持ち悪い」
「俺と美波を二人っきりにする気か?」
「なに? 二人っきりだと何かまずいことでもあるの?」
「…………いや」
正直、多分、いや……。
「はぁ……まったく……」
美波はくたびれるようにため息を吐いて、リビングの扉を閉めた。
再び、俺と千綾は二人っきりになる。
リビングには沈黙が支配していた。こういうのは慣れてるはずなのに。妹にオ◯ニーを見られて気まずくなるなんてことも多々あったのに……。
「……お、俺、部屋に戻っけど、元々ここはお前の家なんだから、……その、気とか使わないでいいからな?」
しどろもどろに、俺は言った。そして、俺はリビングを出ようとした。
「待ってッ……!」
千綾は呼び止める。俺は背を向けたまま、立ち止まる。
「お兄ちゃんといると、私……我慢できない……」
苦しそうな千綾の声。
「…………」
…………俺もだ。
俺もなんだ。美波。
☆☆☆
俺はその場から動くことができなかった。
それは迷っていたからだ。
今ここで振り返れば、俺と美波は暴走してしまう。自分の理性を制御できなくなってしまうだろう。だから、俺はこの場を離れなければいけないはずなのに、俺はこの場から離れることができない。
すると、廊下の先から、髪を湿らせた美波がタオルで頭を拭きながら歩いてきた。
リビングで突っ立ってる俺と千綾を見つけると、美波は不機嫌そうな顔をする。
「どういう状況?」
「別に」
「そう」
美波に睨まれると、今まで動かなかった体が不思議と動く。
俺は美波と入れ替わるように、リビングを出る。が、美波とすれ違った時、腕を掴まれる。
「知名君もいなさいよ」
「はぁ?」
「貴方も情報は共有するべきじゃない?」
「お前は俺と美波を引き離したいんだろ?」
「はぁ? 何それ?」
美波は俺にジト目を向けた。
「勝手に思い込んで、人を悪人扱いしないでもらいたいわね」
「…………」
実際、嫌な奴だとは思ってるけどな。
「誰が好きで実の兄妹を引き離したいのよ。健全ならいいの、健全なら」
「そうなん!?」
「いや、普通に考えてそうでしょ」
「だってお前、美波に俺のこと無視するように言ってただろ!?」
「そりゃ、人様の目の前での話よ」
「……は?」
「学校とか、ママとパパの前では、ちゃんと知名君を嫌ってねっていう話」
「…………」
と、美波は顔色一つ変えず、淡々と言ってのけた。
なんなの、コイツ、やっぱ悪い人じゃねえか。
俺はリビングに戻ると、テレビの前にあるソファに座った。
美波と千綾はキッチンそばにあるテーブルに着いて話を始めた。
「どうだった? 遠藤 千綾の学校生活は?」
「うーん」
あ、なんか千綾がすごい気まずそうな顔をしている。
「うん、なにも……なかった、かな?」
「何かあったの?」
美波は鋭い眼光を向ける。
「…………」
違うよ、違うんだよ。妹が言いたいのはそういうことじゃないんだよ。お前がぼっち過ぎて、何もな過ぎたんだよ。
「知名君は?
美波は俺に会話を振る。
「ああ。ちゃんと遠藤千綾を演じてたぞ」
「ふぅーん」
今度は千綾の番だ。
「千綾ちゃんは? ちゃんと私を演じれて──」
「もちろんよ!」
……?
美波は食い気味に答えた。
「二人とも勉強の方は大丈夫だったか? 千綾は去年やってたところだから分かるだろうけど、美波はやっぱ難しかったろ?」
「うん、全然分かんなかった」
美波は顎に手を当て、難しい顔をする。
「早く戻れればいいけど、赤点取りまくって留年なんて、勘弁してほしいわ」
「……うん、頑張るよ」
「二人とも部活をやってなかったのが幸いね」
「いや、私は美術部に入ってるけど。まあ、あんまり活動はしてないけど」
二人はため息を漏らした。やはり、入れ替わって良かったことなど、何一つないんだ。
やっぱり言うべきだろうか。今朝の学校での出来事。
千綾の体で美波は言った。
『美波に戻りたい』
と。
でもなぁ。
「はぁ!? 勝手なこと言わないで! あんなことしておいて元に戻りだぁ!? 流石に無い! 有り得ないわ!」
とか言いそう、
当然ではあるが、そんな想像をしている俺なんかは置いて二人の会話は続いていく。
「そういえば、昨日って唐揚げじゃなかった?」
千綾は聞いてきた。
「正解。どうして分かった?」
俺にそう聞かれると、千綾は気まずそうに答えた。
「えっと、先週くらいにお母さんに聞いてたの。来週は美波の好きな唐揚げにしようって」
「まさか美波ちゃんっ!?」
と、美波は千綾を見ながら、飛び跳ねるように立ち上がる。
「まさか、私の体で暴飲暴食とか……」
「してないよ! 流石の私もそれは気が引けるよ! 失礼だなぁ!」
「……ご、ごめんなさい」
美波は申し訳なさそうに言うと、また椅子に座った。すると、今度は千綾がキッと睨みながら反撃する。
「千綾ちゃんこそ。私それ以上太りたくない! 唐揚げだったんなら、油物だから三個までしか食べちゃダメだったんだよ!?」
が、強く責められた美波も反論に出た。
「言っとくけどね!? 私は美波ちゃんみたいに大食いじゃないの!」
「いやいや。お前昨日の唐揚げバクバク食ってたじゃんか?」
俺が事実を述べると、鋭い殺意のこもった眼光が俺に向けられる。
俺はそんな殺人眼光をヒラリとかわすように言ってやる。
「嘘はよくない」
すると、意外にもあっさりと美波はその鋭い眼光を引っ込めた。
「ええ。そうね」
でも、と、付け加え、
「お宅らのご両親が食べさせまくるから、し・か・た・な・く!」
「「ご、ごめん」」
親の不始末を、代わりに俺と千綾が謝った。
「あ、お母さんと言えば、なんで家に居ないの?」
「…………いや?」
そういえばそうだ。母親は専業主婦で、家に居ないことの方が珍しい。
「そういえば昼間に電話がきてたような」
と、千綾が言う。
「もっと早く言えよ! てか何でスマホ交換してねえんだよ!?」
「だってお兄ちゃん、電話なんて来るとは思わなかったから……」
「……それはお前……友達とかいなかったらそうかもしれないけど……あ……」
美波と目が合う。みるみるうちに、美波の顔が真っ赤に染まっていく。そして、千綾は手で口を押さえ、プルプルと笑いを堪えていた。
「…………ま、まあ、で? 電話の内容は?」
俺は気まずさから逃げるように、話を続けた。
「いやいや。声でバレるから出てないよ」
「確かに」
そして、かわりに美波が電話をかけることになった。
変によそよそしく、あたふたジェスチャーを交えながら、なんとか電話は終わる。
「ふぅ……緊張した」
「もしかしなくてもお前って電話苦手?」
「…………べ、別に」
俺的電話苦手な人あるある。電話にも関わらずジェスチャーで伝えようとする。
「で、なんだって?」
「ああ。えっと、実家に帰るって」
「「はぁ!?」」
俺と千綾は飛び跳ねるように立ち上がる。
「ど、どどど、どういうことだよ!?」
「おばあちゃんが体調崩したらしいから」
「いやそれを先に言ってくれない!?」
俺の指摘に、美波は知らん顔でやり過ごす。
「でも、ばあちゃん大丈夫かな?」
今は他人かもしれないが、大切なばあちゃんだ。千綾は不安そうな顔で俺を見てきた。
その質問に答えたのは美波だった。
「ああ。ただの風邪らしいから。心配することはないらしいの」
「……ふぅ、なんだ、よかったぁ」
「まあ、問題は、今夜の晩ご飯よね」
☆☆☆
千綾は帰った。リビングには絶望にひれ伏す二人しかいない。
テーブルに座ったまま俯いている美波に、俺は話しかけた。
「お前、料理できる?」
「…………で、できるわよ!」
本当かよ、コイツ。
美波は席を立ち、リビングを出た。そして、どこからかピンク色のエプロンを持って現れた。
「昨日美波ちゃんの部屋で見つけたの」
「へぇ」
ピンク色の生地に、白い花柄のついたエプロン。いつの間に買ったのだろう。すごく女の子らしい、美波に似合うエプロンだと思った。
美波は髪を高めの位置で束ねてポニーテールを作りエプロンを着た。
思った通り、可愛らしい美波にそのエプロンはとても似合っていた。が、少し胸のあたりのサイズがキツイような……あんまり見れないけど。
キッチンへと向かう途中、美波の上げた髪の下にある、綺麗で透き通るように白いうなじを直視してしまい、俺は思わず唾を飲んだ。
「さて、何を作ろうかしら」
美波は冷蔵庫を開ける。
「…………あー」
美波は微妙な顔をする。
「しょ、食材が……」
「ないのか? 買いに行くか?」
「多すぎて……何作っていいか……」
「料理できない奴の典型だな」
「しょうがないでしょ!? なら知名君は作れるの!?」
「卵焼きなら」
「まったく……。同レベルね」
呆れたように言う。が、同レベルって……。
「あっ」
と、美波は思い出したように振り返り、ドヤ顔で言ってきた。
「卵料理で思い出したけど、私オムライス作れるの!」
「へぇ」
「知名君は?」
ニタァっと嫌な笑みを浮かべてきた。
「作れねえよ」
俺は悔しそうに答える。
「でしょうね」
と、ばっさり。
いつから、こんなにムカつく妹になってしまったんだろう。……ああ、千綾と入れ替わってからか……。
美波はキッチンに立ち、材料を出していく。
「卵に、タマネギ、ニンジン、ハム、あと、ケチャップね」
美波は手際悪く、もたもたがたがたと、不具合を起こしかけてる洗濯機みたいに、タマネギとニンジンを切り始めた。
切られた野菜は大きさもバラバラで、それ火通るの? ってくらいデカイのもあった。
危なっかしくて見てられん。
「俺やるよ」
俺は美波から包丁を取り上げ、美波の切ったタマネギとニンジンを再び細かく切る。
「…………」
美波は切られた野菜を、フライパンに入れていく。
「あ、ほら、油しかないと」
「…………」
俺はフライパンから野菜を出し、油をフライパンにしいて、火をかけ、そこに野菜を入れた。
「…………」
俺は野菜を炒めながら、
「千綾は何でもできると思ってた」
「……うるさいわね」
美波は少し頬を赤らめて強がる。
「…………」
「…………」
二人はキッチンに並んだまま、一言も発しない。
ジュージューと、野菜の野菜を炒める音が際立つ。
別に、今までなら、気まずいとか思わなかっただろう。千綾とは話さないことが当たり前だった。
でも、今の俺はこの状況で気まずいと感じている。
「あー、えっと、千綾って、彼氏とか、いるん?」
言葉を詰まらせながら言うと、実に気持ちの悪い質問だとこと。
「なんで?」
「別に。ただの世間話」
「いるわけないでしょ?」
「いや、いるわけないわけないだろ」
「…………あ、あり、ありがと……」
は? ありがとうって何が?
「中学時代とかお前結構人気あったよな? 俺の友達とかお前のこと好きって奴多かったんだぜ?」
「どんなに好きって言われても、好きな人からじゃなきゃ、意味ないし、嬉しくないわ」
「え、好きな人いるん?」
俺は真顔で聞き返した。すると、慌てたように美波は言う。
「……っ!? い、いい、いるわけないでしょ!?」
「あはは、確かに。お前って好きな人より嫌いな人の方が多そうだもんな」
「何よ、その言い方?」
「あ、ご飯とケチャップ取って」
「うん」
俺はフライパンにご飯を入れ、ケチャップをかけ炒めながら、話を続ける。
「なんか、こういうの懐かしいよな」
小学生の頃はよく二人でおままごとしてた。俺はこの懐かしさが少し、嬉しかった。
「……そうね」
美波は一呼吸置き、
「なんでこんなになっちゃったのかしら」
「…………」
それは、お前が俺のことを無視し始めたからだろ。忘れたとは言わせねえからな。
「……知名君は彼女とはよくやってるの?」
力なく、美波は聞いてきた。が、それはどっちの意味ですか?
「下ネタ……?」
「ちっ、違う! 今も付き合ってるの? 例のあの」
俺は首を傾げる。
「まあ、俺とアイツの関係は普通とは違うのかもしれないけど。仲は良いよ」
俺と彼女を見て、他の連中はあまり良い顔をしない。そして、他の連中を俺と彼女を見て口を揃えてこう言う。
『共依存』
それは中学時代、同じ学校に通っていた千綾自身も知っていること。
……なんか、ムカつくんだよ。
俺と彼女に陰口を叩いてた奴も、それを知ってて黙ってた奴も、すごく、ムカつく。
「いいだろ、この話は」
俺はフライパンの火を止める。
「卵といて」
「うん」
美波はボールに卵を落とし、卵をとく。
それから俺と美波は無言で作業した。いや、作業したのは俺だけで、結局美波は隣で俺を見ていているだけだった。
テーブルにはごくごく普通のオムライスが二つ。向かい合って俺と美波は座る。
「「いただきます」」
俺と美波は黙々と食べ始める。
すると、美波はオムライスを食べる手を止めた。
「店で出されたらガッカリするけど、家で食べてると思えば美味しい味」
「……」
素直に美味しいって言えばいいのに。
「何でだろう? 私が作ったからかな?」
「百歩譲って共同作品な?」
九割俺が作ったんだけど。
俺は黙々と食べ続ける。が、あることに気づいて、スプーンを止めた。
俺は視線を上げる。
目の前にはこっちを凝視して固まる美波の姿。
「食べねぇの?」
「…………」
美波は黙ったまま、俺を凝視し続ける。
「なぁ? あんまり見られてると、食べにくいんだが……?」
すると、美波は肩を震わせながら、顔を歪めた。
「……お、おにぃ……ちゃん……?」
俺はピクッと、体の動きが止まる。
「お、お兄ちゃん……だよね……?」
美波の声は震えていた。
「わ、私だよっ……? 美波だよ……? 元に、戻ったんだよっ……?」
元に……戻ったって……え……。
「美波……なのか……?」
突然、美波の体の中から、千綾は消えた。
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