第31話『マイヅルへ……』
寝てる間にどれだけ涙を流したのだろう? 頬をつたった涙の感触がまだ残っている。
(俺、こんな涙脆かったっけ?)
夢の中で彩兼は泣いた。家族を目の前で殺されて、食い散らかされて泣き喚いた。
悪夢とは現実世界で受けたストレスを脳が整理しようとして見せる現象といわれている。彩兼は知らない世界で目の前で人が食い殺されるのを目の当たりにした。
(思った以上にまいってるんだろうな……ファルカや長官がいてくれて良かった)
これが日本ならカウンセリングのひとつも受けるべき案件だろう。当然この世界では望むべくもないが……
それでも寝る前より心が晴れやかな気がするのは、夢を見ることで悲しみや辛さが発散できたからだ。加えて昨夜ファルカやフリックスと過ごせたことで、彩兼は孤独にならずに済んだ。もしひとりだったら、数日はふさぎ込んでいたかもしれない。
「くぅ~~、こっちも結構きてるな……」
ベッドの上で。身体を伸ばす。クライミングサポートアームのオーバーブーストを使いすぎたせいだろう。体の節々が痛んだ。しばらく筋肉痛が続くだろうが、動けない程ではない。
時刻を見ると午前4時。夜明けにはまだ多少時間はある。まだ寝ていてもいいが外の方が気になった。
明かりをつけると、AIは彩兼が起床したことを認識する。
『おはようございますキャプテン』
「おはようアリス。状況は?」
『キャプテンの就寝時から変化ありません』
お決まりのやり取りの後、ベッドから起き上がる。リビングへと出るとソファーに腰を下ろしていたフリックスが顔を上げた。
「早いな」
「すみません起こしましたか?」
「いや、俺も今起きたところだ」
ゲストルームのベッドを使うことを勧めたのだが、彼がここでいいというのでその意志を尊重することになった。
流石に太刀はリアデッキに置いてもらっているが、具足は身に着けたままである。もしかすると眠ること無く気を張り続けていたのかもしれない。
昨夜は慣れない酒でそこそこ酔いが回っていたように見えたが、それでも得体の知れない場所で気を許して寝こけるような人間でないことは想像できる。
彩兼だってそうだ。元々睡眠時間は短い方だが、実習の後など疲労が激しければそれなりに眠る。しかし、この世界に来てからは運動量の割にあまり眠れていない。
それは知らない世界で無意識に気を張っているのだと、彩兼も自覚はしている。
「いい椅子だな。俺の執務室にも欲しいくらいだ」
「長官が事務仕事をしている姿が想像できませんが?」
「仕事だからな。普段俺は秘書官という見張り付きでそこに監禁されている。そうだな落ち着いたら遊びに来ると良い」
「ええ、機会あれば是非。あ、でもこの椅子は持っていけませんよ?」
「それは残念だ」
硬派な武人という印象のフリックスだが、適度に冗談も言えるだけの余裕とユーモアを持ち合わせている好人物だ。最初森で会ったとき、魔王と遭遇してしまったかと肝を冷やした彩兼だったが、今はかなりの信頼と好感を持っている。
協力者は多いほうがいい。彩兼にはこの世界で後ろ盾が無い。島をひとつ吹き飛ばす力はあっても、家族を失った女の子ひとりを救う力はないのだから。
警邏庁北方本部はルネッタリア王国北部最大の都市であるマイヅルにある。おそらく今日には向かうことになるだろう。それからどうなるかはわからないが、地球のことを研究しているというマイヅル学園があるその街を今後拠点にしてもいいと彩兼は考えていた。そうなれば今後もフリックスに会うことも多くなるはずだ。
彩兼とフリックスは昨晩作っておいた握り飯で簡単に朝食を済ませると、リアデッキへと向かった。彩兼は昨夜できなかった外装周りの確認のため。フリックスは軽く体を動かすためだ。
東の空が明るくなり始めるこの時間。外はまだ肌寒い。だが、そこで彩兼は、魔族というのがいかに人知を超えた存在であるかを改めて知ることになる。
「まったく、こいつは……」
「うむ。これがメロウ族というものだ……」
薄暗いデッキの上でファルカの鱗がぼんやりと白く浮かんで見える。寝付いたときは人型だったが、眠りながら変幻したのだろう。彼女の下半身は人魚の形態になっている。
寒空の下、ファルカはお腹丸出しでぐーすやと気持ちよさそうに十の字になって眠っていた。
メロウ族は長時間海を泳いでいられるように体温を維持する能力に長けている。冬でも素っ裸で平気というのは決して比喩ではない。
昨夜フリックスがかけたマントは跳ね除けられてしまったようで、リアデッキの隅でしわくちゃになっていた。
「ふふ、仕方のない娘だな」
苦笑したフリックスは放り出されたマントを拾って畳む。
「さて俺も少し体を動かしたいがかまわないか?」
「勿論。俺は船の点検をします。日が昇ったら出発しましょう」
「了解した」
軽い柔軟の後に腕立て伏せを始めるフリックス。
具足を身に着けたまま、かなりの重そうな太刀を背負って片手でそれをこなす。
(あの首から下はどんな体してるんだろう……)
細面で美形の顔立ちのフリックスだが、具足と黒衣の下がどうなっているのか、想像するのが怖い彩兼だった。
***
地球の常識の通用しない異世界組を他所に、彩兼はライトを手にアリスリット号の点検を始める。
「アリス、集光パネルを開いてくれ」
彩兼の指示で集光パネルが展開する。見た感じ反射鏡にもバイオクォーツにも、荷電粒子砲発射による影響は見られない。試しに荷電粒子砲発射形態へと変形させてみたが問題なく可動した。
想定の1万倍というエネルギーを発生させた荷電粒子砲だが、船体に影響がなかったことは幸いだった。
(この世界のマターによって発射から着弾までの間にプラズマ化した重イオン粒子が雪だるま式に増大したとすれば説明はつく。いやはや、サバミコの町でこいつを使うことがなくてよかった。これはマジでファルカに助けられたな……)
彩兼は当初サバミコの町に侵入しようとするリーパーに対してこの荷電粒子砲の使用を考えていた。もし使っていたらサバミコの町も、その場にいた人々も全て消滅させていた。そうなったらフリックスやファルカとの親交などありえない。ファルカの作戦に乗ったことで彩兼も救われたのである。
彩兼がアリスリット号の点検を終える頃にはファルカも目を覚ましたようだ。
「おはよー!」
朝日を浴びながら手を振るファルカに彩兼も手を振り返す。
「おはよう! さあ、出発するぞ!」
***
ルネッタリア王国北部を襲ったマリンリーパー大量発生事件は、警邏隊とメロウ族の奮闘によって終結した。
後の記された記録には、偶然流れ着いた日本人の協力があったことこそ記載されたものの、彼の持つ船や、リーパーの繁殖地である島を消滅させたことについては一切かかれることはなかった。それについてはフリックスが手を回したらしい。
大きな痛手を負ったサバミコの町の復旧には、領主を始め国からも支援が入るだろう。しかし、失われた命が戻ることはない。
結果を見れば人類の勝利。だがそこに笑顔はなく、町は悲しみにくれていた。彩兼はマイヅルに向かう前にチョウタやルワに会っておきたかったが、サバミコの町は斃したリーパーの始末と消毒に追われていて会うことは出来なかった。
心残りはあったが彩兼は船を出す。異邦人である彼の役割は終わったのだ。
マイヅルに向かうアリスリット号にはファルカとフリックスが同乗することになった。
道案内としてファルカは当然だが、フリックスは現場の指揮官に「お前がいると現場の衛士が落ち着かん!」と言われて追い出されたらしい。
また、マイヅルは港湾都市のためアリスリット号でそのまま入ることができるそうだ。入港の際に彼がいれば手っ取り早いというのもある。
それからクレア、アズ、サクラの3人の中で誰かひとりは乗っていけという話になった。
「ボク乗りたい!」
「あたしも乗ってやってもいいぞ?」
「サ、サクラも乗りたいよぉ!」
3人共乗りたいという意向を示すと、寂しそうな目をしたマロリンがアリスリット号のへりに前足をかけた。それだけで船は大きく傾く。
「ごめんマロリンは無理かな」
船長として過積載は容認できない。彩兼が断ると、マロリンはサクラへと目を向ける。どうもマロリンはひとりで帰るのが寂しいようだ。
「マ、マロリンはお利口だからひとりでも帰れるよ!」
サクラの言葉に拗ねてしまったマロリン。耳としっぽを垂らしてとぼとぼと歩いて行こうとする。すると途端に見送りに来た衛士達が青ざめる。一応マロリンはサクラによって使役されているという体になっているからだ。
結局サクラと、それに付き合うようにクレアがマロリンと帰ることになり、アリスリット号にはアズだけが乗船しそれぞれマイヅルへと向かうことになった。
***
その様子を離れた丘の上から眺める者がいた。
マントにフードを被り人相などはわからないが、背格好からひとりはそこそこ体格の良い男。そして男に付き従うように立つ人物。ふた回りほど小柄で線も細いことから、こちらは女であることが伺える。
「まさかこうも早く収めてしまうとはな……」
男が言った。壮年期と思われる声色。高い身分にあることを思わせる口ぶり。
「流石はフリント卿といったところでしょう。それにメロウ族がここまで協力的に動くとは想定していませんでした」
男に対して女が答える。まだ少女といった感じで、立ち位置や口調から男の部下のようだ。
「ふん! 蛮族が……」
男は吐き捨るように罵ると、改めて港に停泊する白い船を見つめる。
「しかし、アレはなんだ? ニッポンジンが現れたというのは本当なのか?」
「それについては町で流れていた噂を耳にしたに過ぎません」
「ふむ。一度その顔を見ておきたいところだが……」
もう少し近くで見たいと男は思うが、女がそれを止めた。
「いけません。我々には人の血の匂いがついています。これ以上近づけば皇狼に気付かれる恐れがあります」
彼らは先日サバミコの町で人を殺めている。その際についた人の血の匂いにマロリンが気がつけば彼らはただでは済まない。
彼らには警邏隊やフリックスと敵対する意思は無い。
女の言葉に男も納得した様子を見せ、フードの下で顔をしかめた。
「カイロスめ。わざわざ弟子を送り出してくるとはな」
男は不機嫌そうに港を見つめながら女に言う。彼らにとって敵は魔獣であり、魔族だ。マイヅル学園を統べるカイロスとその愛弟子であるサクラ、アズ、クレアは、彼らにとって最も排除したい存在だった。
「またとない好機かもしれん。奴らを今いる同士の力で討ち取ることはできそうか?」
男はマロリンを含めたマイヅルからの使者を道中闇討ちに出来るかと女に問う。
女はそれを予想していたようでゆっくりと頭を下げる。
「お望みであれば知恵を絞って襲撃の手はずを考えましょう。しかし、相手は人の手に余る最強の魔獣。今、手出しをすれば、全てを失うことになりかねません」
女は丁寧な言葉で不可能を告げる。だがそれは男にとって予想した通りだったようで、特に落胆した様子は見せなかった。
「まあよかろう。予想外のことはあったが、民に魔獣への恐怖心を植え付け、現在の警邏庁の力不足も示すことが出来た。我々もこれで引き上げるとしよう」
ふたりはサバミコの町の方を向くとフードを脱いだ。
男は50台前半の白人で、この国の貴族としては珍しく髭を蓄えていない。
そして女の方は長い黒髪が印象的な、10代後半の美しい娘であった。
彼らは十字を切って目を伏せ、奪った命に祈りを捧げる。
人は神に選ばれた種族であるという考えがこの世界には存在する。それは
このリーパーの襲撃は彼等、
彼らはリーパーの繁殖を促し、人の味を覚えさせると町を襲うように仕向け、そしてそれが簡単に終息しないように警邏隊への妨害工作行った。
大規模な群れの襲来の察知が遅れたのは彼らの手によるものだったのだ。
人による、人の為の国を造るため、それには戦力がいる。今の警邏庁よりもっと大きな戦力が……
「行こうかアブリーザ」
「はい。伯爵」
やがて再びフード被るとふたりは森の奥へと消えていった。
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