第32話『平行世界ファルプ』

「あはははは! 行け、マロリン! 走れ! サバ街道ーっ!」


 背中にサクラとクレアを乗せてマイヅルまでの道をマロリンは走る。サバミコの町からマイヅルまでは陸路で2日。定期船なら1日。しかしマロリンならば1時間もかからない。


 サクラとクレアを乗せて走るマロリン。そのスピードは大凡時速100キロ。

 マロリンにとって全力の半分も出してはいないのだが、この世界の人間にとっては未知の領域といえる速度だ。

 その力の恩恵を受けられるのが彼女達の特権である。

 人通りのある街道を避けて森の木々をくぐり抜け、川を飛び越え走るマロリン。

 アリスリット号に乗れず最初こそつまらなそうにしていたサクラだったが、マロリンが走り出すと嬉々とした顔で手綱を握る。


「サクラちゃんはマロリンに乗ると性格が変わるぉ」

「うん? クレアちゃん何か言った?」

「ぅーぅ、なんでもなぃ」


 クレアは風圧に耐えるためのマントを深くかぶると、しっかりと命綱にしがみついたのだった。



***



 その頃、海路を行くアリスリット号では……


「おrrrrrrrrrr……」


 トイレからは亜麻色の髪の乙女が発しているとは思えない声が聞こえてくる。

 船に慣れていないアズが出航早々船酔いを起こしてしまったのだ。

 

「普段マロリンに乗ってるくせに変なの。このお船全然揺れないよ? なんで酔うんだろ?」


 アズの様子を不思議がるファルカ。すっかり定位置となった補助席に座りマイヅルまでの水先案内人を努めている。

 その後ろにある観測用の席に座ったフリックスもそれに同意して頷く。

 彼は今は具足を外しやや着崩した着流し姿だ。奔放、無頼な雰囲気を纏う彼によく似合っている。 アリスリット号の操縦室には原始人スタイルのファルカ同様、全く似合っていなかったが……


「うむ。確かにまるで揺れを感じないな。まるで海の上を滑るかのようだ」


 そんな2人に、いいところに気が付きました。とでも言いうように彩兼はにんまり笑みを浮かべる。


「それはですね、この船はイオノフロートという装置を積んでいるからです」

「イオノフロート?」


 種を明かす彩兼に小首をかしげるファルカ。おそらく地球人でも同じ反応をするだろう。イオノフロートは譲治が開発した独自の技術だ。


「ああ、イオノクラフトの応用でな。今この船の底部はイオンバリアで海面に触れていない。実は宙に浮いた状態なんだ。だから波の影響を受けていないんだよ」


 海面と船体の間に電磁境界面を作り出すイオノフロートは必要な電力も大きい。水素タービンエンジンからの電力が必要なため静粛性や振動においてはリニアモーターカーに及ばないが、それでも小型船舶ながら新幹線並みの乗り心地をで実現させているのだ。


「えっとつまり、海に浮かんでるんじゃなくて本当はお空に浮かんでいるってこと?」


 彩兼は驚いた顔をしてファルカを見た。てっきりまたわかんないと言うと思っていたからだ。つい嬉しくなって話を続ける。


「正解だよ。けれど地上を走ったり完全な飛行をすることは出来ない。海水という優秀な電解質の上だから出来る芸当だ。この技術を使えば海中を超音速航行することも可能だが、必要電力が馬鹿高いから内燃機関のこの船じゃ無理かな? 海上でならカーボンジェルコートとの併用でやれないことはないだろうけど……どうした?」


 ファルカが眉をハの字にして気まずそうに小さく手を挙げる。


「アヤカネ……わかんない」


 ファルカの後ろで、フリックスも同じ行動をとる。


「俺もわからん。恐らく価値ある話をしているのだろうが……」

「まあ、水の抵抗をなくすことで揺れを抑えたり、ありえない変態機動ができたりするわけですよ」

「へんたいきどー?」

「変態なのか?」


 ふたりの様子に彩兼は苦笑すると、論じるよりも体感してもらおうと操縦桿を握る。


「安全ベルト着用」


 フリックスは放っておいても大丈夫かと思ったが、ファルカが先輩風を吹かして彼にベルトをつけさせる。その後自分もしっかりと安全ベルトを装着する。


 彩兼は2人がベルトを着けたのを確認すると操縦桿を傾ける。


「サイドキック、パワースライド!」


 水素タービンエンジンから発生する圧搾空気の逆噴射によって斜め後方へと移動するアリスリット号。


「サンダードリフト走行でげす! からの驚異の5回転! マグナムダイナマイト!」


 続いてジグザグ航行、その場でのスピンなどを行ってみせた後、一気に亜音速まで加速してみせる。


「このように平面で玉を転がすように自由自在な機動が可能になる。わかった?」


 ファルカもフリックスも顔を凍りつかせたまま黙っている。そして……


「全然わかんない」

「全くわからん」


 同時に口を開いた。仕方がなく他のもので説明しようと席をたつ彩兼。


(確か倉庫にエアホッケーの玩具が積んであったはずだ)


 長期航海に備えて遊び道具もそこそこ充実しているアリスリット号。

 だが彩兼が操縦室を出ようとするより先にドアが開いた。


「どうなってんだ! この船は!」


 操縦室に怒鳴り込んできたの涙目を吊り上げたアズだった。ぐしゃぐしゃになった亜麻色の髪のせいで般若の如き様相である。ただし頭にあるのは角ではなく大きなたんこぶだ。


「あ、ごめん忘れてた」


 アズのことをすっかり忘れていた彩兼。ついそれを自供した彼は、その後彼女に全力で殴られたのだった。



***



「お前らはこれがどれだけ異常か解ってねぇ……ったく、精霊との交信がなんでこんなに不安定なんだ? くそっ、頭が狂いそうだ……」


 ぶつぶついいながらトイレに戻っていくアズ。今後彼女がハイテク便座付き水洗トイレの虜になるのはまた別の話である。


「ひどい目に遭った……」


 幸いアズの腕力は普通の女の子のものだったためそれほど痛かったわけではない。だが、女の子に殴られたのが初めての彩兼はそれなりにショックだった。妹の弥弥乃みびのは彩兼に厳しいが、暴力を振るうことは無い。


「あはは! 大丈夫?」

「問題ないさ」


 痛む頬に手を当てながら操縦席に戻る。もう講義を続ける気分でもないため、その後は大人しく船を走らせる。

 悪いのは安全確認を怠った彩兼だ。彼女に大きな怪我がなく、パンチ一発で済ませてもらったことを幸運に思うべきだろう。


 海図もGPSも無い異世界の海を、人魚の導きに従い海岸線に沿って進む。

 だがやがて見えてきた光景に、彩兼は頬の痛みを忘れて見入ってしまった。

 それは青い海をキャンバスに大自然が生み出した芸術だ。


「綺麗な砂浜でしょう? あそこはね」

「天橋立」

「そうそうハシダテ! あれれ? アヤカネ知っているの?」

「まあな」


 白い砂と草木で弧を描くように描かれた海上の渡道。見間違いようがない。日本三景の1つ天橋立だ。

 その向こう側。宮津市にあたる位置にはサバミコの町より大きな港が見える。

 

「ミヤツの街だ」


 フリックスが街の名前を口にする前に、そうだろうという確信があった。


「そういうことか……」


 彩兼は理解した。ここファルプは別の宇宙。所謂、平行世界にある地球なのだと。

 地球でUFOのワープに巻き込まれたとき、アリスリット号はファルプ世界の同位置上に転移していたのだ。

 因みに遙か未来であるという可能性はない。この世界の日本列島は大半が樹海に覆われ、環境はだいぶ違うようだが、地形にはほとんど変化が見られないからだ。天橋立がその証拠で、地球の文明が全て風化するほどの時間がたったとは考えにくい。ファルプ世界は時間軸上では地球とのだ。


 自分達は今、平行世界の宮津湾にいる。どうやらこの国の一部の地名は日本と同じになっているようだ。

 彩兼がそれに気がついたと察したのかフリックスが口を開く。


「かつてこの世界を訪れたニッポンジンによってこの地の地図がもたらされた。それにあやかってその後開拓された土地にはだいたい同じ地名がつけられるようになったのだ」

「なるほど……では長官はこの世界と地球の関係を知っていたんですか?」

「まあな。だがそれを知る人間は限られている。向こうの世界の技術や知識はこの世界の人間にとっては劇薬だ。例えばお前はこの地のどこにどんな資源が眠っているかを知っているだろう?」


 彩兼はそれに頷くことはしなかったが、彼らが日本人の保護や地球由来の産物の収集を法で義務付けて行っている理由を理解するには十分だった。

 技術や資源の知識が国どころか世界を揺るがしかねないことを鳴海家の長男である彩兼はよく知っている。


「では、マイヅルへ急ぎましょう」


 操縦桿を引き、アリスリット号をターンさせ、ファルプ世界の舞鶴湾をめざし加速する。

 地球でなら国道8号を自動車で走って30分程の距離だ。海上を大回りすることになったとはいえ時間はそれほどかからない。

 間もなく複雑に入り組んだ入江が見えてくると彩兼は速度を落とす。


「到着しました。ここで間違いないですよね?」

「ああ、そうだ。まったくでたらめな速さだな……」


 最早、驚くことも呆れることも面倒になった様子のフリックス。


「うう……」


 船を進める彩兼。するとしばらく静かだったファルカが小さく声をあげる。


「あたし外出許可もらわないで出てきちゃったんだよね。授業もサボちゃったし、怒られるんだろうな……」


 彼女の相変わらずの呑気さに彩兼もフリックスも呆れるしかなかった。

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