第2話『潮騒のヒーロー②』
「きゃーーっ!! まおちゃーーん!!」
女性の悲鳴が聞こえて、目を向ける。
「遠野!」
「ああ!」
彩兼は監視台から飛び降りると、パーカーを脱ぎ捨てて砂浜を走る。
悲鳴の原因はすぐにわかった。浮き輪を付けた子供が沖に流されていたのだ。
遠野は万が一に備えて、管理事務所に無線で状況を伝えている。間もなく救急車と、休憩中の先輩ライフセーバーが来るだろう。
「ライフセーバーです! 任せてください!」
父親と思われる男性と周囲にいた人達が助けようと海に入るが、彩兼はそれらを抜き去って子供の元へと向かう。
だが、彩兼の前を泳ぐ者がいる。咲穂だ。
彩兼と同じく海難救助の訓練を受けている咲穂は、表彰式の途中で悲鳴を聞くと、誰よりも早く反応して走り出した。その場にいた他のクラスメイトを置き去りにする速さで砂浜を駆け、海を泳ぐ。
見事な泳ぎを見せるふたりに父親を含め助けに行こうとしていた人達も任せる気になったようだ。その様子を見守っている。
彩兼と咲穂は子供まであと数メートルというところまで迫っていた。浮き輪にしがみついた子供の泣き声が彩兼の耳まで聞こえてくる。
あと少し……
だがそこに高めの波が来て、子供と浮き輪を大きく揺らす。
(まずい!)
波が収まった後、浮き輪だけが漂い、子供の姿は消えていた。
「鳴海くん!」
「手分けして探すぞ!」
海に潜る。
沈んでいく子供を先に見つけたのは咲穂だった。海中でその小さな体を捕まえる咲穂。
ピンク色のフリルの付いたワンピースの水着を着た5歳位の女の子だ。既に意識はない。
彩兼もすぐに追いついて、よくやったと咲穂の肩を叩く。だが……
(深い……)
海面まで20メートル。子供とはいえその重さは水圧で嵩んでいる。それに彩兼も咲穂の息も限界だ。
一刻の猶予もない状況で彩兼はそれを呼んだ。
来いアリス。
***
その頃、遠野は美波とゴムボートに乗り、現場へと向かっていた。オールを漕ぎながら子供が浮き輪から離れ海に沈んだことと、彩兼と咲穂がそれを追って潜ったところを目撃していた。
「まだか? まだか彩兼!」
「落ち着け遠野! まだ1分も経ってない!」
遠野を叱責する美波。訓練での素潜りならふたり共3分は潜っていられる。
だがそれはあくまでも訓練用のプールでの話だ。実戦で訓練どおりの実力が発揮できるほど、彼等は現場に慣れていない。
(大丈夫だ。彩兼ならきっとやってくれる……)
そう信じてオールを漕ぐ。
その願いが通じたかのように、海面に変化が見えた。
だがそれは人ではない。もっと巨大な何かが浮かび上がって来たのである。
「な、なによこれ!?」
美波が驚いて声をあげる。だが無理もない。それは夏の太陽の光を受けて輝く白い船。
SFから飛び出してきたかのようなスタイリッシュなボディ。両舷から張り出した安定翼には黒水晶のようなソーラーパネルが配置され白地の船体を引き締めるアクセントになっている。
船首に描かれるのはポニーテールをなびかせる少女のシルエットに『Aliseltt』の文字が入ったエンブレム。
そして船上には女の子を抱える咲穂と彼女の肩を抱きマストに捕まる彩兼の姿があった。
「彩兼!」
「鳴海くん! 咲穂!」
その声に手を振る彩兼。咲穂はかなり消耗しているようだが、意識はしっかりしているようだ。
「手伝ってくれ!」
彩兼は遠野と美波が来ていることを確認すると、女の子を抱えて船体後部へと移動する。
「アリス、シードラをどけろ」
リアデッキに固定されているのは、水上バイクとして運用できる可変船外機シードラだ。
船に搭載されているAIは彩兼の指示に従い、水上バイク形態で待機しているシードラをアームで持ち上げる。
こうして空いたリアデッキに子供を横たえて、彩兼は女の子の心肺蘇生を開始する。
そこへおっかなびっくり、遠野と美波がリアデッキに上がってきた。
「彩兼、こいつは……」
「それは後だ。AEDをとってくる。変わってくれ」
「あ、ああ」
彩兼は女の子を遠野と美波に任せると一旦船内へと向かう。そしてすぐにタオルとAEDを持って戻ってきた。
その後間もなく女の子の意識とバイタルが回復。3人はほっと胸を撫で下ろす。
しかし女の子は衰弱している上に、心臓マッサージを行った際に肋骨が折れているだろう。急いで病院に運ばなければいけない。
「ごめん、わたし役に立たなくて」
多少回復したのか、咲穂が蘇生に手を貸せなかったことを謝まった。
「何言ってるんだ。海の中でこの子を助けたのは楠木だろ?」
ふらつく咲穂の肩を支えて、彩兼は海中で子供を見つけたのが咲穂であったことを話す。彼女が見つけて沈んでいく子供を捕まえなければ助けることはできなかったと。
それを聞いて遠野と美波からも称賛されると、咲穂ははにかむように笑みを見せた。
「で、彩兼? これはなんなんだ?」
遠野だけでなく、咲穂や美波も同じ疑問を持っているようだ。海中から現れた白い船は、明らかに普通の船ではない。
鳴海家とはそれなりに長い付き合いの遠野も、彩兼がこんなものを隠し持っているとは知らなかった。
「この船はアリスリット号。俺と親父の夢さ」
自分でも言って恥ずかしくなって、彩兼は照れくさそうに笑う。
あっけに取られる一同。だが、救助した女の子の苦しそうな声に我に返る。
「これからどうする? 海岸が大騒ぎになってるぜ?」
「まあ、仕方がない。遠野、大津、救急隊に連絡は?」
「日野達がしてる。もう海岸についてるはずだ」
遠野と美波は海岸に残してきた日野春奈と片瀬柚子に連絡をに任せてきたらしい。
救急車はもう到着していて、野次馬の向こうにその姿が確認できた。大津が助けた女の子の状態を無線で救急隊に話している。
「よし、時間がないからこのまま上陸する。大津、海岸の野次馬をどかすように日野達に言ってくれ」
遠野も美波も咲穂も彩兼が何を言ったのかわからなかった。
このまま上陸ってどういうこと?
しかし、彩兼は詳しい説明も無いまま船の管理AIアリスに命じる。
「アリス、エンジン始動」
『水素タービンエンジンを起動します』
アリスリット号の上部折り畳まれていたマストが開き、そこに取り付けられたインテークから甲高い吸気音が響き始めた。
「船外フロート展開。地上走行モード」
『地上走行モードにトランスフォーメーション』
アリスリット号の四隅からフロートが膨らむと飛沫を上げて船体を持ち上げる。ホバークラフトへと変形したアリスリット号は、安定翼内に隠されたイオンパルスブースターを噴射させて陸へと向かう。
「すぐに避難だ! 急げ!」
彩兼の意図を察した美波が無線に向かって怒鳴っている。だが砂浜には人だかりができていてすぐには無理そうだ。
「アリス、外部スピーカー最大!」
彩兼は耳にハンズフリーマイクを耳につけると、声を張り上げた。
「緊急だ!! そ こ を ど けーーーーーっ!!!!!」
海水浴場に轟く彩兼の怒声と、接近してくるアリスリット号に、野次馬達が蜘蛛の子を散らすように海岸から離れていく。既に到着していた救助隊と、何人かの顔見知りだけがその場に残っていた。
子供を抱えた遠野が先に下りて救助隊に子供を引き渡す。唖然とした表情でアリスリット号を見上げていた救急隊員だが、それが鳴海家のものだとわかると全て納得した様子を見せた。
両国国技館のバスタオルを羽織った咲穂は、美波に肩を借りて救急隊と病院に向かう。消耗の激しい彼女も念のために病院で検査を受けることになっている。
「楠木!」
彩兼が彼女を呼ぶ。
「またな」
「鳴海くん!」
一度だけ手を降って、彩兼は船内に消える。エンジンの音が響き、ホバーで砂塵を巻き上げながらアリスリット号は舳先を海へと向ける。
こうして1人の子供の命を救ったスーパーマシンは、日本海へと消えていった。
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