第3話『旅立ち』

 海水浴場から30分程歩いた郊外の入江に彩兼の自宅はある。


 地元民からは鳴海譲治の秘密基地と呼ばれる、モダンな外観の三階建ての建物は、元はバブル期に建てられたリゾートホテルだったが、廃業後に譲治が買い取って自宅とすべく改装されて、今は彩兼と、母と妹の3人で暮らしている。

 

 改装に際して屋内型の桟橋が整備され、現在そこには密かに帰還していたアリスリット号と彩兼の姿があった。


「やっぱり母さんは行かないんだね」

「ええ、私はこの家を護る義務があります。ここでややと一緒に貴方の帰りを待ちましょう」


 彩兼の前には白銀の髪を持つ女性。彩兼の母親、ティーラである。


 彩兼と並べば双子の姉弟と言っても通用する程に若々しく、とても18歳の子供がいるとはとても思えない。


 ティーラは、20年前に譲治がバックパック一つで世界一周の旅をしていた最中に北欧の山間奥深くにある農村で出会ったらしい。

 小さな村の牧場で羊を飼って暮らしていたティーラと出会い、一目惚れした譲治はその場で求婚し、その1年後日本に連れ帰って結婚したという。


 冒険家、鳴海譲治最大の発見は、ティーラと出会ったことだ!


 鳴海譲治は北欧で妖精を見つけてきた!


 などと騒がれるほど、当時その美貌が話題になった。そのためかティーラはあまり人前には出ず、普段は自宅の書斎に引きこもって翻訳の仕事をしている。


「貴方もこれで、冒険家としての一歩を踏み出すのですね。譲治がいたらさぞ喜んだことでしょう」


 母の言葉に彩兼は照れくさそうに頭を振る。


「よしてよ。ほとんど夜逃げみたいなもんだし、親父は自分が乗れなかったことを悔しがるだろうね」 

「それもそうですね。この船の完成を譲治は心待ちにしていました」


 寂しそうに顔を伏せるティーラ。彼女は亡き夫を深く愛していた。

 彩兼もわずかに目を伏せたが、すぐに真っすぐな瞳を母に向ける。


「それよりも遠野のこと頼んだよ」

「わかりました。そちらは公安の国木田さんに相談しましょう」


(すまん……遠野)


 彩兼は心の中で親友に詫びる。


 遠野の彼女だという灰色の瞳の少女は、恐らく彩兼に近づくために派遣されたスパイだろう。


 譲治の発明品の中には、社会への影響の大きさから絶対に作るな! と、設計の段階で政府から止められていたものが多数存在する。それらの設計図は鳴海譲治のオーパーツと呼ばれ、設計図は世界中の国や企業から狙われている。


 鳴海家の人間は日本の公安や、同盟国の諜報員によってガードされているが、友人までは庇護の手が及ばなかったのだ。


 だが今日の一件で情勢はまた変わるだろう。


 これまで現物は存在しないとされてきた発明品が、既に完成していることが明らかになったからだ。


 世界をひっくり返しかねない技術を危険視され、制作を禁止されていた発明品の数々。だが、譲治は我慢できずに作ってしまった。その後譲治は、持てる技術の粋を集めた船の建造に着手する。


 こうして完成したのがアリスリット号だ。


 アリスリット号は天才発明家鳴海譲治の遺産であり、世界が欲しがる技術の結晶。


 小型で高出力の水素タービンエンジン。

 大気圏内でも高い推力を発揮するイオンパルスブースター。

 効率よく水素を回収できる次世代水素プラントM.r.c.s。

 水中でも高い感度を持つスーパーマイクロ波レーダー。etc……


 アリスリット号と譲治の後を継いで完成させた彩兼は今や世界中が狙っていると言っても過言ではない。

 

 彩兼は今日、アリスリット号で冒険に旅立つ。世情が安定するまで適当に世界を見て回るつもりだ。本当は高校を卒業してからの予定だったが、友人にまでスパイの手が及んだことと、アリスリット号を衆目に晒してしまったことにより事情が変わった。


 予めこの事態は想定されており、アリスリット号にはいつでも旅立てるように準備が整えられていた。


 最悪家族揃って姿を消すことも考えられていたが、その場合帰る場所も失ってしまう。


 せめて日本政府を安心させるために、ティーラは家に残る決意をして、船舶免許を持つ彩兼だけが、アリスリット号のテストも兼ねて旅立つことになったのである。


「そういえば弥弥乃みびのは?」

「あら、そういえば……何処に行ったのかしら?」


 彩兼には中学2年生の妹がいる。鳴海家の長女、鳴海弥弥乃(なるみみびの)だ。思春期真っ盛りで普段それほど話をするわけではないが、見送りに来ないほど仲は悪く無い。


「さては……」


 彩兼はアリスリット号を見上げる。弥弥乃だって譲治の娘なのだ。黙って見送るはずがない。


 弥弥乃はアリスリット号に乗り込んでいると、彩兼は確信していた。困った顔をしてティーラも頷く。


 彩兼は耳に付けたハンズフリーマイクでアリスリット号の管制AIに呼びかける。


「アリス。船内に誰かいるか?」


 彩兼の問いにAIはノーと答える。


「ふぅん。なるほど」

「仕方がない子ですね」


 アリスリット号の回答に彩兼は笑みを浮かべ、ティーラは苦笑する。簡単に見つからないように上手く隠れているようだ。

 彩兼は質問を変える。


「アリス、船内のドアの開閉履歴を出してくれ」


 彩兼のスマホにアリスリット号のハッチが開けられた時間が表示される。それは今からほんの10分前だ。その船内のドアが開閉された履歴が侵入者の隠れ場所までの道順を示していた。


「まだまだ甘いな」


 船内に乗り込む彩兼とティーラ。


 その後しばらくして、両脇を兄と母に拘束されてふてくされた顔の少女が船外へと連行されてきた。


「ぶーー」


 頬を膨らます弥弥乃を見て彩兼が吹き出す。


「弥弥乃は本当に可愛いな」

「おにぃに言われても嬉しくない!」


 ぷいっとそっぽを向く。その様子を困った表情で見ているティーラ。


 妖精と謳われたティーラに似た彩兼と、テンガロンハットが似合うナイスガイだった譲治に似て生まれた弥弥乃。そんなこともあって彩兼は昔から弥弥乃からの風当たりが強い。


 弥弥乃は長くて黒い髪を二つ結びにして垂らし、身長はやや低め、体型も発展途上。

 だが、親父譲りの気の強そうな顔も、女の子としての魅力を損なうものではない。

 彩兼は兄としての贔屓目なしでも可愛いと思っているのだが、彩兼のフォローに弥弥乃は頬を膨らませるばかりだ。


 普段は憎まれ口を叩く癖に、兄の後にはしっかりついてきたがる。そんな妹を彩兼も大切に思っている。口にしても辛らつな言葉が返ってくるのだが。


 弥弥乃は以前から自分もつれていけと五月蝿かった。

 だが家で引きこもり生活を送っているティーラがひとりになってしまうため連れていけない。あと少なくとも高校は出ろと散々説得して、一応納得したような素振りを見せてたが……案の定密航を企んでいたようだ。


「まったく。こんなのいつの間に作ったんだ?」


 彩兼の手には弥弥乃から取り上げた黒いUSBメモリーがある。

 そこにはアリスリット号の船長権限を強制的に書き換えるソフトが入っていた。アリスリット号は全てAIによる自動航行が可能だ。

 どうやら弥弥乃はアリスリット号が出航した後、このソフトを使って船を乗っ取ることを画策していたらしい。

 アリスリット号のAIの最上位指揮権を奪ってしまえば、途中で連れ戻されないと考えたのだろう。


 流石鳴海家の長女と、怒るよりも感心してしまう。


 彩兼は弥弥乃から取り上げたUSBを自分のポケットにしまった。可愛い妹の悪戯と笑う彩兼だが、ティーラはそうはいかなかった。美しい目元をちょっとだけ吊り上げて弥弥乃を叱る。 


「ややは私をひとりにするのですか!? 私はややをそんな冷たい子に育てたつもりはありませんよ!?」


 ちなみに弥弥乃の正しい読み方は『みびの』だが、漢字で書くと大抵の人は『ややの』と読んでしまうため、親しい人物からはすでに『ややの』で定着していた。

 名付けた親ですら『やや』呼ぶ。

 そのためか、弥弥乃は中学生になった今でも自分のことを『みびの』と名前でよんでいる。正しい呼び名をアピールしたいらしい。

 あと、兄である彩兼も『みびの』とよぶ。そうでないと返事をしてもらえないからだ。


 弥弥乃を叱るティーラだが、弥弥乃も負けてはいない。


「ママも少しは外に出るといいと思うの。そうでないとみびの、安心してお嫁に行けないし!」

「……それについては弥弥乃が正しい」


 目立ちすぎる容姿のせいで元々外に出たがらないティーラだったが、譲治が死んでからはそれがよりひどくなっていた。


「彩兼まで……しかし、そうですね。いつまでもこのままというわけにもいきませんね」

「じゃあ行っても良い?」

「「だーめ!!」」

「ぶーー」


 再び口を尖らせた弥弥乃をティーラに任せると、彩兼はタラップを上がる。


「それじゃ、母さん、弥弥乃、いってきます!」

「いってらっしゃい」

「……いってらっしゃい」


 母親のティーラと仏頂面をした妹の弥弥乃に見送られ彩兼は旅立った。

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