第5話 紺③
「ふぅ。さすがに疲れたのう」
大いに荒れた保護者会を終え、紺は小学校を出た。そうして、町中を歩いていると、不意に違和感を覚える。
禍々しい妖気の気配だ。位置はそう遠くない。
そういえば最近、連続児童誘拐事件が市内で発生している、というニュースがあった。それと何か関係があるのだろうか。
いずれにせよ、このまま放置しておくわけにもいかない。
周囲に住民がいないことを確認してから、紺は空高く舞い上がる。獲物を狙う鷹のごとき速度で空気を破り、妖気の中心地へ。
やがて住宅街の歩道、その一画に結界らしきものを発見した。周囲には近所の大人や、帰り途中の児童達がいる。こんな人通りの多い時間に、大胆な行動だ。
「あれかっ!」
急降下した紺は、真上から蹴りで結界を突き破る。着地と同時に新たな結界を素早く張って、結界の外の人間にバレないよう処置を取った。
「なっ!?」
驚愕の声をあげるのは、真っ黒なコートを着て、顔中を包帯で覆った男だ。妖気の匂いが全身から充満している。こいつがこの結界の主で間違いあるまい。
それよりも紺が驚いたのは、男の正面にいた子ども達だ。その中に紺のよく知る、最愛の息子がいた。
「真之っ!」
紺が血相を変えて駆け寄る。真之は、左肩を押さえて蹲っていた。ひどい出血だ。
紺は急ぎ妖力を彼に注いだ。傷自体はそれほど大きくなかったのが幸いし、すぐに塞がっていく。
「紺……さん」
虚ろな瞳に紺の顔を映す真之。そのまま彼女の胸に身を預ける形で、昏倒した。
大丈夫、命はどうにか繋いだ。あと少し遅ければ、どうなっていたことか。
息子の危機も知らず、保護者会に出席していた自分の呑気さに、紺は今更ながら怒りが湧いてくる。
「た、助けて、お姉さんっ。真之君がっ!」
二人の傍らにいた少女が、大粒の涙をこぼしながら懇願してくる。どうやら、真之の知り合いであるらしい。反対側には、恐怖のあまり腰を抜かして震える少年もいた。こちらには見覚えがある、確かあの教育ママ結城の息子ではなかったか。
「大丈夫じゃ、安心せよ」
紺は優しい声音でそう言い、妖気の鱗粉を児童達の目の前に舞わせる。すると、児童達は意識を失い、その場に倒れ込んだ。紺の力で一時的に眠らせたのだ。
「くっ、見つかってしまっては仕方がないね」
彼女の背後では、黒コートの男が焦りを含んだ声を漏らす。
「――貴様」
紺は、ぐったりとした真之を細腕に抱いたまま、男の方に振り返る。その眼には、烈火のごとき殺意が漲っていた。小さな唇から鋭い牙が覗き、美しい全身から濃厚な妖気が浮かび上がっていく。
その荒々しい気配に気圧された様子の男は、一歩後ずさった。自分が獅子の尾を踏んでしまったことを、ようやく自覚したのだろう。
それでも、弱気な自分を鼓舞するように、低い笑い声を吐く。
「ふ、ふふ。私は知っているんだよ。あなたは先日の怨霊との戦いで、妖力の多くを消耗しているってことをね。そして、全回復にはほど遠いコンディションであることも。それなら、私にも勝ち目はある」
男はコートのボタンを引きちぎり、広げる。
その内から姿を現したのは、細長い胴体。ただし、獰猛な肉食獣のごとき大きな口の形をしていた。獲物を前にして威嚇の咆哮を上げる。
「ふふ、あなたをここで屠り、そこの子ども達を美味しくいただくとしよう。あなたさえ排除すれば、私はこの狩場を独占できる」
男はそう宣言すると、胴体の口から妖気を吐いた。形作られたのは、大人一人を飲み込むほどの巨大な火球。アスファルトの地面を焦がしながら、紺に迫る。
紺はそれを一瞥。
すると、
「馬鹿なっ!?」
ロウソクの火に息を吹きかけるかのように、火球はかき消えた。紺の圧倒的な妖気が消滅させたのだ。防御に徹するまでもない。彼女の纏う妖気の渦に触れただけで、簡単に飲み込まれた。
「くっ、ならばこれはどうだ!」
男は再び火球を飛ばす。唸りを上げた熱波が弾け、無数のレーザー状を形作った。一本でも紺の妖気を貫けば、彼女の肢体にも穴を空けるだろう。
だが、それは叶わなかった。
炎のレーザーは先程同様、あっという間に消失する。実力の差を比較するまでもない。大人と赤子が力比べをするようなものだ。
「覚悟はできておるじゃろうな?」
紺の口から紡がれる、低い声。その重々しい迫力は、ギロチンの音色を男に連想させたであろう。
「あ、あ、ああ……」
戦意を完全に失った男が紺に背を向け、慌てふためきながら逃げ出す。それは、彼がこれまで追い詰めた獲物達と同じ行動。その結果もまた、同じだった。紺が張り直した分厚い結界に衝突し、跳ね返される。
紺は自身の妖気を圧縮し、一本の刀を生み出した。刀の刃先が鋭利な光を煌めかせる。
紺が顎を軽く上げると、その合図で刀が射出。逃げる隙を与えない高速の突きだ。男の首筋に刀身が深々と突き刺さり、そのまま一気に縦に両断した。二つに分かれた男の身体がその場に崩れ落ちる。
骸となった男から妖気が霧散していく。紺は凍てついた眼差しを送り、眠る真之の髪を撫でた。
連続児童誘拐事件の結末は、呆気ない幕切れだった。
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