第4話 真之②

 同時刻。真之は明日香と並び歩いて下校していた。


「えっと、その、真之君。今日は疲れたね」

「う、うん」


 お互いに声を詰まらせながら、会話を少しずつ広げる。思春期に差し掛かった年頃なので、男女二人きりでの下校というのは、どうにも互いを意識せずにはいられなかった。さらに、真之は世間話が元々得意ではない。


 保護者が学校に居残っているため、通学路の要所には近所の大人が代理として、子ども達の帰りを見守っていた。


「ほら、赤信号だから渡っちゃ駄目だよーっ」


 信号を見ずに走り渡ろうとする低学年の児童を、大人が大声で制する。

 連続児童誘拐事件が未解決であるため、大人達が纏う空気にもどこか張り詰めたものがあった。通学路は比較的人通りの多い住宅街ではあるが、どこに犯人が潜んでいるか分からない。


 青信号になったところで、真之と明日香は小走りで横断歩道を渡った。周囲の児童達の楽しげな声が飛び交う中、どうにか話題を繋ごうとする。


 そこへ。


「ヒューヒュー、拾われっ子同士で仲良く帰ってるぞ」


 背後から二人を冷やかす声が飛んでくる。真之は振り返る気にもなれなかった。

 声の主、一也がからかいながら二人の前に回り込む。その意地の悪い声は、悪巧みを企む性根を窺わせた。


「なあ、お前ら、付き合ってるんだろ。おー、熱い熱い」


 安い挑発に対し、真之は怒りをぐっと堪えた。一也の下卑た笑顔を無視し、大股で彼を追い越す。


「……行こう、城島さん」

「え、あ、うん」


 そう呼びかけられた明日香も、遅れて一也の隣を歩き去ろうとする。


「おい、待てよ。ホントのこと言われて、図星なんだろ?」


 なおも一也の煽りは続く。面白がる調子で真之の肩を掴んで、自分の方を無理やり向かせてきた。


「お前らの父ちゃんと母ちゃん、あの化物で死んだみたいだけどさ。それで生き残ったのがお前らだなんて、無駄死にだったんじゃね?」

「……っ」


 両親の死まで持ち出され、明日香の目に涙が溜まる。まだ心の傷が癒えきっていないのに、傷口を抉る言葉。一也のデリカシーのなさに、真之はさすがに一言抗議しようとした。

 それを、一也はおどけた調子で遮る。


「そうそう、建宮って、血の繋がってない親と暮らしてんだろ? おー、可哀想。その親も、どうせ嫌々お前を引き取ったんだろうな。今日の授業参観に来てたのかよ? すっげー不細工なら目立つだろうし――」

「いい加減にして」


 気づけば、真之は一也の胸ぐらを掴んでいた。怒気を孕ませた鋭い眼で、思い切り相手を睨みつける。

 自分のことを馬鹿にされるのは、まだいい。

 だが、紺まで愚弄されるのは、どうしても我慢ならなかった。


「お、おい」

「今すぐに訂正して」


 突如とした真之の迫力に、一也はすっかり呑まれたようだった。顔色が青ざめ、生意気な口は喘ぐことしかできずにいる。自分がイビっていた相手が、実は底知れない凶暴性を秘めていたのだと、ようやく知ったのだ。

 一方、二人の様子を目の当たりにした明日香は、ただただ狼狽するばかりだった。

 真之は腕に力を込め、自分の眼前に一也の顔を引き寄せる。


「聞こえなかったの?」

「わ、悪かった、悪かった……」


 一也の謝罪を聞いて、ようやく真之は手を離した。


「くっ、ば、バカじゃねえの。いきなりマジになってさ」


 乾いた笑みを浮かべようとして失敗し、一也は舌打ちした。普段、弱者を小突き回してばかりの彼にとって、さぞや誇りを傷つけられたことだろう。

 苛立つ彼と向かい合う真之。


 と――


「やあ」


 真之は右側から、若い男の声が降ってくるのを聞いた。


(いつの間に? 気配は感じられなかったのに)


 彼は表情から驚愕を隠しながら、すぐに声の方角を向く。

 そこには、もう五月だというのに、分厚い漆黒のコートを着た人物が立っていた。

 身長は二メートル近くあるだろうか。包帯で覆い隠された顔の奥から、不気味な眼光が覗く。コートと同じ黒色の帽子を被っており、人相が全くといっても良いほどに分からない。


「そう怯えなくてもいい」


 低く、どこか楽しむような響きの声。

 そう指摘され、真之は初めて自分の腕に鳥肌が立っていることに気づいた。本能が、この男を恐れている。

 眼球だけを動かして周辺を見渡すと、住宅街を他の児童達が無邪気に通っていくのが見える。それを見守る大人達も、男の存在に気づいていない様子だった。まるで、「男の周囲だけ世界から切り離されているかのよう」だ。


 傍らの明日香は恐怖に全身を支配されたようで、真之の肩に寄りかかってきた。その反対側にいる一也は、膝を震わせながら後ずさっている。どうやら彼ら二人には真之と同じく、この謎の男が見えているらしい。


「か、怪人A……っ」


 一也が引きつった声で、その名前を漏らした。

 そう。ここ最近子ども達の間で噂になっている、あの怪人と同じ特徴なのだ。


(まさか、この人が!?)


 もちろん、怪談話を知り、面白がって変装した愉快犯の可能性はある。いずれにせよ、このような目立つ格好をした人間が町中に現れて、通報されないはずがない。それどころか、真之達三人以外の人間には全く見られていないようだった。


「選ばせてあげよう。丸かじりと、手足を順番に食べられるのと、どちらがいい?」


 男の質問。これもあの噂と同じだ。

 真之の脳内に、危険を告げるアラートが駆け巡った。瞬時に男に背を向け、駆け出す。


「二人とも、逃げるよっ!」

「う、うんっ!」


 恐怖の金縛りが解けたのか、一也と明日香も真之の言葉に従う。三人は、男の傍から逃げ出した。

 だが、すぐに見えない何かにぶつかり、尻もちをつく。


「痛えっ、何だこれ!? 透明な壁でもあるのかよ」


 一也が鼻面を手で摩りながら、混乱の声をあげる。真之は正面に手を伸ばす――と、堅い手応え。確かに一也の言う通り、透明で分厚いマジックミラーでも存在するかのようだ。


 男の悦楽に満ちた笑い声が、背後から響き渡る。


「無駄だ、結界を張ったからね。君達はここから出ることはできない。それと、助けを呼んでも意味はないよ。声は外に届かない」


 焦燥の火に全身を炙られながらも、真之は男の言葉の意味を必死に探る。


(結界? この人も、紺さんみたいな力を使えるのか。それで、他の人達がこの人に気づかないんだ)


 それでは、この男は紺と同じ妖怪なのだろうか。

 真之の胸中を読んだかのように、男はゆったりとした口調で語り聞かせてくる。


「ああ、実にいい狩場だ。ここら一帯の地域は、あの大妖怪が治めていて、最近まで手を出せなかったけれども。彼女は、先日の怨霊事件で妖力の多くを失ったと聞いているからね。それに、彼女に見つかるかもしれないという緊張感と背徳感も、狩りを楽しむためのスパイスになっている。くくっ」


 間違いない、紺のことだ。この男は、彼女の正体を知っている。


(くっ、どうすればいい?)


 真之は男から意識を逸らさず、この場を切り抜けるための案を必死に探った。


「そちらの女の子は、特に柔らかくて美味しそうだね。メインディッシュとして残しておこう。まずは、そちらの男の子からにしようか」


 そう言って、男は一也を指さした。

 真之の傍らにいる一也は、恐怖で腰を抜かしたのか、アスファルトの地面に尻もちをついている。自分が狙われたのだと分かったようで、歯を金物のようにガチガチと鳴らした。


「ひいっ!」

「さあ、もう一度尋ねるよ。丸かじりと、手足を順番に食べられるのと、どちらがいい?」

「い、いやだ……っ」

「ワガママを言うのは良くないなあ。お仕置きが必要だね。じっくりといたぶってから、食べるとしよう。その方が筋肉も締まって、歯ごたえが良くなりそうだし」


 男がゆったりとした足取りで、三人のもとに近づいてくる。

 その威圧感に真之は、足がすくみそうになった。それでも、背筋を凍らせる恐怖に抗い、一歩前に出る。


「……二人には、手を出さないで」


 奥歯を噛み締め、男を懸命に睨み上げた。

当然ながら、子どもが放つ敵意など男にはまるで通用しない。それどころか、楽しげに声を躍らせる。


「ほう。これはこれは。勇気のある獲物だ。そういう子は嫌いじゃないよ。よし、望み通り、食べる順番を替えてあげよう。――けどね」


 包帯で覆われた顔の奥で、男の目が放つ光が変わった。

 右手の人差し指を真之の方に向ける。指先から揺らめく黒い火。

 そこから弾丸のような鋭い塊が放たれ、真之の左肩を貫いた。遅れて、高温で焼き焦がされるような激痛。たまらず、真之はその場に膝をつく。


「あ、がぁっ!」


 左肩の傷口を右手で押さえると、Tシャツの肩に血がどんどん滲み出ていくのが分かる。歯を食いしばっても、痛みと出血はかえって増すばかりだ。


「さ、真之君っ!」


 明日香が喉の避けそうな悲鳴をあげる。可愛らしい顔を蒼白に染め、小さな口元を両手で覆った。


「こちらの指示を無視しようとする子には、お仕置きだ」


 怪人Aの声は、なぶり殺す快楽に酔っているようだった。

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