人狩り
澤松那函(なはこ)
第一章 人狩り
第一章 人狩り その一
銀世界を貫くように生えた無数の稲穂が月光の重みでずっしりと頭をもたげていた。
白く染まった田園の傍らに、真新しい木造平屋の家屋がぽつり、ぽつりと点在している。
田畑の中に村が収まっている風情であった。
集会所には、村人一〇五名が集まり、宴会が開かれている。
昨日、厳冬の最中実った米の幾ばくかを頂くのが、この村の伝統で、酒以外の肴は、全て米を用いている。
男も女も和装に洋装にと、それぞれが持つ一番の晴れ着を纏った。
比率としては、やや和装の方が優勢であろうか。
舞い、歌い、話し、気紛れに酒で舌を潤して数十年ぶりの実りを祝した。
皆が酒は進めど、肴の太巻きや焼き飯には、あまり手を伸ばさない。
「やはり遅れ米は、美味くねぇな」
「土地の精霊様が旨みは、喰い付くしちまうからな」
「仕方のない事だわ。味以上の価値があるのだから」
そんな小言があちらから、こちらから上がっている。
遅れ米の生じる理由を学者たちも明らかに出来てはいない。
土の中に住む微細な精霊が生育途中の稲の養分を喰らい、人の実りを取ってしまった詫びに作るのではとか、あるいは精霊そのものが米の形になっているのではとか。
奇怪なばかりの遅れ米は、万人に珍重された。
食べたその日に交われば、女は必ず子を孕む。
男の場合も必ず子を孕ませ、いずれの場合も不老長命な子が生まれると言われ、食べずとも一粒が同じ大きさの黄金よりも価値があり、手にしているだけで豪運に恵まれるともいう。
大樹の浸食すらない痩せた土地で、村人達が大きな町の平均的な商人より豊かな暮らしをしているのは、数十年に一度実る遅れ米によるところが大きい。
「わしの代で、村が苦労する事は、もうなかろう」
齢五〇を過ぎた村長は、岩盤のヒビのような深い皺を眉間に浮かべ、宴の様子を眺めていた。
酔いたい。
酔いたい。
願いながら酒を運ぶも、却って冴えていくようであった。
それは皆も同様で、宴の席でありながら愉悦に浸り切れていない。
「まさか
ネクタイを緩めつつ紡がれた村長の一声が喧騒を掻き消した。
「村長……言わねぇ約束だろ」
「皆が同じように思ってるよ」
「あたしだって、あんないい子がと、後悔ばかりだよ」
遅れ米が実る時、ほぼ毎回子供が一人、精霊の側へと連れて行かれる。
精霊成りと呼ばれる現象であり、精霊の多く住む土地では稀に起こる事だという。
「あたしゃ、すずさんが気の毒でね。あそこは、子が一人しかいないからねぇ」
「酒とか、料理とか、すずさんと団蔵さんに持っていった方がいいんじゃねぇか?」
「娘を贄に得た実りじゃ。おいらなら喉を通らんよ」
「しかも紬は、今夜人狩り様に……」
宴の気配は弛緩し、残されたのは少女への愛惜の念。
「理だ。精霊成りが長く同じ土地に居ると、精霊が集まりすぎて自然の均衡が崩れる」
村長は酒と共に感情を飲み干し、
「それが理なのだ」
遅れ米の握り飯を恨めしそうに頬張った。
――――
紬は、村で二番目に大きな畑を持つすずの家に生まれた。
婿養子の団蔵を立てつつも、家長として芯の通ったすずの気立てを濃く受け継ぎ、瑞々しい十の半ばでありながら二十の色香を漂わせている。
紬の器量の良さは村の外にまで伝わり、年頃になったら嫁にもらいたいと遠方から裕福な方が直々に訪れる程であった。
けれどすずは、
「伴侶の事は、娘に任せております故」
そう言って、婚約の申し出を断り続けてきた。
「あなたをこんな形で、送り出すとは思わなかったわ」
濡れ縁から田園を眺める紬に、白無垢姿のすずは嘆息を漏らした。
栗色だった髪は雪明りで染めたような銀色で輝き、蒼く染まった虹彩は獣のように鋭く光っている。
桜色の小袖と紺色の袴を纏って醸す紬の色香は子供のそれでなく、すずですら当てられそうであった。
「とても、よく似合っているわ」
「ありがとうございます」
「母さんのお古で良かったの?」
「母さんのが良かったの」
交わす言葉はいつもと相違ないが、すずは、いやと言うほど思い知らされる。
紬の声音も、香りも、気配も、もはや人の世のモノではない。
「参られたよ」
温和な声に、紬が視線を振ると、羽織袴姿の団蔵が微笑んでいた。
作り笑いであるのは、一目に分かる。
けれど紬も笑みを作り、素直に応じた。
辛いのは送り出される方より、送り出す方だろう。
村では精霊成りの子供を送り出す時、正装をする。旅先で幸せがあるようにと。
だから紬は、作った笑顔のまま玄関に向かった。
紬を迎えにきた件の人は男である。
歳は二十の半ばか、三十路の手前に見える。
焦げ茶の髪は、少々癖のある毛質のようだ。
白いシャツに黒いネクタイを緩く締めており、黒のズボンと少々くたびれた革靴と
黒い
男の風貌で一層紬の目を引いたのは、彼の面立ちだった。
端正である事に加えて、鷹のように鋭い眼光と尋常でない瞳の色。
そのまま
もう一つは、背嚢とは別に肩から下げている濃藍の絹の長細い袋。
持ち手の紐が肩に食い込んでいるから相当の重みがあるらしい。
これが噂に聞く人狩りの仕事道具である事を紬は悟った。
「ヒスイと申します」
見かけの割に低い響きの声で男は名乗った。
「まぁ……」
なんと見た目通りの名前でしょうと、紬は思わず漏れた声を手で押さえた。
ヒスイは気を悪くしていないようで、ほんのりと笑んでいる。
「お嬢さん。あんたの名前を教えてくれんかね」
「……紬と申します」
紬がおずおずと答えると、すずがヒスイを手招きした。
「人狩り様。どうぞ中へ」
「こちらで結構です」
すずの勧めをヒスイは、やんわりとした声音で断った。
「もう……連れて行くのですか?」
団蔵の乞うような問いにも、
「決まりなので」
やはりヒスイは、やんわりと告げた。
すずは、紬を抱き寄せ、力強く抱きしめた。
両腕に込められるだけの力を込めているのだろう。痛かったけれど、紬は抗議しなかった。
これが最後だから痛みが残るぐらいでちょうどいい。
「紬」
すずは、懐から浅黄色の小振りな巾着袋を取り出し、紬の首にぶら下げた。
「持っていきなさい」
紬が中を見ると、一掴みほどの米が収められている。
「遅れ米よ。お金に困った時、使いなさい」
これだけで一家族が一年暮らしてゆけるだろう。
貰ってしまうのは
「はい。今までありがとうございました」
紬は深く一礼して紡いだその言葉を置き土産にして、ヒスイに連れられて生まれ育った村を後にした。
胸中から、えづきのように込み上げる悲哀の群れを押し殺して、紬はブーツ越しに伝わる雪の感触を刻み込んだ。
もう二度と、故郷へ帰る事は叶わない。
だから記憶にも、心にも、この瞬間を忘れぬようにと。
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