第13話 知らなくていい?!…のかな





「うーん、私、前におばあちゃんから聞いた気がするんだよね」

「大洪水の話?」

「大洪水かは忘れちゃったけど、おばあちゃんが小さい頃住んでいた家の横に川が流れててね、道路を上の方に作ったから、その川は家から見るとずっとずっと下の方を流れていて、落ちたら命がないくらいの高さらしいんだけど、おばあちゃんが小さい頃に手を伸ばしたら川の水に手が届きそうなくらい水量があった時があって、大雨なのか地震なのか分からないんだけど、行き来ができなくなったから、おばあちゃんのお父さんと手を繋いで汽車の線路を辿って帰ったことがあるって聞いたことがあるんだよね」


万実の言葉に悠海はハッとする!


「それってここに書いてあるのと…」

「ううん、おばあちゃんは昭和生まれだから、そのお話が大正なら違うと思う」

「じゃあ、このお話はやっぱり物語であって本当のことじゃないのかな」


悠海はしょげたように本へと目線を向ける。

確かに読んだときは、昔話のような雰囲気があって選んだ本を間違えたのかと思いながら読んだのだが、別の本を読んでいるうちに書かれてある内容や時期がその本と同じぐらいだと思ったのだ。

そんな悠海の様子を見て万実は慌ててフォローするように言葉を重ねた。


「いや、もしかしたら同じことを書いてるのかもよ?」

「どういうこと?」


少しばかりジトッとした目で見上げられた万実は一生懸命頭の中で言葉を探して焦ったように口に出した。


「えーっと、その、その本が、その本の年代が大正じゃなくて昭和なんじゃない?」

「大正じゃなくて?」

「う、うん。悠ちゃんの話を聞く限りだけど、年代が文章として書かれてないんでしょ?なら大正じゃなくて昭和なんじゃない?」


万実はぐるぐると回っていた頭の中から必死に繋げた言葉でなんとか理由らしい理由を出せてホッとしたような顔をして悠海を見た。

しかし、悠海はジトッとした目のまま手にしていた薄茶色の本の本裏表紙を開いてページをめくった。


「万実ちゃん。本はね、ここに出版した日付が入ってるんだ。一九六九年、昭和だと…」

「昭和じゃん」


悠海の言葉に万実はしてやったりといった様子でふふん胸を張り満足そうに笑みを浮かべる。

しかし、悠海は焦ることなく、万実に見せていた裏表紙を表紙に戻すと数ページめくって文章を指差した。


「読めってこと?」


無言で頷く悠海を見てちょっぴり不安になってきた万実はドキドキとしながら悠海が指差したあたりを読んでみた。


「『今から五十年ほど前』…五十年?昭和何年になるの?」


悠海はまだ無言のまま、裏表紙を万実に向けるとページをめくって出版された年を指差した。


「一九六九年?」

「平成が一九八九年からで、昭和は六十四だけど、確か年明けすぐに平成になったから、えーっと六十三引けばいいかな。一九二六年は昭和と大正で、大正時代は、えーっと十五年ぐらいだったはずだから、一九一一年か一九一二年から大正が始まったはずなんだよね。一九六九年の時に五十年ほど前って事は一九一九年になるから大正時代でしょ?」

「そっかー…」


万実はがっくりと肩を落とした。

そんな万実の様子に今度は悠海が狼狽えたように慌てだした。


「いや、でも万実ちゃんのおばあちゃんが言ってったっていうなら、その時にも同じようなことがあったんだと思うよ。だってずっとずっと下にある、落ちたらまず命が助からないっていう高さがあるのに手が届きそうなくらい水が増えたってことは大雨が降ったんだと思うし…」

「でも、問題の答えとは違うんでしょう?」

「いや、でも……ちょっと待って」


胸のあたりで小さく手を振りながら、テンションの下がった万実に声をかけていた悠海は電池が切れたようにピタッと止まった。


「?悠ちゃん?」


急に止まった悠海を見て体を起こした万実は顔を覗き込むようにして見る。

ピタッと静止しているが瞳は細かく揺れるように動いていて、何か考え事をしているようだ。

机に身を乗り出して様子を伺っていると、そんな万実には目もくれず手元にあったくすんだ緑色、秋の季節に見るような葉っぱの色をした本をバッと本を手に取った。

ザッザッという音が聞こえそうな勢いでページをめくり、かと思えば戻ったり、一定のページをめくったり戻ったりめくったり戻ったりしている。

悠海の行動になんとなく予想がついた万実は、体勢を戻して椅子にちゃんと座ると、悠海の意識がこっちに戻ってくるまでのんびりと待つことにした。


時間にして数分程度だと思うが、ただ待っていた万実にとってはとても長い数分だった。

机に頬をつけて目をつぶってしまおうかなと、チラッと悠海の様子を伺った万実は思いがけずに本から目を離した悠海と目があった。

すでに頰を机に向かわせていた万実は、あははは笑ってごまかして元の体勢に戻した。


「ごめん、万実ちゃん。私間違ってたかも」

「なに?どしたの?何が分かったの?」

「それ、その本。物語のように書かれているけど、史実なんじゃないかっていったじゃない?こっちと、こっちの本にも似たようなこと書いてるからって」

「うん」

「でもねパラっと見てみただけなんだけど、ここに書いてあるの、大正の話じゃないかも…」

「どういうこと?」


悠海はくすんだ緑色の本をずいっと万実の顔の前に出した。


「これ、坂森町の歴史…というかあったこと?を書いてる本なんだけど、最初の方にね大雨の記述があったの、ほらここ!」


悠海がさした指の先の文章を読んでみると、確かに雨がたくさん振ったことで川の氾濫だとか収穫量が減ったとか家の修理だとかそういったことが書かれている。しかし、西暦で年代が書かれているわけではなく、十ページ前の、西暦ではない方の、えーっと…


「悠ちゃん、西暦じゃないもう一つの言い方ってなんだっけ?平成とか…」

「年号?」

「年号ね、分かった」


十ページ前の数字は二桁のため西暦ではなく年号なのだと思う。

年号自体が書いていないためよく分からないけど、私たちが生まれた時代の本ではないと思う。だって古めかしいから。


「万実ちゃん?」

「あっ、ごめん、それでこれが?」

「うん、私ね、そっち物語の方を先に読んじゃって、後からこの本を読んだの」


悠海は薄茶色の表紙の本を撫でながら万実の手元にある本を指差した。


「私、この本で『あの問題は大正時代の事なんだ』って思い込んじゃって。似た記述があるその本を見て勘違いしたの。この本は事実なんだろうって」


悠海はしょんぼりしてうなだれた。


「念のためにこの本を読み返してみたら書いてあるって思ってたことが書いてなくて。多分、その本の物語に影響受けて、読んだ時に大げさに受け取って自分の頭の中で勝手に解釈してしまったんだと思う。もう一度見てみたら、物語と合わない部分が結構あって…ごめん」


どよんとした空気をまといながら悠海は申し訳なさそうに万実に向かって顔の前で手を合わせて謝罪した。


「いやいやいいよいいよ、っていうか何が間違いか私はよく分かんないし、謝ってもらう意味なんてないからさっ、で、そっちの本の内容だとどんなこと書いてるの?」


万実は落ち込んでいる悠海の肩を揺さぶって顔を上げてもらうと、悠海が開いたままのくすんだ緑色の本を軽くパンパンと叩いた。

自分では全く読む気がないのだろう。

そんな万実にクスッと笑い声が漏れた悠海は数ページ戻すと書いてある内容を読み出した。


「『梅雨前線を原因とした集中豪雨。数日間雨が降り続け、五日間の総降水量が千ミリを超えた地域が多数ある、歴史的な水害である。』降水量千ミリってどのくらいなんだろう」

「何年か前にこっちの方で豪雨被害のニュースになってたのも降水量千ミリ超えるとかって言ってた記憶があるよ。被害も大きかったし、川も氾濫したよね、多分同じぐらいだと思う」

「『以前より行われていた治水工事が水泡に帰した』って書いてある。今は堤防とか水害対策がされてるけど、この当時はまだ建設中とかなんだよ。ほら、『過去から積み上げてきた治水工事を根本から覆す大災害であった』だって」


本には水害の被害を大まかに書いた地図が載っている。

複数の県が被害を受けており、数えてみたら八県にもなった。


「被害がすごかったんだろうね」

「うん。坂森町に通ってる線路、当時は汽車の線路か、橋の上作ってあった線路はほとんど損壊してるみたい。完全に流失した場所もあったみたいだから県内でもかなりの地域が孤立したんじゃないかな。あっ発電所も土砂災害と水害で被害が大きかったんだって」

「えっ?じゃあ完全に電気使えないじゃん」

「うん、復旧の目処がたたない…えっ?」

「どうしたの?」

「いや、今の電力会社って昔は国の事業だったのかな、民営化って書いてある。『民営化したばかりで水害に伴う被害は甚大』だって」

「つまりどういうこと?」

「うーん、会社を立ち上げたばかりでお金の蓄えがないのに大きな被害が発電所にもあって直そうにも直せるお金がなくて復旧が大変だったんじゃないかな。かなり遅れた?」

「ええー!生活が大変じゃん!」

「万実ちゃん、声」

「あ、ごめん」


図書館の中には数人しかおらず、みんな悠海たちから離れた位置にいるため思わず出てしまった少し大きめの万実の声に反応した人はいなかったが、だからといって普段通りの音量で喋るのはダメだろう。

本をパラパラとめくりながら先ほどまでの少し小さくした声で悠海は喋り出した。



「昔は今よりも電気に頼った生活じゃなかったと思うから、今そんな状態になるよりはもっとみんなも生活が出来たかもしれないけど…」


ここ最近も水害は日本各地であるけど、それよりも悲惨だった可能性を想像して数年前の豪雨被害を思い出して悠海は腕をさすった。


「ダム建設中に濁流が激突して決壊したみたい。隣の市は市内全部が浸かってしまったみたいだね」

「今でも大雨が降ると大変だって聞いたことがあるよ、水害対策について考えてるって聞いたことある。そっかー、この時代からずっとなんだね」

「坂森町は山の中だし、どっちかというと土砂災害だよね。国道が通れないと大変なことになっちゃう。崩落で一時通れないことって最近もあったよね?」

「地震の時でしょ?私たちはまだ小さかったから覚えてないんだけど、山を通る旧道だけ通れたからなんとかなったってお母さんが言ってたよ。今、国道も工事してるんだって。また崩落が起きてもなんとかなるようにトンネル掘ってるみたい」


ノートに鉛筆で懸命に文字を書いていた万実は、ふと動かすのを止めるとポツリと呟いた。


「台風とか大雨とか地震とか最近もあったし坂森町も被害があったけど、そこまで大きくなかったから、ちょっと軽く考えてたかも」


調べると怖いけど、ちゃんと考えろってことなのかも。

そう言うと万実はノートの文字を見ながら考え込んでいた。





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