08.代償。

 放課後、セレニアは保健室に居た。彼女がケガをしたのではなく、彼女の担任がケガをしたからだ。その原因を作ったのは他でもない自分だと、セレニアはそう信じて疑わなかった。


「……うぉ、おぉ?」


「先生!」


 知らない天井だ。Fの担任がそう思うのも仕方なかった。


 もとより彼の仕事は生徒の教育だ。強大な獣などと戦う「狩人」ではない。生徒との訓練で保健室送りにされる事態など一度も無かった。


 まして彼はかつて「学園最強の教師」と呼ばれていた男。アルシオーネの台頭がその二つ名を剥がしてしまったが、その実力は衰えを見せない。故に保健室の世話になる事は無かったのである。


 

 知らない天井に加えて、申し訳なさそうに眉をひそめるセレニアが視界に映った。


「あー……えっと、うぅん」


 必死に思い出す。寝ぼけてあまり働こうとしない頭を無理やりにでも回転させて、記憶を辿る。




 確か、練兵場で訓練してたよな。大会の規則に則ってー、とか色々言って。そして……あぁ、生徒一人一人と戦ったんだ。クレオから始まって、ベーギル、アストラド、ウィンゲー……んで、テトラまで行ったか? テトラの後はセレニア。セレニアと、セレニアと……? 




 あぁ────俺、ボロ負けしたんだった。



「先生、お体の方は……」


「大丈夫だよこんくらい……ったく、教師としての面子もブッコワレだ」


「……」


「セレニア、お前は俺を倒した。それも互角に戦った結果じゃねぇ、完封勝利だ。


 きっと長期休暇で血反吐はきまくったんだろうな、そうじゃないと説明がつかねーよ」


「そ、そんな大げさな……」


「いや、大げさじゃねぇ。お前は『Fの代表』にふさわしい。アルシオーネに勝つのも時間の問題だぜ」


 担任は、今のセレニアと自身の脳にある種のトラウマとして刻み込まれたセレニアを比べた。


「で、でも、私は先生を」


「いいんだよそんな事。前に言ったろーが、『下克上は珍しい事じゃない』って。要は下克上される側の努力不足だ、慢心だ、油断だ。まぁでも、気が済まないってんなら今の内にやりてー事しとけ」


 こんな年齢相応のあどけなく無垢な少女が、相対する者の本能的な恐怖心を引き出すようなあの表情を浮かべる。……とても想像できるものではない。もしかしたら目の前にいるセレニアは別人なのではないか。今の彼女と戦えば無傷で勝てるのではないか。


「……すみませんでした、先生」


「……はは。教師失格、だな」

 

 自身の教え子に疑ってかかろうとする自分に、担任は嘲笑をこぼした。


◇    ◇    ◇


 大会二日前、学園の食堂。


 13歳以上の狩人科専用の食堂で、学年及びクラスごとに利用できるテーブルの場所が決まっている。

 

 Fの場所は……広い広い食堂の隅だった。


「おい見ろよ、Fが群れてる」


「なんでアイツらここに来たんだろうな、早く退学しちまえばいいのに」


「それな」


 一年のAの三人衆が指をさし、セレニア含む一年のFを笑った。


「聞こえてんのよ……腹立つわホント」


「テトラ、すごい顔になってる」


「あんたもなんか言ってやってよ! 積年の恨み晴らしてよ!」


 テトラは隣の席のセレニアに向かって身を乗り出す。桃色のツインテールがせわしなく揺れた。


「そうだね、積年の恨み……か」


「そう! 今まで差別されてきた怒り!」


「……明後日、ぶつけてくるから」


「ひっ……」


 セレニアの「冷笑」がテトラを刺す。それはFの担任との戦闘後の表情だった。テトラがあの時見えたのは、天井から垂直落下する担任と、それを受け止めて地面に置きながら狂気に塗れた表情を浮かべるセレニアの横顔だ。


 そして直後、彼女はこう言った。


『誰か保健室の先生呼んできて?』


 

 Fの生徒全てがあの顔を忘れられないでいる。「Fの同級生」として楽しくやってきたかつてのセレニアは消えてしまったと。アルシオーネへの執着のせいなのか、それとも元から彼女に秘められていた性格なのか。



 どちらにしろ、テトラはもう以前のように仲良くする事は出来なくなった。


「ねぇ、セレニア」


「ん?」


「あんた、おかしいよ」


「お、おかしい? どしたの急に」


「自覚してないの? あんたの方が凄い顔してるよ」


「失礼な! いつも通りだよ!」


「違う、絶対違う。怖いよ、今のあんた」


「……知らない。っていうかここで話す事じゃないでしょ」


「それもそうだね、ごめん」


 他のFの生徒も、テトラ同様どこかよそよそしくなってしまっていた。




 

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