07.教師失格の日。

 ある日、訓練が終わった後の深夜。

 

 「トーネイの隠れ家」の個室の机で、彼女は本を読んでいた。


 いわゆる居候の身だが、料理店としての経営を終わった後は多少なりとも手伝いをしているので、スズハやアマネ、ランダルシアから愛される存在となっていた。


「……」


 撃術の本、慈術の本、小説、評論、彼女の読む本は多岐の分野に渡るが、中でも特に読む物語があった。


 それは、魔女の話。


 自身が差別される要因となったおとぎ噺。


 そしてどの文献でも必ず、魔女は勇者に殺される。


「私もいつか、勇者に殺されちゃうのかな……」


 紫の髪を持つ人間は希少ながら複数存在するので、コイツが魔女、アイツが魔女などと決め付けるのは愚か者のすることだろう。しかしまぁ、民衆の融通の利かなさと言ったら表現する言葉もない程だ。


「……黒騎士さん」


 エルファバを助けてくれた、唯一の人。この温かい場所に連れて来てくれた、唯一の人。エルファバの心の拠り所は黒騎士にあり、彼との時間はスズハやアマネとはまた違った安心感を与えてくれる。

 

 ……セレニアに付きっ切りなせいで黒騎士とあまり喋れなかった事を、多少なりとも寂しがっている、あるいは残念がっているエルファバがそこに居た。


 そんな感慨をさえぎるように、ドアをノックされる。


「どうぞー」


「……エル先生」


「セレニアちゃん、どうしたの?」


 戦闘時を除いていつも溌剌としているはずの彼女は、今現在、誰が見ても元気がないと断定できそうだ。赤い瞳を宿す目も垂れている。


「お悩み相談……です。入っていいですか」


「いいよ。こっち座って」


 セレニアとエルファバは二人ベッドに並んで座った。エルファバは暗い彼女の横顔を心配そうに見つめる。


「……どんなお悩み?」


「…………」


 セレニアは俯いたまま、暗い影を落とす顔を上げようとしない。


「……助けて、ください」


「へ?」


 エルファバの手はセレニアに取られる。彼女は目の隅に涙を溜めていた。


「助けてください……っ!」


 何を助けろというのか。エルファバは彼女の真意を汲み取れず、戸惑う。


「怖いんです、怖いんです! 私が私じゃなくなるみたいで怖いんです!」


「ま、まって、落ち着いて、大丈夫だから」


「こわい、です……」

 

 エルファバの体をこれでもかと言うほど抱き締め、幼子のように体を預ける。


「私が私じゃなくなる、って……どういう事?」


「……黒騎士さんと戦ってると、時々すごくイヤな事考えるんです。アルちゃんと仲直りしたいのに、そのためだけに頑張ってるのに、支配とか、独占とか……」


 思い当たる節がエルファバにはあった。例えば今日の魔術訓練。エルファバは遠まわしに「これでは幼馴染に勝てない」と伝えた。その時のセレニアの顔は、ただ「悔しさ」や「己の無力さ」から来るものではなかったのだ。一種の欲……「仲直り」の一言では表現しきれない彼女の心の奥底に眠る黒い何か。支配、独占、あるいはそれ以上の……深淵に比類するまでの黒い欲望。


「違うのに、違うのに……訓練するたびどんどん大きくなって……」


「……大丈夫だよ」


「……ふぇ?」


「長い間アルちゃんと会話してなかったんでしょ?」


「……はい」


「で、セレニアちゃんは、その……アルちゃんの事が大好きなんでしょ?」


「……ん」


「黒騎士さんと訓練して、ようやくアルちゃんに手が届く所まで来たんだもん。多分、今まで抑えてた思いっていうの? それがこう……ちょっとずつ漏れてるんだよ」


「……」


「私の予想なんだけどね。アルちゃんと仲直りしちゃったら全部無くなるよ」


「こわいの、ぜんぶ……?」


「うん。アルちゃんに勝って、ちゃんと自分の気持ちを伝えればいいだけ」


「……ありがと、エル先生」


 涙ぐんだままセレニアはエルファバの肩に顔を埋める。この「恐ろしい感情」が一時的なものだと思ったら不思議と安心感が生まれてきたようだ。


「そうだ、おまじない!」


「おまじない?」


「セレニアちゃんがアルちゃんと仲直りできるように、ね。手出して?」


 エルファバの体から離れ、おずおずと右手を差し出すセレニア。その白い手の甲にエルファバが自身の人差し指を重ねる。


「あなたとあなたの幼馴染が、いつまでも仲良しでいられますように……」


 すり、すり、すり。


 手の甲の肌の上をエルファバの指が這っていく。セレニアがくすぐったそうに顔をしかめる。


 その指の動きは、何かの絵を描いているようだった。



◇    ◇    ◇



 セレニアは、ついに黒騎士の鎧に剣を当てて訓練を卒業した。

そして今日……長期休暇が終わってから最初の登校日だ。


 階段を登って廊下を歩いて、Fのクラスに入った。相変わらず騒がしい。

緊張感が無く、呑気で、机に突っ伏して寝ている生徒もいる。E以上が皆魔術の本で勉強してる様子を鑑みれば、このFが如何に底辺なクラスか分かるだろう。


「おっはーセレニア」


「テトラ! 久しぶり」


 図書館での勉強に付き合ってくれていた彼女の女友達、テトラ。今のセレニアからすれば、あの時の勉強も無駄なものだったろうが。


「なんか……顔変わってない?」


「はい?」


「あんたってそんな目つき悪かったっけ?」


「失礼な! いつも通りだよ!」


「この30日間頑張りすぎて夜更かしかぁー?」


「……あはは、それはあるかも」


「ま、あの子のため、でしょ? 期待はしてないけど、F代表としてがんばってねぇーん」


「う、うん……はは」


 Fの代表。名誉なのか不名誉なのか分からない称号を貰って、セレニアは乾いた笑いを返す。


「おらボンクラどもぉー! 一時限目何か忘れたのかぁー!?」


 扉から顔を出している担任の怒号が響いた。Fの担任という報われない立場なせいで心労が絶えないのか、若年にしては白髪が多い。


「やっべー訓練じゃん! 急げ急げーっ!」


「準備出来たらお前ら第三練兵場に集合だ、いいなーっ!」


「「「「はーい!」」」」



◇    ◇    ◇


 学園の施設の一つ、練兵場。アマネの地下の訓練所を更に大きくしたような内装で、学園にはこれが幾つもある。バルケンスの意向の一つ、というわけだ。

 

 セレニア達は並んで座り、担任の指導を聞く。……腰に、鉄の剣を携えて。


「お休みは楽しかっただろーコラ、ボケ。Fだからって許されると思ってんじゃねえぞぉ? 大会のために練習したヤツ何人いるってんだオイ」


「「「「……」」」」


「あーわざわざ自己申告とかしなくていいからな。どうせ今から分かるし。

 

 っつーワケでー! 大会の規則に則って訓練しまーす!」


「「「「えぇー!」」」」


 今頃他のクラスもこれをしている頃だろう。勿論今のFのようなブーイング等は絶対に出ない。


「えぇーじゃねーよ当然だろうが、あん? 準備運動終わったら出席番号順で先生と戦うぞー、大会の規則通りだから魔術も好きなだけ使ってよし。んじゃ、始め!」

 

 ざわざわと消極的な言葉が飛び交いながら、皆が各々で準備運動を始めた。セレニアも同じようにする。


 訓練以前のセレニアからすればこの担任は絶対的な力の存在だった。学園の中では中々の実力者と言われるが、そんな彼でもアルシオーネには歯が立たない。それほどアルシオーネは逸材だった。


「せんせー終わりやした! いっすか?」


「いいぞー! 本気で来いよ?」


「もちろんす!」


 担任が『結界』を互いに張る。


 一番目の男子は自信満々な顔をしていた。彼もセレニアと同じく休み中に訓練していたのである。……まぁ、それの成果がセレニアの比較にもならない事は言うまでもなかろう。



「っらぁぁぁああ!」


「おー気合入ってんなぁー」


「っち、くしょっ……!」


「本気がこれかー? んー?」


 

 担任は余裕だった。本気で挑んでいるはずの男子の剣を片手で受け流し、しかも煽るという有様。


 セレニアはふと思った。


 先生の本気を引き出したい、と。



 男の子が溜めて、低い姿勢から渾身の斬撃を放った。けれども空振って、大きな隙に担任の連撃を叩き込まれる。ガラスの窓が割れるように結界が壊れて、破片は粒子となり空へ散る。出席番号一番の男子の訓練が終わった。



「魔術使うほどでもなかったぞー、そんなんで大丈夫か?」


「う、うっせーす!」



 『結界』は掛けられた者の体を保護してくれる。炎による火傷、風や剣による切り傷、氷による凍傷などなど、あらゆる「傷」から術者の体を守ってくる優れものだ。


 ただし「衝撃」だけは絶対に守れない。例えば高い場所から落ちた時、地面に当たった時の痛みや傷は『結界』に吸収されるが衝撃だけは術者の体に一寸の減衰なく伝わってくる。その衝撃に伴う怪我は『結界』の管理する所ではない。



「おら次、どんどん来いよー!」



◇    ◇    ◇


「ったくもーバカ教師! 手加減くらいしてよね!」


「テトラ、聞こえちゃうから……」


「セレニア、あんた頑張ってきたんでしょ。なんとかしてアイツをぎゃふんと言わせてよ!」


「えと……頑張ってみる」


 テトラも一番目の男子と同じように蹂躙された。テトラの次はセレニア、ついに訓練の成果を披露する時が来た。


 彼女は担任の前に立ち、ふぅ、と深呼吸した。


「あー、お前は確かアルシオーネを……」


「はい。だから意地でもここで先生を倒さないといけません」


「……はは、大分目つき変わったな。お前の目ぇ見てるとヒヤヒヤするよ」


「テトラにも言われました。……ちょっと準備しますね」


「おう」



 『自分の手札が全部バレる前に倒しなさい。短期決戦で行かないと間違いなく負けますよ』。それが学園に行く前の黒騎士の言葉、ならばセレニアのすべき事は決まっている。



 まず『彩輝』。これは自身の武器に属性を付与する慈術。『術加量』で五倍の雷を付与すると、青雷が剣の刀身に纏わりついてバチバチと火花を散らす。


「……」


 次に『徒花』。『術加量』で五本にした『槍』を頭上に浮かせ、火の属性を流し込む。


「これは……セレニア、お前」


「努力の賜物ですよ、先生?」


「……尋常じゃねえな、流石にそれは反則だろうが」


「いつも先生に負けてばかりで悔しかったんです。見返してやろうと思って」


「そうだな、努力する生徒を持ったのは嬉しいよ。……『術加量』を気合で習得するFなんて聞いたことねーけどな」


「……せんせ、早く始めましょう?」


「お、おう……結界張るぞ」


 赤い瞳の瞳孔が小さくなり、普段ぱっちりとしている彼女の目は獲物を前にした野獣の如く細くなって、まるで眼前の担任を「目の槍」で射殺すかのようだ。


 ゾクリ、担任の背筋に青い寒気が走る。かのアルシオーネでさえこのような表情は見せなかった。Eクラス以上の生徒は、日頃どんな人物であれ、戦闘時必ず真剣な表情を見せる。相手が格上だろうと同格だろうと自分より劣っていようと、「戦おうとする意思」を見せる者に対してふざけたり、手を抜いたりなんて愚劣は絶対に犯さない。なぜか、それがバルケンスの説いた「理念」だからだ。


 この担任も長年学園の教師として活躍してきた身、それくらいの事は理解している。


「ガチで来るってんなら教師としては本気出すしかねーな、覚悟しろよ?」


「是非、お願い致します」


 だが、違った。


 セレニアの表情は、決して「先生という格上の相手を倒すため」ではなかった。そう、それは明らかに……冷笑。バルケンスの理念に則るならばその表情は違反であって、騎士の顔でもなく、戦士の顔でもなく、狩人の顔でもなく……



 弱き者を前にしてどう追い詰めようかと、不気味な笑みを浮かべて思考し続ける、






               「獣」の顔。







「……なんなんだ、お前」


「私はセレニアです。あなたの教え子ですよ」


「それも努力の賜物なのか」


「『それ』とは……ごめんなさい、何の事か」


「いや、いい。俺の勘違いだから」


「そうですか。では始めの合図をお願いしますね」


「……あぁ」



 Fの生徒は他の生徒の戦闘を真面目に観察なんてしない。自分の訓練が終わったら他のFの生徒と喋るだけ。その理由は十分察せられるものだが、今回は少し様子が変だ。


 皆、ざわざわとしながらセレニアを見ている。生半可な努力では得られない力を得てしまった彼女と、それと相対する担任の行く先を。




「では……始め!」


 



 担任は剣を強く握り、構えた。セレニアのあの目が自身の冷静さを欠かせていく。不気味な殺意が送り込まれて、虫のように体を這って、体が震える。冷や汗が頬を伝った。





 さぁ、どう出る。






 不意にセレニアがバランスを崩した。ふらっ、となり、そして───




 

 消えた。





 次の瞬間



「うぉぁ───」



 吹き飛ぶ。どこまでも、どこまでも、そして壁にぶち当たる。


 さっきまで担任がいた場所にはセレニアが居た。担任に手をかざしていた。


 担任は何が起きたか理解できなかった。当然だ、なにせ彼女は少し前まで自分に一度も攻撃を当てられない「ポンコツ」の一人だったのだから。


「くぁ、がはぁッ──」


 クソ、クソ、クソ。


 どうなってやがる。


 今年の一年生はおかしいなんてもんじゃねぇ。


 ……なんなんだホント。理不尽にも程があるな。


 

 混乱に支配された頭でも五本の火の槍がこちらに向かっている事は理解できた。


 『加速』を使い壁から脱出、反撃の狼煙をあげ、矢の如く突撃する。彼だって教師の一人、プライドというものがある。アルシオーネからすればそれはちっぽけなものだろうが、自分のクラスの生徒に負けるのだけは許せなかった。


 だが、いない。数刻前までそこにいたセレニアはもういない。



 当然の事だ。


 

 たかが学園の教師程度の者が「十傑狩人」の速度を視認できようか。



 

 セレニアと担任の間には、それほどの格差が既に開いていたのである。




 直後担任は直上に吹き飛ばされた。彼の視界には赤い残光だけが映った。


 壁にめり込む、空気の波動が錬兵場を揺らす、観客を飛ばす。『結界』では防いでくれない衝撃が担任の体を容赦なく襲う。


 



 助けてくれ、担任は切にそう願った。




 おびただしい鈍痛が思考を鈍らせていく。壁から抜け出せそうにない。


 失っていく意識の中、ぼやけた視界、目の前に突然セレニアが現れた。手元には剣、もう一つの手元には青い弾状の光り。







 ……あぁ、あれは確か『散華』だったっけ───






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