アサガオとガナッシュ入りチョコレートとプレゼントと

 その日、那由多さんは麦わら帽子を被って庭いじりをしていた。麦わら帽子の影に汗をかいて、白い首にタオルを巻いている。真剣な横顔を少し眺めてから声をかけた。


「何を植えてるの?」


「朝顔だよ」


「アサガオ?あっちの方にも咲いてるのにそこにも植えるの?」


 アサガオの花なら私も知ってる。ラッパみたいな形のかわいい花だ。那由多さんの洋館の端っこに咲いているのを最近見かけた。朝学校に行く時に見かけるから間違いない。アサガオを沢山植えるなんて、那由多さんはアサガオが好きなのかな……。


「ん?……あぁ、柵のとこのやつか。あれは朝顔じゃないよ」


「え?」


「あれは昼顔だよ。勝手に生えてきたんだ。そろそろ抜かないと増えちゃうかもなぁ」


「うそだぁ、あれもアサガオでしょ?だって朝通る時に咲いてるよ、朝に咲くのがアサガオでしょ?」


「あぁ、そっか、外から見えるとこだもんね。それで朝顔と思ったのか……」


「違うの?」


「うん、実は朝顔は朝咲いて昼前に花がしぼんじゃうけど、昼顔は朝咲いて昼過ぎまで咲いてる花なんだよ」


「え?!そうなの?!ヒルガオは昼だけ咲くんじゃないの?!」


「名前の感じでそう思っちゃうよね」


 那由多さんが笑った。


「……知らなかった」


 大事なことじゃないんだけど、何故か凄くショックだ。びっくりしたからか、不意に涙が出そうになってしまって俯〈うつむ〉いて堪〈こら〉える。


「え、うそ、そんなにショックだった?」


 那由多さんからは大げさに項垂〈うなだ〉れているように見えてしまったかもしれない。アサガオは朝だけ咲いて、ヒルガオは昼だけ咲く、確かに誰かに教わった訳でもなくて、正確な情報かと言われると自信はないんだけど……、自分の中の常識が一つ崩れてしまったのは衝撃的だった。


「……大丈夫?キッチンにチョコがあるけど、食べる?」


「……食べる」


「じゃあ、ここは暑いから、中に入って待ってて。すぐ戻るから」


 そう言って、那由多さんはスコップで土を叩き始めた。私は俯いてた顔を上げて、皮膚がちりちりするような高い日差しに目を細める。今日は雲一つない。蝉の声が洋館の壁に反響していて、頭が少しぼーっとした。水飲みたい。


 手でひさしを作って空を見上げながら、ポケットに入れてきた三角柱のガラスに触れる。今まで見かけてきたアサガオ達も、もしかしたらアサガオじゃなかったのかもしれない。私の知ってる世界はいとも容易く音もなく砕けてしまった。


――――――――――――


 キッチンに入ると冷房が効いていて、フルーツの甘い匂いがした。匂いを辿ってお鍋を覗くと真っ赤な液体が中に入っている。何かのジャムかな?コップを一つ勝手に取って、水を飲んで喉を潤した。


 コップ片手にダイニングテーブルの方に歩く。テーブルの上には硬い紙で出来た箱があって、リボンがかけられている。これがチョコレートかな。開けて中を見たかったけど、那由多さんが来るのを待つことにした。箱の隣にはティーポットと真っ赤な南国っぽいお花が生けられた花瓶が置いてあった。庭に咲いてるのを見たことがあるお花だ。那由多さんが摘んできて生けたのかな?


「ふー、暑かった」


 待ってるとすぐに那由多さんが戻ってきた。手を洗ってティーポットに入れるお茶っ葉を選び始める。


「チョコにはアールグレイかな」


 独り言のように呟いたから、それには答えずに質問する。


「この箱がチョコ?」


「そう。開けてみていいよ。あ、その前にちゃんと手を洗ってね」


「はーい」


 言われて手を洗いにキッチンに行く、手を洗って、ついでに水を飲んだコップも軽くすすいで食器カゴに戻しておく。カゴの中には丸い窪みがいくつも開いたシリコンのシートがあった。普段見かけないものだから目に付いたけど、なんだろう。


 テーブルに戻るとリボンに手をかけた。高級そうな箱を開けると、中には三センチくらいの円柱状のチョコレートが綺麗に並んでいる。少し色の濃いチョコレートに白いラインが入っていて綺麗で美味しそう。


「はい、紅茶。座って食べて」


「うん!」


 私はさっき受けたショックなんか忘れて、チョコレートに興味津々になっていた。一番手前のチョコレートに手を伸ばす。那由多さんがにこにことこちらを見ている。半分噛み切ってみると、中には周りのチョコよりも色が薄くて柔らかいチョコレートが入っていた。


「おいしい!!」


「そう?よかった」


「なんか中のがさっぱりしてておいしい!」


「苺ジャムのガナッシュを入れてみたんだ。甘過ぎなくておいしいでしょ?」


「え?!これ那由多さんが作ったの?すごい!」


「はは、チョコレートは結構簡単に作れるんだよ」


 チョコレートを飲み込んで紅茶を口に入れる。鼻から抜けるチョコレートの甘さにアールグレイの香りが混ざって、なんだか幸せな気分になる。


「全部中身一緒?」


「今回は全部一緒。試作品だから好きなだけ食べていいよ」


「やった!」


 もう一つもう一つと手を伸ばして味わっていく。こんなおいしいチョコレートが作れるなんて凄いな。


「型に溶かしたチョコを塗って固めて、中身を入れて、その上にまた溶かしたチョコを入れて固めるだけだから、すごく簡単だよ。今度一緒に作る?作業時間は一時間もかからないよ」


「そんなに簡単なの?私でも作れる?」


「もちろん」


 私はうなずいた。本当は那由多さんが作ったのを食べれればいいと思ったけど、一緒に作るのは楽しそうだったから。


 売り物みたいなチョコレートが簡単に作れるものだったなんて、また一つ常識が崩れたかもしれない。今度はいい意味でだけど。ふと、ポケットのものを思い出した。そうだ、これを見せに来たんだった。


「那由多さん、これ知ってる?」


 私はポケットから三角柱のガラスを取り出して那由多さんに見せた。


「ん?あぁ、三角プリズムか。久しぶりに見るなぁ」


「さんかくぷりずむ?」


「中学の授業でやらなかった?光の屈折率を利用して、光を波長ごとに分けたり、方向を変えたりするもの、かな」


「??ふーん?」


「そうだなぁ、ちょっと待ってね」


 そう言って那由多さんは席を立って日の差し込んでいる窓の方に歩いていってカーテンを締める。カーテンは完全には閉められずに、少しだけ開いてある。夏の日差しは高いから、短いけど強い光の筋が窓の下にあるテーブルの上に出来上がった。


「この光の中にプリズムを置いて」


 言われたように光の中にプリズムを置くと、プリズムに入った光が中で反射して別の方向に虹の筋が現れた。


「綺麗」


「これがプリズムだよ。光がガラスに入る時に屈折するんだけど、光の中にはいろんな色があって、色ごとに屈折する角度が違うんだ。だからプリズムを通すと光の中の色が分けられて虹色になるんだよ」


「不思議」


「これは一番簡単な三角のプリズムだけど、カメラのレンズとか、メガネとかもプリズムの原理が使われてるんだ」


「いろんな形のがあるの?」


「いろんな形で、いろんな用途のがあるよ」


「ふーん」


 プリズムの原理はよく理解できなかったけど、しばらく指でプリズムを弄りながらくるくると変わる虹色を眺めた。アールグレイの甘い香りが漂ってきて、少し眠くなってきてしまう。


 プリズムを通すと、光が分解されてしまうのはなんだか、この世界をしっかりと理解出来てない私みたいだと思った。きっと私の中にある世界という光を取り入れてるプリズムは少しだけ壊れてて精度が悪いんだ。だから七色に光を分解できてなくて、一色か二色足りないんじゃないかな。今日那由多さんにヒルガオのことを教わって、チョコレートの作り方を教わったことで、私のプリズムは少し直って、入ってくる光を少しだけ正しく分解してくれるようになってたらいいな。私の見ている世界のように、人それぞれ、いろんなプリズムを挟んで世界を見ているのかな。そんなことを考えながら少し眠ってしまっていた。


――――――――――――


 気づくとまだ外は明るかったけど、もう光は差し込んできてなかった。夕暮れになる前の少し青い時間。左手にプリズムを握っていて、肩には大きなタオルケットがかけられていた。那由多さんの洗剤の匂いがする。那由多さんはいなかった。……仕事してるのかな。


 まだはっきりとしない頭で考える。


(なんでプリズムなんてプレゼントしてくれたんだろう、あいつ)


 今日は私の誕生日でもなんでもないのに、急に学校でプリズムを渡された。


「プレゼントだから」と言って。私はそのガラスの塊がなんなのかも分からず受け取るしかなかった。那由多さんみたいにプリズムの説明もしてくれなくて、そのまま走って行ってしまった。


 あいつの考えてる事が分からないのも、私のプリズムが壊れているからなのだろうか。もやもやしたせいで目は覚めたけど、これ以上考えたくなくてチョコレートを口に運んだ。紅茶はすっかり冷めてしまっていた。暗くならないうちに帰ろう。


 最近は雨の季節も終わって、暑い日が続いている。日焼けした同級生達が楽しそうに早足で駆けていくのを、私はつまづきながら眺めている。その日見た夢では、虹色に輝いた世界を眺める私の手や足も、虹色に輝いていた。よく分からない夢だったけど、私のプリズムが機能しているのを示しているのだとしたら嬉しいな。きっと私は私のプリズムを調整しながら生きていくのだ。色んなことが知りたい。みんなの気持ちが知りたい。そんな風に思った。

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