第391話 幕間 喜べ、君の願いはここに叶った
乾いた音が断続的に響いている。
テオロクルム城の練兵場で、二人の男が刃を交わしていた。刃と言っても、二人が使用しているのは訓練用の木剣である。木と木が打ち合う時に、カァン、カァンと屋根のない練兵場から空に向かって音が打ちあがっていた。
「どおっしゃぁああああ!」
木剣に気合と力を乗せ、相手に向けて振り下ろしたのは、名を上げるために仕方なく、長期的な目で見れば合理的なので、傭兵団アスカロンと共に行くことにした賞金稼ぎのロガンだった。
当たれば木剣であっても骨折は免れない、当たり所が悪ければ命すら奪いかねないほどの威力を秘めた彼の一撃は、しかし空を切り、地面を抉るに留まった。狙いを定めたはずの相手は、木剣の軌道を読み切り、わずかな体移動で避けた。ロガンからすれば、剣がすり抜けたように見えたかもしれない。
隙だらけになったロガンの喉元に、剣先が突き付けられる。勝負はあった。
「くそが、何で当たらん!」
水を目いっぱいまで汲んだ木桶を、ロガンは豪快に頭の上でひっくり返した。体にぶつかった水滴が弾けて周囲に散らばり、朝日とぶつかって虹を描いた。冷たい水を浴びたその逞しい巨体は、冷えるどころか怒りを燃料にして熱く滾り、湯気が立っている。
「むしろ何であれが当たると思ったんだ」
水飛ばすなよ、と顔をしかめながら、自分の体を拭いているのは、彼の摸擬戦の相手をしていたムトだ。
「力任せに振ったって当たるわけないだろう。相手だって動くんだぞ。当たり前のことを、どうしてわざわざ言わなきゃならないんだ」
「これまでそれで当たってからだよ! あのコンヒュムのジジイだって倒せたじゃねえか」
「状況が違う」
自分の一番の戦果を誇るように提示したロガンを、バッサリとムトは切って捨てた。
「あの時どうやってアポス将軍に一矢報いることができたか思い出せ。あの将軍は、通常であれば僕たちが勝てるような相手じゃない。事前にいくつもの準備をして、将軍の手札を一つ一つ塞ぎ、最後の一押しで油断を誘って、ようやく一撃食らわしたに過ぎない。しかも、倒しきれてないんだ。二人がかりでこれだけやって、殺しきれなかった時点であの人に勝てたとは言えない」
確かにその後取っ組み合いの徒手による戦いになったが、全く攻撃が通じなかったことを思い出す。こちらの攻撃を読まれているかのようだった。
「攻撃が単調すぎるんだ。フェイントもなにもない、直線的な攻撃。力押しで倒せる相手なら、その馬鹿力で押し切れるかもしれないけど、それ以外の搦め手で来られたらめっぽう弱い。まずそのことを自覚した方が良い」
「うるせえなあ。そういうつまんねえ戦い、合わないんだよ」
「なら、極端な話だけど、もし倒さなければならないのが弓使いだとして、どうやって勝つつもりだ?」
「はあ?」
「弓使いがピンとこなければ、魔術師でも良い。とにかく、相手はお前から距離を取り、離れたところから攻撃を仕掛けている。そういう相手にどうやれば勝てる?」
「いや、そんなこと」
「あり得ないことはないからな。そもそもお前、一人で賞金稼ぎしてたんだろう。今までは出会わなかったのが不思議なくらいだ。で、僕たちと同行するなら、そういう話が絶対あるぞ。こちらを狙っている奴がいる。探して潰してこい、ってね」
「無茶苦茶言いやがる」
「こんなの無茶に入らないよ。で、どうするんだ」
「ああ? あー・・・」
ロガンは顔をしかめて思案し、頭を乱暴にかき、体から発する湯気が更に増え、そして固まった。
「・・・何とか、倒・・・す?」
「絞り出した答えがそれかよ」
ムトはがっくりと肩を落とした。
「どうしろってんだよ。そもそも、そんな奴普通はアスカロンなら、テーバのおっさんとかジュールが担当するんだろうが」
投げやりに答えたロガンだが、以外にもムトは「そうだよ」と肯定した。
「は? じゃあ、任せちまうのが正解だってことか?」
「そういうわけじゃないけど、でも、僕たちの様な集団なら、適材適所に団員を配置するのが鉄則だ。こちらの強みで、相手の強みを消し、弱みを突く。けど、今自分自身が言ったことがヒントになってる。よく考えろ」
「よく考えろったってなあ」
「じゃあ、彼らはどうやって敵を倒すと思う? まずそこから考えろよ」
「・・・相手を、見つける?」
当たり前だ、という叱責が返ってくるかと思いきや、ムトは頷き、「続けろ」と促した。
「あー、ええと、こちらの攻撃が当たる場所まで近づく」
「そうだな。でも、相手も動くのはさっき言った通りだ。近づく敵がいれば更に離れるぞ」
「じゃあ、隠れながら近づく。例えば、後ろから。そんで、倒す」
「同じことが、お前も出来るはずだ。理論上は。相手を見つけて、攻撃が届く範囲まで近づいて、躱されないようにして攻撃を当てれば」
「・・・当たり前じゃね?」
「当たり前のことがわかってないし出来てない奴に言われたくないな」
極論だけど、戦いの基本はこれだと思う、とムトは言った。
「そこに、相手の動きを予測したり、またはこちらが誘導したり、味方を呼んだり、道具を選んだり、そういう様々な駆け引きや戦術を混ぜ込んで、なるべく自分が有利に立ち、相手を不利な状況に追い込んでいくのが戦いの形なんじゃないかな、と考えている。だから、多くの経験を積んでいる将軍は、様々な駆け引きができ、こちらの手段を知っていて、かつすぐに最善手が打てるから強いんだと思う」
「あのジジイ、戦いの最中にそんな事考えているのか」
「考えているし、体に染みついているというのもあるはずだ。体が反射的に反応するほどの修練を重ねているだろう」
「ま、それをぶっ飛ばした俺はもっと凄いわけだが」
「ぶっ飛ばしてないし、ぶっ飛ばされてただろうが。いい気になるな」
「それでお前は一体何が言いたいわけだよ」
「何でここまで言ってわからないんだ」
「うるせえなあ、もったいぶらずに言えよ」
「教えを乞う立場で何でそんなに偉そうに言えるのか、本気でわからない」
そう言いつつ、話してやるムトは結局は甘いのかもしれない。もしくは、初めての年下の弟分に、先輩風を吹かせたくなったか。
「自分の事をもっとよく知れ、ってことだ。今何が出来て、何が出来ないのか。戦いでは、自分の得意を相手に押し付けて、相手の得意を出させないようにしろ。さっきの話なら、弓使いに殺される前に接近しさえすれば、弓を引く暇を与えなければお前は絶対勝てるだろ?」
「ああ、なるほど、なんだよ。なら難しく考えずに、今のままで良いってことじゃねえか」
「何でそうなる?」
高笑いするロガンの隣で、ムトは項垂れた。その様子を見て、ニコニコしながらゲオーロが近づいてきた。
「やあ、精が出るねえ」
「出てるのはため息だよ、ゲオーロ。こいつに何言っても無駄だということがよく分かった」
「んだよ。お前の説明が悪いんだろ」
「はいはい、もうそれでいいよ。面倒くさい」
「すかしてんじゃねえぞ! もういっぺんやるか?!」
「今のままなら、何べんやっても同じだよ。僕が疲れるだけで何にもメリットがない」
「何だとコラ」
「まあまあ、その辺で。言葉足らずだけど、ロガンなりに色々考えてるはずだよ。だろ?」
「おう、当たり前だろ。俺はもっともっと強くなるからな!」
ロガンがアスカロンに合流してから、ムトとロガンが喧嘩しているのをゲオーロが仲裁する、という構図が出来上がっていた。
「すぐに、この団で一番くらいになってやるぜ」
そう言うロガンを見て、ムトが鼻で笑った。
「何がおかしいんだよ」
「僕に勝てないようじゃ無理だよ。団長なんか夢のまた夢だ」
「はあ? 何でお前にも団長にも勝てないって決めつけるんだよ。それにあの団長、自分の噂は大体嘘だって自分で言ってたぜ。そりゃ俺も、作戦いくつも立てたり、ジジイが唸るほどの指揮能力持ってるんだから、団長としての力は認めるがよ」
そう言うと、二人はわかってないねえ、という顔をした。
「確かに、団長に対する噂は、大体嘘だ」
「ほれ」
「そうだね。かなり過小評価されているね」
「ほ・・・え?」
ロガンがゆっくりと首を傾げた。
「良い機会だ。あの人の偉業の一部を教えてやる。それを聞いてから、勝てるかどうか考えてみな」
一時間後
「頭おかしいんじゃねえか?」
険しい顔でロガンはアスカロン団長を評した。
「僕たちもそう思うよ。カリュプスを滅ぼした時の話を聞いて本気であの人の頭を疑った。それでいて本人はきょとんとして、何で僕たちが呆れているかわかってないんだ」
「何でお前はそんなのが好きなんだ?」
突然の純粋な一撃にムトは吹き出した。
「いきなり、何を」
「え、だって、そうなんだろう?」
「まあ、そうだな。否定はしないが。なんというか、ただ純粋な好きだけでなくて、憧れというか、尊敬というか、そういう成分も」
「何だよまだるっこしい。好きは好き、嫌いは嫌いだろう? 告ったりしねえの?」
「それは、あれだ。あの人の横に並びたてるようになったら」
「でも相手、いかれた戦歴持つキチガイだぞ。並べんの?」
ムトは黙ってしまった。
「しっかしあれだよなァ」
再び水を木桶で井戸からくみ上げ、体にかけながらロガンは言う。
「この団の女連中は、団長筆頭にとんでもねえのばっかだよな」
「え、あ、ロガン、この話は、まあ、その辺で」
ゲオーロが小声で焦ったように喋るが、頭から水を浴びたロガンには上手く聞き取れなかった。
「まず魔術師のプラエ。あいつもどっこいどっこいの化け物だよな。城に返ってきたと思ったらカステルムの兵器勝手に改造して、それでアドナ撃ち落としちまうんだもんな。仲間乗ってるのに。人の心ないよなアイツ。何でジュールはあんなのが好きなんだ? そりゃ見てくれは良いかもしれねえが、俺はちょっとタイプじゃねえな。年もいってるし。タイプの話なら、まあ、そうか、後はティゲルとイーナか。対照的でちっと決められねえが、あ、たしかゲオーロがティゲルと付き合ってるんだっけか。じゃあ邪魔できねえな。人の物を欲しがるような野暮天じゃねえよ俺は。それに言いたかないけど、アイツも頭良すぎて俺とは話合わなそうだし、遠慮するわ。何か、こっちがつまらなそうにしててもずっと自分の好きなこと喋ってそうじゃね? いくら可愛くてもうんざりしちまうよな。ゲオーロ、あんたあんなんで大丈夫か? で、残り物には福があるってことでイーナだが、まあ、アイツには故郷の事を教えてもらった恩もあるし、悪い感情は全く持ってねえかな。四人の中じゃダントツで良い女だ。うん、合格。・・・あー。でもなあ、何か平然とした顔でレギオーカの首切り落として潰してたんだよな。あれ見たら、やっぱ普通じゃねえわ。ぞっとする。ああいうタイプって、自分が振られるとか考えたことない高慢さがあるから、いざ突き放したら地獄の底まで追ってきそう。昔話の鬼婆みたいじゃん。うわ、想像しただけで怖いって。ゴメン、イーナ。やっぱなしで」
「ちなみに残った団長はどうなの?」
はい、と手渡された木桶をロガンは相手の顔も見ずに礼を言って受け取り、頭にかける。
「いやいや、ねえわ。天変地異が起きても選ばねえな。この団の女は全員見た目良いけど中身がなぁ。どうせ侍らすなら見た目普通でも愛嬌のある娘がいいな。そうだ、名をあげたら、そんな娘を集めてハーレムを作るのも夢じゃ」
ぞる
ロガンの笑顔が固まる。胸を突き破って、鋭い刃が現れる。刃は確実にロガンの心臓を貫き、命を奪っている。真っ赤な血が溢れ、視界を染めていく。
「かはっ、はぁ、はぁ」
ロガンは荒く息を吐きながら胸を見た。胸には刃どころか傷痕すらない。心臓も、脈打っている。何が、起きた?
ロガンを動けなくしたもの。それは、強烈な殺気だった。あまりに強すぎた殺気が、ロガンに幻覚を見せたのだ。
「楽しそうね」
声のした方を、ロガンは振り向くことができなかった。
「どうしたの? 急に黙っちゃって。どうぞ、続けて?」
まずい。とにかくまずい。ロガンは生き延びるために必死で知恵を絞った。そうだ。ムトやゲオーロに助けを求めればいいのだ。彼らなら、何とかこの状況を収めてくれるのではないか。そんな期待を胸に視線を走らせる。
「なあ、ゲオーロ、このウェルテクスなんだけど」
「ああ、改善点かい? ちょっと待って、メモするから」
いたはずの二人が、いない。
慌てて探すと、二人は、ロガンから遠く離れた場所で、まるでこっちのことなど気づいていませんよと言わんばかりに背中を見せて、少しずつ離れていった。
「しかし、なるほどね。ロガン君。君には、私は高慢そうで、振られたら地獄の底まで追う鬼婆に見えるのね。じゃあ、付き合ってもいないのによくわからないまま振られたから、地獄の底まで追えば良いのかな?」
「イーナさんはまだ良いじゃないですか~。ダントツで良い女だって~。私なんか話つまらなそうでうんざりする女ですよ~」
「ティゲルは可愛いから良いの。こっちは人の心ないって言われましたけど?」
「そこは、少し反省してください。本当に、反省してください。でも、天変地異が起きても選ばない、よりマシじゃないですかね?」
その時、ロガンの視界が激しく上下した。こ、これは、地震?!
「じ、地震だ! 大変だ!」
そう叫びつつ、ロガンはしめたとほくそ笑んだ。こんな大変な時に、俺なんか構ってる暇なんかないはず。その隙に逃げれば。
「地震? 何を言ってるの?」
冷静な声が耳を貫く。よく見ると、壁は揺れたり崩れたりしていない。揺れているのは、ロガンの膝だった。彼の膝が激しく震えていて、それを地震と勘違いしたのだ。膝が揺れ、それがきちんと理解できなくなるほどの恐怖が彼を取り囲んでいた。
「ねえ、こっちを向いて」
「女性を侍らせるのが夢だったんでしょう?」
「こちらが御所望の」
「ハーレムで~す~」
それでも向けないロガンの頭が、巨大な篭手で鷲掴みにされた。強制的に、ゆっくりと恐怖の方へと向けられる。
恐怖は、人の形をしていた。
「「「「ほら、笑えよ」」」」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます