第385話 お前が言うなpart3

「おのれファナティ、あの役立たずが! 恩を仇で返しやがって!」

 遠ざかるアカリたちに向かって、怨嗟の声をマルティヌスは上げた。

「私を誰だと思っている。これまでどれほどの実績を積み上げてきたと思っている。どれほど龍神教に尽くし、貢献してきたと思っているのだ!」

 そのほとんどが部下から奪い取ったものだと、彼は露ほども思っていない。なぜなら部下が成功したのは自分のおかげだと全く疑っておらず、その部下の成功は自分の成功も同じだからだ。

「私の死はリムスの損失だというのに、愚者どもが。次元が違い過ぎてこちらの言葉も意図もくみ取れぬとはな」

 アドナの揺れが激しくなってきた。浮力を維持することが出来なくなっている。まもなく、アドナは墜落するだろう。

 死という現実が、マルティヌスに近づいてきた。

「背に腹は、変えられんか」

 懐に手を伸ばす。目当ての物を掴み、取り出した。部下がアドナの一室から見つけたものだ。それは奇妙な形状をした指のような細長い瓶の容器だった。ガラスのように透明だが、ガラスよりも軽く、おそらくは特殊な素材で出来ている。容器の先端が更に変わっていて、一方には小さく細い針があり、怪我をしないようにかカバーがついている。もう一方は瓶の蓋のように見えるが、押し込むことができる構造になっている。この針から押し出された液体が出てくるようだ。アカリがその場にいれば容器の事を『注射器』と呼んだだろう。

 液体の正体は『ルイクシル』。龍の書にある、不老不死の妙薬と奇しくも同じ名前をしていた。

 流石のマルティヌスも、このルイシクルをすぐさま自分に投与するほど龍神教も古代文明も妄信していない。実験を行い、安全性が確認されてからにするつもりだった。発見してすぐに試せなかったのは、今手元にある一つしか存在しないためだ。容器一つが、おそらくきっちり一人分であることは想像がついた。少なければ効果がないかもしれないという恐れから、試すわけにもいかなかった。

 マルティヌスの視界がゆっくりと下降を始めた。速度は次第に上昇していく。もはや、躊躇う時間は残されていない。マルティヌスは針のカバーを外し、自分の首に突き立てた。チクリと痛みが走る。構わず、蓋を押し込む。液体が針を通って自分の体に入ってくるのがわかる。

 浸食されていく。だがそれは、決して不快ではなく。むしろマルティヌスに快楽と高揚感を与えた。

 やはり私は選ばれし者なのだ。そう確信に至った時、アドナは海中へ落下した。



 空からラルスが旋回しながら降りてくるのを、プラエは海岸で見守っていた。海岸にはレギオーカが何体か残っているが、指令を出していたアドナが墜落し、機能を停止したせいか、同じように機能を停止していた。

 理論上は可能だったとはいえ、アドナの高度まで到達した自分の作品の姿を見て、彼女は満足げに頷く。そして、その自慢の作品が彼女たちの力になれたことを確信し、誇らしい気持ちになる。

「プラエさーん!」

 搭乗者たちの姿が目視で確認できるほど高度が下がってくる。皆が非常にいい笑顔で、こちらに手を振っていた。それはそうだろう。自分は死んだと思われていたし、自分自身も流石に今回は死ぬことを覚悟した。感動の再開というやつだ。思わず涙腺が緩む。

 何故かアカリはラルスの固定用アンカーに掴まってぶら下がっていた。おそらく、侵入の際にラルスをアドナに固定するためにアンカーを使ったのだ。アンカーは誰かが手動で外さなければならない。外した後、翼に戻る時間がなく、そのままラルスは発進。仕方なくアンカーに掴まってきた、そんなとこだろう。何でもいい。無事に戻ってきてくれさえすれば。

 一足先に彼女は砂地へと着地し、彼女の頭上を飛び越したラルスもまた、ゆっくりと砂地にランディングした。タイヤが砂地に埋もれて慣性のせいで一瞬転倒しかけたが、何とか持ち直す。

「プラエさん!」

 満面の笑みで、アカリが手を振っている。

「プラエ!」

 ラルスの翼に乗っていたジュールが、固定ベルトを外して砂地に飛び降りた。ムトとゲオーロ、テーバはワスティとファナティのベルトを外して、五人一緒に走って近づいてくる。プラエ、プラエさんと、皆が満面の笑みで名前を呼んでいる。プラエもまた、彼女たちを迎えるように両手を広げて歩み寄る。

「皆ぁ!」

「「「プラエ~!」」」

 相対距離がゼロになる。アカリたちはプラエを取り囲み、彼女の体を抱え上げた。そのままタイミングを合わせて胴上げする。

「「「プラエ! プラエ! プラエ!」」」

「ちょっと皆! やめてよ! 恥ずかしいから!」

「「「プラエ! プラエ! プラエ!」」」

「ちょ、あと、これ、結構、傷に響くんで」

「「「プラエ! プラエ! プラエ!」」」

「あと、そんな揺られると気持ち悪いん、だけど」

「「「プラエ! プラエ! プラエ!」」」

「ね、ねえ、何で、どうして海の方に近づいてるの?」

「「「プラエ! プラエ! プラエ!」」」

「何で笑顔で誰も答えないの?」

「「「プラエ! プラエ! プラエ!」」」

「おい、ちょっと、こら、止まれ、止まれって!」

「「「せーのぉ、どっせぇええええええい!」」」

 プラエの悲鳴が放物線を描く。水柱を立てて、彼女の体が海中に沈んだ。数秒後。

「あだだだだ!」

 プラエが海から飛び出した。必死で海水をかき分けて浜辺に打ち上げられ、ごろごろと砂浜を転がる。

「しみる、傷口に海水がしみる! 全身がチクチクする! くそう、遺跡脱出時は興奮状態で気づかなかったけど私ってば滅茶苦茶怪我してる! どうしてこの戦いの最大の功労者である私がこんな目に遭わなきゃいけないの! 命からがら遺跡を脱出して、皆のために満身創痍の体に鞭打って頑張った私に、なんでこんな惨い仕打ちができるのよ! あなたたちの血は何色」

「「「お前が言うなよ?」」」

 アカリたち全員が満面の笑顔を張り付けたまま獲物をプラエに突きつけた。いや、全員目だけ笑っていなかった。瞳の奥に怒りの炎を宿していた。食って掛かろうとしたプラエは、開いた口をゆっくり閉じる。

「プラエさん」

 穏やかな、本当に穏やかな声音で、アカリは問う。

「どうして、私たちがいるのにアドナを撃ち落としたの?」

「え、えっと、そりゃ、ねえ?」

「ねえ、何?」

「アドナの主砲がもう一度撃たれたら危険だったし、プロペー王やカルタイ王は民たちの不安を払しょくする必要があったから、よ?」

「本音は?」

「・・・・・・・・・仮説は実証してこそよ?」

「この女もういっぺん海に叩きこめ!」

「「「応!」」」

「ちょ、やめて! やめてって! 私が何をしたってのよ! この機会を逃したら二度と撃てない代物だったのよ! 試すでしょう普通!」

 ぎゃいぎゃいと騒ぎながら海に近づく神輿と担ぎ手。悲鳴と怒号が飛び交うが、そこにはもう、緊迫感はなかった。

 しかし、事態は一変する。

【アあぁあああああスぅカロぉおおおおおおンん!】

 沖より、怨嗟の声が響く。和やかな空気は一瞬にして消える。

 アカリはすぐさまプラエをゲオーロと司祭に託し下がらせ、武器を構えた。彼女の視線の先、アドナが沈んだであろう海域の方向から、何かが近づいてくる。

 海に沈もうとしている太陽の陽を遮る影があった。影は人型をしていた。一応は。

「お前は」

 アカリが驚愕に目を見開く。彼女の隣に立つ者たちも、一様に驚きを隠せないでいた。

 彼女たちの前にいたのは、アドナと一緒に海に没したはずのマルティヌスだった。あの高さから落ちて、生きていられるはずがない。よしんば落下で死ななかったとしても、今度は沈むアドナが起こす水流や渦潮に飲まれ、二度と海上へは戻れなくなるはずだ。

 いや、それよりなによりおかしいのは、マルティヌスの体だ。

「団長、あいつ、なんかでかくないですか?」

 ムトが言った。彼の言う通り、マルティヌスの体は巨大化していた。海岸に近いとはいえ、砂浜のアカリたちとの距離はかなり離れている。遠浅の海、というわけでもない。なのに、マルティヌスの上半身は完全に海面から飛び出している。またそれを裏付けるように、マルティヌスは上半身が裸になっていた。着ていた服の残骸がわずかに残るのみになっているが、どうも内側からの圧力で破れたように見えた。

 また、丁度いい比較対象が海にはあった。停止したレギオーカだ。少し屈んだレギオーカとマルティヌスの大きさが同じくらいに見えた。この短時間で、体が二倍から三倍に膨れ上がったことになる。

【見つケたゾ、魔女】

 マルティヌスと傭兵団が対峙する。

「随分と、様変わりしたわね。この短い間に、一体何があったか教えてもらっても?」

【クックっく、舐めた口を利けルのも、今ノ内だ。私は遂に、神の領域に至ッタのだかラ!】 

 マルティヌスの肉体がボコボコと隆起する。体の色も白に近い肌色から、どす黒い赤へと代わり、鱗が体を覆い始めた。極めつけは頭部だ。後頭部と口元が伸びて骨格から変化する変化はまるで、人から龍へと変質していくようだった。しかし皮膚は耐えきれず、伸びている途中で裂けてしまった。見ている方にとってはグロテスク以外の何ものでもないが、当の本人は全く意に介していない。

【アドナに残サれていた、不老不死ノ妙薬『ルイシクル』ガ、私ヲ高次元へと誘った】

「ルイシクル?」

【体が、人の殻を破ルのガわかる。書き換えらレていク。矮小で、脆弱ナ体を脱ぎ捨テ、代わリに強大な力が溢れテくるのがワカる。人とシての地位、名誉、権威、何と、些細なコとで一喜一憂してイたのか。最早、私にハ必要なイ。こノ手の中に、全てガある。コの万能感、貴様ラにも教えテやりタい位ダ】

 マルティヌスが拳を作ったり開いたりを繰り返す。

【見セてヤる。この力ヲ】

 マルティヌスがググっと身を屈めた。足に力を込め、こちらに飛ぼうとしている。アカリたちは武器を構え、戦いに備えた。

【行くゾぉオおおおオ!】

「「「あ」」」

 マルティヌスが飛び上がり、アカリたちは間抜けな声を上げ。

 巨大なアギトが、海面を爆発させながら飛び出した。アギトは空中にあったマルティヌスを捉え、喰らいつくと海面に落下し、更に大きな水柱を生んだ。アギトを持つ巨大生物は水中でギラリと反転し、大海へ向かって泳ぎ去った。マルティヌスは声をあげる事もなく、巨大生物に連れ去られてしまった。

「あれは、もしかして『アムニス』」

 アムニスが引き起こした波を全身に浴びたアカリがむせ込みながら言った。

 アムニス。海に生息するドラゴン種の頂点だ。

「助けてくれた、っていうより、あれは」

 マルティヌスを狙ったように見えた。マルティヌスを変貌させた『ルイシクル』と、それを追ってきたかもしれない、滅多に見ることのできない『アムニス』の謎の行動。最後の最後で情報過多だった。

 まあいいか、と彼女は立ち上がり、倒れ、むせ込んでいる仲間たちに手を貸す。今回の戦いも生き延びた。ならば、時間はまた作れる。時間を作れば、調べることも、相談することも、何でもできるのだ。

 それに、彼女にはなんとなく予感があった。今得た情報を追えば、元の世界に戻る何かに繋がるのではないか、という予感だ。ともかくも、今は。

「帰りましょうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る