第381話 生きてるだけでまるもうけ

 時間は一日ほど遡る。

 水が迫ってきている。カウントダウンが迫ってきている。出来れば苦しまずに死にたいものだとプラエは思う。

 これまでの記憶が浮かぶ。走馬灯、というやつだ。魔術師として生きる決心をし、魔術師に弟子入りしたこと。ガリオン兵団に拾われたこと、多くの仲間に出会えたこと。その多くを失ったこと。危なっかしい未熟者を支えると決めたこと。

 大変なことばかりだったが、全て楽しかった思い出だ。

 そして、彼女の目に映ったものは。

「何が起こるかわからないものね、人生ってやつは」

 これまでの楽しかった思い出を脳裏に浮かべながら死ぬ直前まで知識を得てやろうとマルチタスクで脳をフル回転させていたプラエが見つけたものは、レギオーカたちに破壊されたラケルナだった。

 確か、アカリとラケルナの搭乗者であるオルディが以前話していた。特殊な装甲をしているラケルナは水に浮く、と。実際、島への移送手段は船による曳航だった。

 そのラケルナは、浸水によって自分がいる塔の高さにまもなく迫ろうかという高さまで浮かび上がっている。ラケルナにはレギオーカにつけられた傷がある。そこからコックピットに入り込めれば、装甲が爆発に耐えられるかは賭けだが、助かる見込みがある。

 思い出と知識欲で占められていた脳の容量が、生存本能一色に染まる。傷と疲れのせいでいつもより鈍い体の反応に苛立ちながら、モニターに登り、ガラスにハンドガンの銃口を押し付ける。引き金を引くと、小さな穴が開いた。だが、プラエが通るにはあまりに小さい。今しがた開けた穴から少し離れた場所で、プラエは再び穴を開ける。それでもまだ、ガラスは砕けない。放射線状のひびが繋がっただけだ。銃口を離し、二つの穴の一直線上ではないが、二点から同じ距離に三度銃口を押し付けた。三度目の銃弾が窓を貫通する。三つの穴のひびが繋がり、歪な三角形を作った。三角形の中は無数のひびが入っている。

「身につけた知識は裏切らないって本当ね。アカリから教えてもらった、三角割り、だっけ?」

 以前、ルシャの世界の泥棒の話になぜかなった時、どうやって鍵のかかった部屋に入るのか、その手法で話が盛り上がった。それがまさか、脱出の時に活用できるとは。

 やはり技術に善悪はなく、利用する人間の問題なのだ。プラエは魔術師、技術者としての襟を正した。だから、マルティネスなんていう馬鹿にアドナもレギオーカも使わせてはならない。

 ムトが置いていったボンベを口でくわえて、力を振り絞り、三角形に倒れこむようにして肘打ちを喰らわせる。何度か打ち込む必要があるかと覚悟していたプラエだが、一撃でガラスは砕け散った。

「・・・嘘」

 体を支える事が出来ず、プラエはそのまま砕けたガラスと一緒に落下する。彼女にとって幸いだったのは、水がかなりの高さまで上がっていて、二、三メートルほどの落下で済んだことだ。必死で水をかき分け、水面に顔を出す。浮いているラケルナまでバタ足で近づく。

 その音を、その動きを水中で見ているものたちがいた。レギオーカだ。水面で動く人影を抹殺せんと動く。

「ちくしょう。何で私がこんな目に!」

 レギオーカが迫っているのを感じながら、プラエは悪態をつく。

「二度と、二度と海には来ない! 地下にも潜らない! 美味しい話に安易に飛びつかない! だから神様龍神様精霊様! ちょっとくらいこんなに頑張っている私に力を貸してもいいんじゃないかな!」

 ラケルナに手が届く。レギオーカたちとの距離は後三十メートルもない。爆発まで後三十秒。

「これが終わったら、休む。一週間くらい酒飲んで飯食って寝る! それくらい許される! その前にぃいいいいい!」

 ラケルナの上に乗り、へしゃげたコックピットの隙間を広げようとする。コックピットは、丁度真ん中に斬撃を受けたために半分の所でへしゃげていた。上部は内側に凹んでしまい人力ではどうにもならない。だが、逆に下部は上部が凹んだ分装甲がそちらに押し込まれたか、隙間ができていた。それを自分が通れるほどまでなんとか広げる。レギオーカ到達まで後十メートル。爆発まで後十秒。

 隙間からコックピットに体を滑り込ませる。内側から可能な限りコックピットを閉める。

「マルティヌスは絶対許さん! 得意満面のあの面をボコボコにしてやる!」

 レギオーカが間合いに入った。剣を振り上げ、今度こそラケルナを破壊しようとして。

 カウントダウンがゼロになった。激しい爆発が起こり、遺跡が一気に崩落。すさまじい量の水が内部に押し寄せる。

「くっそ、完全に水は無理がぼぼぼぼぼ」

 海水に翻弄され、ラケルナがきりもみ回転する。そのたびにコックピット内に水が浸水してくる。狭いコックピット内が海水に満たされるのはあっという間だった。

 ラケルナが海水に押し上げられていく感覚がプラエにはあった。ここまでは想定通りではあった。想定外は、ラケルナのコックピットに海水が満ちたことだった。海面に出るまでボンベと自分の息がもつことを祈るしかない。

 どれほど時間は経っただろうか。突然、ボンベからの空気の供給が途絶えた。残るは自分の肺活量だが、期待はできない。まもなく限界が来る、そんな時だ。

 ・・・止まった?

 ラケルナの浮上が止まった気がした。残った息を吐き出しながら、コックピットを足で押し開ける。

 光が差し込んだ。運よく、ラケルナは仰向けの状態で浮上していたらしい。空気を求めて、必死で体を動かす。手が空気に触れた。ただそれだけのことが、今のプラエにはどれほど嬉しかったか。

「ぷはぁ!」

 胸いっぱいに空気を吸い込む。

「よし、よし、よし! 成功した。ここまでは順調。生きてるだけで百点満点!」

 後は、どうやってここからテオロクルムに戻るかだ。船でもかなりの時間がかかった距離を、泳ぐのは不可能。体力が持たない。助けを呼ぶ術もない。おそらくアカリたちも、こちらに救助を回す余裕はないだろう。多分死んでると思われているし。

 ならば、どうするか。ラケルナの浮いている部分によじ登り、体力を回復させながら頭を回転させる。

 その時、背後から空気の抜ける音がした。振り返ると、コックピットの上部が内側から吹き飛んで、破片が海に落ちるのが見えた。

「何が、起きたの?」

 恐る恐るコックピットを覗き込むと、プラエは息をのんだ。

「あなた、生きて、るの?」

「一応、な」

 プラエが驚くのも無理はなかった。コックピットにいたのは、当然ながらこのラケルナの操縦士オルディだった。そのオルディには、下半身がなかった。コックピットと一緒に潰れてしまっていたのだ。だが、彼は生きていた。

「言ったろう。ラケルナの搭乗者は、もはやラケルナの部品の一部となる。ラケルナが破壊されるまで死ねないんだ」

 それより、とオルディは言った。

「何があったんだ。俺が気を失っている間のことを教えてくれないか。こんなことを言える立場じゃないのは重々承知だが、頼む」

 彼が裏切った理由は、遺跡で聞いた。しかし、マルティヌスに裏切られた。感情はどうあれ、もはや敵対する理由はない。むしろ協力すべきだ。そう考え、プラエは時系列に沿って説明する。

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