第380話 龍の眼を持つ女
コンテナが水しぶきをあげて次々と海に飛び込み、トスナーも後へ続いて飲み込まれ海中へと沈んで。
深緑色の海が、白く輝いた。
激しい爆発は衝撃波を生み、アドナに届かんばかりの水柱を発生させた。高波が発生し、テオロクルムを打ち付ける。ぐらぐらとアドナが揺れた。
危なかった。レギオーカと違うのは性能だけではなかったらしい。あのままここで倒していたら、アドナごとまとめて吹っ飛ぶところだった。外に放り出したのは正解だったわけだ。
「はぁ~」
足から力が抜け、私はアドナと空の境目でへたり込んだ。吹き込む風が熱を持った体を冷やしていく。
「団長!?」
心配したムトがこちらに駆けよってくる。手を振って無事をアピールした。
「流石に、ナトゥラのライフル最大出力モードは疲れたわ」
手の中にあるライフルを眺めながら言う。距離が伸びると威力の減衰が見られるナトゥラのライフルモードだが、超至近距離であれば減衰は関係ない。
「この性能で充分じゃない?」
この仕上がりに納得できない。
ナトゥラの制作者である彼女の言葉に反論する。改良すると言っていたのに、してくれてないから、結局このままで戦うことになった。
完成する日は、もう来ない。
「文句があるなら出てきてよ」
言葉は青の空間へと流れて消えた。
「何か言いました?」
「いいえ、何も。それより」
銃把を強く握りしめる。戦いは、まだ終わってはいない。
「指令室を制圧しましょう。この戦いを終わらせます」
機械音声が、消火活動の終了を告げた。
トスナーが落ちていく。
その光景を、マルティヌスたちは愕然とした表情でただ見つめることしかできなかった。
あり得なかった。考えられなかった。神が創りし古代兵器が、アドナのガーディアンが、ただの人に負けるなど。
「ま、マルティヌス様。これから、どうしましょう?」
恐る恐る、部下が言った。
「虎の子のトスナーは破壊され、魔女たちはこちらに向かっています。外ではレギオーカは数を減らし、テオロクルム軍に押し返されています」
「貴様、何が言いたい」
自分を睨みつけるマルティヌスに、部下は怯えながら、しかしはっきりと進言した。
「降伏、するべきでは」
瞬間、白刃が赤く染まった。血しぶきが舞い、ゆっくりと部下だった物が崩れ落ちる。ひきつった悲鳴が上がった。
「まだ他に、馬鹿なことを考えている奴はいないな?」
けん制するように、マルティヌスは血が滴る剣の切っ先を部下たちに向けて回った。
「降伏など、知性のかけらもない野蛮な連中が受け入れるわけがないだろうが」
そもそも降伏などプライドの高いマルティヌスに出来るわけがない。どんな啖呵をリムス中に切ったと思っている。救世主を名乗り、自分にひれ伏せと全世界に発信してから一日も経たずに命乞いなど、それこそ死に至るほどの恥辱の極みだ。
「で、ですが、現実問題、我々の戦力では魔女を止められません。いかがしますか」
モニターには、格納庫から脱出した傭兵たちの姿があった。先ほどの様な、消火機能で窒息させる方法は、すぐには使えない。遮るもののない扉を敵は突破し、確実にこちらに近づいている。
「そんなもの、簡単だ。奴らの心を折ればいい」
血走った目で部下を見下ろして言った。
「心を?」
「そうだ。奴らが何のためにここに来ているのかわかれば、おのずと答えが出る」
マルティヌスが指示を出す。
「主砲『鉤爪』の準備をしろ」
部下たちはうすうす気づいていた。勝機とトスナーを失った時から、既にマルティヌスは正気も失っている。
引くに引けない所にマルティヌスはいた。リムス中に喧嘩を売り、教皇をこき下ろし救世主を名乗ったのだ。コンヒュムにも、リムスのどこにも帰る場所がない。もはや前進するしかなく、進んだ先に待っているのは破滅のみ。
付き従えば、自分たちも死ぬ運命は避けられない。
「何をしている、さっさと準備をしろ!」
動き出せなかった部下たちの尻を、マルティヌスの苛立った声が鞭打つ。年老いたロバのように億劫な様子で、しかし部下たちは命令に従った。もはや、自分たちにも退路はない。マルティヌスに従った時点で、リムス中の人間に自分たちも仲間だと思われている。
どうでもいい、どうにでもなれ、そんな諦めに似た思いを胸に、彼らは終焉の階段を登る。
指令室に通じる扉が開く。最初に目についたのは巨大なモニターだ。モニターにはテオロクルムの戦場が映し出されている。モニターはその奥にあるガラスに沿って緩やかに湾曲していた。そのモニターに沿うようにして、白い僧兵たちが配置されている。彼らの前にはキーボードの様な操作盤があった。
部屋の中央部に、二段ほど高い場所があった。おそらくは艦長席がある場所だ。そこにいる男が、こちらを血走った目で見下ろしている。そいつの名を呼ぶ。
「マルティヌス」
「薄汚い魔女が、気安く私の名を呼ぶな」
「まだ救世主のつもりでいるの?」
「まだ、ではない。私こそが唯一無二、リムスの救世主だ」
「笑わせないで。アドナを守るガーディアンはもういない。レギオーカの軍はテオロクルム・カステルムの混合軍に押し返され、駆逐されそうになってる。もはや勝ち目はない。お前らに後出来ることと言ったら、テオロクルムの人々に頭を垂れて謝罪して、そのまま頭を刎ねられるか、コンヒュムとの交渉に使われるかのどっちかよ。まあ、コンヒュムは救世主を語ったお前を裏切者として断罪し、切り捨てるかもだけど。・・・ああ、なるほど。救世主だとか、現教皇を否定する発言をしておけば、こういう状況になった場合コンヒュムは自分とはかかわりがない、とアピールできるわけだ。頭良いじゃない」
「ふざけるな! 貴様さえ、貴様さえ居なければ、私は今頃このリムスを理想郷に導けていたのだ。誰も争わず、誰も飢えることのない、美しい世界に人々を誘うことができたはずなのだ。なのに貴様は、全てを台無しにした。この罪は大きい」
「誰もが救世主マルティヌスに跪いた世界、が抜けてるんじゃない? お前みたいな奴の匙加減にびくびくしながら生きるのなんてまっぴらごめんよ。多分他の皆もね。だから、みんなが抗い、お前の計画は破綻した。もとより誰も、お前を救世主などと認めてない」
マルティヌスのいる艦長席につながる階段部分に、赤いしずくが垂れて床に血だまりを作っていた。見上げれば、何者かの頭頂部が階段の幅からはみ出ていた。何が起きたか、大体想像がつく。部下にも見限られ始めたのだろう。
「うるさい、黙れ! 私は救世主なのだ。愚かな人間どもは、私に従っていればいいのだ。それが幸福なのだ。それを理解できぬのなら、死ぬべきなのだ!」
マルティヌスの手元が動いた。電子音が響き、モニターに数字が表示される。これは、海底の遺跡でも見たカウントダウンだ。だが、何の?
「何をした」
マルティヌスの眉間に狙いを定めながら問い詰める。奴は高笑いしながら答えた。
「アドナの主砲『鉤爪』が発射シークエンスに入った。後一分で、テオロクルムは神の爪によってその土地ごとえぐり取られるだろう」
一気に血の気が引く。考えうる限り最悪の展開だ。
「今すぐ止めろ!」
「断る。神に逆らう悪魔どもは、この世から消え去るべきだ」
答えを聞いた瞬間、引き金を引いた。着弾の瞬間、弾丸が弾かれる。どうやら、強化ガラスのような壁がマルティヌスを囲んでいるようだ。
「貴様が悪いのだ! 全て、全て貴様のせいなのだ! 貴様のせいで、テオロクルムに住まう罪なき者たち、救い待つ無辜の民が、無慈悲に命を奪われる!」
させない。ここまで来て最悪の結末など願い下げだ。
「ムト君、テーバさん、ジュールさん、ワスティさん! 僧兵を全員を取り押さえて!」
「「「「了解!」」」」
「司祭! 今すぐ発射を止めて! ゲオーロ君はサポートを!」
「は、はいっ!」
「はあっ?! 無茶を言いよる!」
「無茶でもなんでもやって! やらなきゃテオロクルムが滅ぶ! 大量殺人と国家滅亡させた汚名着たい? 私が言うのもなんだけどお勧めはしないわよ!」
「コンチクショウ最近逃げ道がない!」
四人が僧兵たちを取り押さえ、空いたコンソールにファナティが飛びつく。僧兵たちは逆らう気力もなく武器を捨てて投降した。
私は階段を駆けあがり、マルティヌスに向けて剣モードにしたナトゥラを振り下ろした。スイッチは奴が押した。ならば、そこに停止スイッチがあるのではないか。あるはずだ。
にやけ顔の奴の目の前で、刃が止まる。弾を受け止めた壁は、ナトゥラの斬撃も火花を散らして受けきった。微かに傷が入った程度だ。破るには程遠い。
「神を守るための壁だぞ。そう簡単に破れるとは思わんことだ」
とんだクソ野郎だ。部下を放置して自分だけ安全圏で胡坐をかいていやがる。
ナトゥラのダイヤルをⅢに合わせる。トンファーのような形のパイルバンカーモードへ移行。刀身の形状が四角柱に変化し、砲座を固定するためのアイゼンとなる。
四つに分かれたアイゼンが、透明な壁を掴む。マキーナの表皮を突き破ったアイゼンが、目の前の壁では爪が引っかかる程度の小さな傷しかつけられない。
構わず、取っ手を押し込む。魔力が刀身に流れ込み、壁に放射線状の亀裂が走る。
しかし、そこまでだった。ぶしゅう、とナトゥラから蒸気が排出されるが、以前の勢いがない。アイゼンも刺さらなかったし、放たれた熱量がマキーナ戦時と比較にならないくらい弱い。
「は、ははは、驚かせやがって。さしもの魔女も、神の守りの前には成す術なしか。傷をつけただけでも大したものだ。褒めてやる」
息切れで膝が崩れかける。体がよろめき、倒れそうになるのをなんとかこらえる。鼻の奥が熱くなり、ぽた、ぽたと血が流れ落ちてきた。魔力切れだ。トスナー戦で最大火力の砲撃を放っていた。あれが今、ここで響いている。
それだけじゃない。ナトゥラに流れ込んだ魔力量が、以前よりも少なかった。こちらから流し込もうとした魔力が、突然流し込めなくなったのだ。
まさか、安全装置でもついているのか? こちらの状況を把握し、命を削る危険な水準に入らないような処置を施されているのか。彼女の残した気遣いが、私の首を締めようとしている。
鼻の血を拭いながら、モニターを振り返る。時間は残り三十秒を切っていた。
「司祭、状況は!」
「こんな短時間で出来るわけないだろうが!」
「ゲオーロ君、回復薬はある?!」
「すみません、ありません!」
時間が過ぎていく。
「ごめん、誰でもいいから、私の代わりにナトゥラを!」
「すぐ行きます!」
ムトが駆け寄ってくる。残りは十秒。
「すぐに発射しなかった理由はわかるか。魔女」
嗤いながらマルティヌスは言った。
「貴様を絶望の底へと叩き落とすためだ。貴様が命を懸けて守ろうとしたものたちが、目の前で消えていくのを見せつけるためだ。この一分は、貴様が己の無力さを痛感し、何もできず、嘆き苦しむための時間だ」
「黙れ、外道が」
ナトゥラを持ったムトがマルティヌスを睨みつける。
「もう遅い。『鉤爪』発射」
カウントが全てゼロになった。モニターから痛みを伴うほどの光が溢れる。アドナから主砲が発射された。その光景が、スローモーションで私の網膜に映る。光の矢がテオロクルム中心部へと命中し、大規模な爆発と煙を吹き上げた。
「あっはっはっは! 可哀相に、可哀相になぁ! 神に逆らったばかりに、彼らはその命を失った。唯一の救いは、痛みを感じる暇もなかったという事か。最後の慈悲だ。はは、ふははははは!」
煙が海風によって徐々に薄れていく。ヤハタ山を消した砲撃、それがもたらした被害はどれほどのものか。
「・・・マルティヌス様」
モニターを確認していた部下が呼びかける。だが、悦に入っているマルティヌスは私の方を見たまままくしたてるように喋り、部下の声に気づかない。
「どうした、魔女。先ほどの威勢は。よく回る口はどうした? 何か気の利いたことを言ってみせろ。それとも、改心したか? ちょっと遅かったようだがな。別に構わんぞ。神は寛大だ。許しを乞うなら安らぎを与えよう。その胸の痛みを取り払ってやろうぞ。貴様の命を断つことでな」
「マルティヌス様!」
「何だうるさいな! 私の楽しむ時間を・・・を・・・?」
マルティヌスの威勢よくまくしたてていた口が、止まった。奴の目はこぼれんばかりに開かれ、モニターを凝視していた。
それは、私たちも同じだった。信じられない思いで、モニターを、その先にあるテオロクルムの状況を見ていた。
「団長、見てます?」
「ええ・・・」
「その、見間違いじゃ、ない、ですよね」
「多分・・・」
「どう見ても、あれは、無事、に見えるんですが」
「奇遇ね。私にもそう見える」
悲惨な状況を覚悟していた。生きるもののいない、無の空間が広がっていると。だが、私たちの目の前に広がっているのは、先ほどと何ら変わらない、テオロクルムの城下町だった。
いや、一点。先ほどまでなかったものが映っていた。
街の真ん中、丁度アドナの主砲が命中した部分に赤く輝く光点があった。その点を中心に、周囲に八つ、同じ赤い光点がある。点は、それぞれが同じ色の光線で繋がっている。丁度二等辺三角形が八つ繋がって、正八角形が出来ているような形だ。正八角形の線以外の部分は、点や線よりも若干薄い赤で染まっている。その為、遠くからみれば、巨大な赤く輝く眼があるように見える。
「な、何故だ。何故、まだテオロクルムが映っている。あり得ない。まさか、外したのか?!」
この期に及んで部下を叱責するマルティヌスだが、それがあり得ないことは自分がよく理解しているようだった。
「いえ、間違いなく、指定した座標、テオロクルム中心部に着弾したはずです」
「ならば何故! 無事でいるのだ! それ以外に理由は考えられないだろうが!」
『わからないなら、教えてあげようか?』
突如、アドナ内のスピーカーから声が割り込んだ。私たちは天井部にあるスピーカーを信じられない気持ちで見上げた。
『アドナが放つ主砲『鉤爪』は、電気を帯びた粒子を固めてぶっぱなす、いわゆる荷電粒子砲と呼ばれる古代兵器よ。電気を帯びた粒子が高速で移動すると摩擦やら電磁波やらの影響で莫大な熱量が生まれ、対象やその周囲を融解させる。ヤハタ山がただ爆発したのではなく、跡形もなくなったのは山が瞬間的な超高温によって溶けて蒸発したから。現行最強の兵器、と呼んでもいいかもね。でも、理屈がわかればやりようはあるわけよ』
まあ、全部最近仕入れた俄か知識なんだけどね、と声の主が苦笑する。
ああ、なんてことだ。この声。このうんちくを話したくてたまらない感じ。覚えがある。ありすぎる。
「何者だ! 誰の許可を得て喋っている!」
『やっかましいわこの自称救世主が! てめえがなぜなぜどうしてってガキみたいに狼狽してるから私が親切に解説してやってんだろうが。神様の技術なんですぅ、だから最強なんですぅ、愚かな人間は無条件にひれ伏すべきなんですぅ、そうやって思考停止して理屈も理論も知ろうとせずに何でもかんでも神様だよりにしてる化石頭は黙って聞いてな!』
この啖呵の切り方。間違いない。見れば、アスカロンの団員たちは目を輝かせてモニターを見つめていた。
『たとえどんな技術でも、何らかの理論に基づいて出来ている。それは、それまで人間が積み重ねてきた技術と経験の上に成り立っているから。人間の歴史そのものだから。てめえらみてえな考えることをやめた連中には一生わからないでしょうけどね』
「う、うるさい、うるさい! 偉そうにしやがって。どこにいる! 姿を現せ!」
『は、妄信しすぎて見えなくなるのは未来だけにしとけよクソ野郎。目ん玉かっ開いてよく見なさい。私は、ここにいる』
モニターが拡大する。赤い眼が近づく。
光を放っていたのは、ラケルナだった。ラケルナは、マキーナのように口を開いており、その口の前に発射直前のレーザーの様なエネルギー体が収束していて、それが赤く輝いていた。
八角形の中心にいるラケルナの上に、その人はいた。体中に包帯を巻いた満身創痍の状態で、ラケルナの肩で足を少し開いて踏ん張り、腕を組んで立つ、俗にいう仁王立ち、ガイナ立ちと呼ばれる体勢でアドナを、その奥にいるマルティヌスたちを睨みつけている。
知らず、涙がこぼれた。
「馬鹿な、貴様、何故、ここにいる。何故生きている。遺跡で死んだのではないのか・・・! 貴様は、貴様らは一体何なんだ・・・!?」
マルティヌスにとっては、悪夢でしかないのだろう。殺しても殺しても死なない、己を脅かす者は。
『そんなに知りたいなら教えてあげる。我らはアスカロン。災厄を断つ剣。神の鳥を落とす者』
プラエが獰猛な笑みを浮かべて言った。
『人間を舐めるなよ。神様気取りが』
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